第110話 魔物と神
王都からの援軍は鷲獅子騎士団に合流し、傷ついた彼等に代わり神殿を守る様に展開する。怪我を負った者達の治療が、奥へ運ばれ急ぎ行われてゆく。
だが、敵の攻撃を防ぐべく構えた騎士達は、目の前で繰り広げられる光景に息をのみ立ち尽くしていた。
「こんな戦いは見た事がない」
「ああ………」
神獣達はそれぞれに魔物を攻撃し、徐々に制圧しつつある。強い魔力を持つ彼等は、猛り狂う魔物の命を冷静に削り、不死の身体に消えぬ傷を刻んでいる。
どちらが優位かは火を見るよりも明らかだった。
ニンギルスの脚が一匹の犬の頭を
残る頭が狂った様に泡を吹きもがき苦しむ。その暴れる頭を
空を舞い黒い鱗を煌めかせたヘイロンの爪が閃き、雄牛の角を折り飛ばす。
攻撃の武器をへし折られた雄牛に、竜は更に尾を巻きつけ締め上げた。雄牛の全身がメキメキと音をたてて歪む。
その横で
硬い鱗を食い破られた蜥蜴が、翼を羽ばたかせて上空へ逃れようともがく。それを太い前脚の爪でがっしりと捕らえ、獅子は唸りをあげて食らいつき引き裂いた。
そして、戦いの中で消耗し再生出来なくなってきていた虎の喉笛に、フェンリルが食らいつく。
既に背の翼はもぎ取られ逃れられぬ。狼はガチガチと牙を鳴らし、その硬い骨を砕き噛み切った。
もう間もなく勝負は決するだろう。
援軍を率いて来た金獅子騎士団のレインスレンドとべレザーディが、ロイゼルドのもとへ馬を進める。
「ロイ、魔物はこいつらで全部か?」
べレザーディの言葉にロイゼルドは頷く。
「魔物はな」
「魔物は?」
レインスレンドが聞き咎める。
「他に何がいる?」
「あいつらを連れて来た主人がいる。そいつが黒幕だ」
上を見上げ空を舞う鷹を呼んだ。
「ヴェーラ!」
鷹が赤い羽を羽ばたかせて舞い降りてくる。
「ヴェーラ、炎を放った奴は何処かわかったか?」
天空より巨大な炎を落とした人影の主、その姿が見えない。
「キュウ」
彼の肩にとまった鷹が首を回して小さく鳴く。
ヴェーラに行方を追わせていた。だがわからないとは、一体どこへ行ったのか。
「キュイ!」
鷹が鋭く声を上げる。その視線は神殿へ向けられていた。
神殿を振り返った彼の背後で、ざわっと騎士達が息をのむ気配がした。
「あれは………」
神殿の尖塔の屋根の上に黒衣の人間が立っている。その人物は魔物達が倒されるのを、腕を組んでじっと見ていた。魔物は神獣によって傷つき倒されていく。その首が狩られ息絶えてゆくのを彼は無表情で見ていた。
そして、興味を失った様に顔をフイとそむけると、彼は神殿の裏門の前にスタンと飛び降りた。
尖塔の上から地上まではかなりの高さだ。普通の人間ならば飛び降りて無傷でいる事などありえない。しかし彼は何事も無かったかのように、スタスタと神殿へ向かって歩きだした。
「待て!」
騎士達がバラバラとその謎の人物に向かって走り寄る。
この得体の知れない男は一体何者なのか。
「お前は何者だ?」
男を取り囲む騎士達をかき分け、ロイゼルドが向き合う。
男の周囲には暗い冷気が漂っていた。彼の身に纏う空気は、生き物の気配ではない。人の姿をしてはいるものの決して人ではない、恐ろしい力を内包した存在である事がピリピリと肌に伝わる。
背の高い人形のように美しい顔は何の感情もうつしていない。ただ目の前をふさぐ人間達を、無機質な表情で見つめる。
「お前がトルポント王国に召喚された者なのか?」
男は答えない。
「終焉の………神?」
ロイゼルドの言葉が発せられた時、初めて男の顔に冷たい笑みが浮かんだ。黒い衣が風にひるがえり、赤い瞳が人間達を見据える。
頷いたわけではない。だが、その変化が肯定を意味する事はわかった。
剣を構える手にじわりと汗が滲む。
「女神には近づけさせぬ」
たとえ相手が神であろうとも。
行く手を阻む騎士達の耳に、ハッと息を吐く小さな音が聞こえた。
漆黒の髪がふわりとなびく。切れ長の美しい目が細められ、そしてその形の良い唇が何かをつぶやいた。
————邪魔だ。
唇の動きからそう言ったのが見えた。
次の瞬間、ロイゼルドの身体はもの凄い力で吹き飛ばされていた。
「グッ…………!」
おそらく彼はほんの少しの苛立ちをその手に込めた。虫を払う程の感覚で。だが神の力は想像を絶するものだった。
四肢を引き千切られる様な痛みと、肺の中の空気が全て押し出される程の圧迫感がロイゼルドを襲う。切り刻まれるような激しい痛みが全身を襲い、呼吸をすることすら出来ない程の衝撃に声も出ない。
(ルディ…………)
白く霞む意識の中、ロイゼルドの脳裏に愛しい少女の姿がうかんだ。
目の前に鷹の赤い羽が散り、ロイゼルドの視界を埋める。
そして全てが暗闇の中に消えた。
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