第58話 ~花嫁修業と剣の告白~


「マズハ日和ノ国のソウルフード、肉ジャガ! をツクリマース! オフクロの味デスネー!」


 茜はエプロンを借りてキッチンに立つ。剣の母オルカは花嫁修業と称して茜を試すようだ。

 

「ソレデハイキマスヨ!」


 茜は気乗りしないものの夕食からはかなり時間が経っている。だからお腹が減っていた事もあるし、何より剣に女子力を見せつけ好感度を上げる、という目的がある。

 料理が上手な女性はそれだけで男の目には魅力的に映るのだ。逆もまた然り。男でも女でも料理の技術を身に着けておくことは無駄ではないのだ。

 そして修業するという事は修業を監督する者がいるという事。

 茜の性格はひねくれている。その為、修業をつけてやろうと上から目線の剣の母の鼻を明かしてやろうという腹積もりだった。


「どうぞ」


 茜は髪は束ね、右手に包丁を握る。やる気満々だ。

 

「ハッケヨーイ、ドンデスヨ!」


 茜はオルカの掛け声に笑いそうになりつつも耐え、ニンジン、ジャガイモの皮を剥いて手ごろのサイズに刻んでいく。

 日頃刀を使用しているからか、目にもとまらぬ早さで材料がカットされていく。トトトンと一定の間隔で素早く食材を刻んでいく。

 醤油やみりん、砂糖等の調味料も軽量カップなど使用せず、目分量で透明のボールにぶち込んで割り下を作る。

 更に圧力鍋を使用して煮込み、その間に自分が食べたいであろう味噌汁、卵焼きを完成させていく。

 茜はシングルマザーの家庭で育った。しかし母親も仕事で忙しく、家事をするのは茜しかいなかった。だから料理もお手の物なのだ。

 それを傍で見守る剣と剣の父、良悟。


「剣」

「ん?」

「なんだかいいな」


 その調理の光景を見ていた良悟がぼそりと呟いた。


「ああ。料理得意そうだな」


 茜の手際の良さに剣は感心しきりだ。

 茜は明朗快活で美少女。それだけでは飽き足らず料理の手際もいい。胃袋を掴めば事を優位に進めることができる。これならば剣の告白も近いだろう。

 だが良悟の関心は他にあった。


「俺が言っているのは茜ちゃん自体だ」


 茜はもちろん先程までの煽情的な恰好で料理しているわけではない。

 服は弓が着る事ができなくなった小さめのシャツとスカートを借りている。

 体系的に弓より茜の方が二回りほど小さいのだが、小さい頃の服が残っていたのだ。茜はズボンを所望したのだが弓の趣味でまたしてもスカートになってしまっている。下着はショーツはあったもののブラジャーはサイズがなかった為何も付けていない。


「は?」


 このエロ親父は一体どこを見てるんだと剣と弓は横目で実の父を軽蔑の目で睨みつける。

 だが確かにノーブラの茜は少し動くたびにたわわな胸が揺れ動いている。良悟がそんな変態発言をしてくるので剣も意識してしまい、そこに釘付けになってしまった。


「い、いいな」


 そして剣も同意してしまう。男は皆変態なのだ。

 だが歳を取れば趣味も変わるもの。父親である良悟と剣の間には二回り以上の年齢差がある。

 良悟は感心したように剣を横目に見て口を開く


「ほう、お前にも分かるか。あのうなじの良さが」

「ああ……あ? うなじ?」


 一瞬、良悟が何を言っているのか分からなかった剣。

 艶めかしく揺れる胸の事を言っていたのではないのか。剣は釘付けになっていた目線を引きはがし、気後れしながらも茜のうなじに打ち付ける。

 茜は髪をまとめ上げ、後ろで縛っていた。茜の髪は少し癖があり、ふわふわに膨らんだポニーテール。そして良悟はそのうなじに見とれていたようだった。

 

「……いいな」

「そうだろ。しかし、全く……」

「ん? なんだよ」


 何故か良悟が呆れている為剣が首を傾げる。茜のうなじにみとれて感嘆の溜息を吐いているようでもない。

 残念そうに、蔑むような眼を剣に向けている。


「お前が見ていたのは茜ちゃんの無防備に揺れるあの胸だろう?」


 見抜かれていたようだ。やはり剣の父親なだけある。


「な、何言ってんだ親父! 俺は別に」

「違うのか?」


 親父の鋭い眼光に剣は数秒沈黙して耐えるがあえなく降参した。


「ち、違わない……」

「お前の気持ちは分かる。美少女であるにもかかわらず周りの視線に無頓着……我が息子ながら全く、流石エロティックソード剣さんだな」


 とは剣の部屋からエロ本が親に見つかった時に居合わせたオルカと茜が名づけた栄光あるあだ名だ。


「てめぇが紛らわしい事言うからだろ!」

「親父に向かっててめぇとは何だ!」


 その一言を皮切りに父親の側頭部にまたしても弓の飛び蹴りがめり込んで、吹き飛んでいく。その良悟の頭部が剣の頭に激突して二人とも吹き飛んでいった。

 

「うるさい。後、卑猥な言葉は禁止よ」


 そうこうしていると机の上にこんこんこんと小皿に盛られたおかずが揃っていく。

 最後にオルカが炊いたご飯と茜のどや顔で食卓が彩られた。


「こんなもんですかね」

「スンバラシイデスネー! 茜サン!」


 それを朝食がてら大野家と茜、皆でつついて食べる。


「オイシイデース!」

「お母さんのよりおいしい!」

「はっはっは、剣、良いお嫁さんをもらったな」

「違うつってんだろクソ親父」


 皆パクパクと口に運び、あっという間に平らげてしまった。

 オルカの試験は上手く突破したようだ。

 だが花嫁修業はまだ続く。


「次ハ武道デース。女ハ守ラレテバカリデハ駄目デス! セメテ自分ノ身グライ守レナイト駄目ナノデースヨ!」


 剣の母は家の隣にある道場に茜を招いた。

 良悟が経営している道場だ。近所の子供たちに武道を教えている。

 弓や剣も昔ここで武道を習っていた。中でも弓の強さは最強を謳っていた。だが弓は女らしくありたいという事で武道を断ち、お洒落に気を遣うようになる。だが今現在、弓に男の影はない。

 茜と母はそのままの服装で二人向き合った。他の三人は座布団に座って事の成り行きを見守っている。


「デハ私ガ茜サンヲ襲ウ変態役デ抱キ着コウトシマース、ノデ、ソレヲ見事撃退シテクダサーイネ!」


 殴る蹴るじゃなく、抱き着くだけなら問題ないだろう、と止めることはしない剣。

 茜自身も問題はないだろうが気がかりなのは剣の母だ。


「でも怪我とか大丈夫ですか?」


 茜は腐ってもトップエージェント。一般の犯罪者をいなすのは簡単だ。だが剣の母は犯罪者ではない。下手をすると怪我をさせてしまうかもしれないのだ。

 

「大丈夫デース! 私モ武道ナラテマスネ!」

「茜ちゃん、オルカはこう見えて鍛えているから大丈夫だ」


 と良悟。

 良悟は茜がオルカを退けるとは思っていないだろう。

 素人のか弱い少女が本気で抵抗しても武道の心得があるオルカであれば大丈夫だろうと。

 

「イキマスヨ!」


 笑顔で茜に飛び掛かり、抱き着こうとする。

 

「イタダキマースネ!」


 ただ茜に抱き着きたいだけなのだろう。妙な掛け声と共に母は愚直に茜に飛び込んでいく。

 だがそれを迎撃することは裏組織のトップエージェントの茜にとって、赤子の手を捻るよりも簡単な事だった。


「アウチ!」


 母の手を掴んで少し手を捻る。すると母は面白いくらいに回転して畳の床に叩きつけられてしまった。


「ほう、合気道か。剣、茜ちゃんの親に言って早く貰ってこい」

「話聞いてなかったのかクソ親父。今は一人だっつってただろうがっ」


 柔よく剛を制す合気道も茜は心得ている。

 しかし流石は武道を経営しているだけあってオルカは受け身を取れている。取らなければ関節を決めている所だ。


「勝った」

「マ、マダマダデース! サッキノハ予行演習デースヨ! コレカラ三本先取デース!」


 大人げない剣の母。

 オルカは三度、茜に抱き着こうと突撃していき、三度道場に音が響き渡ったのだった。


「オーマイゴッ、デスネ!」


 剣の母は茜の両手を取って青い瞳で茜を真っ直ぐに見据えた


「イッツパーフェクトゥ! アナタヲ剣サンノ嫁ト認メマス!」


 そして母は我慢の限界とばかりに茜に抱き着いた。


「あの、私はただの友達でって、ぐるじぃ……」

「オ願イデース! 剣サンの御嫁サンニナッテクダサーイ! ナルトイウマデアナタヲ軟禁デスネ!」

「ヘルプミィ!」


 そこへ傍で見ていた弓が剣を引いて駆け寄ってくる。


「茜ちゃん強いねぇ。これだけ美人で料理もできてしかも強いなんて、もう完璧! 剣! 絶対彼女にしなさい! ていうかもう嫁にもらいなさい! ていうか連絡先教えて!」


 母親を引きはがしてくれると思いきや目を爛々と輝かせて矢継ぎ早に言い放つ。

 強くて家庭的な美少女など今貰わなければいつ貰うのだと言わんばかりだ。


「うるさい、もう姉貴は黙って――」

「そうだぞ剣! 弓の言う通りだ! どうかね茜ちゃん。うちの不出来な息子を貰ってくれんか?」

「何で俺が貰われるんだよ……」


 大野家から嫁に来いとせがまれる茜。

 これには茜は困ってしまう。もちろんこれは良い流れなのだが茜側に判断を委ねられると少々具合が悪い。

 茜が自ら付き合ってください等といえば剣を笑う事が出来なくなってしまうのだ。だからといって茜がきっぱりと断ってしまうと計画に支障が出てしまう。

 あくまでも剣から好きになってもらい告白させ、美少女というだけで告白した軽率な男、という形式でないと茜の目標は達成されないのだ。


「急にそんな事を言われましても……」


 母に頬ずりされる茜は押し黙る。

 その母を剣が困り切った茜から引きはがした。

 

「もうやめろって。困ってるだろ」

「おやおや、もう彼氏面ですか~お熱いですなぁ」


 弓が茶化してそんな事をいう。

 まるで小学生がカップルをからかっているみたいだ。


「いい? 剣、茜ちゃんが彼女じゃないあんたなんて存在の価値なんて一つもないのよ?」


 そして小学生は得てして訳の分からない事を言うものだ。


「一つくらいあるだろ! てか、その価値って姉貴にとってだろ!?」

「当然じゃん。今のあんたはミジンコ以下よ」

「みじ……よく実の弟にそんなことが言えるな」

「なら今ここで茜ちゃんに告白してみなさいよ!」

「なにぃっ!?」


 ここで茜の作戦を後押しする一言が弓の口から飛び出した。

 これは茜にとってまたとないチャンスだ。


「もしかしたら天文学的な確率かも知れないけど、いい返事がもらえるかもしれないでしょ?」

「そんなのほぼ玉砕じゃねぇか! それに俺と茜はそんな仲じゃないって」


 その言葉に弓と父が顔を見合わせる。

 

「名前を呼び捨て!? そんな仲なの!?」

「呼び捨てにする仲とはな。やったな剣、もう少しだ。お父さんのいう事を信じろ」

「なんでそうなる……」

「呼び捨てにするなんてそれほどの仲って事でしょうが! 他に呼び捨てに出来る女子なんて雪花くらいしか私知らないけど?」

「ああ、あのおっぱいのでかい子だな」


 大野家では雪花はそういう認識のようだ。雪花の事を部位名称呼ばわりしている。

 呼び捨てにすることがそれ程深い意味を持つとは思えないが、それで剣の告白ムードを強引に推し進める様子。

 だから茜も告白ムードへの一押しに言葉を添える事にした。


「私も剣って呼び捨てにしてるし」

「おまっ、また余計な事を」


 この茜の何気ない一言。それは数日前に会った男女が互いに名前で呼び合っているという事実に他ならない。

 剣が父と姉を見るとニンマリと顔を緩ませて告白を促してくる。

 海底での悪ふざけ然り、茜は場を乱す事に定評がある。そこに喜びを感じているのだ。人生を楽しんでいると言えば聞こえはいいが周りは迷惑だろう。


「私は応援するわ、こんな美人滅多にいないし」

「美人だったら誰でもいいというわけじゃないからな」


 その言葉に、お前は今まで何を見てきたんだと、弓が剣を睨みつけ、そのまま茜に視線を向ける。


「質問です。茜ちゃんは強いですか?」

「はい」

「美人ですか?」

「はい」

「料理は上手ですか?」

「はい」

「性格はいいですか?」

「はい、とても」

「ほら」

「コントでもやってんのか? それに最後のは姉貴の主観じゃねぇか! 茜もはいじゃねぇだろ!」


 最後の言葉に茜は少しむっとしつつも弓が前に出てきたので口を閉じる。


「全く、男のくせにキャンキャンうっさいわね! ほれ!」


 道場内に広がる乾いた破裂音。

 弓は剣の背中をひっぱたいて茜の前に突き出した。さながら告白する勇気のない友達を告白相手の前、という死地に追いやるがごとく。


「いてぇっ……」


 剣は茜の目の前に追いやられる。

 剣は背が高く、見下ろす形。

 茜にしてみたらそれはまさに飛んで火にいる夏の虫だ。茜はしめたとばかりに、演技を開始する。


「あ、茜?」


 剣は茜を見て一瞬たじろいてしまう。

 剣がそうなってしまうのも無理はない。

 何故なら今まで呑気に成り行きを見つめていた茜が剣を前にした今、恥ずかしそうに俯いて、目を逸らしたのだから。更にそこから一度上目遣いに剣を見上げるとすぐ目線を下げてしまう。今度は頬を赤らめ、更に微笑みを張り付けて。

 これは好きな人を目の前にし、恥ずかしくて何も言えないが嬉しさを抑えきれず笑みをこぼす、の演技だ。

 茜程のトップエージェントになると頬を蒸気させることは造作もない事なのだ。


「つ、剣! ほらっ」


 まんざらでもない茜の演技は弓にも波及したようだ。

 これはいけると、弓は小声で言って剣の背を叩く。


「いやいや……」


 皆が見ている前で告白なんて出来るわけがないと、剣は消極的だ。

 だが目の前にいる茜は頬を赤らめ横目に剣の様子を伺っている。この告白ムードにやられた生娘のように。

 

「茜……」

 

 よく考えてみれば剣は茜の窮地を二度も救った。ルイスからは運命の相手だとも言われている。

 寡黙な剣も茜と話す時は不思議とスラスラと言葉が走ると実感しているだろう。それは茜の正体が長年コンビを組んでいた光だからに他ならない。だがそんな事剣は知る由もないのだ。ただ事実としてあるのは話しやすい美少女が目の前で頬を赤らめているという事だけ。

 これだけの材料があるのだ。今告白しなければ男ではない。茜も剣の行動を素直に待っているのだから。


「お、俺は……」


 茜としても剣の告白は諸手を挙げて大歓迎だ。

 剣を誘惑するのは茜の性格上楽しいのだろう。だが茜の中身は男だ。男を誘惑するというのはあまり良い気分ではない。だからこんな茶番を早く切り上げて剣を笑いたい。茜はそう思っているのだ。

 だが周りに人が多すぎる。であれば後日改めて二人きりの時に自分が光だと明かせばいいだろう。

 しかしそこへ、茜の天敵、オルカが水を差す。


「後ハ仲ノ良イ御二人ダケデチョメチョメデスネー、御布団ゴ用意イタシマショウカー」


 オルカの面白フレーズが茜の笑いのツボを激しく刺激する。

 ここで吹き出したら、告白ムードをぶち壊してしまう可能性があった。

 茜は自分の手で自分の口を塞ぐ。


「前カラスルカー横カライクカー、ソレトモ後ロカラデスカー」


 抑揚無く、お経でも呼んでいるかのようにオルカは言葉を紡ぐ。

 そんなオルカに茜はついに膝を折り、畳に顔を突っ伏してしまった。体はピクピクと震え、笑いを堪えようと必死だ。


「つ、剣! 今よ!」

「何が?」


 弓がとっさに最悪のタイミングで告白を促す。それは全くローキックをお見舞いし、態勢を崩した相手に畳みかけるタイミングだった。

 今まで男と付き合ったことが無い弓。ここで告白したら茜に大爆笑されることは間違いないだろう。

 この状況ではもう告白は無理だ。

 唯一まともな父、良悟は溜息をついて首を振った。その時だった、道場から人影が入ってくるのが見える。


「おや、久しぶりだね」


 それは皆見知った顔。

 床に突っ伏した茜がどうにか起き上がりその人影を認める。

 茜の頬がまだ蒸気しているのはきっと演技ではないだろう。


「あ、おっぱいのでかい子だ」


 先程の良悟の言葉を借りて茜が一言。

 それを皮切りに茜の言葉が剣の家族に伝染していく。


「おお、おっぱいのでかい雪花じゃん。おひさー」

「ベリーベリーオッパイサンデスネー」

「雪花か」


 そこには苦々しい表情で何やら大荷物を持って立っている雪花が佇んでいた。


「あの……そういう認識で私の事見るのやめてくれません?」


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