78 喧嘩神輿かだんじりか

【『生き地獄』ファイナル 午前十時六分】


 日本で最も過酷なコンクール――通称『生き地獄』――のファイナルのトップバッターを引き当てた松尾。


 『落研ファイブっ』が明らかに戦力の増した対戦相手に苦闘しているのとは対照的に、重圧などみじんも感じられないほど軽快なユニゾンで鍵盤上を走り回っている。




〔色〕(マイアミの圧勝からわずか一年でここまで腕を上げたか。恐ろしい。実に末恐ろしい)

 もしゃもしゃのおかっぱ白髪を時折耳にかけつつ聴き入るのは、色川享明いろかわたかあきら

 著名な音楽評論家にして、元日吉ひよし大学文学部美学科の名物教授である。


〔長〕(松田松尾君。君はあまたのピアニストが望んでも得られない理想的な体と心、そして知性を得たくせに、いつまで下らない玉蹴り遊びに付き合うつもりだ)


 滑稽噺こっけいばなしのようにピアノを操る松尾と上方落語かみがたらくごの鳴り物(※)のようにぴったり息を合わせるオーケストラを見つめるのは、落研仮新入部員の長津田ながつだ


 松尾の紹介で知り合った二人は即意気投合し、共に松尾の大一番を見つめている所である。


〔色〕(これが十五歳の出す音か。いやはや何と言う事だ)


 妖艶ようえん廓噺くるわばなしへと語り口が変わったあたりで、色川いろかわはほうと小さな吐息をらしてホールの高い天井を見上げた。



【『落研ファイブっ』VS『うさぎ軍団』第二ピリオド 午前十時十六分】



 第一ピリオドは両者無得点。

 クラブユース優勝メンバーとインハイベストエイトメンバーをようする『うさぎ軍団』の猛攻をしのぎ切るので精一杯だったフィクソ(DF)の仏像は、三分間のインターバルを終えて空を見上げる。


 ピッチ上に陣取る分厚い雲は黒さを増し、まるで今すぐにでも雨のしずくが零れ落ちそうな雰囲気である。



〔長〕「あちゃー、降って来た」

 第二ピリオドを告げる笛が吹かれると同時に、雨粒がゴールを守る長門ながとの頬をぽつぽつと濡らす。


〔シ〕「何じゃこりゃーっ。前が見えねえっ」

 ボールを受けようとするシャモの眼前で、雨のカーテンが一気に下りた。


〔多〕「下野しもつけ君、存分に暴れてこい」

 ピッチを蹂躙じゅうりんする豪雨。

 多良橋たらはしは疲労の見える仏像を下げ、温存しておいた下野しもつけを切り札として投入した。


〔多〕「政木まさきお疲れ。この試合絶対取る」

〔仏〕「当たり前だ。うさぎってのは持久力には劣るだろ」

〔う〕「ごごでだだみがげるっ! まんず一点どりにいご」


 未だ両者無得点の『落研ファイブっ』と『うさぎ軍団』の両チームは、ボールを巡って激しくぶつかり合った。



【『生き地獄』ファイナル 午前十時十六分】



 プロコフィエフ作曲・ピアノ協奏曲第三番ハ長調の第三楽章の始まり。

 ファゴットがぽつりぽつりとくぐもった音を響かせると、トタン屋根を叩くにわか雨のように松尾のピアノが響き渡る。


 鹿威ししおどしが右へ左へと水をまき散らすように松尾が両の手を動かすと、オーケストラがトラックの荷台から水をまき散らすような大音声をホール中にまき散らす。


〔色〕(これは泉州岸和田せんしゅうきしわだのだんじりだ。いやいやそれとも喧嘩神輿けんかみこしか)

 

〔長〕(かっけえ)

 古今東西の名演を聞きなれたはずの色川が息を呑む中、長津田も常ならぬ語彙力ごいりょくと化しながら松尾の姿に見惚れていた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

上方落語かみがたらくご(関西の落語)に特徴的な、三味線や太鼓に小拍子等。

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