第四話(全五話)
「――さん、わたしの苦しみを聞いてもらえますか?」
「お! 私でよければ。どうぞ」
「暗くて、嫌な話ですよ? それでも、いいですか?」
「どんと来いって! ……あ、聞くだけになるかもしれないけど、そこは許してね?」
「それで十分すぎるくらいです」
こんな美人さんでも人生に苦労しているんだな、なんてちょっぴり感心しながら、私は快く承諾した。
「……わたし、好きな娘がいたんです。でも、振られちゃいました。その娘にはできたばかりの彼氏がいて、あと、わたしのことを恋愛の対象としてみることができないって言われて」
あ、やっぱり恋愛関係なんだ。べつに、私も誰かと付き合ったことはないから、偉そうなことは言えないけど、これなら大事な話にはならないだろう。
よかった、よかった、と私は安堵した。
彼女は話を続ける。
「自分で言うと自慢になっちゃうけど、自覚はあるんではっきりと言います。わたしは顔が良いからすごくモテるんです。ここに足を運ぶようになった理由のひとつが、男子にしつこく絡まれて、もううんざりだったから。
わたし、誰とも付き合ったことはないけど、誰かに振られたこともなかったんです。自分から動かなくても勝手に告白されるから、選ぶ立場の余裕というか、恋愛って返事を断るか受け入れるかの作業って感じでした。
そんなだから、その娘とはもう絶対に付き合うぞって決めていて、ずっと付き合った後のことばかり考えていたんです。これだけモテるんだから、断られるなんてありえないって、そう高を括って告白したんです。そうしたら、断られました。
それが生まれて初めての本気の恋愛で、しかも、失恋だったんです。わたし、現実を受け入れられませんでした。断られたこともショックだったし、その娘ともう一生交わることはないのかもって思いたくなかったし、その娘が彼氏とデートするって考えたくなかったし、いつか結婚して子どもが産まれるかもなんて吐きそうになりました……というか、何度も吐いて、泣きました。あまりにも辛くて、苦しくて、もう耐えられなくなっちゃって。
だから、わたし、その娘のことをストーキングしまくったんです。……当時は、自分がストーカーだなんて自覚はありませんでした。
初めはSNSを監視して、それから放課後は尾行して行動を探って、名前を伏せて手紙を書いて送って、こっそり盗撮していつも見ていることをアピールして、相談に乗るふりをして次の行動を誘導させて、彼氏の悪い噂を捏造してばら撒いて、私物を盗んで、勝手に出会い系サイトに登録して変な人を付きまとわせて、……とか色々と破天荒なことをやらかしちゃいました。
そういうことばっかりしていたら、ある日、全部バレちゃいました。警察の人が来たんです。たくさん、それはもうたくさんお叱りを受けて、わたしはその娘に、本当に一生接触することができなくなっちゃいました。次になにかしたら、わたしは逮捕されると思います。
……それで、その娘はどうなったと思います?」
私はなにも答えられない。言葉を失っている。
彼女の話を聞いていくうちに、どんどん自分の表情が失われていくのを自覚した。
困惑から、怒り、嫌悪、そして恐怖へと感情が移り変わっていく。ここから走って、逃げ出してしまいたかった。
黙っている私を置き去りにして、彼女は話を再開する。
「壊れちゃいました。その娘の両親が警察に伝えたことなので、又聞きの又聞きになりますね。同年代の誰とも話せなくなっちゃって、家族とすらも上手くコミュニケーション取れなくなっちゃって、学校にも行けなくなっちゃって、外に出ることもできなくなっちゃって。中学校を卒業してから今まで、ずーっと引きこもっているそうです。これがお前の望んだことか、娘を虐めて満足かって、そう泣きながら、怒りながら、言ったらしいです。わたし、そんなこと望んでいませんでした。一緒に幸せになりたかっただけなんです。わたしも警察の人の前で泣きました。
そのとき、わたしはすごく悪いことをしたんだって自覚して、楽しかったあの頃に、全部無かったことにして、戻りたいなって、心から願いました。そんなこと、神様は許してくれませんよね、わかってます。
わたしは改めて、警察の人に、もう二度とあの娘にかかわりません、これ以上はあの娘を追い詰めません、って誓いました。それにどれほどの意味があったのかはわかりません。ただの自己満足かもしれません。ただ、そのときに、心の底から誓ったのは事実です。
それが、わたしの犯した罪でした。でも――」
そこで、彼女はいったん言葉を切ると、肺に残っていた空気を全て吐き出して、それから、肺がパンパンに膨らむまで、空気を吸った。
そして、思いっきり、言葉が曇天を貫いて、太陽が顔を見せるのではないかと思わせるほどの大声で、彼女は叫んだ。
「スカッとしたなぁぁぁーーーーー!!!!!」
曇りひとつない笑顔で彼女が言う。
「最初は悲しかったんですけどね? だんだんムカついてきたんですよ。それで、振られた悲しみよりも、拒絶された怒りのほうが大きくなっちゃって。途中から、こいつ死なないかなーとか、彼氏にボコボコに殴られて地獄を見ないかなーとか思いながら、ストーキングしていました。あ、今の内緒でお願いします。それで、あの娘がストレスでおかしくなっちゃったって聞いたとき、内心、やったー! ってガッツポーズしちゃいました」
彼女は、ばつが悪そうに舌をペロリと出して可愛さアピールをする。
「悪魔」
自分でも驚くくらい、底冷えする声で彼女を詰った。
こいつは悪魔だ。ひとを傷つけることを躊躇しない、ひとを傷つけるができる、ひとを傷つけて平然と立っていられる、そういう悪魔なんだ。
「わたしは人間で~す」
すっとぼけた声で言い返す彼女の横っ面を、私は感情のままに全力で引っ叩いた。
彼女は顔をおさえて、苦しそうに顔を歪ませる。私も手が痛い、じんじんする。
でも、今一番苦しんでいるのは、きっと彼女に人生を滅茶苦茶にされたその娘だ。今も立ち直れていないであろう、一生苦しみを背負っていくであろうその娘が、私たちの中で最も辛い思いをしているに違いない。
まさか、見たことも聞いたこともない完全な赤の他人の不幸話で、ここまで胸が苦しくなるとは思わなかった。怒りに身を任せていないと、私が泣きだしてしまいそうだ。
とにかく、もう話はおしまいだ。こんな女といたら、私までおかしくなる。
私は踵を返すと、出口へと向かった。
「待って!!」
彼女が叫ぶ。振り返らない、振り返っては駄目。関わるな。さっさとここから消えてしまおう。
でも、話しかけたいな~って顔をしてるよ?
なぜか今、オレンジの言葉が頭をよぎった。べつに、友人に悪気はないはずなのに、あの子の言葉が酷く気味の悪いものに感じて仕方がなかった。
「なに? 早くして」
彼女は、私の言葉、行動に希望を見出したのか、顔を綻ばせてこう言った。
「好きです。付き合ってください」
私は、限界まで目をまん丸に見開いて、少しの間硬直すると、喉が裂けそうになるほどの勢いで叫んだ。
「死ね!! 気持ち悪いんだよ!! 二度と話しかけんな!!」
好きの反対は無関心。そんな言葉を思い出した。きっと、ここで彼女を振り切って、立ち去ることができなかった時点で、私の負けは確定していたのだ。今になって思えば、それがわかる。
「断るなら、――さんの家族を刺すから!!」
私の罵声に負けじと彼女が叫んだ。
あまりにも物騒な言葉に、私は身動きが取れなくなって、考えることすらやめてしまった。
その隙を逃さなかった彼女は、体当たりをするかのように私に縋りついて、私たちは一緒に倒れてしまった。
下敷きになった私は息を詰まらせる。
彼女の両手が私の首にかけられた……え、嘘でしょ?
そのまま、ぎりぎり、と音が鳴っているんじゃないかと錯覚するほどの力で私の首を締め上げる彼女は、必死の形相で捲し立てるように言った。
その内容は、もはや意味のある言葉として私の心に届くことはなかった。
「――さんね! わたしが好きだった娘にすごく似てるの! 雰囲気とか! 髪型とか! 目とか! 鼻とか! えっと、あと色々似てる! 今度はちゃんとするから! わたし、ちゃんと反省したから! だから、断るとかなしね! 本当に刺すよ!? 絶対に刺すからね!? 警察沙汰とか慣れちゃったもん! ひとを一番悲しませる方法わかったもん! お母さん好きでしょ!? お父さん好きでしょ!? じゃあ、わたしと付き合えるよね!? それとも、このまま死んじゃう!? ねえ、断ると死んじゃうよ!? どっちにするの!? ――さん、選んで!!!」
彼女の言葉なんて、一切、私の頭に入ってこなかった。このままだと死ぬと思った私は、必死に頭を縦に振って、首にかけられた手を解放してくれるのを待っていた。
ただ言いたいことを言って満足しただけの彼女は、ようやく私が同意を示していることに気がつくと、手を放してくれた。
咳き込んで、私はその場にぐったりと横たわる。彼女も慣れない荒事で相当な体力を使ったのか、私の上に覆い被さるように倒れ込んだ。
私には、彼女を退かす体力も気力も残されていなかった。
授業開始のチャイムが鳴る。
どのみち、首につけられた痣で騒ぎになるから、授業には出ないつもりだったけど、一言、言わないと気が済まない。
「……サボり確定じゃん」
「――さん、わたしのこと、名前で呼んでみて?」
会話が噛み合ってない。こんなんじゃ付き合ったところで、到底上手くいくはずがないだろうに。
「私、ひとの名前を憶えられないから。嘘じゃなくて、本当ね。それでも刺すって言うなら、もう刺せば?」
「そこまで言わなくても、信じる。信じるから……」
彼女は肩を震わせると、啜り泣いた。泣きたいのは、私のほうだよ。
「今までずーっと溜め込んでいたことを全部吐き出しちゃって、すっごく後悔しています。だけど、やっぱり言ってよかったな、って思ったんです」
泣きながら彼女はそう言った。
「きっと、わたしたち上手くいきますよ」
「絶対にありえない。どうせ、あんたの滅茶苦茶な性格なら、速攻で飽きて他にいくでしょ」
私は、半ば願望じみた反論をした。
「……さっきのこと、警察とか先生に言いますか?」
「言ったら、報復するでしょ、あんた。私、逃げられないじゃん」
彼女の目は本気だった。本気で、たとえ自分が破滅するとわかっていても、進むことに躊躇をしない目をしていた。
良くて共倒れ、悪くて私だけが不幸になる。
自分の未来に希望が見えなくて、堪え切れなくなった私はとうとう泣きだしてしまった。
そんな私を見かねたのか、彼女は妥協条件を切り出してきた。
「……付き合うって話、まずはお試しでいいですよ。一ヶ月、それで上手くいけばもう一ヶ月、それも大丈夫ならさらに一ヶ月と続けていく。もし、途中で合わないと思ったら、別れましょう」
「あれだけ私に暴力を振るっておいて、無茶苦茶言って、なに上から目線で条件とか出してんの?」
真っ赤に腫れた目で、私は彼女を睨みつけた。
「それで駄目なら本当に諦めます。本当です。本当に。だから、お願いします」
これだけ必死に懇願されても、私の心はぴくりとも動かされない。
ねえ、ひとを殺そうとするって、ひとを傷つけるって、すっごく酷いことなんだよ? あんたが好きになった娘と、今の私、同じになっちゃったんだよ? 私、明日からもう外に出られないかもしれないんだよ? なんで、あんたの恋愛ごっこがまだ続いてんの? なんで、あんたが私との関係を仕切ってんの?
一言でも文句を発したら、そこから堰を切ったように溢れ出しそうだから、私は必死に我慢をした。
代わりに、彼女が喜びそうな言葉を紡ぐ。
「あんたの名前をもう一度教えて。一応、憶える努力をするから」
私の言葉に、彼女はここまでで一番の笑顔を見せると、その名前を口にした。
たぶん、生涯で私にひとの名前を憶えさせたのは、あなただけ。
それが悪い意味でだったとしても、トラウマから来るものだったとしても、ある意味ではあなたの勝ちだ。
彼女の名前を知りたい? いや、もう知っているはず。
私がそこに、忘れないように一番目立つところに、刻んでおいたはずだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます