第91話 ~茜の挑発~


 景色は次第に寂しくなり、田園や川が伸びる田舎の風景に変わっていく。

 更に坂になり、山の中を登っていくようだ。

 やがて着いたのは山を切り開かれて作った場所。高い塀で囲まれているにもかかわらず、瓦造りの大きな屋敷が顔を覗かせている。。

 茜達は車ごと乗り入れる事が出来る大きな門を潜り、中へ。

 

「お、お嬢さん、着きやしたぜ」


 と、先程まで女と呼んでいた弟分が呼称を変えて茜に声を掛ける。


「ん……ふぁ」


 茜は静かに目を開き、そして一つ欠伸と体を伸ばし席を離れる。その奥には三十分程、固まったままの兄貴分がまだ動くことが出来ず佇んでいたのだった。


「兄貴ィイイイイ!」


 そんな二人にしかめっ面でうるせえとスーツの男が一喝し、茜を連れて行く。

 中庭には大きな池。それを横目に無駄に長い廊下をひたすら歩かされる。

 その景色はちょっとしたもので多くの錦鯉が蠢いていた。長い廊下を作ったのはこの景色を楽しむためだろう。

 だがその景色を眺める為のお金は善良な市民から奪ったお金だとすれば笑うに笑えない。茜はちらっと見ただけでさっさと歩を進めていく。

 連れてこられたのは大宴会でも開けそうな和製の大広間。

 黒いスーツを着て髪型をかっちり固めた男達がずらりと並んで座り、奥へ続く道を作っている。というよりも茜が逃げぬように両脇を人の柵で固めているといった方がいいかもしれない。

 やはり茜が獄道組に手を出したことを知っているのだろう。その道を茜が歩く際、襲い掛かりはしないものの両端から男達の刺さるような視線が茜を襲う。

 奥にはでっぷりと肥えた初老の男が口をへの字に結んで座っていた。


「親父、連れてきました」

「御苦労」


 灰皿と湯飲みが置かれた机を挟み、灰色の袴を着た初老の男がフカフカの黒いソファーに座っている。

 それはセレナからもらったリストに載っていた顔。獄道組の組長、獄道玄だ。

 声はしわがれて低く、少し聞き取りにくい。

 そして驚いたことに娘であるジュリナがその横にいる。足を組んでふんぞり返ってニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて。

 制服を着ている為、わざわざ学校から帰って来たのだろう。


「いつまで待たせんだよ、引きこもりっ」


 とジュリナは吐き捨てるように一言。

 茜を拉致する計画を立てて結構な日数が経過した。ジュリナはこの時を待ちわびていたのだろう。

 その背後には側近とみられる男。その横にはサングラスに白いスーツで身を固めた黒髪の男。腕を組んだまま壁に背を預けている。この人物の情報も茜は手に入れている。獄道玄の息子で若頭、獄道魁人だ。

 暇なのか、それとも久々に獄道組に反抗する気骨のある人物を見に来たのか。どちらにせよ茜を組員総出で歓迎してくれるつもりなのだろう。

 黒いスーツの男は机の上に茜が持っていた青桜刀とスマコンを置いて茜の横に下がった。茜が逃げぬよう背後には幾人かの部下達が固めている。

 そして獄道組組長、玄が口を開く。


「やあ、お嬢ちゃん。何であんたさんがここに連れてこられたか、分かるかい?」

「い、いえ」


 さすがの茜もこの雰囲気に飲まれたのだろう。気丈な少女を気取りながらもヤクザに囲まれて声が上ずっている、というような一般の少女を茜は演じた。そうすれば相手は茜への警戒心が弱くなる。

 実際、玄はへの字に結んだ口を緩めて頷いて、茜の顔を確認していた。その手には茜が映っているだろう写真。玄はそれと茜を見比べて何故か眉を細めた。


「おい、髪型が変わってるが本当にこの娘っ子なんだろうな」


 玄がそんな疑問を口にする。

 茜は雪花に髪を三つ編みにしてもらっていた。それが原因で写真の少女と茜が同一人物か分からなかったのだろう。

 スーツの男が慌てて茜の髪を縛っていた両側のヘアゴムを解いて髪を解く。


「ふん、確かに」


 まだ眼鏡をかけて変装をしているが髪を解いた事で確信に変わったのだろう。それ以上は追及しない。

 玄は満足そうにソファに背を預け葉巻を咥えると傍に立っていた側近と思われる男がマッチで火をつける。

 玄は葉巻を吸って、茜に嫌がらせをするように長く吹きかけた。茜は少し顔を背けるがあまりの臭いに手で煙を仰いで遠ざける。


「ははは、怯える事はない。お嬢ちゃんが何をしたかも伝わってる。そしてお嬢ちゃんをこれからどうするかも、もう決定している」


 どうやら獄道組に手を出した茜の処分はもう決まっているようだ。

 今すぐ殺されることはないだろうがジュリナが言っていたような非人道的行為が行われるのだろう。


「あーしに舐めた真似するからこんな事になんだよ、ばーか」


 そう言ってジュリナは笑う。

 だから茜はせめてもの抵抗と今にも泣きだしそうな気丈な少女を演じる。

 

「わ、私はあなたには何もした覚えは――」

「あぁ!? あーしがせっかく楽しんでたのに、あんたやめろとか言っちゃってくれたよねぇ!?」

「だって、いじめは悪い事で――」

「あんだとてめぇ!」

「ひぃ」


 今にも泣きそうな声で抵抗する茜。

 だがその言葉はジュリナの神経を逆撫でするような言葉。

 思わず立ち上がるジュリナに、茜はびくりと体をすくませる。怯える茜を見て溜飲が下がったのかジュリナは腰を下ろす。


「ふんっ、なっさけなっ、男がいないと虚勢を張ることもできねぇの?」

「で、でも、ジュリナさんもそうじゃないですか、男達に私を誘拐させて、自分では何もできてないただの――」

「あ!?」


 涙声の茜にまたしても立ち上がるジュリナ。

 もうここまで来たらジュリナの事をつついて遊んでいるとしか思えない茜。

 実際そうなのだろう、恐怖で顔を手で覆っている様子を見せているがその下では茜は笑っていた。


「こいつぶっ殺してやる!」


 ジュリナが身を乗り出し茜に迫ろうとするがそれを玄が止める。


「まてジュリナ。それよりこの娘、実物を見るにかなりの上玉じゃねぇか」

「は? 何言ってるのパパ! 私、こいつをぶん殴らないと気が済まないんだけど!」


 玄はジュリナを片手で諫め茜を足から頭まで舐めるように見定める。


「足も細く長い……胸もある。何といってもこの美貌。これなら金持ちに高く売れそうだ。傷物にするのは勿体ない」

「えー、でもパパっ」


 ジュリナはまるで駄々をこねる幼い子供のように玄の袴を引っ張り頬を膨らませた。

 男に依存する茜を糾弾するジュリナだが男である玄に甘えている。他人には厳しく、自分には甘いを地で行くジュリナが面白いのか、茜は俯いて怖がるふりをしてまたしても笑っている。体を震わせて笑っているので背後にいる部下達には恐怖で震えているように見えている事だろう。


「まあ、そこに売れたらジュリナに殴られるよりも残酷な事が待っているさ」

「残酷って?」

「そうさなぁ、これだけ上玉ならそりゃあ生きているのが嫌になるくれぇに弄ばれて玩具にされるだろうよ。来る日も来る日も休む間もなく慰み者にされ、しまいには薬中で死ぬだろうさ」


 突如、玄はそんな恐ろしい事を言い出した。

 この親にしてこの娘有りだろう。

 その先は苦行に耐え切れず自殺か、薬物で死ぬか、誰かに殺されるか。いずれにしろ茜の人生は狂う。このままいけば。

 

「まあ、それならいいかぁ……」


 とジュリナはソファにもたれかかって諦めるように呟いた。

 それならいいかと吐き捨てるジュリナも相当に狂っているだろう。


「せっかくこんなの用意したのにさぁ」


 ジュリナは横に置いてあったであろう箱から銃を取り出した。

 それを見て茜は目を見開いた。


「ふふん、怖い? パパが貰ってきてくれんのよ。 警察に伝手があっからさぁ」

「警察……」


 その銃は女子であるジュリナの手にも大きさを感じさせない小型の銃。

 五連式のリボルバー、9ミリ。これは警官の標準装備だ。弾丸も装填されている。

 ジュリナは片手で銃を持ち、銃口を茜に向けた。


「や、止めて下さいっ」


 顔を背けて怖がるふりをする茜は可愛いが、いつでも避けれるように薄目を開けてジュリナの動向を注視している。


「ぷっ、ビビってる。マジウケるんですけど」


 ジュリナはそう言って笑うが茜の両脇や背後にいる部下は笑えないでいた。

 間違ったら自分達の方に銃弾が飛んでくるのだ。ジュリナは玄の娘ではあるがまだ女子高生。銃の扱いに慣れているとは思えない。

 実際に撃ちはしないだろうが暴発したらと思うと部下は笑うに笑えないだろう。銃口は人に向けてはいけない。


「ジュリナ、撃っては駄目だよ?」

「大丈夫よ、パパ」


 ジュリナが銃を引っ込めたところで茜が口を開いた。


「まさかアルドマン孤児院に来た警官も獄道組の息がかかってるんですか?」


 警官の標準装備である銃を持っている。そして警察の伝手があるとのジュリナの言葉。これは当然の疑問だ。

 その茜の問いにジュリナは眉間に皺を寄せる。あれだけビビらせたのによく質問出来るなと。

 ただ玄は違った。美少女と見定めた茜の問いに玄の口は軽くなる。


「あの多くの土地を占有しているだけの小汚い、忌々しい孤児院の事だね」


 玄は一つ葉巻を吸って臭い煙を吐き出した。


「わっはっは、当然だろう? もちろんお嬢ちゃんが追い出した市長とも繋がっているさ。立ち退かせてワシらが土地を買う。そこに市長が推進する桜之上市復興計画を持ち出してリゾート施設を建設する。もちろんワシらが請け負う。運営もな」


 まさに雪花が言っていた「そちも悪よのう」の構図だ。

 桜之上市には多額の補助金が出ている。それを市長が推進している復興計画にのってリゾート施設を獄道組が請け負う。潤沢な予算を使って。その内のいくらかが市長にキックバックされるのだろう。どちらにせよ多額のお金が動く。そしてお金がある所にヤクザありだ。

 

「まあ、孤児院を救うという想いは御立派だがなぁ、うちに喧嘩売ってただで済むと思ったのかい?」

「孤児院には多くの子供達がいます。あなたは何とも思わないのですか?」

「ふふ、まあそんな怖い事しなさんな、可愛い顔が台無しだよお嬢ちゃん。ワシ達はね、ただ土地を有効利用したいだけさ。ホテルを建ててリゾート地にする。観光客が押し寄せて金を落とす。そうすれば桜之上市は潤う。何故それが分からない?」


 玄の言う通り、桜之上市は潤うだろう。

 だがその影でアルドマン孤児院のように虐げられる人がいる。それを話し合いでなく暴力で解決する獄道組を茜が許せるわけがない。


「あんたも、唯って女も、もう終わったんだよばーか、諦めな」


 ここでジュリナの口から唯の名前。

 だがその名前を出されて茜は黙っているわけがない。


「お前なんかが唯を止めらるわけないだろ」

「は?」

「お前程度がいじめたって唯は折れるわけないって言ってんだよ」

「クソがっ!」


 口調を変えジュリナを睨みつける茜。

 ジュリナはすごい剣幕で目の前の机を蹴り飛ばし悪態をついて立ち上がる。

 机の上のものは全て落ちガラス製の灰皿や陶器の湯飲みの中身が全て飛び散ってしまっていた。

 

「ふざけんなよてめぇ! 撃つぞごらぁ!」


 ジュリナは片手で銃を握って、銃口を茜の顔面に向ける。

 だがそれで恐怖するのは茜ではなく部下達だった。


「お、お嬢! こっち向けないで下さいよ!」

「危ないですって!」


 茜の周囲にいた部下が銃の射線を避けるように身を屈める。

 まだ子供で女子高生のジュリナが撃つわけがない。そう考えている部下は一人もいないようだ。ジュリナが怒ったら手が付けられなくなるのだろう。背後で道を作っていた多数の獄道組の部下達も立ち上がり、何事かと様子を見ている。

 茜は先程とは打って変わって一切ひるむことなく、変装に使っていた赤縁の眼鏡を外して投げ捨てる。

 そしてジュリナを睨みつけた。


「ギャアギャア喚くな。どうせ撃てないんだろ?」

「くっ、パパ!?」


 そう言うジュリアの先には玄が。撃ってもいいかどうかの判断を玄に委ねているのだろう。

 だが眼鏡を外し、更に美人になった茜をみて組長が唸る。


「よさんかっジュリナ。これは思った以上に上玉かもしれん。傷はつけるな!」

「……ちっ、良かっじゃん、顔が良くて!」


 ジュリナは玄の言葉で銃口を忌々しく下げる。

 だがそれで茜は終わらない。可愛らしい口を開いて更に挑発を掛ける。


「良かった? それはお前だろ。人を撃つ度胸もないくせに」

「あぁ!?」

「良かったな、人殺しにならなくて」


 茜はこんな状況で首を傾げてニコリと笑う。

 それに対してジュリナは眉間に皺を刻み、鼻にもしわを寄せてくる。

 目は見開かれ、今度は衝撃に備える為か両手で銃を掴んで銃口を茜に向ける。


「もう撃つ! 絶対撃つ! 良いよねパパ!?」

「待て待て! 落ち着けジュリナ! 撃てないと分かっているから挑発してるだけさ!」

「でも!」


 そこでぱちぱちと手を叩く音。

 その音の主はもちろん茜だった。


「良く待てができたねぇ。おりこうさんだね」

「く、くそがっ」

「何だっけ、確か銃を撃たない平和な生き物がいたような?」

「あぁ!?」

「あ、オラウータンだ」


 茜はぽんと思いついたような、この場にふさわしくないとぼけた表情でジュリナを挑発する。


「撃つ……もう撃つからっ」

「待てジュリナっ、おいお前らその女の口を塞げ!」

「そうしたいのは山々なんですが……お、お嬢! その銃口向こう向けて下さいよ!」


 茜を取り押さえようにもジュリナの銃が怖く誰一人として茜を取り押さえようとはしない。


「あ、違ったかー」

「お、おい! お嬢ちゃん! もう喋るな! 魁人何とかしろ!」

「面白そうじゃねぇか、見てようぜ親父」

「んなっ」


 若頭の獄道魁人は腕を組んで笑っているだけ。


「ごめんごめん」

「今更謝っても遅いっての!」

「正確にはオランウータンだったね」


 茜はにこっと口角を上げてジュリナに微笑みかける。


「ブチ……コロスッ」

 

 ジュリナはトリガーに指をかけ、肩で息をしながら鬼の形相で茜を睨んでいる。

 手はぶるぶると震え照準が定まっていない。やはり撃ったことは無いのだろう。


「おいおいおい、いい加減にしてくれ! お嬢は気が短いんだよ!」


 茜に隠れるように背後から肩を掴んでくる獄道組の部下。もう変な事は言わないでくれと祈るが茜の口は面白いほどに形を変えて動き、音が漏れ出てくる。

 

「あれれ? どことなく」


 茜は更に首を傾げ頬に指をあてて、ジュリナの顔をよく観察するように顔を近づける。


「似てらっしゃる?」


 直後、一発の銃声が鳴り響いたのだった。

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