第三話(全五話)

 においを追いかけるのは、糸をたぐり寄せる行為に少し似ている。微かな、しかし、はっきりと残るそれを頼りに、少しずつ目標に近づいていくのだ。

 高級ブランドの香水の残り香を追って、私は廊下を歩く。お弁当のにおいが転校生に続く道を阻んでいるけど、この程度なら問題ない。

 平日の朝八時の新宿駅を進むように、邪魔なにおいを避けながら、彼女を追いかける。


 彼女のにおいは、階段に近づくほど強くなった。

 ははん。さては、階段を使ったな?

 においは上階に続いている。

 私は階段を一歩、また一歩と上がっていった。


 この学校はわりと珍しい五階建ての建物だ。階段を上り切る頃には、私の息はあがっていた。

 おかしいな、と首を捻る。

 ここはすでに五階、これ以上は上に行けないはず。なのに、においはさらに上に続いている。

 この先にあるのは、立入禁止で誰も入れない屋上だけだ。まさか、封鎖された扉の先に、彼女はいるのだろうか?

 どうやって侵入した? たとえ独りになるのに絶好の場所だとしても、教師に見つかったらこっ酷く怒られるだろうに。理由は本当にそれだけか? いったい、どういうことだろう?

 疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。


 このままでは昼休みが終わってしまう。答えは直接会って、本人に聞けばいい。


 私は、彼女のにおいが色濃く残っているドアノブを見た。そこだけ、不自然に埃が無くなっている。

 当たりだ。

 私は躊躇いなくドアノブを捻って、扉を開けた。


 びゅう、と生温くて湿った風が、私の体を撫でた。


 さ、て、と。彼女とご対面だ。


 風化して色褪せた屋上の大地に彼女が立っている。

 赤錆だらけの手すりで制服が汚れてしまうのもお構いなしに、そこに寄りかかって、ぽかんと口を開けて空を見上げている。曇り空なんか見つめて、なにが楽しいんだろう?

 ただ、その恰好がすごく様になっている。まるで、美術の授業で見たことのある、なんとかっていう絵画から抜け出したみたいな。でも、風に揺れる髪の毛と、時々まばたきする瞳が、彼女が三次元の住人で生きた人間であることを裏付けていた。


 うっわ。マジで美人。

 私は、食い入るように彼女を見つめていた。


「……え? わっ、こんにちは?」

「あ、ごめんね? こんちわ」

 彼女は私の存在に気がつくと、戸惑いながらも挨拶をしてくれた。

「えーっと、先生からの呼び出しですか?」

 諦めたような顔で、彼女が切り出した。どうやら、屋上に出入りしていたのがバレたと勘違いしているようだ。

「ううん。そんなんじゃないよ。ほら、休み明けにな~んか適当に話とかできたらな~って思ってて。そういうこと、誰か言ってなかった?」

「あー! ――――さんが言ってた! ――さんですよね? よかった! 私もあなたとお話ししたいな、って言ってたんですよー! 最近いなくなってて心配していたんです、どうしたんですか?」

 え、そうなの? なんか話したくなるような要素って私にあったっけ? と困惑しながらも、会話を続ける。

「ちょっとね。インフルだった」

「うわ、大変ですね。もう大丈夫なんですか?」

「うん。隣いい?」

「いいですよ! どうぞ、どうぞ!」

 そう言うと、彼女はにっこりと微笑んで、隣にちょっとずれてくれた。


 これ、男子が見たら血涙を流しそうだな……なんて、ちょっぴり優越感に浸りながら、私は彼女の隣に立った。

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