第115話 剣と盾
黒衣の男——終焉の神の姿がない。エルディアを操り神獣たちと戦わせた主は何処か。
「奴はどこだ?」
エルディアを抱いたままロイゼルドはフェンに問う。フェンは緩んだニンギルスの腕を払い、二人の後ろの扉をクイと顎で示した。
「女神の所へ向かった」
ロイゼルドが扉に向かうより早く、レオがすたすたと歩いて二人を押しのける。
「私達が追う。お前達は神殿の外で待っているがいい」
言外に邪魔だと言わんばかりの態度に、ロイゼルドが顔をしかめる。その背後についてきたヘイロンが、詫びるように軽く視線を下げた。
「この先は人間には危険すぎる。我々に任せて」
「……行くぞ、ヘイロン。ニンギルス、その馬鹿狼を連れて来い」
黙ったまま頷いたニンギルスが、フェンの襟首を掴んで引きずって行く。レオは扉の取っ手に手を掛け、ぐっと引いて開いた。暗い石の階段の奥から冷たい空気が流れ出る。
「アルファーディ、この先は混沌の間。貴方もここで」
「わかっています。神々の領域では精霊の
ヘイロンの言葉に頷くと、アルファーディは落ちていた腕を拾い上げた。ロイゼルドの欠損した腕を見て問う。
「これは貴方の……?」
その腕はエルディアが大事に抱えていたものだった。ロイゼルドが苦々しげに頷く。
エルディアが心配そうにロイゼルドの顔を見上げた。その頭をぽんぽんと撫で、ニコリと笑って見せる。
「ルディ、お前は残れ」
「ロイが行くなら私も行く。もう離れるのは嫌」
「危険です。彼等が言うようにここで待ちましょう。貴方は怪我をしています。無駄死にしに行くようなものです」
「俺も追う。奴にそれの礼をせねばならん」
紫紺の瞳がギラリと光り、アルファーディのオパール色の目を見据える。その殺気に射抜かれた様にアルファーディは息を飲み言葉を失った。
「片手があれば戦える。それに……」
残った右手をぎゅっと握る。
「ヴェーラに伝言を頼まれている」
「伝言?」
「そうだ。終焉の神への伝言だ」
血の契約を終えたあと、ヴェーラはロイゼルドにある言葉を伝えた。
アルカ・エルラに伝言を頼まれておる。主よ、わらわの代わりに伝えて欲しい。ヴェーラはそう言って力尽き、地面に膝をついた。
神獣達を集めさせ魔物に対峙させる。それは創世の神の命。そして魔物達が倒されれば、終焉の神は必ず姿を現す。彼に創世の神の言葉を伝える事、それがヴェーラに与えられた使命だった。
人間達を守るために傷ついた
「奴に話が通じるかはわからんが」
そう言って身をひるがえした彼に、アルファーディはただ黙って頭を下げた。
*********
ロイゼルドとエルディアは先に扉の中へ入った神獣達を追っていた。
長い階段を降りて行くにつれ、湿っぽい空気がだんだんと濃くなっていく。そのうちに濃い
足元も見えなくなりかけて、ようやく階段が終わった。神殿の地下へ到着したようだが、視界が非常に悪い。ただ、明かりもないはずなのに、何故か暗くはなかった。
薄ぼんやりとした空間を進む。知らず知らずエルディアは隣のロイゼルドの袖をぎゅっと握っていた。
「広いね……」
霞んでよく見えないが、柱があるわけでもなくどこまでも空間が続いている。とても神殿の地下空間だけではない広さだ。
「不思議な場所だな。中へ入ったら帰ってこないと言っていたのもわかる」
「フェン達は?」
「この先だな。気配がする」
ヴェーラの刻印を受けてから、なんとなく魔力の気配を感じ取れるようになった。前方から強い力を感じる。
「ねえ、ロイ、建国の王ルーウィンは女神の子供なんだね」
「あまり世間には伝えられていないが、どうもそのようだな」
「終焉の神が私を見て『レイリィ』って呼んだんだ。あれはアイレイリアの愛称だと思う」
「フェンも言っていたが、お前達双子は女神に姿が似ているらしいから見間違えたんだろう」
「彼は私が女神の子孫だと気づくと、凄く嫌な顔をしたんだ」
終焉の神は自分を見て、とても苦い表情を見せた。何にも興味がなさそうな彼が見せたあの感情は憎悪だ。
「どうして終焉の神は太陽の女神を憎んでいるんだろう」
愛称で呼ぶほど親しかった相手を憎む理由が何かあるのだろうか?
どちらかと言えば、女神の方が終焉の神を憎む理由が多々ある。従獣を魔獣に変えられ、世界の混乱を鎮める為に痛手を負い、最後には子供と別れて我が身を封印する事になったのだから。
「人と同じで、神々にも色々あるんだろう。迷惑な話だが」
ロイゼルドは含みのあるような笑みを洩らし、立ち止まると自分の袖を持つエルディアの手を握る。剣を握る手でありながらほっそりとしたそれは、指先まで冷たくかすかに震えを伝えた。
どんな戦いの中にあっても常に冷静に状況を見据え、恐れを知らぬかのように危険に飛び込んできた彼女が身をふるわせている。ロイゼルドはやはり連れてくるべきではなかったと後悔した。
あの神の正面に立った者だけにわかる絶望に近い恐怖、それを知っていればこれから向かう先に怖じるなと言う方が無理な話だ。
「怖いか?」
「少しだけ」
「今ならまだ引き返せる。上で待っているといい。帰れないかもしれないぞ」
「最期までロイといる」
エルディアはロイゼルドの左の袖を取り頬に寄せる。
「私は貴方を守る剣でありたいから」
十四歳で彼の従騎士となり、母の仇のフェンリルを討った。異国にいた兄も取り戻し、女の身で騎士となった。
常に自分のそばで守り導いてくれたのは彼だった。
「俺はお前の盾でありたいのだが」
少し困った様に笑って、ロイゼルドはエルディアの背中に手を回して引き寄せた。紫紺の瞳が優しく見つめる。
自然とエルディアは両腕を彼の首に回して、その形の良い唇に口を近付けた。吐息が溶け合う様に絡み合う。温もりを与えあうように抱き合って、互いの存在を確かめ合った。
幾度もの口付けの後、エルディアはロイゼルドの首筋に赤い紋様が刻まれているのを見つけた。自分を救う為に受けた契約の刻印だ。
そっとその刻印に触れる。彼の心臓の鼓動がトクンと指に伝わった。
「もう怖くはないよ」
エルディアはロイゼルドに華のような笑顔を見せた。
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