8-2 男二人、三崎口へと逃避行?(ウミウのいない崖 から改題)

「何で僕まで……」

 特急電車を下ろされた松尾が抗議すると、仏像がごめんごめんと謝った。

「悪いな、カメラがウロウロしてるかもしれない所を一人で歩きたくない」

「ああ、そうでしたね」

 仏像は駅のロッカーから大きな荷物を取り出すと、ブレザーを脱いでパーカーを着込む。

「なあ、『チョコカスターいちご味』を食べに行かねえか」

「だって『ページヤ』は神奈川には」

「あるんだよ、それが」

「どこに」

 松尾の問いに、仏像は下り電車の行先表示版を指さした。



 関東私鉄最南端かんとうしてつさいなんたんの駅として知られる三崎口みさきぐちは、時間の流れがどことなくゆったりしている。

「ほら本当に『ページヤ』があるだろ」

 松尾を『ページヤ』のチョコカスターいちご味で釣った仏像は、三崎口みさきぐち駅の改札を出ると真新しい看板を指さした。


「何で『ページヤ』が神奈川にあるの。群馬を離れてたった一か月強なのにすでに懐かしい」

 花粉眼鏡かふんめがねを取り去った松尾は、こよなく愛する『ページヤ』の新店に向かう。


「チョコカスターいちご味以外に何か買ってくか」

「牛三種メガ盛り弁当」

「ここは三崎みさき。マグロの聖地だぞ」

「ぎゅうさんしゅ! めがもりべんとう!」

 強情な松尾の提案にしぶしぶながらうなずくと、牛三種メガ盛り弁当を二つ買い物かごへ入れてからにベーカリーコーナーへと向かった。


「チョコカスターバナナ味? 済みません。チョコカスターいちご味は品切れですか」

「三月までの限定販売でしたか……」

「いちごアイスでも乗っければそれっぽくならねえかな」

 明らかに落ち込んだ松尾はいちごアイスの一言に、花粉眼鏡から解放された目を大きく輝かせる。

 案外子供っぽいところも残っているのだなと思いつつ、仏像は松尾の後を付いてアイス売り場へ向かった。


 テラス席に腰掛けてコーヒーとチョコカスターバナナ味にいちごアイスを広げていると、大きな鳥が松尾の頭上ぎりぎりをかすめた。

「とんびだ! 駅前にまでいるのかよ」

「うわあっ、何あれデカいっ」

「ほら早く食え。狙われてんぞ」

 味わう余裕もなくがつがつとチョコカスターバナナ味を食べきると、二人はいちごアイスをトンビから守るように手元に抱えた。

「油断もすきもねえな。道理で地元民は中の狭い席で食べていた訳だ」

「三崎口は危険な所デスネ……」

 とんびから逃れて屋内の狭い席に押し込められながらいちごアイスを食べると、時刻はちょうど十一時を回った所だった。


「この後どうする? せっかくだから弁当は景色の良い所で食わねえか」

「え、まさかノープランだったんですか」

「ページヤが三崎口に出来たって聞いたから喜ぶかなと思って」

「たしかにうれしいですよ。あ、ごちそうさまでした」

「いえいえ。それで、午後六時には家に戻るんだろ。だったら城ヶ島まで行っても十分時間はあるよな。城ヶ島に行こうか」

「GWに日帰り合宿する予定地ですか」

「そう。レンタサイクルが借りられるからそれに乗ろうぜ」

 松尾と仏像は電動タイプのレンタサイクルを借りると、早速城ヶ島へとこぎ出したはずが――。

 食べ盛りの男子らしく、松尾は『三崎のまぐろ』ののぼりが立つ大通り沿いの食堂に向けてこぎ出した。

「そっちじゃない。城ヶ島はこっち」

 仏像の声はトラックの走行音にかき消され、松尾はのぼりの前で仏像を待つ。

【新商品 江戸前の味覚『たらもどき』】

「へえ、三元さんげんが喜びそうな店だな。この『鱈もどき』って、落語に出てくる料理なんだよ」

「だったら帰りに寄りましょうか」

 松尾の提案にうなずくと、仏像は松尾の前に出て城ヶ島への道を先導した。


〈城ヶ島〉


 城ヶ島の自転車置き場にレンタサイクルを置くと、二人は牛三種メガ盛り弁当をぶら下げて歩き始めた。

「これが太平洋かあ」

「松尾の下宿から毎日見えるだろ」

「アレは横浜港」

「太平洋の一部だし」

「ぐぬぬ」

 松尾は部活中よりも目に見えて快活な話しぶりである。


「そう言えば群馬は海無し県だもんな。海水浴には行ったことあるの」

「マイアミぐらいです」

「いきなり海外かよ。松尾も帰国子女きこくしじょなんだ」

「松尾『も』? 僕は違いますがゴーさんは帰国子女きこくしじょですよね」 

「うん。アメリカ生まれで、小五の時に父親の仕事の都合で日本に移住した」

 仏像はごきっと首を鳴らした。


「それで三年生にもタメ口なんですか」

「敬語は使えない訳じゃないけど、ついついタメ口になりがち。特に矮星わいせいには」

「どうして多良橋たらはし先生は矮星わいせいって呼ばれるんですか」

 

「『メキシコ湾のスーパーノヴァ』って自己紹介して、生徒から『白色矮星はくしょくわいせいの間違いだろ』って突っ込まれるまでが予定調和なの。それを短縮して矮星わいせいって呼ぶのがお約束」

 平日らしくがらんとした芝生広場に二人は腰を下ろした。風も無く、弁当を広げるには絶好の日和だ。

「トンビ来るなよー」

「うおおおおっ。テンション上がる! カルビにハラミに塩タンっ」

 牛三種メガ盛り弁当を広げてはしゃぐ松尾の声は、四月の空に良く響く。

「そこまで嬉しいか」

「はい。ページヤの弁当と言えばこれですよ。カルビにハラミに塩タンっ」

「松尾って大人しそうに見えてもしかしてかなり肉食系?」

「そもそも別に大人しくも無いですよ」

 もしゃもしゃと白米と肉を咀嚼そしゃくする松尾は、学校にいる時よりも解放感にあふれていた。


 男子高校生らしい勢いでぺろりと弁当を食べ終えた二人は、三元さんげんが泣いてうずくまるほどの距離を淡々と歩いた。


城ヶ島灯台じょうがしまとうだいですって。思ったより小さい」

 仏像がぱしゃりと松尾の写真を取ると、止めてくださいよと言いながら松尾は髪を手で押さえた。

「うわー嫌だ、何この髪ひどい。消してください!」

「消さない。自撮りしようぜ」

 髪が潮風にもみくちゃにされるのにも構わず、太平洋をバックに二人は互いのスマホで自撮り写真を撮る。


 互いのスマホで自撮りを終えた二人がハイキングコースを二人占めしながら歩くと、ウミウの展望台てんぼうだいのお出ましだ。

「すげーな。学校から一時間掛からずにこんな絶景が見られるんだもんな」

「ウミウいないですね」

「冬場しかいないらしい。冬に来るか」

「絶対寒すぎる」

 松尾はぶるりと首をすくめると、東に向かって歩を進めた。


「あれが東側の灯台。東西コンプリートしましたね!」

 松尾が安房埼あわざき灯台を指さしながら満足げにうなずいた。

「意外と遠かったな」

 ツーショット写真を何枚か自撮りすると、灯台手前の芝生を独り占めした仏像はごろりと大の字になった。


※※※


「松尾、GWは本当に群馬に帰るのか」

 潮風と波の音に紛れるように、仏像の柔らかい声が松尾の鼓膜を震わせる。

「本当はマイアミに行きます。これみんなには内緒ですよ」

「マイアミ? また海水浴か」

「いえいえ。『例の件』がらみで前から決まっていた事ですから」

「ああ、あれな。そっか、長期休暇もそうやって結構潰れるのな」

「まあ仕方がない事です。嫌なら普通の高校生に戻れば良いだけの話で」

「俺みたいにな」

 仏像は寝返りを打ってため息をついた。


「ゴーさんは本当に、スノボを辞めた事を後悔していませんか」

 松尾が仏像側に寝返りを打つ。仏像は真っすぐな松尾の目線から思わず目を背けた。

「全く後悔なんてない。日本に移住した時にスノボをすっぱり辞めなかった俺が浅はかだった。もう飛びたくない」

 飛んでいいわけがない。

 小さくつぶやいた仏像の声を、松尾は聞かないふりをした。

「それに、一年以上もブランクがありゃ使い物にはならねえよ。体だって大きくなったし、そうすれば体の使い方だって変わってくる。松尾だって一緒だろ」

「確かに」

 それきり仏像が黙ると、松尾は再び体を青空に正対させた。



 子供たちの甲高い声に追い出されるように芝生を明け渡した二人は、レンタサイクルに乗って元来た道を走った。

「電動アシストでなければ、ギブアップしていましたね」

「登り、結構キツイな」

 城ヶ島大橋を渡って坂道をこぎ続ける間にも、『三崎のまぐろ』ののぼりが立つ店が何軒も二人の目に留まる。

「まぐろ食って帰るか」

「食べましょうか。出がけの店で良くないですか。鱈なんとかのあった店」

「鱈もどきな。そこにするか」

 長い登りの後にわずかな下り坂を経て、二人は三崎口駅にレンタサイクルを返して件の店へと歩いた。


※※※


「漬けまぐろ丼二つにたらもどき二つお待たせしましたー」

 出がけに松尾が見つけた店に立ち寄ると、総白髪を三角巾で隠した女将さんが大きな漬けまぐろがごろごろと乗った丼と『たらもどき』をテーブルに置いた。


「これはちょっと、何と言いましょうか。トッテモ斬新ざんしんナ味デスネ」

「片言になるまで頑張るんじゃねえ。残せ残せ」

 香辛料の効きすぎた吸い物仕立ての『鱈もどき』は、高校生男子には受けない味らしい。


「ここのご主人、落語ファンなんだな。この人な、三元さんげんが大ファンなんだよ。小柳屋御米こやなぎやおこめって落語家さん」

 口直しにほうじ茶を一口飲んだ仏像が、小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうの写真つきカレンダーと『たらもどき』を交互に目で指す。


「それで、『鱈もどき』って料理は、去年シャモが文化祭でやった『棒鱈ぼうだら』って古典落語に出て来るんだよ」

「へえ、こんな料理が出て来るんですね」

宗像むなかた先生が言うには、『鱈もどき』が一体どう言う料理かまでは分からないって事だったが」

「なるほど。それにしても多良橋たらはし先生はどうして合宿場所を城ヶ島にしたんでしょうね。別にこれといった施設もなさそうですし」

矮星わいせいは恐ろしいほど何にも考えちゃいねえ。ノリだけで生きてるから、どうせただの思い付きだろ」

 救いようがねえと言いつつ丼のサービスの吸い物を開けると同時に、がらりと店の入り口が開いた。


「あら熊谷くまがやさん早かったわね」

「めばちカマ焼きとシラスおろし、生ビール。メジの漬け。後で金目煮つけ定食」

 一日中パチンコ屋に居座っていそうなタバコの匂いが染みついた中年男は、カウンターに座るなり貧乏ゆすりを始める。

「ういいっー。ぷへあー」

 熊のような毛むくじゃらの手でジョッキをつかむと一気にビールをあおり、まずいもう一杯と言いながらタオルおしぼりで顔とわきく。

「出ようか」

 その様に眉をひそめた仏像が小声で松尾に呼びかけると、松尾は小さくうなずいた。


「漬け丼は良かったんだが」

「おごってもらって言うのも何ですが、あのたらもどきは」

「無いわ」

 ぼやきながら荷物を引っ張り出すと、二人は三崎口の改札を通り抜けた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2024/7/12 加筆修正)

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