第59話 ~踏んで下さい!~
荷物を持った雪花の後ろには多くの子供が道場の様子を伺っていた。
「オー! モウソンナ時間デスネ!」
「子供?」
「ああ、そろそろ道場を開く時間なんだよ。この時間は小学生の部でね」
現在十時を回ったころ。
大野家は道場を経営している。その道場を開く時間になったようだ。茜よりも小さな子供達が道場に続々入って来ている。
そしてこの道場の珍獣的存在なのだろう、久々に姿を見せた剣に子供達は飛びついてちょっかいをかけていた。
「剣だー!」
「いえーい剣!」
「俺の拳を受けろ剣!」
寡黙な剣は意外にも子供達には慕われているようだ。
四年前の事件の後、剣はファウンドラ社の依頼に専念する為、道場にはたまに顔を見せるくらいだった。
それまで剣はこの道場の中では二番目に強かったのだ。子供達は強い者に憧れを持つのだろう。
「さんをつけろっていつも言ってんだろっ」
目上の人には敬語を使えと剣は三人の子供に順に拳骨を落としていく。その拳骨は子供用に優しく遅く、だが厳しく重い拳。
それに反発して子供の一人が声を上げる。
「皆! 剣をリンチにしろ!」
ガキ大将っぽい子供が剣を指さして叫ぶ。
武道を習う者が一人を囲んで痛めつけるとは何を指導しているのか、といいたくなるがその指さした手を掴んで捻り上げ、止めたものがいた。
それはその道場の主、良悟の仕事だろう。だがその子供に待ったをかけたのは良悟ではなく、茜だった。
「いてててて」
「武道をたしなむ者がリンチだなんて聞き捨てならないな」
そのガキ大将の腕を捻り上げて床に押し付け、大人げなく暴れないように足で踏みつけている。
「いてててて! 放せブス!」
「おやぁ、君は威勢がいいなぁ。じゃあ遠慮なく、ほれほれぇ」
「いてて……あははっ、そこは弱いからやめ、あひゃひゃひゃ」
茜がぐりぐりと、素足でガキ大将の背中を踏みしだく。
痛いというよりもくすぐったいのだろう、ガキ大将は涙を流して笑っている。だが転げようにも茜に腕を決められている。動かなければくすぐり地獄、動けば関節地獄なのだ。
そんな茜の表情は性格を映し出す鏡のようにとても楽しそうだった。
その様子を見た良悟がふと剣に話しかける。
「おい剣」
「何だ」
「お前今踏まれたいと思っただろ」
「なわけないだろ」
「俺は思ったぞ」
「ふっ、そうか」
何かが二人の間で通じ合ったのだろう。
二人は互いの雄姿を称えあうように拳をぶつけ合った。
「はいキモイっ」
そこへこの道場ナンバーワンの弓がすかさず良悟と剣に蹴りを入れて吹き飛ばしていく。
「あひゃひゃ、いててて……おいお前ら! このブスぶっ殺せ!」
ガキ大将もやられてばかりでは示しがつかないのだろう。
その指示の直後、ガキ大将を抑え付けている茜に一人の子供が走り寄ってくる。
茜に突っ込んでくるかと警戒するがその子供は茜の手前で止まり目を輝かせて口を開く。
「俺、郁人って言います!」
「え? はあ、何か?」
「お姉さんは彼氏いますか!?」
「え? いや、いないけど」
随分ませた子供だなと、さすがの茜も目を瞬かせる。
吹き飛ばされた剣も何を聞いているんだと腰に手を当てて溜息だ。
だがそこへまた子供が走り寄ってくる。
「俺は晴です! お姉さんの名前は何ですか!?」
「ええと……茜といいますが」
「俺は煌って書いてキラといいます! 茜さんはおいくつですか!?」
「俺は誠! 茜お姉さんの好きな食べ物はなんですか!?」
剣と違ってちゃんと敬称をつけるませた子供達。皆一様に目を爛々と輝かせて茜に首ったけだ。
道場に多少の女の子はいるものの、ほとんど男の子だ。そこへ茜のような美少女がいたらこうなる事は自明の理だろう。
「モテる女はつらいわねぇ」
と、止めておけばいいものを、横から雪花がニヤついて茜をからかってくる。
茜はこんな子供にモテたところで何も嬉しくないだろう。
茜は冷静に雪花に反撃を開始する。
「誰一人としてお前に寄って来ないからって僻むなよ。お前には魅力がなかった。ただそれだけの事だろ?」
「はぁ!?」
雪花は茜の小さな頭をまたもや片手で持ち上げて握る。
「いたたたたた」
「私の魅力は子供には分からないの! 分かる!?」
「わ、分かりました! もう事実は言いません!」
「ああ!?」
「頭が割れるようにいたいいい」
アイアンクローをされながらも追撃を放つ茜に雪花の握る手にも力が入るというものだ。
だがその雪花に傍にいた子供が痛烈な一言を言い放つ。
「うわぁ、すげぇ、怪力ババアだ」
「うがっ!?」
子供は容赦がない。
子供は純粋だ。純粋無垢な故にその言葉は鋭利な刃物となって雪花の心を抉るのだ。
「怪力……ばば……あ?」
雪花はその一言で体の力が抜けたようにへなへなと膝を突いて座り込んでしまった。
子供からしたら年上は皆ババア扱いなのだろう。
解放された茜は流石に可哀そうだと思ったのか、雪花の肩にポンと手を置いて声をかけてやる事にした。
「あ、茜ぇ……」
雪花は涙目になって茜に請うような表情。
恐らく何か励ましの言葉を期待しているのだろう。
「子供の言った事だ。あんまり気にするなよ。怪力ババア」
「いやあああ!」
もちろん茜はそんな優しい言葉を掛ける程人間が出来ている筈がない。
雪花は畳に突っ伏してこれ以上何も聞きたくないと耳を塞ぐ。
「雪花……ごめんな、冗談だ」
茜が優しく雪花の肩を抱いて起こしてやる。そして耳を塞ぐ手を掴んで優しく降ろす。
「顔を上げろよ雪花、お姉さんだろ? みっともない所を見せるもんじゃない」
「茜……」
「ほら、前を向いて外を見てみろよ」
「外?」
茜は開け放たれた道場の外を指さして笑う。
「いい天気ですね」
「もうやめてえええ!」
この位置からでは日光が差している事は分かるが空の様子までは分からない。恐らくフェリーでのハニートラップをまだいじっているのだろう。この調子だと後二、三回はいじってきそうだ。
「はぁはぁ、くそ……めっちゃいてぇえ……」
ここで腕を決められ床に抑え込まれていたガキ大将が復活する。
先程までのくすぐり地獄と関節地獄で茜へのフラストレーションは溜まりに溜まっている事だろう。
ガキ大将は顔を真っ赤にして鬼の形相。
「ブスがああ!」
腕を抑えながら雪花を虐めて微笑んでいる茜の姿を発見する。
「お、やるか? ガキ大将」
茜は余裕の表情。
体格は茜より少しだけ小さいくらいだろう。しかし茜の中身はトップエージェントの技術を持つ。ガキ大将は逆立ちしても勝ちはないだろう。
茜の元へ猪突猛進に走り寄るガキ大将。そして
「俺をもっと踏んで下さい!」
「へ?」
茜はガキ大将に妙なな性癖を植え付けたのだった。
道場の時間となったので茜と雪花は行くところがあるという事でここで分かれることになった。
「では皆、未来の花嫁にバイバイを」
良悟が子供達に茜達を見送りさせる。茜の事を花嫁と称して。
子供達は二人に楽しそうに手を振っている。
「あはは……」
「何よ、花嫁って」
「ちょっと魅せプレイが過ぎてな」
「なんのこと?」
茜の恰好、容姿、料理の腕、強さ、全てにおいて大野家の期待値を上回っていた。それ故に花嫁などと突飛な言葉を言われる羽目になってしまったのだろう。
「いや、別に」
「あっそ」
そんな事を話しつつ、二人が向かう事になったのは茜が通う学校の女子寮だ。
「私もあんたの護衛の為に一緒に寮に住めって。今日の朝、急にセレナさんが」
その雪花の表情は優れない。雪花であれば家から通学できる位置にある。なのに寮に住めとはこれいかに。
しかし雪花は百万ウルドという大金をもらっている。断る事が出来ないのだ。
「ふーん」
恐らく昨日の茜が襲撃された事を重く見ての事だろう。茜が対応できないのであれば雪花か剣を常に傍に置く。それがセレナの対応策なのだ。
何故茜が襲われたのか。単に茜が美少女だからという理由としてはあまりにも手が込み過ぎている。言っている事も支離滅裂だった。
その青年もファウンドラ社の捜査員が探しているとの事。すぐに捕まえて何故茜が襲われたのかも明るみになるだろう。
「にしても寮か……」
「何だか楽しそうじゃない」
「そうか? 狭くて汚そうで……私は嫌だなぁ。折角日和の国に帰って来たのに」
任務にあたっていた茜は何処でも寝れたり生活が出来るように訓練されている。飛空艇アシェットでは空輸する荷物に隠れて睡眠していたくらいに。
だがそれは任務で仕方なく。任務ではないのであれば普通に清潔なベッドで眠りたいのだ。
「広いらしいわよ? スイートだから」
「は? 寮にスイートとかあんの?」
「さあ、セレナさんから聞いただけだから、言葉の綾じゃない?」
学校から少し離れたところにあるという学生寮。
そこでは遠方からの学生や家庭の事情で家からの通学が難しい人、希望する人、様々な学生が暮らしているらしい。
そしてその寮について出た茜の第一声が。
「でかい」
だった。
茜が寮の正面に立つとニ十階くらいの建物が立ち並ぶ。敷地の幅は何百メートルあるか分からない。下手すると一キロ以上あるかもしれないほど端が遠い。
「一万人くらい生活できるスペースがあるらしいわ」
「一万……四年前って小学校の全校生徒千人もいなかったんじゃ?」
「四年前の襲撃で被害が出たから国から補助金出たんだって。その襲撃の時に出来た大きな穴も観光地になったりして」
四年前の天空都市襲撃での被害は約千人程。
天空都市から放たれた砲撃は地面に直径一キロ程の半球状のクレータ―を作った。
二発目を撃たれたくなければ大人しくしろと。さもなければ次はもっと大きな穴が開くと脅されて桜之上市の人達は身動きが取れなくなっていた。しかし二発目が撃たれる前、当時十二歳の光が茜色の奇跡を放って阻止し、天空都市は退いたのだった。
あれから四年。補助金と観光地で多くの人が移り住んできたようだ。
「逞しいねぇ」
「それと国の政策? か、なんかで新しい学校教育のスタイルを推進するからって、そのお金も出たって」
「それで他から人がわらわら集まって来たって事か」
「何でも金よ金」
現金な人々だと身もふたもない事を言う雪花に、茜はため息をつかざるを得ない。
「それでヤバイ人達も集まったとかなんとか」
「ふーん」
金集まる所に犯罪有りだ。
国の補助金に群がる事業者が多く、汚職の温床になる事も多々ある事だ。
雪花と茜は入ってすぐの所にある小さな窓がある所で止まる。恐らく受付の窓口だろう。
「すみませーん」
雪花が呼ぶと茜達と年齢が変わらない程の少女が対応してくれた。
「はいはい、何でしょう」
「海白雪花と茅穂月茜で今日からここに住むことになったんですけど」
「はい伺っております。これスマコンにかざしてください」
少女は何もない白いカードのようなものを差し出してくる。
雪花と茜は自分の持っているスマコンを差し出されたカードのようなものにかざすとピロンと音が鳴って「認証済」とスマコンの画面に文字が映し出された。。
「はい、これで海白雪花さんと茅穂月茜さんのIDが登録されたのでこの寮に自由に出入りできますよ」
「ありがとうございます」
個人のスマコンから世界共通情報センターにデータが同期され茜達が暮らすであろう部屋に自由に出入りできるようになるのだ。
この世には個人のIDを認証するタグがあり、スマコンがその役割を果たしている。
スマコンの他には指輪や腕輪、中には体に埋め込んでいる人も。罪人や囚人たちは取り外せないよう体への埋め込みが義務化されている。
「そこのエレベーターを最上階まで登って正面を真っ直ぐ進んだ突き当りなのですぐわかると思います」
「分かりました。ありがとうございます」
二人はお礼を言ってエレベーターへ歩いていく。
茜は先程の少女が気になったのか、窓口にいる少女を見つめている。
「なぁ、あれって生徒じゃないか? 見た目同じ歳くらいに見えるけど」
「ああ、事務職とか目指してるから事務をやらせてるんでしょ?」
「そりゃあ人件費削減でいいな」
「就職する時も事務やった事ありますって人なら即戦力だしね」
「合理的だねぇ」
更に雪花が言うには掃除洗濯もその道のエキスパートを目指す生徒がやってくれたり、料理人を目指す生徒が食事を作ってくれたり、その材料となる農作物は農業を選択している生徒、食肉は畜農家を目指す生徒が従事しており提供してくれるようだ。
「しかも無料で食べれるわ」
「マジか! めちゃいいじゃん!」
「てかあんた、食いつき良いけどお金あるじゃん。普通に買いなさいよ」
「一万ウルドじゃすぐになくなるだろ」
「あんたどこのセレブよ」
エレベータもスマコンをかざさないと開かない仕組みになっている。不審人物が侵入しようとしてもこれなら大丈夫だろう。
指定されたのは最上階。言われた通り真っ直ぐ歩いていく。両サイドには扉がずらりと等間隔に並んでいる。
「一部屋に複数人が生活しているらしいわ。希望があれば一人でも住めるらしいけど」
「ふーん。それはそれでなんか楽しそうだな」
廊下を進んでいくと女子生徒達の話声が漏れてくる。
皆何だか楽しそうだ。
そして突き当り。
「え? ここだけ扉一つ?」
まっすぐ歩いてきた廊下の左右には部屋がいくつか並んでいた。そして突き当りの左右には通路はあるものの扉はない。つまりそのの前面のスペース全てを占有する程の広さがあるという事だ。
「スイートか……」
「スイート……甘く見てたわ」
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