第117話 女神の祭壇

 神獣達がガルザ・ローゲと戦っているその頃、エルディア達は彼等の魔力の波動を感じて立ち止まった。風火水雷の大きな力が何かと激しくぶつかり合い弾けている。



「フェン達が戦っている!」



 エルディアがロイゼルドの袖を握る。



「早く行こう」



 エルディアの肩を抱くロイゼルドは、首を振って言った。



「俺達は先に女神を探す。ガルザ・ローゲはフェン達にまかすんだ」


「どうして?やられちゃう!」


「俺達が行っても同じだ。彼等でどうにか出来ない相手に人間がどうこうしても邪魔になるだけだ」


「でも……」


「心配するな。ガルザ・ローゲの目的は女神だけだ。少なくともフェンは殺されないだろう」


「どうして?」


「フェンを殺すと女神が怒るから」



 妙に確信を持って話す様子に、エルディアは訳がわからなくてキョトンとする。



「どういうこと?」


「奴は女神に嫌われたくないはずなんだ」


「???」



 終焉の神は女神を憎んでいるのではなかったのか?

 混乱しているエルディアの頭をぽんぽんと撫でて、ロイゼルドは軽く笑った。



「神も万能ではないという事だ。おいで。女神を探そう」




      *********




 しばらく歩いて、二人は前方に薄紫の紗が掛かった場所を見つけた。近付いて行くと階段のついた大きな祭壇のようなものがある。その祭壇の中央に天蓋と寝台が据えられ、周りを薄い布が覆っているのだった。


 エルディアとロイゼルドは祭壇を見上げて立ち止まった。

 寝台に誰かがいる。

 気配を感じて、二人は顔を見合わせた。


 祭壇に登り寝台に近づく。天蓋の薄い布越しに長い金髪の女性の姿が見えた。

 ほのかに金色の光を放ち、みじろぎひとつせず眠っているのは太陽の女神。白い衣服に包まれた柔らかそうな肢体が、寝台の上に仰向けで寝かされていた。


 彼女の身体はそれ自身が光を帯びているかのように美しかった。白磁の肌はほのかに桃色を帯び、赤い薔薇の花弁のような唇は瑞々しい。ただ閉ざされた長い睫毛はピクリとも動かない。

 まるで彼女の周囲では時が永遠に止まっているかのように見えた。



「綺麗……」


「ああ」



 エルディアの呟きにロイゼルドも頷く。

 言葉では言い表せない、崇高な輝きを女神は放っていた。



 しばらく時を忘れて見惚れていたが、ふとエルディアは祭壇の下に目をやって全身を固くした。隣から緊張が伝わり、ロイゼルドもそちらを見る。


 そこには戦いの後だというのに、一切乱れた様子もなく歩いてくるガルザ・ローゲの姿があった。


 ロイゼルドがエルディアのこわばった肩を抱き寄せる。

 フェン達はどうなったのだろうか。

 少なくとも言えることは、この目の前の神にとって神獣達はさほどの脅威ではなかったということだった。


 彼は迷いなく祭壇に近付き上がって来た。そしてそのまま真っ直ぐに寝台に向かって歩み寄る。天蓋の柱の陰に立つ彼等の存在に気付いているはずなのに、まるで目に入っている様子はなかった。



 終焉の神は寝台の上に横たわる人物をじっと見つめている。

 その横顔はどこか穏やかで、神殿の地下に入るまでの彼とはまるで別人のように見えた。


 漆黒の神は女神から目を離さず静かに立っていた。彼は女神を起こし結界を解こうとしているはずだ。だが、彼はただ彼女の眠る顔を静かに眺めているだけだった。



 動かなかったその指がついと天蓋から流れる紗の表面に触れる。

 すると、パチリと小さく火花が散り、美しい布地が彼の手の侵入を拒んだ。



「また……私を拒絶するのか」



 漏れ出た声はとても静かだった。



「女神をどうするつもりだ?」



 ロイゼルドが柱の陰から進み出て、ガルザ・ローゲに声を掛ける。

 赤い瞳が彼に向けられ、わずかに細められた。



「生きていたのか」


「おかげさまで。死んだか確認しなかっただろう」


「そんな面倒な事はしない」


「彼女に俺が死んだと嘘を言った」


「腕が転がっていたのでな。そうか、ヴェズルフェルニルの守護か」


「そうだ」



 そしてロイゼルドに寄り添うエルディアに視線を向ける。

 毛を逆立てた猫のようにピリピリとしたエルディアを眺めて、可笑しそうに微笑を浮かべた。



「あのまま狂っておれば楽であったろうに」



 女神が目覚め結界が解かれれば、この世界に魔物が流入する。魔物達は地上の生き物達を襲い喰らうだろう。そして再び世界は混乱に満ちる。

 それを見ずに済むことは幸せだろうに。



「女神を起こして、お前はどうするつもりだ?」


「……何故、そんな事を尋く?」


「知る権利はあると思うが。これから滅ぼされる世界の一員だ」


「私にそんな不遜な態度をとる人間も珍しい」


「褒めて貰えて光栄だ」



 ガルザ・ローゲは意外にも気を悪くした様子はなく、仕方なさそうにフッと息を吐いた。



「女神が守ったこの世界を壊して、女神が怒らないと思うか?」


「閉じ込めてしまえばよい。いずれ諦める」


「そうやって手に入れて満足するのか?」


「……何が言いたい?」



 きらりと赤い瞳が光る。

 ロイゼルドは頓着せずに続けた。



「神の嫉妬で壊される我々は悲惨だなと思って」



 エルディアはロイゼルドの顔を見上げた。

 ロイゼルドは何を知っているのだろう。

 彼が終焉の神を見る目は冷静だ。



「終焉の神ガルザ・ローゲ、いや、ロキ、貴方は女神と恋人同士だったのだろう?」



 ロイゼルドは黙ったままの神に告げる。



「創世の神の分身ともいうべき太陽と、終焉の神の貴方は本来なら出逢うべきではない相手だが、出逢ってしまった。そして二人は別れた。女神が拒絶して。……これで合っているだろうか?」



 返答はない。

 肯定ととって彼は言葉を続ける。



「女神は貴方を捨てて人間の男の元に走った。フェンを魔獣に堕としたのも、魔物を生み出し世界を滅ぼそうとするのも、全てその事が原因なのでは?」



 嫉妬に狂ったのはフェンリルではなく終焉の神自身。


 ガルザ・ローゲは小さく溜息をついた。



「……そうだ」

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