6-2  蛇とマングース

「悪いな。忙しいのに」

「いえ、今日は大丈夫です」

 臨時休校日の朝。

 横浜駅近くの巨大商業施設と駅との連絡通路脇でたたずむ仏像は、嫌味なぐらいサマになっていた。

「なら良かった。三元さんげん主催の食事会に行かずに俺と会ったのは内緒にして」

「仕出し屋さんですよね。どんな感じですか」

「ウクレレ漫談まんだん師匠ししょうが台所代わりに店に入りびたって、ばあちゃんが店を仕切ってて。今はあのノリに付き合う気分じゃない」


「シャモさん達は三元さんげんさんの家に」

「シャモは行くって言ってたな。えさは知らねえ。あいつら仲良いよな」

 横浜駅の連絡通路をしばらく二人は無言で歩く。すれ違う女性たちの目は、仏像に吸い寄せられている。


「なあ、やっぱり図書館は午後からで良い。俺の家来いよ。昼飯はお勧めの中華屋があるから、そこに行こう」

 仏像がちらりと松尾を見て口を開く。

 図書館に行くのははただの口実。目の前で起こった事件の衝撃から気を紛らわすために、余計な事を言わなさそうな自分が呼び出されたのだろうなと松尾は思った。



 角を曲がってしばらく歩くと、立派なエントランスを備えたマンションが松尾を出迎えた。

「うわすごい数のトロフィー。この写真、人間技じゃないって。どうやってたら人間がこんな風に飛べるんですか」

 リビングにぞろぞろと並べられたトロフィーと賞状の入った額に、松尾は思わず感嘆かんたんの声をらす。

「どうやってたんだろうな。今はもう飛べない。飛ぶ気が無くなった」

 松尾はゴーグル姿で空を高く舞う『スノボの王子様』こと仏像の写真に見入った。


「それより俺の仏像コレクションを見ろよ。これは如意輪観音にょいりんかんのん。ここの頬杖ほおづえの部分が我ながらエッロく仕上がった。エロいと言えばさ、これめっちゃエロいっしょ」

「エロい?」

 エロいエロいと興奮しながら話す超イケメンかつ文武両刀ぶんぶりょうとうの高校生が手にするのが仏像図鑑なのだから、人の嗜好しこうは見た目では分からない。

「はあ……」

 これが噂に聞く『仏像の悪癖』か。神社仏閣や仏教美術は嫌いではないが、ここまでのフェティシズムは自分には無い――。

 ついて行けないと言う顔を隠しもせず、松尾は無言で図鑑をめくった。


「あーこれめっちゃ飛べるやつ。腰布の角度があと一センチでもずれてたらバランスが台無しなんだよな。これ絶妙すぎんだろ」

 興奮して喋りまくる仏像をさえぎるように、松尾は質問をした。

「僕の事を広隆寺こうりゅうじ弥勒菩薩みろくぼさつに似ているっておっしゃいましたよね。では仏像さんはご自身をどの仏像に似ていると思われますか」

 黙らせるつもりの質問が、とんだ藪蛇だった。

月光がっこう菩薩が良いなー。まずもって語感が良いでしょ。それでねそれでね……」

 仏像がここまでマシンガントーカーだったとは……。

 三元さんげんさんの家に行けば良かった、とまで松尾が思い始めた矢先の事。仏像のスマホが涼やかな音を立てた。


「シャモからだ。桂先生が打撲だぼくで全治三週間。校長は全治二週間。サッカー部に軽症者数名。監督は三年の部員にフルボッコにされたけど全治一か月で済んだんだって。矮星わいせいはピンピンしているらしい」

「ものすごい爆発音がした割には、ね」

「もっと悲惨な事態になってもおかしくなかったもんな。俺、あの光景と音とガソリンの匂いが一晩中消えなくてさ」

 オフホワイトのシーツが掛けられたベッドを背もたれにして、仏像が天井を見上げた。

「僕だって同じです。まさか自分の学校で、目の前であんな事が起こるとは」

 仏像図鑑ぶつぞうずかんをバタンと閉じると、松尾は仏像の隣に座った。

「なあ、俺の事はゴーって呼んで。外国の知り合いからはゴーって呼ばれてる。五郎って名前は好きじゃないけど『Go!』は好き」

「自分だけゴーって呼んだられしくないですか」

「ああ、俺と二人の時ね。仏像語りでどっちの事か混乱して来るからさ」

「まだ仏像語りを続ける気ですか、ついて行けませんよ」

 松尾が白状すると、仏像はまたやっちゃったと苦笑した。

「早いけど昼飯行くか。人気店だから早めに行かないと。おごるよ」

「ええ、そんな。家から昼食代をもらってきましたから」

「良いっての。二人分でも千円ちょっとで済んじゃうから」

 仏像図鑑を棚に戻すと、仏像は机の引き出しからモスグリーンの伊達メガネを取り出した。

「俺と一緒に歩いてる時はこれ使えよ。女の子の視線は全部俺が独り占めするから、どうせお前は俺の引き立て役ににしかなれないよ」

 冗談めかして笑いながら、仏像は卓上鏡を差し出した。

「似合うじゃん。それやるわ。花粉眼鏡に飽きたら学校でも使えよ」

「ありがとうございます」

 松尾は眼鏡をくいっと上げて、にっこりと仏像に微笑みかけた。


※※※


 横浜駅西口近くの中華料理店。

 パイコー麺とサンマー麺を二人が無心ですすっていると、仏像のスマホが光った。

えさからだ。バイトがもうすぐ終わるから一番バーガーに行かないかだって」

「何のバイトですか」

「マネキン。信じられない勢いで売りまくる。一番奥の改札で待ってろだってさ」

 中華料理店を出た二人が改札前でぶらぶらとしていると、パンダのリュックサックを背負ったえさがひょいと現れた。


「餌、お疲れ。時給換算で今回は何円だった」

「万越え」

「そこのキャバクラの時給を余裕で超えてるじゃねえか」

 松尾は二人の影に隠れるように、昼間からどことなく治安の悪そうな横浜西口の裏通りを歩く。

「松田君もバイトする。うまく行けば時給で万越え」

「口車に乗せられるんじゃねえぞ。餌レベルの化け物クラスが、運が良ければ万越えだ」


「そう言えば松田君って、三元さんげんさんがここでナンパして美人局つつもたせに遭いかけた話を知ってる」

「そもそも三元さんげんさんってナンパをするんですか?」

「三元さんがナンパと合コンに賭けるあの情熱は何だろう。他の事だと不戦勝という名の不戦敗に甘んじる人間なのに」

「俺が女の子を集める労力を全部無駄にしやがるくせに、やたら合コンをやりたがるんだよな」

 べらべらと話していると、若い人の多い橋のたもとに出た。一番バーガーは目と鼻の先だ。


「二人ともありがとう。これで今回こそ優待券ゆうたいけんを無事使い切った」

 一番バーガーの奥まった席で、おごった側のえさがありがとうと満面の笑みを浮かべた。

「期限切れのうどん優待券が出てきた時のへこみぶりは語り草だよな」

「もう二度とあの失敗はしない。カラオケとボーリングの優待券は九月末までに使えば良し、と。ところで二人は何で一緒にいるの」

「スパイクを見るつもりでな。松尾はまだ横浜には不慣れだろうから、一緒に連れてきた」

「スパイクを買うなら山下君に相談したら。サッカー部だし」

 餌がオニオンフライをつまみながら仏像に水を向ける。


「山下はそれ所じゃねえって。暴動騒ぎと飲酒喫煙写真の合わせ技で活動停止処分になるのは間違いないって三年にキレてたわ」

「確かに、飲酒喫煙写真を監督がマスコミと協会にバラまいたのは大誤算だっただろうね。それにしてもあの監督は何股なんまたを掛けてたんだろう。『文違ふみちがい』じゃあるまいし」

「そういやそんな落語があったな」

 キャバの客と嬢とホストの三つどもえは、新宿が『内藤新宿ないとうしんじゅく』と呼ばれていた江戸の時代から変わらねえってこったと仏像が吐き捨てる。


「そんな落語があるんですね。それにしても随分薄汚れた金の流れだ」

「まあ、昔から良くある話って事だろ。でも監督の方がゲスだわ。金欲しさに部員の母親を何人もたらし込むのは無いわ。しかも母親も母親で、息子の学資保険がくしほけんを解約して監督にみつぐなんて」

 ろくなもんじゃねえなと仏像はつぶやいた。


※※※


「誘っといて何だけど、僕は用事があるから帰らなきゃ。二人はスパイクを見る口実でデートでしょ。ごゆっくり♡」

「誰がデートだ誰が」

「だって仏像がイケメンと連れだって歩くなんてあり得ないもん。落研に入ったのだって、俺以上のルックスの男がいないからって理由だし」

「冗談で言っただけだろ。合コンセッティングしねーぞ」

「うわー困る(笑)」

 一番バーガーの包み紙をトレーに置くと、えさは伸びをして立ち上がった。

三元さんげんさんには黙っててあげますよ。あの人すぐ卑屈ひくつになるからね」

 横浜駅に向かうえさと別れると、仏像と松尾はスポーツショップに歩を向けた、はずだった。


「松尾ちゃん!」

 スポーツショップがあるファッションビルの入り口にたどり着くと、この場で一番会いたくない人間が松尾を出迎えた。

「やっぱりここに来てよかった。どうも嫌な予感がしたのよ」

 カフェの紙袋を下げた|千景ちかげが松尾をじろじろと見つめた。

千景ちかげの松尾ちゃんレーダーを軽く見ちゃだめよ。図書館は」

 カフェの紙袋を下げた千景ちかげが松尾をじろじろと見つめる。


「図書館に行く前に、ちょっとここに寄ってからと思いまして」

「そう。あらその眼鏡はどうしたの」

「先輩に貸していただきました」

「いや、返さなくて良いから」

 言いかける仏像を制すると、松尾は午後四時までには戻りますと言って館内に入ろうとした。


「ねえ、あなたが松尾ちゃんの落語研究会のお友達なのね」

 やわらかい口調と裏腹に、千景ちかげの目は座っている。

 これはマズイ――。

 松尾はとっさに二人の間に割って入った。


「はい。二年の政木まさきと申します」

「あなた、脱毛してる」

 あっけに取られる仏像に、千景ちかげはさっとチラシを取り出した。

「学生価格で良いわ。松尾ちゃんのお友達ならもう少し負けてあげてもいい」

「もう脱毛済みです」

「VIOラインは」

 千景は蛇をにらむマングースのごとく仏像を見つめた。

「済んでます」

 もちろんこれは真っ赤な嘘である。

「チッ」

「舌打ちした?! どういう事。誰」

「うちの叔母おばです」

「オバサン扱いはダメって言ってるでしょ」

「千景さん、ちょっと目立つから……」

「さんづけしなくていいの。千景ちかげって呼んで」

 二時間ほど前に仏像が言ったようなセリフを吐くと、千景は勝ち誇ったように仏像を見上げた。


「ええっ。松尾の下宿先の叔母さんってこちらの方なの。若い」

「あなた分かってるわね。そうよ私は若いのよ。オバサン扱いしちゃだめって言うのに、松尾ちゃんったら全然聞いてくれないのよ。それに私がプレゼントした卒業祝いロレックスコスモグラフデイトナは全然着けてくれないのに、お友達からもらった安い眼鏡は着けるのね。松尾ちゃんったらヒドイ」

「ちょ、ちょっと待ってください。とにかく午後四時前には家に帰りますから」

 うわーんと泣き真似をする千景を置き去りにして、松尾はスポーツショップへ向かった。


「あの、叔母様」

春日千景かすがちかげです」

「その、えっと。春日先生とお呼びすれば」

千景ちかげ先生で良いわ」

 二人は蛇とマングースのようにお互いをじっと見る。


千景ちかげ先生って、泉涌寺せんにゅうじ楊貴妃観音ようきひかんのんに似てますね」

 ぼそりとつぶやいて仏像は松尾の後を追った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2024/7/12 加筆修正)

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