7-1 生霊の宴

〈臨時休校当日 味の芝浜にて〉


〔歌〕「おやおやこりゃ若様に美濃屋みのや若旦那わかだんなまでお出ましで」

 シャモが【野木坂動物園下のぎざかどうぶつえんした 割烹かっぽう・仕出し 味の芝浜しばはま】でキジ焼き重をつついていると、見覚えのある顔が声を掛けてくる。


〔み〕「新香師匠しんこししょうが久方ぶりににぎわい座にお目見えだよ」

 みつるの声掛けで、シャモは実家の上顧客じょうこきゃくの名を思い出すことが出来た。


〔シ〕「歌唱院かしょういん先生、お久しぶりです」

 声帯模写せいたいもしゃ大御所おおごしょである歌唱院新香かしょういんしんこは御年七十八歳。


 張りのある声は未だ健在だが、日々ロマンナイトや東海林三郎しょうじさぶろうに笠木すずえ、果ては上原謙次うえはらけんじ声帯模写せいたいもしゃをするものだから、大抵たいていの人には理解不能な芸風と化している。


〔歌〕「昨日の『みのちゃんねる』、ずいぶんな盛況せいきょうぶりだったねえ」

〔シ〕「ご覧になったんですか」

〔歌〕「見た見た。近頃の若い人は寄席よせよりネット。時代だねえ。あんなにおひねりが飛ぶんじゃ、あたいもネット配信ってのをやってみたいけど」

〔う〕「あたしらは、らくらくホンしか使えないんだもの嫌になっちゃうよ」


 はーあーと言いながらタオルおしぼりで顔を拭くと、松脂庵まつやにあんうち身師匠みししょうにちょっと邪魔するよと断って向かいの席に座った。


〔歌〕「それにしたって若旦那わかだんなと若様の学校もえらいこっちゃ。あのプロ上がりのサッカー部監督は太え男だよ。現役時代にゃあたいたちが生まれ変わったって稼げないぐらいの金をもらってただろうにね」

〔う〕「金があったから破滅はめつしたのさね」


 したり顔で二人の老芸人が顔を突き合わせてしゃべるのを聞きながら、こんな会話ばかり聞いているから今の三元さんげんが出来上がったのだと、シャモは妙に納得した。


〔み〕「新香師匠しんこししょうの芸も、いつ聞けなくなるか知れたもんじゃないよ。あんた達、木戸銭きどせん(入場料)はあたしが持つから行ってきな」

〔歌/う〕「違えねえ」

 新香師匠しんこししょうとうち身師匠がはははと笑った。



〔う〕「今日は二つ目(※)さんと、新香師匠しんこししょう上方かみがた師匠ししょう。仲入り(休憩)後にあたし、それから竜田川姉妹たつたがわしまい歌謡かようショー。主任しゅにん(トリ)は小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうだよ」

〔み〕「今日はずいぶんにぎやかだね」

〔三〕「御米師匠おこめししょうか。こりゃ皆も見た方が良い」


 創作落語中心そうさくらくごちゅうしんに活動している小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょう

 真打しんうちに昇進してから十年以上経つ実力派だが、最近は敢えて古典に軸足を移している。

 三元はほうじ茶を飲むと、落研の残り三人に連絡をした。


〔三〕「シャモも来るだろ」

〔シ〕「行くわ。一旦帰るけど」

〔三〕「帰るの面倒くさいだろ」

 

〔シ〕「だって、旬のネタは旬のうちにさばかないと金にならねえよ。三元さんげんの誘いが無かったら、今日は朝から学校でロケやるつもりだったの」

〔三〕「今日も生配信やるつもり」

〔シ〕「生はやり過ぎると飽きられるからやらねえけど、収録と編集はしたかったんだよ」

〔三〕「うちですりゃいいじゃん」

〔シ〕「スマホじゃ出来ねえよ。結構こだわって作ってんの」


 スマホでも編集は出来るのだが、すっかり枯れた老人のペースもとい三元さんげん時間に巻き込まれたくはない。

 口から出まかせを吹いたシャモは、キジ焼き重をかき込むと、みつるにごちそうさまでしたと声を掛けた。


〔み〕「帰りに晩飯もうちで食って行きな。でかいイサキが入ったんだ」

 今年一番の大漁だったらしいんだよと、みつるは得意げである。

〔う〕「イサキだけじゃなくて、鯛とヒラメも当たり年らしいね」

〔歌〕「晩飯も呼ばれりゃどうです若旦那わかだんな。ねじりはちまきくいっと巻いて、辛口の冷でイサキに鯛のつくりなんていきだねえ」


〔シ〕「十八歳に酒をすすめちゃダメです。それに今日中にどうしても動画をアップしたいので」

〔み〕「そうかい。最近の若い子はせわしないねえ。若いうちはもっと遊ばなけりゃ」

 みつるの声を背に、シャモは三元時間さんげんじかんから脱兎だっとのごとく逃げ出した。



※※※



「母ちゃん、にぎわい座で新香師匠しんこししょうを見る事になったんだけど」

 家にとんぼ返りして台所に駆けこむなり、シャモは息せききって母親に告げた。


「どうしたんだよ背中に生霊いきりょう背負ったような顔しやがって」

生霊いきりょうじゃねえよ。死にかけ三体だよ。三元さんげんって一体本当は何歳なんだ。良く奴らとずっと一緒にいられるな」

「ははっ。そりゃ大店おおだなの跡取り息子なんだから、それ位じゃなけりゃ勤まらないね」

 シャモの母は、鰹節かつおぶしをカンナで削っている所だった。


早田節そうだぶしの良いのを鉄骨師匠てっこつししょうが持ってきてくれたんだ。ほら食ってみな」

 近所に住む俳諧はいかいの師匠の浪裏鉄骨なみのうらてっこつも、【和装とおしゃれ小物 新香町美濃屋しんこちょうみのや】の上顧客じょうこきゃくである。


「おっうまいね。でさ、楽屋に何持って行きゃ良いと思う」

「あんころ餅でも持って行っておやりよ。新香師匠しんこししょう売掛うりかけが溜まってんだ」

 冗談とも本気とも取れぬ口調にシャモがぎょっとしていると、冗談だよと言ってシャモの目の前にデパートの商品券を五千円分並べた。


「今日は他に誰が出るんだい」

「うち身師匠と御米師匠おこめししょう、それに竜田川姉妹たつたがわしまい。あと二つ目ふたつめ(※)さんと上方かみがたの師匠が出るんだって」

「まだ生きてたのかい竜田川姉妹。ビックリだよ」

「有名なの」

「まあ、ある種有名だね」

 何がどう有名なのかについては、母親は何も言わない。


「その商品券で黒豹屋くろひょうや一口羊羹ひとくちようかんでも買って持って行きな。あれなら老人でも食べやすかろう」

 それきり母親は戻ししいたけを細かく刻む作業に没頭したので、シャモは自室のせんべい布団にでんと座って編集作業を始めた。




「そうだ漢太かんた!」

「なんだよいきなり入ってくるなって言ったろ」

「あんた変なもん見てんじゃないだろね」

「見てねえよ。何だよ母ちゃん」

 シャモの母は日高昆布ひだかこんぶの袋を片手ににやりと笑った。

 

「あんたさ、せっかく寄席よせに呼ばれたんだから、竜田川姉妹たつたがわしまいの歌謡ショーもしっかり見て来るんだよ。それで、竜田川姉妹とねんごろになっちゃどうだい」


「だって俺その竜田川姉妹ってのを知らねえんだよ。何話せば良いんだよ」

 にやにやと笑う母親は、日高昆布ひだかこんぶの袋で自分の左手のひらをぺちぺちと叩いた。


「まあそりゃ見てのお楽しみだよ。仲良くなったら『みのちゃんねる』にでも友情出演してもらえば良いじゃないのさ。と言う事で、漢太かんたは今日の夕飯は無し!」


「どう言う事で夕飯抜きにされんだよ!」

「だーかーら。竜田川姉妹たつたがわしまいと晩飯食ってこいって言ってんだよ」

「何でそんなに竜田川姉妹推しなんだよ。母ちゃんが食ってこいってんだ」


「あんたじゃなきゃ、『逆張りのみの』じゃなけりゃ意味がないんだよ」

 ふんっと鼻を鳴らすと、精々気張りなと言って母親は台所に降りて行った。




「竜田川姉妹っと――。何これ、きっついなー」

 しかしながら検索結果の写真はどれもこれも、シャモが生まれる前の竜田川姉妹の写真なのである。




※二つ目 江戸(東京)落語の階級制度(前座・二つ目・真打)の二番目にあたる階級



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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