19-1 どきっ、男だらけの逗子海岸

 麗しのパトロンこと春日千景かすがちかげ怒涛どとうの営業活動に翻弄ほんろうされた落研もとい草サッカー同好会。

 昼食後に逗子葉山ずしはやま駅に降り立った彼らを迎え入れるのは、下野とその弟である。


〔シ〕「弟君かーわーいーいー! 本当に八歳。もうちょっと下っぽい」

 下野しもつけの背中に隠れるようにして恥ずかしそうに顔を出した弟君に、シャモはでれでれだ。


〔下〕「あいさつしてみ」

〔弟〕「こんにちは。下野綾小路しもつけあやのこうじです」

 小さな声で自己紹介した彼は、耳を真っ赤にして下野しもつけの後ろに隠れてしまった。



※※※



 リスの兄弟のような二人に出迎えられた一行がのどかな住宅街を歩くこと十分。

 富士山を抱いた相模湾さがみわんが一行の目に飛び込んできた。


〔シ〕「すげえ。これ絶対撮らなきゃ」

〔松〕「富士山の前の島は何て島」

〔下〕「江の島。ここまで綺麗に江の島の奥に富士山が見えるのは久しぶりなんよ」〔松〕「へえっ。あれが江の島か」

 映像でしか目にしたことの無い江の島を初めて見た松尾は、しきりにうなずいている。


〔仏〕「この時期なら車があればすぐいけるんじゃねえか」

〔下〕「確かに。海水浴シーズンは渋滞じゅうたいで動かないっすけどね。とりあえず三元さんげんさんが端っこの方抑えてまっす」 

 下野しもつけが指さした先で眠りこけている三元さんげんは、地元のリタイア世代にしか見えなかった。


〔仏〕「つくづく【味の芝浜】入り口の信楽焼しがらきやきのタヌキにそっくりだな」

〔シ〕「鶴亀つるかめ灯篭とうろう役は誰にしよう」

〔松〕「本当に三元さんげんさんそっくり。こっちが鶴亀つるかめ灯篭とうろう。へえ、亀の上に鶴が乗ってる」

 小首をかしげる松尾に、シャモが【味の芝浜しばはま】入り口わきの写真を見せた。




〔シ〕「三元さんげん起きろ。何聞いてたの」

〔三〕「小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうの『寄合酒よりあいざけ』」

〔シ〕「相変わらず御米師匠おこめししょう好きだね」

〔三〕「聞きやすくって歯切れがよくって、それでいて嫌味が無いんだよ」

〔シ〕「『昌也まさやちゃん』だっけ」

〔三〕「いくら御米師匠の伯父さんの家だとは言え、あの店の鱈もどきは二度と食いたくないね」

 シャモの言葉に、三崎口みさきぐち惨劇さんげきを思い出した三元さんげんがうわっと顔をゆがめる。


〔餌〕「あれはいくら何でもひど過ぎました。まあ、森崎いちご様に御目通おめどおりが叶ったんで結果オーライでしたけど。ぐふふ」

〔弟〕「いちごに様はつけんよ」


〔松〕「餌さん、綾小路あやのこうじ君の前です。全年齢対応でお願いします」

〔餌〕「そんな! 僕からエロを取り除いたら何が残るんだよ。森崎いちご様をあがめないなんて、君本当に男の子なの」

〔松〕「誰ですかそれ」

 松尾がぽかんとした顔で聞いたので、森崎いちご様を知らないなんて人生大損だよおと餌は叫びはじめた。



〔シ〕「映像素材を撮るからな。仏像は映していないから気にせず作業して」

 森崎いちごの名前を連呼する餌に構わず、シャモはカメラを回しだす。


〔餌〕「撮影するって聞いたから『える』する食材を買いこんだのですが、どうするんですかこれ」

 シャモの一言を聞いた餌が、学校近くのスーパーで買った食材をレジ袋から引っ張り出した。


〔シ〕「俺に聞かれても。俺は何にも指示してねえ」

〔仏〕「重曹じゅうそう、クエン酸、おから、ゆず味噌ににがり。これのどこが『える』と。ブルーハワイシロップって氷も無いのに何する気だよ」

〔餌〕「ダイエットは女子に刺さるから」

 特製ダイエットドリンクと言いながら、えさはブルーハワイシロップを手に取った。




〔餌〕「気泡きほうが上がる瞬間をこっちから撮って、と」

 重曹じゅうそうとクエン酸を手元に置きスマホのカメラとにらめっこをするえさの後ろでは、バスタオルをかぶった天河てんが長門ながとが見慣れない形の棒の入った袋を手にチャンバラごっこにいそしんでいる。


〔餌〕「撮影中だから暴れないで」

〔シ〕「何だアレ、場外乱闘じょうがいらんとうの練習か」

 棒を顎先あごさきに突きつけられた長門ながとが、『Noooooo!』と絶叫しながら仰向けのまま砂浜に倒れ込む。


〔餌〕「ちょっと待った。松田君が人間サウンド・エフェクトと化してる」

〔シ〕「ヒューマン・ビート・ボックスまで。すげえ初めて見た」

〔仏〕「松尾の文化祭の出し物はこれで良いじゃん」

 松尾が空き缶やごみ袋で効果音をつける中、天河てんがが尻で後ずさりする長門ながとにとどめを刺すべく狙いを定めた。



〔服〕「こらーっ。棒鱈ぼうだらをオモチャにするな」

〔多〕「せめてかさでやれ。棒鱈ぼうだら代は春日かすが先生のお財布から出ているんだぞ」

 ビーチサッカー用のボールやフラッグなどを台車に積んでやって来た多良橋たらはしと服部が、呆れたように二人に突っ込む。


〔餌〕「えっ、二人が振り回してたのって棒鱈なの」

〔シ〕「ちょっと撮影させて。いやそうじゃなくて、棒鱈だけ撮影させて」

〔三〕「これがあの劇物鱈もどきに変化したわけか」

 三元さんげんが興味深そうに棒鱈ぼうだらを見た。



※※※




〔仏〕「砂ふるいは終わった」

〔長〕「ばっちり。セントーンもヒップドロップも余裕で出来る」

 棒鱈ぼうだらとさよならしたプロレス同好会三名は、仏像の指示で着々と練習準備を整えている。

〔仏〕「この海岸は狭いから仮想ゴールのスペースだけ計って。そう、5.5m×2.2m(※)」

 巻き尺を手にした仏像は、目印をプロレス同好会に立てさせている。

〔服〕「バールのようなものは使わないの」

〔仏〕「バールのような。ああ、日帰り合宿の件を青柳あおやぎから聞いたの」

〔天〕「映像を見たよ。熊五郎さんは伝説級だね」

 天河てんがは身を乗り出して、放送部長の青柳あおやぎから仕入れたらしい熊五郎さん伝説を語り出した。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

※JFAビーチサッカー競技規則2021/22に基づく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る