第114話 守護の契約

「ルディ!」



 ニンギルスに拘束されたフェンの目の前で、金と青の光が弾ける。

 魔法の槍がエルディアに当たる寸前、それらは光のかけらとなって砕け散った。



「これは……?」



 彼女の身体の前面に、半透明の盾が煌めいている。それが神獣達の攻撃を弾き返していた。


 仮面の様に無表情だったエルディアの顔が、ほんの少しだけ不審げに曇る。神獣達もその攻撃の手を止めて、彼女を守る光の盾が薄れて消えて行く様を言葉もなく眺めていた。

 彼女自身の力ではない。

 そして、この盾は知っている。



「……ヴェーラ?」



 フェンが振り返った視線の先に、赤い鷹の姿はない。代わりに背の高い栗茶の髪の青年が息を切らして立っていた。



「おい、フェン、ルディを守ってくれていると思ったら……お前、サボってるんじゃないぞ」


「ロイ!」



 肩で息をしながら、ロイゼルドが渋い顔をしてフェンをなじる。そして、目を見開いて固まっているエルディアに、ツカツカと歩み寄った。


 エルディアは両手を口に当て、ふるふると首を横に振ってふるえている。先程まで何も映していないかのように沈んで見えた赤い瞳が、青年の紫紺の瞳を見つめて明らかに揺れていた。


 生きてた——そう唇が動き、嗚咽が漏れる。身体の周囲を取り巻く嵐が動揺を表すかのように乱れ、ごうごうと吹き荒れる風が彼女の黒髪を巻き上げた。



「ほんの少し見ない間に、えらくイメージチェンジしたものだな」



 エルディアの漆黒に染まった姿を見たロイゼルドがふうっと溜息をついた。



「俺がわかるか?ルディ」



 彼女に向かって一歩進むごとに、風が拒絶するようにピシピシと音を立てる。



「危ない……から、来ない……で」



 エルディアの口が震えながら小さな声を紡ぐ。



「止められ……ない……の」



 赤い瞳が涙をたたえ、瞬きと共に透明な雫が流れ落ちた。キラキラと生気を取り戻した顔が、身体の内から迫り上がる黒い魔力を抑えようと苦痛の表情を浮かべる。



「ロイ……」



 近づこうとするロイゼルドから逃れるように数歩後退あとじさる。制御出来ない強大な魔力が、彼を傷つけようと吹き荒れていた。



「ルディ」



 ロイゼルドは追いかける様に更に彼女に近付いて行く。

 かまいたちの刃がロイゼルドの行く手を遮るようにぶつかっていた。だが、それらは彼の衣服にも届かぬうちに弾かれていく。



「こちらへおいで」



 扉の側まで追い詰められたエルディアの手首をとり、ロイゼルドは自分の方へ引き寄せた。全てを切り裂く風を纏う少女は、彼の腕の中に抱かれて固く身をすくめる。



「もう、大丈夫だ」



 そう言って白い額に口付けた。

 徐々に嵐が弱まり、風がだんだんと渦を緩めてゆく。まるで彼の中に吸い込まれていくかの様に、荒々しく吹きすさんでいた魔力が消えて行く。



「ロイ……ロイ……っ」



 エルディアはロイゼルドの服にしがみついて泣いていた。黒く染まっていた髪が、根本から洗い流されたように黄金の輝きを取り戻す。

 ロイゼルドは足元に転がっているものを見て、納得したように息を吐いた。



「なるほどな。奴に俺が死んだと言われたのか」



 人間の腕が転がっている。

 これは、紛れもなく自分のものだ。


 フェンがエルディアを抱くロイゼルドの左手を見て驚いた。



「その手はどうしたんだ」



 左腕の肘から先がない。



「気にするな」



 ロイゼルドは右手で色の戻ったエルディアの髪を撫で、なんでもないかのように答えた。






 数刻前、終焉の神の放った衝撃波の直撃を受けた。押しつぶされる様な痛みと呼吸も出来ない圧迫感に意識が薄れ、正直死んだと思った。


 目覚めた時、血塗れのヴェーラが自分を覗き込んでいた。



「主、すまぬ。腕が無くなった」



 左手の感覚がおかしいと思ったら、肘から先が無かった。エルフェルムに止血はしてもらったが、治癒魔法では欠損した部位の再生までは出来なかった。

 仕方がないと首を振ると、ヴェーラは神獣達が漆黒の神を追って神殿へ入ったことを伝えた。


 周りではまだ多くの兵士達が呻き、アーヴァインとエルフェルムの他、多数の魔術師達が走り回っている。動ける者の方が少ない様に見えた。


 立ち上がり行こうとする自分を呼び止め、ヴェーラが手を取る。

 彼女の姿もボロボロで深い傷を負っており、妖艶な美しさは損なわれてはいなかったが、とても戦える様な状態ではない。


 多分、あの神の攻撃から自分と兵士達の命を守ったせいだろう。あの全てを塵と化す様な強大な魔力から、よく守りきれたものだと感心する。守護は得意と言っていたのは伊達ではなかったようだ。



「主よ、力を欲せよ。わらわの力を」



 漆黒の瞳がロイゼルドを見据える。



「わらわはついて行ってやれぬ。魔力を消耗しすぎた。行ってもこの状態では足手まといじゃ。主を守る為には契約を完了するしかない」


「俺は魔術に疎い。ただの人間だ。お前の魔力を貰っても使えんばかりか暴走させるかもしれん」



 ヴェーラはハッと馬鹿にする様に鼻で笑った。



「わらわをあの馬鹿狼と同じゅうするでない。人の身の加減くらい出来るわ。何もせぬともわらわの力は主を守る。使いたい時もただ念じるだけで良い」


「本当だな?」


「ああ、それに……」



 ふいと神殿の方を見る。

 遠くでガラガラと建物の壊れる音がした。



「風の音がする。スコルが堕ちた時の様に」



 フェンか、もしくは彼女が終焉の神の手に堕ちた可能性がある。

 そう言って、ヴェーラはロイゼルドの頬に手を触れた。流れる赤い血が頬から首へと滴り落ちる。



「わらわはヴェズルフェルニル、『風を打ち消す者』じゃ」



 ヴェズルフェルニルの名が意味する力は、かつてフェンリルが狂い全てを切り裂く風を放ち世界を駆けた時にも使われた。



「わらわの祝福はフェンリルの魔法を打ち消し無効化する。可愛い女神の暴走も防げるだろう」



 そう言って、ヴェーラは自分の主に契約の刻印を刻んだ。

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