6-2  蛇とマングース

〈臨時休校日 横浜駅東口方面にて〉


〔仏〕「悪いな。忙しいのに」

〔松〕「いえ、今日は大丈夫です」

 横浜駅近くの巨大商業施設と駅との連絡通路脇でたたずむ仏像は、嫌味なぐらいサマになっていた。



〔仏〕「なら良かった。三元さんげん主催の食事会に行かずに俺と会ったのは内緒にして」

〔松〕「仕出し屋さんですよね。どんな感じなんですか」

〔仏〕「ウクレレ漫談まんだん師匠ししょうが台所代わりに店に入りびたって、ばあちゃんが店を仕切ってて。今はあのノリに付き合う気分じゃない」


〔松〕「シャモさん達は三元さんげんさんの家に」

〔仏〕「シャモは行くって言ってたな。えさは知らねえ。あいつら仲良いよな」

 横浜駅の連絡通路をしばらく無言で歩いていると、仏像がちらりと松尾を見て口を開いた。


〔仏〕「なあ、やっぱり図書館は午後からで良い。俺の家来いよ。昼飯はお勧めの中華屋があるから、そこに行こう」

 目の前で起こった事件の衝撃から気を紛らわすために、余計な事を言わなさそうな自分が呼び出されたのだろうなと松尾は思った。



〈仏像宅〉



〔松〕「うわすごい数のトロフィー。この写真、人間技じゃないって。どうやってたら人間がこんな風に飛べるんですか」

 リビングにぞろぞろと並べられたトロフィーと賞状の入った額に、松尾は思わず感嘆かんたんの声をらす。


〔仏〕「どうやってたんだろうな。今はもう飛べない。飛ぶ気が無くなった」

 松尾はゴーグル姿で空を高く舞う『スノボの王子様』こと仏像の写真に見入った。



〔仏〕「それより俺の仏像コレクション見ろよ。これは如意輪観音にょいりんかんのん。ここの頬杖ほおづえの部分が我ながらエッロく仕上がった。エロいと言えばさ、これめっちゃエロいっしょ」

〔松〕「エロい?」


 エロいエロいと興奮しながら話す超イケメンかつ文武両刀ぶんぶりょうとうの高校生が手にするのが仏像図鑑なのだから、人の嗜好しこうは見た目では分からない。

 ついて行けないと言う顔を隠しもせず、松尾は無言で図鑑ずかんをめくる。




 三元さんげんさんの家に行けば良かった、とまで松尾が思い始めた矢先の事。仏像のスマホが涼やかな音を立てた。



〔仏〕「桂先生が打撲だぼくで全治三週間。校長は全治二週間。サッカー部に軽症者数名。監督は三年の部員にフルボッコにされたけど全治一か月で済んだんだって。矮星わいせいはピンピンしてるらしい」


〔松〕「ものすごい爆発音がした割には、ね」

〔仏〕「もっと悲惨な事態になってもおかしくなかったもんな。俺、あの光景と音とガソリンの匂いが一晩中消えなくてさ」

 オフホワイトのシーツが掛けられたベッドを背もたれにして、仏像が天井を見上げた。


〔松〕「僕だって同じです。まさか自分の学校で、目の前であんな事が起こるとは」

 仏像図鑑ぶつぞうずかんをバタンと閉じると、松尾は仏像の隣に座った。


〔仏〕「なあ、俺の事はゴーって呼んで。外国の知り合いからはゴーって呼ばれてる。五郎って名前は好きじゃないけど『Go!』は好き」


〔松〕「自分だけゴーって呼んだられしくないですか」

〔仏〕「ああ、俺と二人の時ね。仏像語りでどっちの事か混乱して来るからさ」

〔松〕「まだ仏像語り続ける気ですか、ついて行けませんよ」

 松尾が白状すると、仏像はまたやっちゃったと苦笑した。


〔仏〕「昼飯行くか。あ、これやるわ。花粉眼鏡かふんめがねに飽きたら学校でも使えよ」

 仏像図鑑を棚に戻すと、仏像は机の引き出しからモスグリーンの伊達メガネを取り出した。



〈横浜駅西口〉



 パイコー麺とサンマー麺を二人が無心ですすっていると、仏像のスマホが光った。

〔仏〕「えさからだ。バイトがもうすぐ終わるから一緒に一番バーガーに行かないかだって」

〔松〕「へえ、何のバイトですか」

〔仏〕「マネキンやってんだよ。信じられない勢いで売りまくる」

 親父ゆずりで商魂しょうこんたくましいんだろと仏像は笑った。



※※※



〔餌〕「二人ともありがとう。これで今回こそ優待券ゆうたいけんを無事使い切った」

 二人におごったはずのえさの方がありがとうと満面の笑みを浮かべた。


〔仏〕「期限切れのうどん優待券が出てきた時のへこみぶりは語り草だよな」

〔餌〕「もう二度とあの失敗はしない。カラオケとボーリングの優待券は九月末までに使えば良し、と。ところで二人は何で一緒にいるの」

〔松〕「スパイクを見ようかと」

〔餌〕「スパイク買うなら山下君に相談したら。サッカー部だし」

 餌がオニオンフライをつまみながら仏像に水を向ける。


〔仏〕「山下はそれ所じゃねえって。暴動騒ぎと飲酒喫煙写真の合わせ技で活動停止処分になるのは間違いないって三年にキレてたわ」


〔餌〕「飲酒喫煙写真を監督がマスコミと協会にバラまいたのは大誤算だっただろうね。それにしてもあの監督は何股なんまた掛けてたんだろう。『文違ふみちがい』じゃあるまいし」

〔仏〕「そういやそんな落語があったな」

 キャバの客と嬢とホストの三つどもえは、新宿が『内藤新宿ないとうしんじゅく』と呼ばれていた江戸の時代から変わらねえってこったと仏像が吐き捨てる。


〔松〕「随分薄汚れた金の流れですね」

〔仏〕「でも監督の方がゲスだわ。金欲しさに部員の母親を何人もたらし込むのは無いわ。しかも母親も母親で、息子の学資保険がくしほけんを解約して監督にみつぐなんて」

 ろくなもんじゃねえなと仏像はつぶやいた。




 横浜駅に向かうえさと別れると、仏像と松尾はスポーツショップに歩を向ける。


〔千〕「松尾ちゃん! 高校の先輩と図書館に行くんじゃなかったの」

 スポーツショップがあるファッションビルの入り口にたどり着くと、この場で一番会いたくない人間が松尾を出迎えた。


〔千〕「千景ちかげの松尾ちゃんレーダーを軽く見ちゃだめよ。図書館は」

 カフェの紙袋を下げた千景ちかげが松尾をじろじろと見つめる。


〔松〕「図書館に行く前に、ちょっとここに寄って」

〔千〕「そう。あらその眼鏡はどうしたの」

〔松〕「貸していただきました」

〔仏〕「いや、返さなくて良いから」

 言いかける仏像を制すると、松尾は午後四時までには戻りますと言って館内に入ろうとした。


〔千〕「ねえ、あなたが松尾ちゃんの落語研究会のお友達なのね」

 やわらかい口調と裏腹に、千景ちかげの目は座っている。

 これはマズイ――。

 松尾はとっさに二人の間に割って入った。


〔仏〕「はい。二年の政木まさきと申します」

〔千〕「あなた、脱毛してる」

〔仏〕「はっ」

 あっけに取られる仏像に、千景ちかげはさっとチラシを取り出した。


〔千〕「学生価格で良いわ。松尾ちゃんのお友達ならもう少し負けてあげてもいい」

〔仏〕「もう脱毛済みです」

〔千〕「VIOラインは」

 千景は蛇をにらむマングースのごとく仏像を見つめた。


〔仏〕「済んでます」

〔千〕「チッ」

〔仏〕「舌打ちした?! どういう事。誰」

〔松〕「うちの叔母おばです」

〔千〕「オバサン扱いはダメって言ってるでしょ」

〔松〕「千景さん、止めてください」

〔千〕「さんづけしなくていいの。千景ちかげって呼んで」

 二時間ほど前に仏像が言ったようなセリフを吐くと、千景は勝ち誇ったように仏像を見上げた。


〔仏〕「ええっ。松尾の下宿先の叔母さんってこちらの方なの。若い」

〔千〕「あなた分かってるわね。そうよ私は若いのよ。オバサン扱いしちゃだめって言うのに、松尾ちゃんったら全然聞いてくれないのよ。それに私がプレゼントした卒業祝いロレックスコスモグラフデイトナは全然着けてくれないのに、お友達からもらった安い眼鏡は着けるのね。私は松尾ちゃんが大・大・大好きなのにいいっ! 松尾ちゃんったらヒドイ」


〔松〕「ちょ、ちょっと待ってください。とにかく午後四時前には家に帰るんで」

 うわーんと泣き真似をする千景を置き去りにして、松尾はスポーツショップへ向かった。


〔仏〕「あの、叔母様」

〔千〕「春日千景かすがちかげです」

〔仏〕「その、えっと。春日先生とお呼びすれば」

〔千〕「千景ちかげ先生で良いわ」

 二人は蛇とマングースのようにお互いをじっと見る。


〔仏〕「千景ちかげ先生って、泉涌寺せんにゅうじ楊貴妃観音ようきひかんのんに似てますね」

 ぼそりとつぶやいて仏像は松尾の後を追った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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