第112話 絶望と呪い

「アルファーディ様、私はもう行きます!」


「待ちなさい!」



 止めるアルファーディの手を振り払い、エルディアは光の中心へ向かって走った。

 あの腕輪に掛けられた足止めの魔法が一体どんなものだったのか、エルディアは聞かされていない。しかし、そう長くは持たない、そんな気がする。


 自分が行ったところで同じことかもしれない。でも、待っているわけにはいかなかった。



 以前通った白い大理石の廊下を走り、女神の眠る扉に向かう。白い光は徐々に薄れ、エルディアが到着する頃には、ほのかに光の粒が周囲に漂っていた。


 黒髪の背の高い男が一人、扉の前に佇んでいる。少し俯いたその横顔は、人形のように整った冷たい美貌をしていた。


 消えかかる光の中で、彼はほうと息を吐いた。そのどことなく人間的な表情を見て、エルディアは立ち止まる。

 彼が手首にもう片方の手をやると、腕輪の魔石がカチリと音を立てて割れた。



(あれが神?)


 まるで人間みたいだ。

 そう思いながらエルディアは男を見つめる。彼は視線に気が付き、ふいとこちらへ顔を向けた。


 赤い瞳と緑の瞳が真っ直ぐに見つめ合う。怪訝そうに赤い目が細められた。



「レイリィ?」



 誰かと勘違いしているようだった。男の手から腕輪が落ちて、床の上でカチャンと壊れる。その音に我に返ったエルディアは、男に向けて声を張り上げた。



「その扉から離れろ!」



 男はその場を動かず、ただ首を傾げた。しばしエルディアを見つめて、そして、ああ、と小さく頷いた。



「女神の血を引いているのだな」



 忌々しい……そう低く呟く声が聞こえる。



「ほう、フェンリルの加護も受けているのか」



 興味深そうにまじまじとエルディアを見つめ、そして不思議そうに首を傾げて言った。



「どうして邪魔をしようとする。外にいた人間達といい、無駄な事とわからぬのか?」



 外、と聞いてエルディアはハッとする。



「みんなは……お前が騎士達を!」


「行手を塞ぐので払っただけだ」



 答える男の声は冷淡だ。エルディアはゾッと背が冷たくなるのを感じた。

 皆がこの神が神殿に入ろうとするのを阻止しようとしたはず。


 犠牲者が多数。アーヴァインでないと治療出来ないほどの怪我人。


 アルファーディが言った言葉が頭によみがえる。


————彼は、無事なのか。



「皆を殺したのか?」


「さあ。確認はしていない」



 エルディアの額から汗が一筋流れた。



「指揮官は?」



 ロイゼルドが無事ならば、この男を追ってここに駆けつけるだろう。

 だが、まだ彼はここには来ていない。


 一体外はどうなっているのか。



「ふむ……どうやらヴェズルフェルニルを連れていた男、そなたと深い間柄だったようだな」



 エルディアの表情を読み取ったのか、終焉の神は皮肉な笑みを浮かべて言った。



「すまぬな。邪魔をするので吹き飛ばしてしまった」


「!」



 カッと目の前が白くなる。気づけば腰の剣を抜き、目の前の男に斬りかかっていた。斬りつけた剣は、彼の額に触れる事なく砕け散る。

 反動でよろけたエルディアの腕を、男はがっしりと握った。



「楽しい事を思いついた」



 そう言って、もう片方の手でエルディアの顎をとらえる。



「本当に嫌になるほど似ている」


「何が……」



 覗き込む深紅の瞳を睨み返したエルディアは、急にぐらりと眩暈がした。

 頭がくらくらする。立っていられなくなり、不本意ながら男の袖に縋りついてなんとか身体を支えた。何か魔術を掛けられたのか。



 目の焦点が揺れるエルディアの顔を見つめて、終焉の神はニヤリと笑った。空中に円を描き、手を突っ込む。次元の異なる空間から彼は何かを引きずり出した。



「これがお前の恋人だ」



 切断された腕。肘から先の部分だ。



「他は惜しくも消してしまったようだ。だが、わかるだろう?愛しい者の身体の一部だ」



 エルディアは男の袖から手をはなして、ふらふらと歩く。

 眩暈がひどくて目が良く見えない。床に跪き、放られた腕を手に取る。



「嘘だ……」



 彼が死んだなんて、絶対に信じない。



「嘘だ、嘘だ、嘘だ!!」




 エルディアを冷たく見下ろしていた男が、僅かに眉をひそめた。視線がエルディアの背後に向けられている。


 パタパタと足音がして、人影が数人現れた。



「ルディ!間に合った」



 人の姿になったフェンがエルディアに駆け寄り、守るように腕の中へ抱き込む。そして飛び退るようにして前方の神から距離をあけると、その顔をキッと睨みつけた。


 背後にアルファーディの他、三人の男達も来ていた。人間の姿をしているが、きっと神獣達に違いない。彼等は漆黒の神をとり囲むように立った。



「邪魔な奴等だ」


「お前こそ、この世界にとっては邪魔者だ」



 フェンがグルルと喉を鳴らして男を威嚇する。神は可笑しそうにクククと笑った。



「かつて世界を滅ぼしかけた獣が何を言う」


「お前が僕を騙したんだろう!」


「お陰で面白い魔物がたくさん創り出せた。一部しか呼べなかったのが残念だが」



 女神が目覚めれば見せてやろう。

 そう言って、エルディアを見る。



「そろそろ呪いが馴染んだだろう」


「なんだって?」



 不審げに顔を曇らせるフェンの腕の中で、小さな風が吹き始めた。くるくると渦巻いて金色の髪を巻き上げ乱す。



「ルディ、どうしたの?」



 呼び掛けに答えない主の顔を覗き込み、フェンが更に声を掛ける。



「ルディ?」




 風が徐々に激しさを増していく。


 絶望が心を占める。

 心が壊れる。


 エルディアの叫びを代弁するかのように、嵐のように風が吹き荒れ渦を巻く。



「ルディ!どうしたの?落ち着いて!」



 フェンがエルディアの身体を抱きしめる。

 しかし、風の中に織り込まれた鋭いかまいたちの刃が、彼の身体を切りつけていく。



「ルディ!」


「フェン、危ない!一度離れて!」



 急いで結界を張ったアルファーディの警告に、フェンは首を横に振る。赤い髪の神獣の化身がフェンの腕を引き、エルディアから引き剥がした。



 渦巻く風の中心で、エルディアは声にならない叫びをあげた。


 金の髪がじわじわと漆黒に染まる。顔を覆う両手がおろされ、閉ざされていたエメラルドの瞳が再び開かれた。緑のはずのその瞳は、血の様な赤色に変化していた。



 絶望が身体を支配する。

 エルディアの意識は消えていた。

 終焉の神が冷酷な微笑みを浮かべて手を差し伸べる。



「さあ、綺麗に変化した。女神の血を引く娘よ。共にこの世界に終わりを与え、新たな世界の始まりを告げよ」

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