第113話 神の下僕

 渦巻く風が全てのものをなぎ倒さんと神殿の中を吹き抜ける。エルディアはその中心で膝をついたまま、自分に向けて差し伸べられた手を見ていた。



「ルディ!」



 呼びかけるフェンの声は風の吹き荒ぶ音にかき消されて届かない。



「さあ、立て。そして、邪魔者達を片付けろ」



 そろそろと白い指が伸びる。フッと笑った神の手が、彼女の手を掴み引き上げた。


 轟音と共に神殿の天井が大きく吹き飛ぶ。壁の残骸が風に巻き込まれてガラガラと音を立てる。


 風に乱れる黒髪の間から赤い瞳が神獣達に向けられた。人形の様に冷たい顔、青ざめた頬と赤い唇は引き結ばれ、そこにはなんの感情も見えない。



「ルディ!しっかりして、そいつは敵だ!」



 フェンの必死の呼び掛けにも、エルディアは何も聞こえていないかの様に手を挙げる。彼女の周囲を取り巻く風が更に勢いを増し、差し上げられた手に集約し圧力を増す。

 その手がすっと向けられ、激しい風の波と共に鋭い刃が神獣達を襲った。



「!」



 アルファーディの張った結界が軋みながら風を跳ね返す。

 だが、耐えきれずにポロポロと綻ぶ結界の隙間から通り抜けた風が、幾筋か彼等の服を切り裂いた。


 黒い神が残酷な笑みをその顔に浮かべる。



「いい子だ。そのまま切り刻んでしまえ」


「…………」



 言われるがままにエルディアは自身の魔力を放出する。光る真空の刃が神獣達に向けて幾つも飛んでくる。

 アルファーディの結界が氷の割れる様な音と共に砕け、鋭利な刃が彼等を襲った。



「スコル、あれは本当に人間なのか?」



 風の攻撃を避けながら、金獅子の神獣レオがフェンに問う。



「人の身で持ち得る魔力ではないな」



 炎で作られた剣で風の刃を払い、赤鷲の神獣ニンギルスがヒュウと口笛を吹いた。



「そなたと契約しているといっても、精霊王アルファーディの結界を破るなど尋常ではない」



 漆黒の竜の神獣ヘイロンも低く唸る。

 冷静を装ってはいるが、皆驚きを隠せずにいた。


 アルファーディはごくりと喉を鳴らし、低く呪文を唱えて精霊を呼び風の攻撃に備える。



「終焉の神の力を与えられているのでしょう。かつてスコルが魔獣になった時も、同じ様に神をもしのぐ魔力を注がれ狂い暴れたと聞いています」



 動揺する神獣達を一瞥して、終焉の神は傍らに立つ少女に満足げな笑みを向けた。



「私は女神を起こしてこよう」



 歌う様にそう告げて、上機嫌で神はエルディアに背を向ける。彼の行先には地下へと続く扉があった。

 ふと思い出した様に振り返り、優しくエルディアに声を掛ける。



「奴等を片付けたら、外へ出て暴れておいで。全部、壊していい」



 フェンが髪を逆立てて怒鳴った。



「ふざけるな!ルディに何をさせるつもりだ!」



 黒衣の神は何も言わずにフェンリルに赤い眼を細めて見せる。嘲笑うかのように唇が弧を描いた。漆黒の神が扉に手をかけ、ギギッと開く。


 追い縋ろうと駆け寄る神獣達の前に、エルディアが割って入った。感情のない目が五人を見据える。彼女の纏う嵐が、扉へ向かおうとする彼等を吹き留め、刃となって彼等を襲った。


 フェンリルに風の攻撃は効かないはず。なのに、エルディアの刃がフェンの腕を頬を掠め傷つける。闇の魔力がエルディアの魔法を別のものに変質させている。

 それでもフェンはエルディアに近づこうと、風をかき分けて進み叫んだ。



「ルディ!僕がわからないの?」



 エルディアの赤い瞳が僅かに揺らぐ。



「どうする、スコル。早くしないと世界が終わる」


「ダメだ。ルディを傷つける事は許さない!」


「馬鹿!お前の主人はもう敵の下僕だ」


「それでも!僕はルディを守ると誓った」



 二度と主に牙を向けないと自分に魔法を掛けた。



「ルディを攻撃するなら、僕はお前達を倒す」



 ギラリと目を光らせてフェンはそう言い切る。

 レオがチッと舌打ちをした。

 アルファーディがフェンを宥める様に言い聞かせる。



「エルディア姫は今はあの神の支配下にあります。このままでは彼女は世界を滅ぼす駒にされてしまう。それは彼女の本意とするものではありません。それは、貴方が一番わかっているはずです」



 かつて終焉の神におとしいれられ、神々と戦ったフェンリルならば。



「それに、あの力も人の身には余るもの。魔力を使い続ければ、どの道彼女の身体がもたないでしょう」


「じゃあどうすればいいって言うんだ!」



 フェンが怒りを抑えられずに叫んだ。

 このままエルディアが終焉の神の言うとおりに滅びの手伝いをしたならば、きっと彼女は何故自分を殺さなかったのかとなじるだろう。


 アルファーディの言わんとすることはわかっている。だが、それでも自分は彼女を殺すことは出来ない。

 フェンは悔しさで滲む視界を拭った。女神もまた、こんな気持ちを味わったのだろうか。自分が黒銀の獣に変化して、世界を混乱に落とした時に。



「そなたには悪いが、もう時間がない」



 ヘイロンが静かに言った。

 彼の黒髪が水のしぶきを纏う。



「そうだな」



 レオの身体の周囲に雷電がパリパリと走った。



「ニンギルス、その馬鹿狼を抑えておけ」


「…………」



 レオに言われたニンギルスが、二人に向かって飛びかかろうとするフェンを羽交い締めにした。舐めるように身体を包む炎が、フェンの魔力を封じている。



「やめろ!」



 渦巻く水の鞭と雷電の鎖がエルディアに向けて放たれる。それらがエルディアに巻き付きバチバチと音を立てて拘束する。

 しかし、彼女は平然と風で切り裂き霧散させた。


 その間に放たれた魔法の槍が幾つもエルディアに向かって飛ぶ。



「ルディ!避けて!」



 フェンの悲鳴が神殿の壊れた天井を抜け、濁った灰色の空へ響いた。

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