53 談話室マスター

〔ピ〕「やっぱり松田松尾まつだまつおさんですね。あの」

〔松〕「ちょっと、待って下さい。あちらで」

 まっすぐに松尾のもとにやってきたピンクうさぎにうろたえた松尾。

 二人がピッチに戻って来た頃には、一同は帰り支度じたくを始めていた。

 



〔仏〕「松尾はそのまま新百合ヶ丘しんゆりがおかに行くの。荷物は預かっといてやるよ」

 ジャケットにドレスシャツ姿に着替えた松尾に藤沢駅で別れを告げると、一同は東海道線ホームを目指した。



※※※



〔し〕「松田松尾さん、初めまして。藤崎しほりです。お忙しい所をわざわざありがとうございます」

 新百合ヶ丘しんゆりがおか駅に初めて降り立った松尾に、白いつば広帽子に白いフレアワンピースをまとった女性が近づいて来た。


〔松〕「こちらこそありがとうございます」

 藤巻しほりとうり二つの姿に戸惑いつつ松尾が頭を下げると、藤崎しほりに先導されながら南口方面へと進む。




〔し〕「横浜には慣れましたか」

 『お百度参り』こと藤巻ふじまきしほりと違うのは、穏やかながら率先そっせんして松尾に話しかける所と、その年齢。

 藤崎しほりは松尾より約九歳近く年上である。


〔松〕「人は多いし建物は大きいし。慣れそうにもありません」

 新百合ヶ丘も建物が大きいなと思いつつ、松尾はしほりの後を歩く。


〔し〕「私が良く行く喫茶店があるので、そちらでお昼にしましょうか」

 白いワンピースに白いつば広帽子をかぶった藤崎しほりは、古き良き映画のヒロインめいた空気感をかもしだしていた。



※※※



 『談話室だんわしつ マスター』と大書されたサンシェードが印象的な店のドアを開くと、マスターがちらりと目を上げてお冷とおしぼりを二つ置いた。

 革仕上げのずっしりと重いメニュー表には、昭和価格のメニューが写真つきでずらりと並んでいる。


 白いつば広帽子を取った藤崎しほりは、ハーフアップの黒髪でメニューに影を作りながらほほ笑む。


〔松〕「藤崎さんのおすすめは」

〔し〕「そうですね。何を食べても外れない店なのですが。松田さんはきっと食べ盛りだから」

 しほりはくすりと笑いながら、鉄板ミートスパゲティを指した。


  

 途切れがちな会話の間を持たせるように松尾が鉄板ミートスパゲティをつついていると、重いドアが開いてけたたましい笑い声が店中に響いた。


〔男〕「マスター元気してるかい。参っちゃったよ。あいつからそばが三箱も送られてきちゃってさ。マスター一箱どうよ」

〔マ〕「送り返しちゃえよ」

 マスターは力なく笑った。


〔男〕「デートかい。そば食べないかい。手打ちだよ」

〔マ〕「ダメだよ邪魔しちゃ。ごめんなさいねあははは、はは」

 突如現れたマッシュルーム金髪グラサン男に、松尾は困り顔で小首をかしげる。 


〔男〕「常連さんが来たらサービスで上げてよ。実家にまで送りつけやがって、こいつは新手のいやがらせだよ」


〔マ〕「一箱で何玉入りよ」

〔男〕「十二玉だよ十二玉。切ってないんだ。丸い玉のまんまだよ。その上生だよ」

 あいつ結構根に持つ奴なんだよなとぶつぶつ言いながら、男はカウンターに座った。


〔男〕「キングパフェチーズケーキダブルにレスカ(レモンスカッシュ)。あつしぼ(※)もう一つちょうだい」

〔松〕「チーズケーキダブル!?」

〔男〕「マスターに言えばトリプルでもクワトロでも作ってくれるよ」

 思わず漏れた松尾の一言を、男は耳ざとく拾った。




 保冷剤付のソバを断り切れずに押し付けられた松尾と藤崎しほりは、常連客を呼び出してけたたましさを増した店を早々に立ち去った。

〔し〕「まだ集合時間まで一時間近くもありますね。これ、どうしましょう」

〔松〕「近くのスーパーに冷蔵庫付きのロッカーがあるかもしれません」

 白いビニール袋片手に、二人は顔を見合わせた。



〈日曜日夜 仏像宅〉



〔仏〕「で、何でうちに持ってきたんだよ。切るところから始めんだろ冗談じゃねえ」

〔松〕「だってこれから家に帰ってこの量を食べるなんて無理だし」

 松尾はこころもち幼げな、すねた口調で白いビニール袋に入ったソバ生地をテーブルに置いた。


〔仏〕「消費期限は」

〔松〕「生だから早く食べてねって言われたから」

 そう言うと、松尾は『談話室だんわしつ マスター』のカードと男の名刺を差し出した。


〔仏〕「HDLの富士川さんって、下野しもつけ虐殺ぎゃくさつプレーをかました柿生川かきおかわ小OB会のゴレイロ(GK)じゃねえか」

〔松〕「どうりで見たことがあると思った。七月の試合の取材に来てましたよね」


〔仏〕「ああそいつだ。そうそう、柿生川小OB会のフィクソ(DF)はマスターって呼ばれてたよな。何で新百合ヶ丘にまで行ってピンポイントで関係者を引き当てるかね」

〔松〕「僕はただ連れていかれただけですよ」

 仏像はテーブルの上に鎮座ちんざした生のソバ生地をじっと見た。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

※あつしぼ=熱いおしぼり


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