9‐5 昼食後の授業は眠いに決まってる

 太陽が天高く相模湾さがみわんを照らす頃、多良橋たらはしに頼まれて鍋の番をしていた三元さんげんの元に、腹を空かせたシャモとえさがやってきた。

 

〔シ〕「すげーな、このパエリア。ベークドポテトもおいしそう。三元さんげんが作ったの」

〔三〕「先生が家で準備した鍋を火にかけただけ」

〔餌〕「さすがキャンピングカー所有レベルのキャンプちゅう

 パエリアは黄金色に、ローズマリーと鶏モモ入りのベークドポテトはふっくらあめ色に仕上がっている。


〔三〕「うちから焼きおにぎりも持ってきた」

〔シ〕「そんなに一杯食える」

〔餌〕「応援部と放送部に熊五郎さんがいればすっからかんですよ」

〔シ〕「仏像早く皿持って来いよ。腹減ってんだよお」

 シャモは、多良橋たらはしのキャンピングカーの方角に向けて力の限り叫んだ。

 


※※※



〔飛〕「多良橋たらはし先生のキャンピングカー、本当にすごいですね」

〔仏〕「ワイフに切れられた時の避難場所ひなんばしょだからな。子供が巣立った家で二人きりになるのが嫌で、俺たちを引っ張り出したんだろ」

 多良橋たらはしがベトナム系米国人の妻・リンに頭が上がらないのは、多良橋たらはしを良く知る人物には周知の事実である。

 仏像の指摘に多良橋たらはしが苦笑いを漏らした。


〔飛〕「先生ってお子さんがいらしたんですか」

〔多〕「息子がマイアミの大学に留学中なんだ」

〔飛〕「松田君って今マイアミにいるじゃないですか。奇遇きぐうですね」

 飛島の何気ない一言に、仏像はぎくりとした。


〔多〕「何だって。群馬に帰るから合宿不参加だと聞いたが」

〔仏〕「休み期間中までしばられる道理はねえ。松尾の事情は知ってんだろ」

〔多〕「そりゃまあ担任の坂崎先生からざっくり聞いてはいるけれど」


〔飛〕「もしかして、仏像さんは松田君の事情をご存じで」

 飛島はカトラリーをそろえる手を止めた。


〔仏〕「まあな。マイアミの話はあいつから聞いたの」

〔飛〕「いえ、僕は去年の段階で知っていました」

〔多〕「何だよマイアミマイアミって」

〔仏〕「他の部員には絶対内緒な。本人が言いたくないらしいから」

 そう言うと、仏像はスマホを操作してとある画面を見せようとした。


〔多〕「ちょっと待て今の写真何」

〔飛〕「松田君とのツーショット。この灯台、城ヶ島じょうがさきの」

〔仏〕「下見だって下見。あいつ今日来れないから先に連れて来てやったの。ああっやばスライドショーになった! ちょっ、見るなっ」


〔飛〕「松田君、こんな顔して笑うんですね」

〔多〕「ふーん」

 静かに仏像を見た二人に目も合わせず、仏像は三元さんげん達の元へと先に向かった。



※※※



〔熊〕「火加減もたれの塗り具合も最高だ。この青唐辛子味噌あおとうがらしみそも良いね。兄ちゃん良い板さんになるよ」

 熊五郎は、大きく口を開けて味の芝浜特製の焼きおにぎりにかぶり付いた。


〔シ〕「三元さんげんは仕出し割烹かっぽうの跡取りですから。この青唐辛子味噌美味しいでしょ」

 人見知りな三元さんげんに代わって、シャモが熊五郎くまごろうの話し相手を買って出る。


〔熊〕「そりゃ一度行ってみたいね。うちのスタミナモツうどんも食ってくれ。体の芯から燃えるぞ」

〔多〕「芋とモツがうどんにしっかりからんで。それにしても良い芋ですねこりゃ」

〔熊〕「瀬谷せや五闘将ごとうしょう。アラ(MF)をつかさどる芋名人いもめいじん八五郎はちごろうが手塩にかけた芋よ。皆たんと食いねえ」


〔シ〕「いも名人の八五郎さんはおいくつで」

〔熊〕「今年古希こき(数え七十歳)を迎える『奥座敷オールドベアーズ』最年少メンバーだ。畑で体を五十年以上鍛え続けたつわもので、三十キログラムの肥料ひりょう袋なんぞ子猫のように何個でも持ち上げるぞ。兄ちゃんに出来るかな」


〔シ〕「いやちょっと無理。でも素早さなら」

〔熊〕「スズメバチの巣は素手で処理。出来るかな」

〔シ〕「もう不戦敗で良いです」

 同じ横浜市民なのに住む世界が違いすぎると、シャモはガクブルと膝をふるわせた。



〈午後の部〉



 腹十分目までしっかり昼食を取った後に控えるのは魔の座学である。

〔多〕「あらためてルールを説明するぞ」

 すでに睡眠学習態勢すいみんがくしゅうたいせいに入りかけている三元さんげんを横目に、多良橋たらはしは一同に声を掛けた。


〔仏〕「下手にサッカーのルールを知ってるとこんがらかる。ファールを受けたら、受けた本人がフリーキックを蹴る」

〔餌〕「交代はいつでも何度でもOKなんですね」

〔シ〕「三元さんげん、良かったな」

 シャモが三元さんげんに声を掛けるも、三元さんげんはすでに夢の中である。


〔餌〕「交代要員のスカウトが必要ですね。一人目が飛島君で、残る四人は」

〔飛〕「お断りします。僕は松田君の代理であって、草サッカー同好会の助っ人ではありません」

 飛島はまたもきっぱりと誘いを断った。



〔多〕「やっぱりサッカー部員を引き抜くのが一番早いだろ。山下は政木まさきと仲良いよな」

〔仏〕「あいつを引き抜いたらサッカー部が完全崩壊するんでやめて。その前に絶対来ないと思うけどな」

 次期サッカー部主将ともくされる山下をスカウトする目論見もくろみは、仏像の反対で瞬時に立ち消えた。


〔多〕「せっかく交代要員をスカウトするなら身体能力の高いのが良いんだが。熊五郎くまごろうさんの『秘密兵器』は貸してもらえないでしょうね」

〔熊〕「さすがに公式戦にアレはダメだよ。そもそもあれは『人』じゃないからな」

 さらっと人類の常識を超えた発言する熊五郎である。



〔飛〕「オフサイドって何ですか」

〔仏〕「ビーチサッカーには無い概念がいねんらしいから気にするな」

 飛島とびしまの発言に、多良橋たらはしは動画を一時停止した。


〔飛〕「俺にとっては当たり前すぎて気が付かなかったが、サッカーのルールが分からない奴がいるのか」

〔仏〕「だから落語研究会にサッカーをさせるのが無理なの」

 仏像の発言に多良橋たらはしはむうと頬をふくらませる。


〔多〕「この中でサッカーの試合を見た事の無い奴は。飛島とびしま君と三元さんげんは無いのか。岐部きべは分かるよな。親父さんが熱狂的なマーリンズサポだもんな」

 多良橋たらはしにシャモがうんざり顔でうなずいた。




 ルール説明を受けた一同が、ある者は熱心にまたある者は睡眠学習でチュートリアル動画を見終えると、えさが勢いよく立ち上がる。

〔餌〕「何回か繰り返して見せて下さい。ちょっと黙ってて叩き込むから」

 餌はかっと目を見開き、耳をネコのようにピンと立ててチュートリアル動画を何回もリピートした。


〔餌〕「OK把握はあくしました!」

〔仏〕「すげーっ。えさの高速記憶法発動」

〔シ〕「何度説明を受けてもえさの記憶方法が身につかないんだけど」

〔餌〕「簡単ですよ。一切思考をはさまずに、目をぐわっと見開いて脳の真ん中に映像と音声を流し込む感じ。ほら良く見て、こう」

 えさはパンダのような目を極限きょくげんまで開いて、目が後頭部に引き寄せられるように息を吸い込んだ。


〔シ〕「そのやり方で、記憶したいものを見るだけでちゃんと記憶できるのはお前しかいない」

〔餌〕「これをマスター出来たら記憶物のテストは楽勝」

〔仏〕「だからエロ動画ばっかり見てるくせにやたらめったら成績良いんだよな」

〔飛〕「一切思考をはさまずと言うのがまず分かりませんよ。だって思考が働かないと勉強自体が出来ないじゃないですか」

 周囲からさんざんにダメ出しを食らいつつも、えさはちっちっと首を横に振った。


〔餌〕「皆分かってないなあ。思考って一回脳を通るから効率こうりつが悪いんだよ。思考回路以外の回路があるの。何だろ、脱脳?」

〔仏〕「だからそれが分からねえっての」

 全国成績優秀者リストの常連である仏像をもってしても、えさの脳構造は理解不能である。


〔多〕「では今日の内容のおさらいテストだはん君」

 メモ用紙に多良橋が何やら走り書きをすると、餌にペンとメモ用紙を渡した。

〔多〕「完璧っ。全問正解。さすが海外進学コースのキングオブキング」


〔三〕「記憶が出来ても、自分で考える力が無いとこれからの時代はやっていけないってよ」

 三元がテーブルから顔を上げた。


〔餌〕「膨大ぼうだいな記憶こそ、考える力の土台です。要らない記憶はすぐ消しちゃいますが」

〔仏〕「だったら熟女動画の記憶もとっとと消せ。森崎いちごだっけ」

〔餌〕「あれはドーパミンを大量分泌たいりょうぶんぴつするのに必須ですから、何度も何度も反芻はんすうします。いちご様は僕の命の源です」

〔多〕「それは教師の前で言う事じゃないだろ」

 餌が胸を張る隣で、森崎いちごよりやや年上の多良橋たらはしが頭を抱えた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る