2 一並高校落語研究会、解散


〔仏〕「松田松尾あいつ、やっぱり訳アリっぽいな」

 放送部に視聴覚室しちょうかくしつを明け渡した落研一同は、身を潜めていかにも訳ありそうな松田松尾まつだまつおと小柄な一年生のやり取りを見ている。


〔餌〕「中学校の名前を検索けんさくしたって言った時、松田君の声が揺れましたよね」

〔シ〕「父親のDVから逃げて横浜に来たか」

〔三〕「校則なんてあって無いような学校だけど、顔だけじゃなくて腕から指まで隠した格好かっこうを学校が許すなんて。虐待ぎゃくたい跡でも残ってるのか」


〔仏〕「そんなのつらいじゃねえか。なあ、奴の私生活に触れるのは止めよう」

〔餌〕「そうですね。せっかく横浜に逃げてきたんだから、安心して過ごして欲しいです」

 人間の脳みそとは恐ろしい。

 シャモの一言から、落研メンバーの中では松田松尾まつだまつおは父親のDVから逃れて横浜に潜伏せんぷくしている事になってしまった。



※※※



 横浜港を一望できるタワーマンションの高層階こうそうかいで、群馬から来た訳アリの新入部員こと松田松尾まつだまつおは下宿をしている。


「あら松尾ちゃんどうしたの疲れた顔して」

 下宿げしゅくの主は帰宅するなりまじまじと松尾の顔を見た。


「そんな事はないと思いますが。それより千景ちかげおばさん、今日は早番でしたっけ」

「オバサンって呼ばないでってあれだけ言ってるのに。松尾ちゃんのいじわる」

 下宿先の主であり松尾の母の妹にあたる春日千景かすがちかげは、二件の美容クリニックを経営するやり手の医師である。



「本当に松尾ちゃんったらひどい。だって中学の卒業祝いロレックスコスモグラフデイトナもちっとも付けてくれないし。いじわるうっ」

 三十代半ばの独身超美人美容外科医は無類むるいおいバカ。

 松田松尾まつだまつおが生まれた時から十五歳の今に至るまで、本人が要らない高額商品までプレゼントする重課金勢じゅうかきんぜいの筆頭である。

 

「どこの高校生が学校に身代金みのしろきん替わりになる時計を付けていくと。そもそも千景ちかげおばさんは金銭感覚が」

「ウブロかフランクミュラーぐらいで十分って事」

千景ちかげおばさん、そうじゃなくて」

千景ちかげって呼びなさいよ。おばさんじゃないわよ」


 一度むくれると、千景ちかげの機嫌を直すのは手間が掛かる。

 これではどちらが大人か分からないとため息をついていると、珍しく空気を察したらしい千景ちかげが話を替えた。


「結局どこの部活に入る事にしたの」

「落語研究会です。月水金が活動日なので、その日は帰りが一時間ほど遅くなります」

 松尾は説明会とオリエンテーションの話をしかけたが、千景ちかげの性格を思い起こしてぐっと飲みこんだ。


「あらさっそく明日が活動日なのね。松尾ちゃんが落語とは意外だけど、古典芸能だから教養きょうようも身につくし良い選択ね。自分で着付けが出来たら素敵だわ。発表会があった見に行くから教えてね」

「ええ、まあ」

 松尾はあいまいに笑うと自室に引っ込んだ。



〈水曜日 一並ひとなみ高校視聴覚室しちょうかくしつ



 えさの担任である多良橋たらはしから職員室に呼び出された『顔役かおやく幹部かんぶ)』四人は、軽快けいかいな足取りの多良橋たらはしとは対照的に足取りも重く視聴覚室へと向かう。


〔多〕「Hey Guysよう野郎ども!」

 視聴覚室の扉を開けた多良橋たらはし甲高かんだかい声に続くのは部員達お決まりの反応。


〔部A〕「何で見回り係が白色矮星はくしょくわいせいなんだよ」

〔部B〕「矮星わいせいうぜー」

〔部C〕「メキシコ湾に泳いで帰れや」

〔部D〕「メキシコ湾に〇〇るぞ矮星わいせい

〔多〕「おい今メキシコ湾に○○るって言ったやつ。お前出禁」



 多良橋たらはしはぎろりと視聴覚室を見渡すと、ホワイトボードに殴り書きをした。


【落語研究会 新顧問こもん メキシコ湾のスーパーノヴァ 多良橋達也たらはしたつや二十五歳 担当教科地歴公民】



〔多〕「単刀直入たんとうちょくにゅうに言う。宗像むなかた先生は退職された」

〔部A〕「ぎっくり腰で休んでいるだけじゃなかったの」

 ざわつく部員に「Sit!おすわり」と叫ぶと、多良橋たらはしは手持ちのノートパソコンをディスプレイにつなげる。


〔多〕「話は宗像むなかた先生のメッセージを見てからだ。耳栓みみせんがある者はしろ」

〔部B〕「ねえよそんなの」


~~~



〔宗〕『吾輩わがはい昌華まさかである。名前はまだない。我はこの漆黒しっこくの世を照らす一条いちじょうの光となろう――』


〔部C〕「いやあなた宗像昌華むなかたまさかさん。名前あるから」

〔部B〕「たった一行いちぎょうで矛盾した事を」

〔部D〕「何その電気工事用ヘルメットみたいなの」


 多良橋たらはし顔役かおやくの四人が耳栓みみせんをする一方で、何も知らない落研部員は半笑いで画面に見入っている。


〔宗〕『一条いちじょうの光よ、来たれ』


 画面の中の宗像むなかたが右手を振り下ろすと同時に、その口から発せられる超音波ちょうおんぱが視聴覚室にたむろする部員達をぎ払う。


〔部A〕「耳がっ。耳がああ」

〔部B〕「こめかみ、こめかみに来る」

〔部C〕「ああああゆあw5@ばtrわああああ」


 耳をふさぐ者、大声を出して超音波ちょうおんぱをノイズキャンセリングしようとする者、視聴覚室しちょうかくしつの窓をまたごうとする者にその足を引っ張って止める者――。

 阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずの中、たった一人の新入部員である松田松尾まつだまつおは口を手で押さえ、視聴覚室から勢いよく逃げ出した。


~~~


〔多〕「宗像むなかた先生は定年まで残り一年を切った所でぎっくり腰になり、立ち上がれなくなった。その際に人生でやり残した事は何かと考えて」


〔部A〕「その結果がコレ」

〔部B〕「あの毒にも薬にもならぬ、影の薄い典型的五十代後半男性が何でまた」

〔部C〕「とりあえず、耳が痛い。もう止めて、分かったから」 

 耳をふさぎながら部員達が口々に訴える中、耳栓みみせんをしてダメージを最小限にとどめた多良橋たらはしは「Sitおすわり!」と部員に再び告げた。


〔多〕「宗像むなかた先生はかつて、伝説と化した演劇集団の一員であった」

〔麺〕「要するに、退職してヒマを持て余したおっさんが通る道ね。すぐ飽きるでしょ」

 麺棒めんぼうが眼鏡を掛けたような部員が、ペン回しをしながら薄ら笑いを浮かべる。


〔シ〕「奴は本気だ。何がどうなったか知らないが、宗像むなかた先生は『漆黒しっこくの世を照らす一条いちじょうの光』になるために学校を辞めるんだって」

〔部A〕「家でも建てる気か」


〔多〕「だったら良かったんだがね。宗像むなかた先生の決心は固く、本校を退職される事と相成あいなった。そこで、この【メキシコ湾のスーパーノヴァ 多良橋達也たらはしたつや二十五歳 担当教科地歴公民】が今日からお前達のお守り役をおおせつかったと言う訳だ」


〔部B〕「何で宗像むなかた先生の代わりが矮星わいせいなんだよ」

〔部C〕「先生に落語が分かるのかよ。アメリカ暮らしが長すぎて日本語だって怪しいじゃねえか」

〔部D〕「二十五歳はサバ読みすぎ。どう見ても白色矮星はくしょくわいせいじゃねえか。五十二歳の間違いだろ」

〔多〕「お前ら出禁」

 部員たちの突っ込みをにべなくあしらうと、多良橋たらはしはにちゃあっと笑う。


〔多〕「メキシコ湾のスーパーノヴァ・多良橋達也たらはしたつや二十五歳の特技はサッカー。ゆえに本日をもって本部活を草サッカー同好会とする。落語研究会は解散」

〔餌〕「小粋なアメリカンジョークでしょうか」

〔三〕「聞いてないよ!」

〔シ〕「言ってる事がおかしいだろ。何で俺らがサッカーをやるんだよ」

〔仏〕「全部やり直せ。時を巻き戻せ」

 多良橋たらはしの隣で黙って立っていた顔役かおやく達がぎょっとした顔で多良橋たらはしを見るも、多良橋たらはしは素知らぬ顔でプリントを配り始めた。


〔多〕「俺もそこまで鬼じゃない。他部活の先生方に掛け合って、各部活で回収枠かいしゅうわくを作った。五分で決めて申し込め。枠があふれたらrock-paper-scissorsじゃんけんで決める」

〔三〕「ちょっと、何するんですか」

 多良橋たらはし宗像むなかたコレクションを全部捨てる勢いでぽいぽいとダンボールに投げるので、三元さんげんはコレクションだなの前に立ちはだかった。


〔多〕「宗像むなかた先生の私物しぶつだ。返すのが筋だろ」

〔三〕「それにしてもこんな扱いは。あっ、小柳屋御米こやなぎやおこめ師匠ししょうに何てことを」


〔多〕「御米おこめだか馬込まごめだか知らねえが、若いうちは体を精一杯動かしなさいよ。大体、ここの部はまともに落語なんかやりゃしねえ。部活をやりたくないやつらが渋々しぶしぶ一時間を潰すだけの場所だろ」


〔三〕「そんな事はありません。僕は小さい頃から寄席よせにも通っているし、松脂庵まつやにあんうち身師匠みししょうから直接ウクレレ漫談まんだんも教えてもらって。玉すだれだって出来るし、老人ホームの慰問いもんにも行って」


〔多〕「だから合コンもナンパも失敗するんだよ」

 多良橋たらはしの一言に三元さんげんは言葉を失った。


〔多〕「落研の面々が合コンを開いては失敗続き。三元さんげんに至ってはナンパのつもりが美人局つつもたせいかける。『特技/サッカー』『特技/玉すだれ』。同じ玉転たまころがしでも女受けが違うに決まってるだろ。なあ、彼女欲しいよな」

 多良橋たらはし悪魔あくまのようにささやいた。




〔仏〕「シャモは軽音けいおんに移らねえの。お前バンドやってたじゃん」

 三元さんげんの隣で静かに成り行きを見ていた二年生で広報担当の政木五郎まさきごろう――通称・仏像――が小声で経理担当のシャモに問う。


 スノボ選手として全米・世界ジュニアの頂点を極める一方で模試の全国成績優秀者の常連でもあり、『全自動女子どもホイホイ』『女子地引網じびきあみ』の異名を取るアメリカ生まれの仏像。


 各方面に異様なまでのハイスペックぶりを見せつける彼は、諸事情で競技生活を退いた後は仏像をでつつなぜか落研に潜伏せんぷくしている。


〔シ〕「音楽性の違いから軽音けいおんだけは絶対にお断り。あんな所に行くぐらいなら、玉転がししてた方がましだ。仏像こそどうする気だよ」


〔仏〕「矮星わいせいには色々借りがあるからな。それに奴の特技は必殺・手のひら返し。明日には今言った事なんざ全部頭から抜けているだろうし」

 渋い顔で仏像が返すと、シャモは『時そばジャカルタ編』を披露ひろうした二年生の伴太郎はんたろう――通称・えさ――を見た。


〔餌〕「サッカーをネタに新作落語の一つでも作れたら面白そうじゃないですか」

〔シ〕「お前って本当にたくましいというか、図々しいというか。パンダみたいな顔して折れない男だよな」

〔餌〕「そりゃパンダのえさささですから」

 うまい事言ったとドヤ顔を決める餌から視線を外してシャモが時計を見ると、多良橋たらはしが与えた五分が過ぎた所だった。



〔多〕「結局草サッカー同好会に残るのは何名なんだ。顔役かおやくは残るんだよな」

 しぶしぶうなずくシャモと三元さんげんに対して、意外とノリノリな仏像とえさである。


〔多〕「他の奴らは全員転部か。根性ねえな。次回からは申請先しんせいさきの部活に顔を出すように」

 大股おおまたで歩き去る多良橋たらはしの後をぞろぞろと去る部員たちを見送って、三元さんげん達も視聴覚室しちょうかくしつの片付けをして帰る事にしたのだが。


〔三〕「あれ、忘れ物」

 椅子いすの上に置かれていたのは、『ページヤ』と書かれたバッグに紺色のスクールバック――。


〔シ〕「この『ページヤ』って書かれたダサいバッグってあの群馬の子のだよな。教室を飛び出した所までは見たが」

〔三〕「あれから一時間近く経ってる。トイレにしちゃ時間が掛かり過ぎ」

〔シ〕「部活替えする気ならカバンは持っていくよな」

 三元さんげんとシャモが顔を見合わせていると、二年生二人がカバンを残して消えた松田松尾まつだまつおを探しに視聴覚室しちょうかくしつを飛び出した。



〈横浜駅東口にて〉



 視聴覚室しちょうかくしつ脇の男子トイレの隅でうずくまっていた松尾を救出した仏像は、他の部員に断りを入れて松尾と二人で帰路についた。

〔松〕「もう大丈夫です。済みません。ありがとうございました」

 横浜駅で松尾と一緒に降りようとする仏像に、松尾はあわてて礼をする。

〔仏〕「いや、俺も最寄りが横浜駅。時間があったらおごるから、ちょっと付き合えよ」

 すれ違いざまにまぶしいものを見るような女子の目をことごとくスルーした仏像は、一軒のカフェに入ると奥まった席に松尾を案内した。



〔仏〕「あのさ、『絶対に運動をしたくない』って書いてただろ。本当は『絶対に運動できない訳がある』んだよな」

 開口一番、仏像が真剣なまなざしで松尾に問いかけた。

〔松〕「えっと、それは」

 松尾は花粉眼鏡かふんめがねの下の目をせわしなく動かした。


〔仏〕「部活の奴らは、松尾がDVから逃れて横浜で暮らしてるって思い込んでいる」

〔松〕「どうしてそんな話に?! 全然違います。ただ」

 松尾は仏像の言に大きく首を横に振った。


〔仏〕「顔と手まで隠した格好をして来たから、虐待跡ぎゃくたいあとが残っているんじゃないかって話になって」

〔松〕「これ、そんな風に見えたんですか。困ったな。違うんです。えっと」

 松尾は自分の言葉を証明するように、アームカバーと花粉眼鏡を外して見せる。


〔仏〕「本当の理由が言いたくなければ言わなくていい。ただ、先に謝っておく。俺は多分、本当の理由を知っている」

〔松〕「飛島とびしま君から聞いたんですか。それとも、多良橋たらはし先生から」

 松尾が目を丸くした。


〔仏〕「飛島って誰。いや、『松田松尾 群馬』で検索したんだわ。他の奴らには詮索せんさくするなってくぎを差したんだけど、どうしても引っかかって」

 仏像の言葉に、松尾は意を決したように顔を上げた。


〔松〕「それならば、どうか誰にも検索結果を伝えないでください。いずれ知れる事だとは思いますが、それまでは」

〔仏〕「分かった。実は中三の時に俺も同じような目にった」

 仏像が自分のスマホを差し出すと、松尾は思わず顔を上げて仏像の目を見つめた。



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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