12‐1 放送部長・青柳真中

〔下〕「まっつんおはよー」

 一年七組朝HR前。

 相変わらず脳天気そうな下野広小路しもつけひろこうじは、サッカー雑誌片手にレモンセーキを飲んでいる。


〔松〕「レモンセーキ懐かしい」

〔下〕「レモンセーキって栃木とちぎじゃないっけ」

〔松〕「ページヤで売ってたよ」

〔下〕「へえそうなんだ。でねでね、コレまっつんに上げようと思って持ってきたんよ」

 下野しもつけがサブバックからA4版のファイルを取り出す。



〔下〕「ビーチサッカー特集ページの切り抜き。ルールの説明から練習場に競技場の紹介、代表の年間スケジュールにルールブックに戦術説明とか色々あるんよ。使って」

〔松〕「ありがとう。戦術分析官せんじゅつぶんせきかんをやれって言われて、どうしたら良いか分からなくて困っていたんだ」

 松尾は助かったと言いながら、A4版のファイルを押し頂いた。




〔下〕「多良橋たらはし先生ってこの間アメリカ代表のレプリカユニ着とったな。渋いわあ。まっつんはどのぐらいサッカーに詳しい。海外サッカーの選手で分かる人おる」

〔松〕「ごめん、良く分からない」

〔下〕「最近の若い人はサッカー離れしとるらしいもんなあ」

〔松〕「若い人って。僕らクラスメイトでしょ」

 呆れたように松尾が下野しもつけを見ると、下野しもつけはずずずーっとレモンセーキを音を立てて飲み干した。


〔下〕「うちは父さんが海外サッカーに超ハマっとるからレプリカユニがごろごろある家で育ったんよ」

〔松〕「下野しもつけ君がサッカー大好きなのは、完全にお父さんが影響してそうだね」


〔下〕「多分。胎教たいきょうと称して、代表や海外リーグの試合を、俺がお母さんのお腹の中におる時からずっと見せとったらしいんよ」

 下野しもつけは松尾の言葉に、我が意を得たりとうなずいた。


〔松〕「そうか。出生前から下野しもつけ君がサッカー日本代表になる事は運命づけられて」

〔下〕「そう言うけどな、横浜マーリンズのユースに上がれんかったんよ。サッカー部は活動自粛かつどうじしゅくなんよ」


〔松〕「まだ体だってこれからもっと大きくなるし、きっと大丈夫だよ。ねえねえ、サッカー部が活動自粛かつどうじしゅくの間はやっぱり落研でビーチサッカーの練習をしよう」

〔下〕「でも俺落語出来んのよ」

 松尾の提案に、下野しもつけは目を泳がせた。


〔松〕「僕だって落語は全然分からないもん。大丈夫だよ。体は動かせるし、ボールもちょっとサイズが違うけど触れるよ」


〔下〕「月・水・金が活動日だっけ」

〔松〕「うん。だから気が向いたら明日顔を出して。僕に声かけてくれれば連れていくから」

〔下〕「分かった。考えてみる」

 下野しもつけがレモンセーキの空き箱をゴミ箱に捨てると、担任の坂崎がクラスに入って来た。



〈昼休み 視聴覚室にて〉



〔青〕「やあやあこれはこれは。草サッカー同好会のたった一人の新入生、松田松尾まつだまつお君ではありませんか。ついに草サッカー同好会に見切りをつけて、我が放送部に入部する気になったかな」


〔松〕「いや、全く。付け加えますと草サッカー同好会ではなく落語研究会です」

 松尾は青柳あおやぎの『間違い』を正した。


〔青〕「つれないねえ。飛島君を助っ人に引っ張り出すつもりなら、君も放送部に相応そうおう貢献こうけんをするべきだとは思わないかね」

 青柳あおやぎはチタンフレームの眼鏡をくいっと上げる。


〔松〕「GW合宿時の記録映像を拝見したいのですが」

 青柳に取り合わず単刀直入たんとうちょくにゅうに用件を述べた松尾に対して、青柳あおやぎは体を一瞬硬直させて、引きつった笑いを浮かべた。


〔青〕「ただいま絶賛編集中ぜっさんへんしゅうちゅうにつき、うご期待」

〔松〕「練習風景だけで構いませんので」

〔青〕「あ、えっと、その、来週でも良い」

 あからさまにしどろもどろな受け答えに松尾が怪訝けげんそうな顔をすると、がらりと視聴覚室しちょうかくしつとびらが開いた。


〔樫〕「部長、祖父から部長にこのDVDを渡すようにと」

〔青〕「何と熊五郎さんから! しかもこれは伝説のヒグマ戦! これはお宝だなあ」

 応援部の部長である樫村かしむらから渡されたDVDに小躍こおどりした青柳あおやぎは、松尾の存在など忘れたかのように画面にかじりついた。


〔樫〕「ん、あなたは草サッカー同好会の『花粉眼鏡君かふんめがねくん』」

 いつの間にそんなあだ名がついたのかと愕然がくぜんとしつつ、松尾はうなずいた。


〔樫〕「合宿に来られなくて残念でした。何とも濃密で意義深い一日でしたよ」

〔松〕「僕も出来る事なら参加したかったのですが。青柳あおやぎ部長が合宿の様子を撮影したと聞きましてこちらに」


 細い体に似合わぬ雄たけびと実況のシャドーイングを繰り返す青柳あおやぎの背中を、松尾はちらりと見た。


〔樫〕「青柳あおやぎ部長は我々応援部と祖父の熊五郎くまごろうのプレイシーンは撮影しているかと思いますが、お宅の練習シーンはほぼ撮影していないのでは」

〔松〕「どう言う事ですか。おじいさま。熊五郎さん」

 松尾は困惑しきりに樫村かしむらにたずねた。


〔樫〕「ええ、よろしければ学食で昼食を取りながらその辺りの話しでも」

 早口で何度も実況のシャドーイングを行う青柳あおやぎを視聴覚室に残し、樫村かしむらは松尾を連れて学食へと向かった。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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