77 第一ピリオド/楽章

【第二試合『うさぎ軍団』戦前/『生き地獄』(コンクール)ファイナル松尾本番前】


 時刻は午前九時五十九分。

 フィジカルエリート揃いの『うさぎ軍団』戦を前に、いつも通りフィクソ(DF)を務める仏像は、赤色のうどん粉病Tシャツに左手をあてがうと大きく深呼吸する。

〔多〕「いつも通りにやれば絶対大丈夫だから」

〔仏〕「当たり前だろ」

 多良橋たらはしに一声かけられると、仏像は不敵ふてきに笑う。


〔多〕「服部君、あれやって」

〔服〕「気合だああああっ!」

〔一同〕「気合だああああっ!」

 キャプテンマークを巻いた服部が、円陣になった『落研ファイブっ』に気合を注入した。



 同刻、『生き地獄』(コンクール)ファイナル会場にて。

 舞台袖ぶたいそでの松尾は、タキシードの下に着こんだ赤色のうどん粉病Tシャツに左手をあてがうと大きく深呼吸した。

〔指〕「いつも通りに弾けば絶対大丈夫だから。気合だ気合」

〔松〕「気合だ」

 舞台袖で指揮者に掛けられた声に短く応じると、松尾は朝早くから満員となった大ホールへと踏み出す。

 松尾がこの大一番に選んだのは、『プロコフィエフ作曲 ピアノ協奏曲第三番op.26』。

 まさに落語を音にしたような曲だ。

 

 客席への礼を終えて着席した松尾は、指揮者とアイコンタクトを取る。

 ほほえみを浮かべてうなずいた指揮者は、十時の位置に指揮棒を構えた。


※※※


 指揮者のタクトがゆるりとくうを舞い始めたその時、、『落研ファイブっ』は第二試合のキックオフの笛を待っていた。

〔仏像父〕「五郎君強いおーっ。ダディがついてるおー!(^^)!」

〔ピ研〕「つおいおおおおおおっ!(^^)!」

〔下野父〕「しこしこさんは元気じゃのう」

〔シャモ父〕「ですねえ。しこしこさんも自慢の息子さんでさぞ鼻が高いでしょう」

 自作ラノベ【無職輪廻むしょくりんね―外資系スーパーエリートリーマン(以下略)】のさわりと『ざるうどんしこしこ@日吉大経済卒』SNSアカウントの入ったビラを観覧席に配って歩いた仏像の父。

 おかげで保護者達からもすっかり『しこしこさん』として認知されている。

 ちなみに、ビラにはスキル販売サイトで発注を掛けた『みそうどんぐちゅぐちゅ』氏によるイメージイラストが添えられている。


〔仏〕「まったく、いい加減に大人しくなってくれねえかな」 

 キックオフの笛を待つ仏像は、半ばあきらめ顔。

 指揮者が松尾に合図を送った瞬間に、十人分の焼けた砂がピッチに舞い上がった。



〔下野母〕「初めの試合とずいぶん迫力が違うわあ」

 下野しもつけの母が、プロが使うようなカメラを構えてつぶやく。

〔シャモ父〕「うちの子が言うには、インターハイのベスト八メンバーとサンフルーツ広島ユースの優勝メンバーが混じっているらしいです」

〔下野父〕「そりゃやれませんねえ。セミプロレベルじゃのう」

 大きなバスタオルをぐずる綾小路あやのこうじ君の頭にかぶせつつ、海外サッカー愛好歴四十年以上の下野しもつけの父があいづちを打つ。


〔下野母〕「はんさんのお坊ちゃんは、あんなに活発なのに学校の成績も学年一なんですってねえ。海外進学コースのキングオブキングだそうで」

 カメラを構えたまま、下野の母が上下運動を繰り広げるえさを見てスゴイスゴイと連発する。

〔餌母〕「いえいえ。うちの子は三十人ぐらいの中の一番です。本当にすごいのは、何といってもしこしこさんの所の五郎君。模試もしでも全国成績優秀者リストの常連だそうで」

〔下野母〕「『スノボの王子様』は究極の文武両道ぶんぶりょうどうの上に、王子様そのものの容姿なのねえ。うちの子にも髪の毛一本ぐらい分けてほしい所ですけれど。それにしたって、あのしこしこさんのお坊ちゃんが、あの五郎君」

 幸か不幸か、息子の仏像は父親がチームメイトの父兄から『しこしこさん』呼ばわりされている事も知らず、自陣ゴール前で激しい攻防戦を繰り広げている。


〔仏〕(練習試合の時より格段に役者が上だ。夏休み中だ。青うさぎか赤うさぎの元チームメイトを助っ人に呼んだか)

 相手のピヴォ(FW)は明らかに『藤沢の学童保育のお兄さん』クラスではない。確実にインハイレベルのサッカー経験者。

 主力中の主力の天河てんがの故障で枚数の減った『落研ファイブっ』が、新たに助っ人となった今井や井上を充てれば大敗は目に見えている。


〔仏〕(やるしかねえ。『落研ファイブっ』には、世界の頂点を制した男が二人もいるんだ。俺は世界を制した男。『スノボの王子様』とはこの政木五郎まさきごろう十六歳の事!)

 仏像は、左胸に手をやると大きく息を吸った。

 時は第一ピリオド中盤、時刻は午前十時六分を過ぎた頃である。



 

 日本で最も過酷なコンクール――通称『生き地獄』――のファイナルのトップバッターを引き当てた松尾。

 大一番の開始から六分近く。

 『落研ファイブっ』が明らかに戦力の増した対戦相手に苦闘しているのとは対照的に、重圧などみじんも感じられないほど軽快なユニゾンで鍵盤上を走り回っている。

〔色〕(マイアミの圧勝からわずか一年でここまで腕を上げたか。恐ろしい。実に末恐ろしい)

 もしゃもしゃのおかっぱ白髪を時折耳にかけつつ聴き入るのは、色川享明いろかわたかあきら

 著名な音楽評論家にして、元日吉ひよし大学文学部美学科の名物教授である。


〔長〕(松田松尾君。君はあまたのピアニストが望んでも得られない理想的な体と心、そして知性を得たくせに、いつまで下らない玉蹴り遊びに付き合うつもりだ)

 滑稽噺こっけいばなしのようにピアノを操る松尾と上方落語かみがたらくごの鳴り物(※)のようにぴったり息を合わせるオーケストラを見つめるのは、落研仮新入部員の長津田ながつだ

 松尾の紹介で知り合った二人は即意気投合し、共に松尾の大一番を見つめている所である。


〔色〕(これが十五歳の出す音か。いやはや何と言う事だ)

 妖艶ようえん廓噺くるわばなしのような第二楽章へと移ったあたりで色川いろかわはほうと小さな吐息をらしてホールの高い天井を見上げた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

※鳴り物;ここでは上方落語かみがたらくご(関西の落語)に特徴的な、三味線や太鼓に小拍子等を指す。


(2024/8/23 加筆改稿/78話の冒頭部を77話に結合 『大一番』より改題)

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