第92話 ~体がもたない~


 ジュリナが放った弾丸は茜を逸れ、すぐ背後で茜の肩を掴む部下へ。

 部下は涙目の瞼を閉じて、衝撃に備えるが弾丸は飛んでこない。

 代わりに目の前で何かが割れる音。

 続いて床にガラスのガラガラと破片が落ちる音。


「へ?」


 部下が恐る恐る目を開けると地面にはガラス片が散乱していた。

 それは灰皿だった。ジュリナが机を蹴って落ちたガラス製の灰皿が弾丸によって粉々に砕けていたのだ。


「な、何が?」


 訳の分からない部下の男はきょときょとと周りを見回す。

 しかし他の部下達も身を低くして様子を見ていて何が起こったか分からない様子。

 そこへ茜の声が耳に入って来る。


「危なかったねお兄さん。空中に灰皿が落ちてなかったら死んでたよ」


 と、茜は笑う。だが視線はまだ銃を握っているジュリナを見据えている。

 空中に灰皿が落ちているという言い得て妙な表現。空中に灰皿が落ちているわけがない。であればその灰皿を誰かが空中に放り投げたか何かをしなければならないのだ。そしてその横には茜がただ一人。


「ま、まさか……お嬢ちゃんが?」


 背後で口をあけて呆然としている部下が茜の横顔を見る。

 これは茜が足元に落ちてきた灰皿を蹴り上げて盾にし、背後にいた部下を守ったのだ。


「ちっ、何で当たらないのよっ」


 ジュリナはそう吐き捨て、灰皿がなければ死んでいた部下の方を見もせず茜を睨みつける。

 だが茜の蹴り上げた灰皿によって九死に一生を得た部下はたまったものではない。


「お、お嬢! 何すんですか!? 当たったら死んでましたよ!?」

「うっせぇ! そんな事で死ぬくらいなら死ね!」

「そ、そんなぁ……」


 ジュリナは部下を心配するそぶりも見せず、再度銃口を茜に向ける。


「ジュリナ! 落ち着け!」


 流石に組長の玄も立ち上がって娘の名前を呼ぶが、ジュリナは見向きもしない。

 

「おい! あんた達、何してんの!? その女が避けないよように捕まえろよ!」

 

 ジュリナは叫ぶが茜の背後にいた部下達は身を低くしたまま動かない。

 茜に助けてもらった部下はもちろんだが他の部下達もこの近距離で外すジュリナの補助は誰もしたくないだろう。

 その時だった、茜達の方へ駆け寄る足音。


「おやっさあん! てぇへんだ! てぇえへんだああ!」


 見れば獄道組の部下が慌てた様子で畳の上をかけてくる。腕にはタブレットが抱えられている。


「ええい! どうした!? こっちも忙しい!」


 ジュリナをどう諫めるか悩んでいる所に割り込まれ、玄は面倒くさそうに言い放つ。

 

「こ、これを!」

「ああ!? 口で直接――」

『小汚い、忌々しい孤児院の事だね』


 と、どこかで聞いたような台詞が玄の言葉がタブレットから聞こえてくる。

 

「ん? これは!?」

 

 玄は部下のタブレットをひったくり流れている映像を見る。


『お嬢ちゃんが追い出した市長とも繋がっているさ。立ち退かせてワシらが土地を買う。そこに市長が――』


 これは玄が先程茜に向かって「そちも悪よのう」の構図を楽しく説明してやっている所だった。

 そして茜の声は編集され、誰が捕まっているか分からぬようになっている。

 誰が編集したのかは不明だが、この短期間で編集しネットにアップするとはプロの仕業だろう。


「なんだこれは!? どうなっている!?」

「今ここであったやり取りが全部ネットにアップされているようです!」

「ネットだと!?」


 ネットにアップされた動画は直ぐに拡散され、それを見た公の機関が動き出す事も珍しくない。

 そして後ろから若頭が顔を出す。


「この動画……この画角と位置……」


 映像に映る玄はカメラ目線になって誰かと話している。この場で、つい先ほどまで玄が話している相手は一人しかいない。


「成程、お嬢ちゃんか」


 若頭、獄道魁人の一言で皆の視線が茜に集まる。

 そしてその視線に答えるように茜は「正解」と一言言って満面の笑みを浮かべるのだった。


「てことはその眼鏡で撮ってやがったな?」


 魁人は床に転がった眼鏡を見て茜に視線を移す。

 茜は満面の笑みのまま、魁人を見つめているだけ

 茜は獄道組の事務所に来た時からずっと動画を撮っていたのだ。眼鏡に仕込んだカメラで。

 だがその眼鏡が落とされては意味がない。だから茜は眼鏡が落とされることを危惧し、海に出向き、手荒く攫われる事を防いだのだ。そして疑われぬよう、雪花に三つ編みにしてもらい、眼鏡への注意を逸らした。

 イヤーセットでも動画は取れるが茜の頬や髪が映り込んでしまう可能性がある。その為、画角が広く取れるカメラを仕込んだ眼鏡を採用したのだった。


「ふざけたことしやがって!」


 黒いスーツの男が眼鏡を踏んずけて壊す。

 だがもう遅い。先程までのやり取りは全て世に出回ってしまったのだから。

 

「やられたな親父」


 魁人は朗らかに笑う。

 獄道組の後を継ぐであろう若頭は裏の取引が日の目を浴びてしまったというのに意に介していないようだ。


「ふん! たかだかネットにアップされたくらいで……痛くもかゆくもないわ! 政府にも顔は利く! 直ぐに動画を削除させて報道規制をかけて、後はフェイクだと公表すれば問題ないだろう」


 玄は直ぐに落ち着きを取り戻し、ソファに座り直す。

 警察も言いなりなのであればその上の機関とも繋がっているということ。それは国を動かす政治家の誰かだろう。


「それで? どこのサイトにアップされたんだ? 直ぐに連絡を取って――」

「セブンアイズです……」

「……は?」

「セブンアイズのサイトにアップされましたっ」


 そのタブレットを持ってきた男の一言に、この場は凍り付く。

 雪花でも知っているその組織名。

 日和の国発祥のその犯罪組織は現在、海外で活動している。

 日和の国から出て行く以前は素行の悪い一般人を銃撃する事から始め、国の中枢の政治家の悪行を全てネットにアップして晒し、要人の殺害も多く行った。それ故犯罪組織にもかかわらず、日和の国の国民の支持は高かったのだ。


「せ、セブンアイズだと!? そんな……馬鹿なっ」

 

 現在は海外に出ており、よほどの事が無い限り日和の国には手を出さないと宣言している。いつまでも自分達が関わるのは良くない、後は自分達でどうにかしろと。

 だが今、そのセブンアイズが動画を晒した。つまりセブンアイズが日和の国政府にも介入してくるという事に他ならない。

 先程玄が政府にも顔が利くとのたまっていた。だが玄と関係のある政治家もセブンアイズが絡むとなれば手を出せないだろう。むしろ獄道組とつながりのある政治家はセブンアイズによって粛清される可能性が高い。

 

「そんなっ……そんな馬鹿なあああああ! うおおおおお!」


 玄は雄叫びを上げて机をひっくり返し発狂する。

 それを見て銃を構えていたジュリナも思わず手を引っ込めた。


「パパ!? どうしたの!? セブンアイズって何!? やばいの!?」

「やばいなんてもんじゃない……ワシらはもう終わりだ……」


 玄はそう呟いてジュリナから銃を奪い取る。

 そして銃口を向ける。その先は他でもない茜に。


「だが、お嬢ちゃんよぉ……詰めが甘いんじゃねぇかなぁ」


 怒りでだろう、玄の声は震えている。

 政府の後ろ盾がなければ獄道組はもう終わりだろう。

 だが窮鼠猫を嚙むという言葉がある通り、尻に火のついた獄道組を今すぐ止める者がいない。

 そして尻に火のついたネズミの真っただ中に一人、猫が取り残されている状況だ。


「選ばせてやろう……今ここで撃たれて死ぬか……後ろの奴らに慰み者にされて死ぬか」


 目を見開いて茜をこれ以上ないくらいに睨みつけ、玄は銃のトリガーに手を掛ける。


「流石の私もこの人数相手は体がもたないかなぁ」

「ふ、案外癖になるかもしれんぞ?」

 

 玄は怒りの表情に上手く下卑た笑いを浮かべてそう言った。

 茜の足元には青桜刀が転がっている。恐らく玄が発狂した時に落ちてきたのだろう。それで戦う事も出来るには出来る。

 だが獄道組の部下は見えるだけで百は超えている。この人数相手ではさすがの茜も荷が勝ちすぎているだろう。

 更に茜は美人だ。あまつさえ先程の玄の発言で部下達は色めき立っている。


「じゃあ……困った時は警察に通報かな」

「はんっ、何を馬鹿な……」


 玄はそれを鼻で笑う。

 警察と獄道組は繋がっている。先程の動画で警察との縁は切れるだろうが今すぐ茜を救助しに来る事は出来ないだろう。


「いやぁ、しかし……よくやったよお嬢ちゃん。ワシらを邪魔して、潰して……だがいつかお嬢ちゃんよぉ、落とし前はきっちりつけねぇとなぁ」


 ヤクザの世界では誰かが不利益を被った場合、不利益を与えた者が指切りや死ぬことで落とし前を付ける事が通例だ。

 この場合は茜の死か、部下達のおもちゃにされるだろう。


「それはそっちだろ?」


 そんな玄に茜はぼそりと呟くように言う。


「あ? 何だって?」

「私の故郷、桜之上市をめちゃくちゃにしてくれた落とし前、この程度で終わる訳ないだろ」

「はぁ? 何を言って――」


 そこへ一人の部下が大広間へ駆け込んで転がりながら入って来る。


「はぁはぁ……」


 息も絶え絶えの部下はよろよろと起き上がって組長の玄を認めるとゆっくりと歩み寄っていく。

 静かになった大広間でその部下の存在は大きく、みんなの視線が一気に集まった。

 更に驚いたことに、その部下の顔が血で赤く染まっていたのだ。

 

「なっ、お前どうした!?」


 続いてそこから血まみれの部下の口が多きく開かれる。そして


「機動隊のカチコミだああああ!」

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