第56話 ~お風呂に入りたかった茜~


「う、ん……」


 茜は目を覚まし、間抜けな欠伸をして手を伸ばし体を伸ばす。


「あれ……寝ちゃったか」


 開け放たれたカーテンは閉められている。それでも遮断しきれないくらい外は光で溢れており、カーテンの隙間から一筋の光が漏れ出していた。

 それはUFOが飛来し、目が眩まんばかりの光を照射しているのではない。


「もう、朝か」


 時計を見れば短い指針は七を示し、長い指針は十二を少し回ったところだった。


「はぁ……熟睡だった」


 ここで茜は寝てしまう直前の耐性を思い出す。

 ベッドの上から足を投げ出して寝ていた筈だが、ちゃんと枕の上に頭を載せ、体には毛布がかかっている。


「我ながら寝相がいいな」


 これを寝相というにはあまりにも不自然だ。恐らく剣が体勢を変えてくれたのだろう。

 その剣と言えば小さなソファで毛布も掛けず寝息を立てていた。体を変に曲げて寝にくそうな体勢で。よく眠れるなと茜は感心するくらいに。


「毛布……」


 剣が茜の体に毛布を掛けてあげたのだろう。煽情的な茜の体を隠すように。剣は茜の寝こみを襲うような事はしなかったようだ。


「ふふん、美少女は得だねぇ」


 茜は目を細めて笑う。

 恐らく茜が男であれば毛布は取り合いの喧嘩になっているところだ。

 そして床には剣が苦労して入手した裁縫道具が鎮座していた。

 茜はベッドを降りる。


「よし」


 茜はもう一度全身を伸ばし、小さく声を出してやる気をだすのだった。



「ん……あ、もう朝か」

 

 朝日を感じ、剣も目を覚ます。

 ソファで寝たので体のあちこちが固まって痛いのだろう、首を左右に振るとコキコキと骨が鳴る。そして体に毛布がかかっている事に気が付いた。


「あれ、毛布は確か」


 剣ははっとしてベッドを見るが、既にもぬけの殻。茜の姿がない。

 

「茜っ!?」


 剣はソファから立ち上がろうとしてずっこけてしまう。どうやら変な体勢でずっと眠っていたからか、足に力が入らなかった。


「くっ、まさか……夢?」


 起き抜けに茜の姿も形がなく、まるで寝て起きたら夢だったという感覚にとらわれる剣。

 剣はルイスから運命の相手だなんだと担がれ、実のところ何処か物語の主人公になったような興奮を覚えていた。茜にはいい所を見せようとすかして格好つけていたが実のところかなり真に受け興奮してしまっていたのだ。

 これからこの運命の少女と世界を揺るがす何かが起こるのではないかと、よくある物語のように期待して。男の心はずっと少年のままなのだ。

 それなのに茜の姿はない。

 これも良くある話だろう。運命と言われた少女が忽然と姿を消す。


「何やってんだ俺は」


 ソファから転げ落ちて天を仰ぐ剣。両の手を広げて伸ばし大の字になる。

 カーテンを貫通して無理やり入り込んでくる朝日が天井に影を落としている。舞う埃を光が照らして一筋の光の通り道が出来上がっていた。


「ん?」

 

 その時、手に何かが当たった。それは茜の着ていたであろうワイシャツが。

 

「なっ」

 

 剣は急いで起き上がり、そのワイシャツを拾い上げる。調べると外れていた筈の二つのボタンが縫い付けられていた。


「夢じゃなかったか……そうだよな」


 やはりこれは夢ではないと、剣は安堵の溜息。

 だがここで疑問が残る。なぜ服がそのままで茜がいないのか、という事だ。

 ここに服があるという事は茜は上半身に下着以外何も付けてない事になる。


「いやいや……いやいやいや! 何やってんだあいつ!?」


 幸い隠蔽工作の為に部屋に持ち込んだまだ靴はある。外には出ていない。だが部屋にはいない。

 つまり下着のまま、家の中を歩き回っているという事になる。

 そんな姿で歩き回られたら家族になんて言い訳したらいいか分からない。ただの友達だなんて言い訳しても誰も信用してくれないだろう。ましてや下着姿でうろつくような友達なんて不健全として家族としては容認できず、剣は叱られてしまう。

 

「おい茜、どこだっ」


 剣は部屋を出て小声で、行方不明のネコでも探すように茜を呼ぶ。

 今日は土曜日。まだ家族は起きていないようだ。だが時刻は八時を回ったところ。すぐに見つけ出さないと家族が起き始めてしまう。


「どこにいるんだあいつ……」


 トイレを探してみたがいない。下の階にもトイレはある。

 忍び足で降りてトイレを探すがやはりいない。

 するとお風呂場から物音がした。


「なっ、あいつまさかっ」


 剣は風呂場に隣接する洗面所のドアに手をかける。

 だがそこで剣の手が止まった。

 何故ならこの先は洗面台でその奥は風呂場だ。そこが何をする所か誰にでも分かる。

 そして茜が風呂に入った後だとすれば服を着ていない可能性がある。入る前だとしても服を脱いでしまっているかもしれない。そこで扉を開けようものなら茜に叫ばれ、家族全員が目覚め、何事かと駆け付けてくるに違いない。

 と、剣は一瞬迷うが、はだけた胸元を見られてもさほど恥ずかしそうにしない茜を見ている。裸を見られたところで叫ぶような可愛らしい性格だろうかと、自分で想像した茜の行動に懐疑的だ。

 それに開けて、もし裸だったらと想像すると剣は赤面してしまった。

 

「いやいや、やっぱダメだろ、人として」


 剣は諦め、扉から手を放した瞬間、扉が開いた。


「誰だ? そこでぶつぶつ言ってるのは?」

「え?」


 見るとそこにはやはり茜がいた。

 その扉は茜が自分で開いたのだった。


「茜……」

「お、剣じゃん」


 茜はいた。

 それは生まれたばかりの一糸纏わぬ姿、ではなかった。

 またしてもオーバーサイズのワイシャツを纏っていたのだった。既に風呂から出て髪を乾かした後。残念な結果だった。


「おはよ。良く寝てたな」


 そう言って茜は意地悪そうに笑った。

 それはただの挨拶。茜は単におはようといっただけ。更に剣の寝顔が間抜けだったのを思い出したのか意地悪く笑った。ただそれだけなのだ。

 だが剣の目にはまた違う世界が映し出されていた。

 風呂場の窓から溢れてくる大量の朝日が後光となり茜を照らす。それはまるで一夜を共にし、朝起きて隣でおはようと微笑みかけてくる恋人のように。しかも茜は剣のワイシャツを着用しているのだ。

 剣はしばしの間、そんな茜の姿に見とれてしまい言葉を失った。


「……どうした?」

「あ、いやそれより……お前、何やってんだよ」


 直ぐに我に返った剣は怒りと、想像通りの姿ではない無念を茜にぶつける。


「お風呂入ってた」


 床には黒色の下着やスカートやらソックスやらが乱雑に脱ぎ捨てられている。

 それを見て剣は何とか視線を茜に戻す。


「み、見ればわかる……それは?」


 茜が纏っているワイシャツは剣の服。勝手に拝借したようだ。

 

「着る服が無かったから借りた」


 そして自分の髪をかき上げて乾いてるか確認する茜。

 サラサラでふわふわの髪が掻き揚げられて落ちてくる。その様は男の目線を奪う仕草であり、更にシャンプーのいい香りが剣を襲う。

 

「やっぱり髪が長いと乾かすのに時間かかるなぁ……私は坊主にしたいんだけどさ、セレナさんにころさ――」

「いや、坊主はないだろ!」


 そこには食い気味に、素早く、強く否定する剣。

 

「うぇっ?」

 

 語気が強くなり茜もびくついて変な声を出してしまう。


「ま、まあセレナさんに怒られるからこのままにするけどさ」

「絶対今の方がかわ……似合ってると思うぞ!?」

「あ、うん。ありがとう。でも邪魔だからなぁ、誰か間違えて切ってくれたら――」


 剣は言葉を遮るように手の平を茜に向けて待ったをかける。


「いや、そうじゃない……そうじゃないんだ!」


 そう、問題はそこではない。


「親にバレる! 風呂なんか入るなよ!」


 このままでは茜がいる事が親にバレてしまう。

 しかも状況はさらに悪化している。先程の上半身下着姿もまずいが剣のワイシャツ一枚で下に何も着用してないのが更にまずい。


「だって、何かべたついてたしさぁ」


 あっけらかんとして危機感のない茜。

 今は六月。海に囲まれている日和の国は湿気が多い。更に病院でシャワーを浴びてから結構経っている。

 飛空艇では寒かったが運動量は多く汗もかいているだろう。悪夢に襲われて寝汗もかいている。茜も体がべた付くのは嫌なのだろう。

 更に茜は剣にとって年頃の少女。風呂に入れないのは酷だろうと剣は思いなおす。

 

「そうか、それは仕方ないか……しかし、お前……またなんて格好を……」

「ああ、ボタン付け終わったから風呂でも行こうと思ったんだけどさ、そのまま服忘れちゃってさ」


 元男だけに周りからどう見られるかの認識に乏しい。男でも慣れた友達の家であれば上裸でも堂々と部屋を出ることもだろう。

 そして乾燥機の中にあった剣のワイシャツがあった為、それに着替えたとの事だった。昨日、剣が家に帰った時のワイシャツだろう。


「やっぱちょっとでかかったかな。でも下まで隠せるしいいか」


 茜はそう言って袖をまくって手を完全に出す。

 乾燥機の中には他の衣類もあった。

 剣には姉がいる。その服もあったのだが茜は元男。流石にそれを着用するのは抵抗があるのだろう。

 剣はそんな茜の姿を以前一度見ている。とはいえ、髪は長く毛虫のようだった。更にオーバーサイズのワイシャツを着て動く茜を生で見たことはなかったのだ。しかもふわふわで美容師エリザベスが切った可愛らしい髪型。


「どうした? 服は洗って返すからそんな怒るなよ」

「いや、別に洗わなくていい、むしろ洗うな。だがそうじゃないんだ」


 支離滅裂な事を言う剣を訝しげに見る茜。

 剣は茜から視線を外し、目を逸らす。


「顔赤いぞ?」

「あ、いや……ていうかその姿じゃ何処にも行けないだろっ」


 その言葉に、茜はむっと来たようで床に落ちている自分のショーツを拾い上げて指に掛けてぶんぶんと振り回す。


「お前は風呂に入った後に、履いていた下着をまた付けろというのか!?」

「ふ、振り回すな! とにかく! 誰か起きてきたらまずい! さっさとここを離れ――」


 その時、茜と剣は誰かの気配を察知した。誰かが階段を下りてくる。

 剣は扉を閉め気配を探る。階段を下りた人物は真っ直ぐに二人がいる場所に向かって歩いてくる。

 人が朝起きて、最初に来る場所はトイレか洗面台だろう。

 この緊急事態に茜は意地の悪そうな笑みをこぼしながら口を開く。


「じゃあテストしてあげよう。誰かがこの風呂場にやってきたら剣ならどう切り抜けるか」

「は?」

「ふふ、この状況を切り抜けてみたまえ。剣もファウンドラ社のエージェントなのだからな」


 茜は口調を変え声の高さを落とし、偉そうに剣に試練を与えるとのたまう。

 茜も常々思っていたのだ。剣にも機転の利いた行動をとって欲しいと。


「くっ」


 茜の言うように剣はファウンドラ社の裏組織で暗躍するエージェントだ。

 しかし腕っぷしは良いが機転が効かず、光とコンビを組む事で欠点を穴埋めしている状態。だから茜としても剣には成長してもらいたい。そして剣もそこは分かっている。

 何故一般人の少女にそんな事を言われなければいけないのかは理解しかねるだろうが剣は「分かった」と苦々しく了解した


「朝っぱらから誰が風呂入ってんの? 顔洗いたいんですけど~?」


 閉め切られたドアに不満をあらわにする声は女性。剣は茜を見るが茜は意地悪そうに笑うだけ。やってみろという事だろう。


「あ、ああ俺だ。今裸だからもう少し待ってくれ」

「ああ、なんだ剣か。朝からお風呂って、これからデートでもすんの?」

「別にそんなんじゃ」

「ふーん」


 相手は女性だ。異性が裸だとすれば扉を開くのははばかられるだろう、という剣の魂胆だ。

 と、剣がため息をついたのも束の間、洗面所の扉が開かれた。

 剣が抑えていたにもかかわらず、それをものともしない力で。

 

「あんた男なら彼女の一人や二人作って連れて帰って……」


 剣の力を跳ねのける女性は剣の姉、弓だった。


「き……てる?」

「あ、姉貴!?」


 弓は剣と違って髪は黒いが目は青い。

 弓はその青い瞳を丸くして言葉を失う。

 剣は茜を必死で隠すが脱衣所は狭い。そしてそもそも茜は隠れる気がない。剣の背後からひょっこり顔を出し手を振っている。

 

「……へ?」

「お邪魔してまーす」

「ああ……どうも、お構いなく?」


 笑顔で挨拶する美少女に、弓はつい頭を下げ、訳の分からない事を返してしまう。


「姉貴……落ち着け? これは違うからなっ」


 弓が頭を下げた事で視界に入ってしまう、スカートや下着の数々。どう見ても女性用で剣のものではないということが分かる。


「まさか……あんたその子」


 弓は茜を指さした後、剣を指さし、また茜を指さしてを繰り返す。


「へ? あ? お?」

「落ち着け姉貴っ」


 弓は頭を押さえて信じられないというジェスチャー。その後に来る動作は決まっている。


「つ、剣に……」

「まてまてまてっ」

「先こされたああああああ!」


 剣の姉は大声で家族を呼んだのだった。

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