第57話 ~何故うちのお風呂に?~
茜と剣は畳の客間に通され正座する。目の前には剣の両親と姉の弓、大野家の四人が客間に集められる。
「質問!」
先程問答無用で洗面所のドアを開いた弓がとても綺麗な挙手を見せる。
そんな弓を茜は手のひらで指す。
「はい弓さん」
「茜ちゃんは何故うちのお風呂に?」
「ちょっと汗をかいてしまったので。ごめんなさい」
茜は頭も下げず、何が悪いのかと反省する素振りすら見せずに言葉だけで謝った。
毅然としているというよりも、どちらかといえばふてぶてしい茜の態度。
だが弓も女だ。そこは別に咎めるつもりはない。
「いいのいいの、それは良いんだけど何故汗ばんだのかな?」
「ええと……」
茜はそこで言い淀む。
理由は様々だ。だがそれを全て述べると時間がかかるし言えない事も多い。青年に襲われた事も言えば大事になってしまう。
茜が言い淀んでいると何を思ったのか、弓が「わかった」と一旦質問を止める。
「聞き方を変えよう。はい、か、いいえで答えてね」
「オッケー」
「昨日、茜ちゃんは男の人に押し倒されたりしましたか?」
「はい」
茜の答えに弓の目が丸くなり、息遣いが荒くなる。
臆面もなく答える茜。青年の事は話す事が出来ないのに何故「はい」と答えたのか。剣が茜を見るとその視線に気づいた茜は唇を一瞬笑みに変えて戻した。
押し倒されたというのは小野畑隆という青年になのだが弓は剣と勘違いしている事だろう。そして先程の笑みから分かるように、茜はそれを意図して狙っている。
「茜ちゃんは男に、いや剣にっ……体を引っ付けたりしましたか!?」
「はい、ぴったりと」
「茜ちゃんはその時、剣に跨っていましたか!?」
「はい、太ももを持たれてました」
「なぁあああ!?」
茜が頭の中で思い浮かべているのは剣におんぶされた事。確かに股を広げて剣を挟みこんで跨っている。嘘偽りはない。
弓の質問も相当踏み込んでいるが、答える茜も茜だろう。これでは弓の妄想が暴走してしまう。
茜の策略に嵌る前に剣が動く。
「おい、姉貴っ」
いい加減にしろと、茜の策略に嵌っているだけだと、剣は立ち上がろうとするが頭を弓に鷲掴みにされて抑え込まれた。
「いっ!?」
「あんたは黙ってなさい! 次!」
姉特有の横暴に剣は黙るしかない。
「茜ちゃんは剣のベッドで一夜を明かしましたか!?」
「はい」
「ちがっ、ちょっ、いててててっ!」
弓の握力が質問の邪魔をする剣の頭を潰しにかかる。
そして質問も大詰めとばかりに、鼻息荒く肩で息をする弓。真っ赤に染め上げた顔で茜に迫った。
「最後! 茜ちゃんは剣の恋人ですか!?」
剣の父親、良悟はその質問に驚き、目を見開いて弓を見る。
ここまでの事をしておいて恋人ではないなんてことはないだろうと。だが茜の答えにはまた目を見開くことになる。
「いいえ」
「ええ!?」
即答する茜と驚く弓。良悟はまだ黙っている。
ここで茜は初めて真面目に答えた。
今までも嘘をついているわけではないが情報が色々と欠落している。
弓の威勢は削がれ、前のめりになっていた体を元に戻す。弓の頭の上に、はてなマークが乱立している事だろう。
「全く……」
解放された剣は顔のゆがみを直すように顔をさすって溜息だ。
だが弓が大人しくなったところで次は良悟が動く。
剣よりも体格が一回り大きい黒髪の良悟が弓にならって手を挙げる。これも例に漏れず肘も曲がっておらず、綺麗な挙手だ。
だが大の大人がピンと伸ばした綺麗な挙手は傍から見ると少し面白く滑稽だった。
茜はクスリと笑いながら良悟を指す。
「はい、お父さん」
「お、おと、お父さん!?」
剣と仲の良い美少女にお父さんと言われて分かりやすく慌てふためく良悟。
その辺を歩く通行人にお父さんと話しかけられたとしても、さほど特別な意味はない。それはただの中年男性の代名詞でしかないからだ。しかし自分の息子が連れてきた煽情的な恰好をした美少女に言われれば、それは特別な意味合いを持つ。
「お、俺はお義父さんなのか!?」
父親は助けを求めるように弓を見る。その顔は少し嬉しそうだ。
「なにきょどってんのよ! まだ娘になるって決まったわけじゃないんだから!」
弓に背中を叩かれて背筋を伸ばす父親。
いくらか咳ばらいをして姿勢を正す。そしてニコリと笑いながら質問を続けた。
「君はもう剣とやったのかね? そんな恰好をしているし」
歯に衣着せぬ父親のそんな発言はセクハラ以外のなにものでもない。
更にその視線は茜が着ているオーバーサイズのワイシャツにより露わになっている茜の胸の谷間へ向かっている。
茜の透き通るような白い肌と胸の谷間に、ポッと表情が赤面したのも束の間、良悟の側頭部に足がめり込んだ直後、衝撃波が周囲を襲う。次の瞬間には父親の姿ははるか遠くの壁に激突していた。
「お父さん最低~そんな直接的な表現は下品よ!」
先程までの弓の発言はどうなんだと、剣と茜は目を細めて弓を見た。
弓は小さい頃から武道を習っている。そして小さい頃の剣も武道を習っており強かったのだが、姉の弓に喧嘩で勝ったことは一度もなかった。
そして右に倣って剣の母親、オルカも手を挙げる。
「トイウコトは、茜サンは剣サンのセクスィーなフレンドデスカー?」
どういうことだ、と聞き返したくなる茜。
オルカは真面目な顔をして、面と向かってそんな質問をする。
だがあの父親にしてこの母親ありといったところか。似た者同士で気が合ったのだろう。
そして拙いオルカの言葉の選出が面白いのだろう、茜の可愛らしい桃色の唇がぴくぴくと小刻みに揺れている。
「ち、違いますよ」
オルカが少し片言なのは簡易言語を話している島国出身だったからだ。世界では共通言語が一般的に話されているがあまり人が立ち入らない小さな島国等は共通言語が浸透していないところもある。
オルカは金髪で瞳は青い。恐らく剣の風貌はオルカからの遺伝だろう。
「オゥー、ソウデスカー、ソレハ残念無念マタ来週デスネ。剣サン、スエゼンクワヌはオトコのハジデースヨー」
ついに茜は吹き出してしまう。だが笑ったら失礼なので畳に顔を突っ伏して表情を隠してしまった。
茜は昔からオルカの喋り方が好きだった。言葉の選出が面白く、茜の笑いのツボを強烈に刺激するのだ。いつも盛大に笑わせてもらっていた。
茜が笑うからか、剣は少し恥ずかしそうに赤面している。それもそうだろう。運命の相手と言われた美少女に自分の母親の面白フレーズを聞かれてしまったのだから。
「お母さん、それ分かっていってるの?」
「日和ノ国ノ礼儀デスネー、男ニハ、ヤラネバナラネェトキガアルデス! オマエガヤラナキャダレガヤルデース!」
「違うよ?」
したり顔でそんな事をのたまうオルカを弓が一喝してため息をつく。
そんなオルカを取り合えず横に置いて、弓はずいっと前にでる。そして真面目な顔。
茜も一息ついて落ち着いたところで弓が口を開く。
「では茜ちゃん。真面目な質問をします」
「どうぞ」
「剣とはどういう関係ですか?」
「友達です」
意を決して質問したのだろうがそれも茜に即答される。何か言い淀めばまだ何かあるかもと望みは繋ぐことが出来るのだがこれが事実だ。
肩透かしを食らわされたのか弓はうなだれそのまま剣を見た。そんな弓に剣は溜息で返事をする。
だがそれが気に食わなかったのか、弓はばっと立ち上がって剣を睨みつけた。
「嘘よ! だってただの友達が脱衣所で卑猥シャツ姿のまま男女二人きりなるわけないじゃない!」
弓の指摘も最もだ。
異性に卑猥シャツを着せ、脱衣所で二人きりになる関係は恋人でなければ説明がつかないのだ。
「卑猥シャツ……ふふっ」
卑猥シャツのフレーズが笑いのツボに入ったのか、茜は吹き出すように笑いだす。
「だから違うって言ってんだろ!」
剣と弓、両者睨み合いになってしまったのでここで茜が事情を話す事になった。
もちろん小野畑隆に襲われた事は言えないのでそこを改ざんして。
「成程。服をひっかけて下着が丸見えになったから剣におんぶしてもらってボタンをここで付けようと思ったら寝ちゃったと」
「そうです。それでお風呂に入っていたら肝の小さい剣が慌ててやってきただけです」
「肝の小さいは余計だろ……」
「なんだ、じゃあ体の関係はなかったのね」
茜は頷いて弓の誤解は解けたようだ。
だがまだ疑問は残っているだろう。茜の素性だ。
弓が聞いてきたので茜はファウンドラ社で作成された自分の経歴を答えてやる。
「私は父について世界を回っていたんですけど、紛争地帯ではぐれてしまって無我夢中で逃げていたら道に迷い、餓死しそうになって……そこに剣君が颯爽と現れて私を保護してくれました」
剣がファウンドラ社で働いている事を両親は知っている。しかし雪花と同じ慈善事業を行っていると思っているのだ。
「それで私はもともと日和の国出身なのでここで暮らす事に」
「お母さんは?」
「母は……私が生まれてすぐに病気で……」
茜は感情的になって言葉に詰まる事はあるものの、噛むこともセリフに詰まることもなくスラスラと答える。
父とはぐれた、ところに関しては強がって笑う少女を演じ、母が亡くなったところは少し陰のある表情で。
その改ざんを散りばめた答弁に剣は少し不安だったのだが、これほど完璧に答えられたら怪しまれることはないだろう。
茜の演技力には剣も脱帽せざるを得ない。
そして剣に救われた、という所でぱっと表情を明るくする演技は、剣に対して印象は良いという現れだ。
それを剣の家族がどう受け取るかは明白。
先程は剣を友達だと返したが、その先の道もまた明るい。という印象を家族だけでなく剣にも与える茜の演技はたいしたものだった。
総評して辛いこともあったが健気に生き抜こうとする健気さを感じさせる事が出来ただろう。
その女優顔負けのセリフ回しと演技力に剣はうんうんと頷いて満足げだ。
「オー! ナンテ素晴ラシイ御嫁サンデショウカ!」
そして茜はルイスに会う前は茜は戦争孤児、という設定になっている。本当は光で男の姿だったのだが、茜の馬鹿にされたくないという要望から剣はその設定を信じ込んでいる。
「アナタはトテモ強イオ嫁サンデース!」
「いえ、あの、違うんですけど」
オルカは茜を引き寄せて優しく抱きしめてやる。背中をポンポンと叩いてまるで子供を安心させるように。
「ワカッテマスヨー、果報は寝テ待テデスネー、キット茜サンのパパサンも無事デスネー」
「あ、ありがとうございます」
オルカは優しい抱擁を解く。そして茜に一言。
「デハ花嫁修業シマショウ!」
オルカは何もわかってはいなかったのだった。
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