激震 一並高校サッカー部の変

5 一並高校サッカー部の変

〈昼休み 一年七組〉


〔飛〕「うちのお母さんが松田君にだって」

 放送部の飛島が、しゃれた紙袋を松尾に差し出した。

 袋を開けると、チョコとイチゴの甘酸っぱい香りがふんわりと広がる。


〔飛〕「『チョコカスターいちご味』ってこんな感じでいいのかしらだって。本当はお昼に一緒に食べようかと思ったんだけど、青柳あおやぎ部長から視聴覚室に呼び出されちゃって」


〔松〕「え、良いの。おいしそう」

 松尾の大好物である『ページヤ』のチョコカスターいちご味よりずっと上品なそれを、松尾は花粉眼鏡越しにうっとりとながめた。



〔下〕「あの子松田君と付き合っとるん」

 眼鏡を掛けたキューピー人形のような飛島の後ろ姿を見送ると、前の席に座る下野広小路しもつけひろこうじが声を掛けてきた。


〔松〕「えっ、飛島君と僕が。そんな訳ないよ」

 ほとんど話した事も無い相手からいきなり驚きの質問をされた松尾。

 さっさと会話を終えようとするも、下野しもつけはリスのような黒目がちの目を松尾に向けたままである。


〔下〕「良かったら今日は俺と一緒に弁当食わん」

 特に断る理由も無いのでうなずくと、下野しもつけは松尾の倍はあろうかと言う弁当箱を取り出した。



※※※



〔下〕「俺サッカー部なんよ。それでな、二十番になったんよ」

〔松〕「二十番ってレギュラー番号だよね」

〔下〕「そうなんよ。でもやっぱ上級生は体の作り自体が違うわ。デュエルで吹っ飛ばされて、ちょっとへこんどるんよ」

 花粉眼鏡かふんめがね姿のまま弁当を食べるのは難しく、松尾は花粉眼鏡をずらす。


 クラスで弁当を食べている生徒たちが松尾に視線を向けると、松尾は視線から身を隠すようにうつむいた。


〔下〕「もしかして人が怖いん。小学校で同じクラスの子がそれで保健室登校になったんよ」

〔松〕「そんなにひどくは無いけれど、えっと、ちょっと人見知りと言うか何と言うか」

 花粉眼鏡をしている本当の理由を知っているのは仏像だけ。

 松尾はほぼ初めて話す相手に事情を打ち明ける事が出来ずに、しどろもどろになりつつ弁当に逃げた。



〔下〕「フェイスガードは。グラウンドの階段ダッシュの時に付けとったでしょ」

〔松〕「あ、そうか」

 松尾が弁当をつつく手を止めてフェイスガードをつけている間に、下野しもつけは松尾の二倍はある弁当を、頬袋ほおぶくろふくらませながら食べ終えた。



〔下〕「松田君もサッカー部に来てほしいんよ。経験者でしょ」

 何で分かったのと、松尾は目を丸くする。


〔松〕「松田君の反復横跳はんぷくよことびを見てすぐ分かったんよな」

〔松〕「分かるものなんだね。確かに僕は小学校の時に地元のサッカークラブにいたの。でも辞めちゃって五年になるし、それにサッカー部って土日がつぶれるから困るんだ」


〔下〕「そうか。政木まさき先輩と松田君がサッカー部に来たら合コン楽勝なんよな。草サッカーをやるぐらいなら、サッカー部に二人とも来てほしいんよ」

 食後のデザートに亀のメロンパンをかじりながら、下野しもつけは上目遣いで松尾を見た。


〔松〕「正直そういうのすごい苦手」

〔下〕「それなら俺にルックス分けてほしいんよ。彼女欲しいんよおおおっ」

 悲痛な叫びを上げながら下野しもつけが亀の姿をしたメロンパンのしっぽを食べ終えると、スピーカーから呼び出しチャイムが鳴った。


〔放〕『職員の呼び出しを致します。かつら先生、桂先生、大至急だいしきゅう校長室へおいでください。繰り返します。桂先生、桂先生、大至急だいしきゅう――』

〔下〕「うちの顧問こもん、何やらかしたんだろ」

 弁当箱を片付けながら下野しもつけが苦笑いをしていると、サッカー部の生徒が教室に飛び込んできた。




〈放課後 グラウンド脇階段〉



〔多〕「Rejoyce. My boys!喜べ野郎ども

 新たな集合先として指定されたグラウンド脇の階段に集まると、多良橋たらはしは仁王立ちしたままグラウンドを指さした。


〔多〕「今日は我が草サッカー同好会がグラウンドを使用する許可を得た。さあ、野郎ども。解き放たれた野犬ワイルドドッグのように走れ、転べ、飛べっ!」


〔餌〕「飛ぶぞーっ!! たーまやー! かーぎやー!」

〔多〕「気合十分じゃないか。ではまずグラウンド三周な。ストレッチの後シャトルランとパス練習。三元さんげんは自分のペースで歩き走りしろ。終わった奴から脈拍みゃくはくを測って松田君に報告する事」

〔松〕「えっ」

〔多〕「松田君は戦術分析官せんじゅつぶんせきかんなんだから、選手の体調把握たいちょうはあくも仕事だよ」

 松尾は足を伸ばしながら気の抜けた返事をした。



※※※



〔三〕「あー、もう脇腹が痛い」

〔多〕「三元さんげんお前何歳よ。とりあえずストレッチだけやってろ」

〔餌〕「ストレッチがてら前座噺ぜんざばなしをしましょうよ。それでは下り鯉の三元さんげんさんで『道灌どうかん』」

〔三〕「道灌どうかんだあ。あれ簡単そうで難しいんだよ」

 多良橋たらはしに背中を押されながら、三元さんげんが思わず叫ぶ。


〔多〕「残念ながら一並ひとなみ高校落語研究会は解散したんだよ。あきらめなさい」

〔餌〕「パス回ししながら寿限無じゅげむの野望はあきらめませんよ」

〔松〕「済みません、多分僕で止まりますそれ」

〔シ〕「だからせめてもと思って、シャトルラン用に『寿限無じゅげむシャモリミックス版』をつくってきたんだわ。」

〔仏〕「本当にシャモって妙な所でマメだよな。すげえな」

 胸を張るシャモに、仏像が先輩を先輩とも思わない口調でほめた。




〔多〕「準備できたか。三元さんげんはシャトルラン免除めんじょの代わりに四股しこ百回」

〔三〕「それは無理」

 こぼす三元さんげんを横目に松尾が音源を掛けると、寿限無じゅげむの名前の冒頭部分ぼうとうぶぶんが流れた。



『ジュゲムジュゲムゴゴウノスリキレ』



〔三〕「とんでもなくシュールな光景だな」

〔松〕「あ、bpm上がった」

 規定通りに秒数が短くなると、まずえさが脱落した。

〔三〕「シャモ頑張れー」

 純粋文化系人間のシャモだが、コツを攻略するのは上手い。

 折り返しフォームを決めて、仏像と張り合っている。


〔松〕「シャモさん失格」

 二回続けてラインを踏めなかったシャモが脱落すると、残るは仏像一人となった。

〔シ〕「まじスゲー」

〔餌〕「さっすがスノボ全米・ワールドジュニアの二冠にかんに輝いた男」

〔多〕「本当はこんな部活で遊ばせとくべき人間じゃないんだがな」

 多良橋たらはしの声は、珍しく悲しげだ。



 百六十五回を叩き出した仏像は、大の字になってグラウンドに転がった。

〔多〕「はい、次は松田君。自分のペースでやれよ。他の四人はグラウンダーの練習な」

〔シ〕「グラウンダーのボールがれません。教えてください」

 シャモがもっともな要求をするのにも構わず、多良橋たらはしは松尾の計測にかかりきりだった。




〔シ〕「松田君地味にすごいんだけど」

 何度蹴っても浮き球になるサッカーボールに四苦八苦しているうちに、松尾の回数は九十回を超えていた。

〔仏〕「まじか。あいつも持久力あるじゃねえか」

〔多〕「はい松田君失格。百九回』

 松尾はそのまま突っ伏すようにグラウンドに倒れ込むと、肩で浅い息を繰り返した。



〈校長室〉



 一同がへろへろになりながら校内に戻って来ると、校長室のとびらの前と窓の外でサッカー部員達が聞き耳を立てているのが見えた。


〔三〕「昼休みにかつら先生が呼び出されたのと関係があるのかな」

〔シ〕「そうだろ。サッカー部がこの時期に練習休みにするなんてまずないし」

 校長室の様子を横目に見ながら職員室でカバンを受け取ると、一同は着替えのために男子トイレに向かった。



※※※



「ぶっつぶしてやるーっ!」

 男子トイレから出てきた一同を出迎えたのは、校長室から響く野獣やじゅうの遠吠えのような怒号どごうである。





〔三〕「何が起こってるんだ」 

 三元さんげんがつぶやいた瞬間、屈強くっきょうなサッカー部員達のタックルであっけなく校長室のドアが壊れて蝶番ちょうつがいが足元に転がった。


〔部A〕「ふざけんな部費ぶひ返せ」

〔部B〕「犬吠埼いぬぼうざき出てこいや!」

〔部C〕「てめえ俺の母ちゃんに何しやがったっ」


〔桂〕「ちょっと君たち静粛せいしゅくに! 落ち着きなさい」

 顧問こもんであるかつらの声はサッカー部員の怒号にかき消され、強化ガラスの置時計がシャモの足元に飛んで来た。


〔シ〕「何だよあっぶねえな」

〔桂〕「みんな逃げろっ! 110番、110番」 

 複数の男が争う声にサッカー部顧問こもんの桂の絶叫ぜっきょう

 

 だが落語研究会改め草サッカー同好会の脳と目は、桂の警告に背いて校長室内に釘付くぎづけになった。



「俺の首を切ってしまいに出来ると思ったか。これで大会出れねえぞ。ざま見ろクソが」

「逃げろっ!」

 サッカー部監督の犬吠埼いぬぼうざきの捨て台詞にかぶさるように校長の声が聞こえた瞬間、地面が浮くような衝撃音しょうげきおんが五人の足元を揺るがせた。



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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