第111話 扉の罠

 終焉の神が神殿に入り込んでいる。アルファーディの言葉にエルディアは顔色を変えた。



「女神の間へ!」



 身をひるがえして駆け出そうとするエルディアの腕を、白い手が掴みとどめる。女性のような優美な姿に似合わず、異国の神官の力は強かった。



「お待ちなさい。神獣達と合流しないと危険です。もうそろそろ彼等が勝利している頃……」



 そう言った彼は何故か言葉を失い固まった。



「どうした?アルファ」



 アーヴァインが青ざめた師の表情を見て、何事かを察知する。



「何が視えたんだ?」


「アーヴァイン、外に犠牲者が多数出ています。貴方でないと救えない重傷者ばかり。早く行って、そして神獣達を中へ寄越してください」



 精霊を操るこの美貌の神官は、彼等の目を通して外で何が起こっているのか視えているのだろう。アルファーディは外へ向かう扉の方向を指し示す。



「急いで。治療者が足りません」



 その言葉にアーヴァインは踵を返して走った。

 治癒魔法を持たぬ自分は彼に任せるしかない。エルディアは揺れる黒髪が遠ざかるのを見送り、掴まれたままの手を引っ張る。



「手を離して」


「エルディア姫、女神の間に続く扉にアーヴァインが仕掛けをしたと聞いています。それが少しは足止めしてくれるはず。従獣達を待って。かの神は人の手には余る存在です」



 仕掛けとはアーヴァインが作った腕輪のようなものの事だろうか。

 苛立ちをつのらせたエルディアがアルファーディを見つめた時、神殿の床がぐらりと揺れるのを感じた。



「地震?」



 薄暗い神殿の広間を廊下の奥から強い光が照らし、夏の昼間のように明るく輝かせる。

 アルファーディは光の先を見据えて静かに言った。



「かの神が扉に到達したようです」





     **********





 道を塞ぐ邪魔な者達を一掃した漆黒の神は、神殿の中へと歩を進めた。

 自らの対となる神の創りしこの世界から自分を弾き出した女神。彼女が眠る場所は既にわかっていた。


 神をも遮る結界、それを維持する事は女神にも難しい。彼女は自らの力の全てを結界の維持に費やす為に、自身の身体を封印し永遠の眠りについた。

 結界を壊すには、彼女を目覚めさせるだけで良い。彼女が執着するこの世界を、目の前で壊してやろう。



 自分を召喚した王はもういない。彼は魔術師達をかき集め、彼等を贄として高位の神を召喚した。

 王の望みは大陸の覇王となる事。


 残る二国を征服する為に、自分はまず大神殿の破壊を望んだ。さすれば大陸は魔物の満ちる大地に変じる。制覇するのも容易なこと。


 だが、王はそれを拒否した。

 贄が増えることを恐れたか。それとも魔物を制御できなくなることを危ぶんだのか。あるいは、世界を終わらせんとする自分に気付いたのか。



 ためらうくらいなら初めから召喚などせねば良かったのだ。大陸の王になるなどとくだらぬ欲をもつ王は、要らぬ戦いを挑んだ。いずれ無くなる世界だというのに。


 愚かな人間は自分の思惑通り、大国の皇帝の手によって命を絶たれた。契約は履行されずに破棄された。

 これで我が身を縛るものはなくなった。



 神聖なる神殿の廊下を真っ直ぐ女神の気配をたどって歩く。ちょうど神殿の中央付近で、一枚の扉を見つけた。


 ここだ。


 いつか感じた、ほのかなざわめきが胸の中に生まれる。長くまみえていない、あの美しいエメラルドの瞳の女神がこの下に眠っている。



「アイレイリア……」



 かつてのように名を呼び、そして扉に手を掛ける。



「!」



 バチン!


 鈍い金属のはぜる音がして、男の手首に何かが巻きついた。


(罠……いや、腕輪?)


 害はないようだ。だが、一体何の意味があるのか。

 一瞬考えた時、ぐらりと大地が揺れ、腕輪に嵌め込まれた乳白色の石が眩むような光を発した。光は神殿中を飲み込むほどの強さで輝き、彼の周囲を真白に包み込む。




 光に飲み込まれた彼の周囲に、見た事のある映像が映し出された。



 緑茂る森の中で、白い狼と戯れる女性。彼女の足もとには何匹もの森の獣達が集まっている。蜜色のゆるくうねる巻毛に、緑色の瞳。透き通る白い白磁の肌を泥で少し汚して、集まってくる動物達を腕に抱きくすくすと笑い声をあげていた。

 地味な衣服を身につけ目立たぬように姿を変えているが、その美しい魂の輝きは隠しきれぬ。人間ひとに似せてはいるが、これは太陽の女神。


 ふと足音に気づいてこちらを振り返り、そして自分を見付けると彼女は花がほころぶように笑顔を見せた。



『ロキ!』



 いつのまにか自分も姿を変えていた。

 赤い瞳は水色に、衣服も人間の平民のものに。



『レイリィ』



 名を呼ぶと、彼女は自分にむかって走って来る。



『来てくれたのね』



 そう言って、彼女は首に手を回して抱きついてきた。

 彼女の背に手を回し、その華奢な身体を抱き締める。髪に鼻を埋めると、ほのかに百合の花の香りがした。

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