第55話 ~剣の家~


 剣は自分の家にもかかわらず忍び足で侵入し階段を上る。

 時刻はもうすぐ十一時。家は静まり返っている。家族は皆、眠ってしまったのだろう。

 剣は茜を自分の部屋に入れ、廊下に誰もいない事を確認して自分も後に続く。もちろん茜の靴も持って入り、今は床に裏返しでおいている。


「ふう」

「堂々と入ればいいのに」

「見つかったら説明が面倒だろ?」


 あっけらかんとした表情で茜は言い、そんな冗談に剣はしかめ面で答える。

 そして実際面倒なのだろう。

 ボタンが外れ、ワイシャツがはだけた美少女を一晩泊める。そして今夜、剣と美少女の二人きりになった部屋で何をするのか。家族がどう思うか。想像に難くない。

 更に正体不明の青年に襲われたと釈明すれば警察沙汰となる。

 だが茜もそんな事は分かっている。

 

「剣がどんな言い訳するか興味はあるし」


 茜は悪戯好きだ。そして少し度が過ぎている所がある。

 剣は呆れた視線を茜に贈ると意地悪くクスクス笑い返された。「堂々と入ればいいのに」という発言もまんざら冗談ではないのかもしれない。

 ここは秘密裏に家に入り、翌日誰にも気づかれず雪花の家に帰すのが妥当だろう。

 剣の家に泊まると雪花に連絡した時も面倒だった。というよりも雪花が母親にどう説明すればいいか雪花が面倒くさがったのだ。茜は全て雪花に任せて直ぐに通話を切ったのだが。


「適当にくつろいでいてくれ。裁縫道具取ってくるから大人しくしてろよ?」

「ああ、ありがと」


 茜はお礼を言って剣を見送ろうとする。だがそこで剣はドアノブに手をかけて再度茜を見る。


「ん? 何だよ?」

「絶対外にでるなよ?」


 念を押す剣。

 剣は茜をあまり信用していないようだ。だが茜も疲れたのだろう、軽く敬礼をして一言。


「出ないと誓います」


 そう言う茜の表情は少し疲れたように笑っていた。幾分声に元気もない。

 茜のそんな弱々しい様子に確信を得たのか、剣は頷き部屋を後にする。


「はぁ、信用無いな」


 茜は部屋を見渡してみる。

 広さとしては八畳くらいあるだろうか。

 部屋の中は閑散としており、机とソファ、本棚に少しのマンガがあるくらいだ。後は窓から差し込む月の光を浴びた何処か神秘的なベッドが一つ。

 物が少ないのは日々ファウンドラ社の依頼で世界を飛び回っている為、あまり家にいないからだろう。


「そういえば前に来た時にベッドの下にエロ本があったような。まだあるかな」


 前に来た時、というのはもう四年前になる。茜は四年前から一度も日和の国に帰った事がないのだ。

 茜がベッドの下を調べようとした時、セレナから連絡が入った。


『エロ本の探索の前に何が起こったかの詳細をお願いします』

「ああ、ボス……いや、セレナさん。聞いてたんですね」


 まだ耳につけた通信機は装着されている。セレナも常時聞いているわけではないが異変に気付いて確認していたのだろう。

 茜はベッドに腰掛ける。


「剣を向かわせてくれて助かりました」


 今回はセレナがたまたま聞いていてくれて助かったのだ。

 青年の後をついて行く茜を見て剣を派遣したとの事だった。


「それにしても良くあの青年が悪人だって気づきましたね」

『何となく、悪い予感がしました。あなたがあの青年に声を掛けられた直後から心拍数が急激に上昇し、ずっと下がることが無かったので。むしろ上がり続けていました。そんなに茜さんを恐怖させる事象がありましたか?』


 イヤーセットには心拍数を計測する機能も付いている。そして声を掛けられた直後に心拍数が上昇したとの事。

 確かに茜は背後に忍び寄る青年の気配に気づくことが出来なかった。そして青年と対峙した時も万力グローブをつけ忘れる失態を犯してしまう程に精彩を欠いていた。茜はそれをセレナに伝える。


「それに、あいつと対峙すると何ていうか……逃げ出したいという気持ちになって……かっこ悪いですが」


 そんな情けない気持ちを正直に吐露して茜は自嘲気味に笑う。

 イヤーセットにはカメラも付いている。青年にボロボロにやられていたところも見られているだろう。隠し通せることではない。


『小野畑隆、十五歳』

「え?」

『あなたのイヤーセットの映像で素性を確認しました』

「早いですね。それであいつは?」

『日和の国在住の捜査員を派遣しました。現在調査中です』


 ファウンドラ社のエージェントは世界中に多く散らばっている。日和の国も例外ではない。そしてファウンドラ社のトップエージェントが襲われたのだから捜査員の派遣は当然だろう。


「そういえば……その小野畑隆と私は面識はなかった筈ですが何故かあいつは」

『会ったような事を言っていましたね』

「この姿になってまだ二、三日しかたっていないんですよ?」

『そうですね。まさか茜さんの正体を見抜いたからでは?』

「そんな馬鹿な。私をレイプしようとした奴ですよ?」

『冗談です』

「そうですよね……」


 セレナはたまに良く分からない冗談を言う。師匠に当たる人物なので茜のきつい冗談はセレナ譲りなのかもしれない。

 茜は気を取り直し、セレナに疑問点を問う事にした。


「気になったんですけど、セレナさんから貰った青桜刀の前の持ち主って女性ですか?」


 とは小野畑隆が茜の握る青桜刀を見て「憎たらしい」と呟いていたからだ。更に「前の女を思い出す」とも言っていた。


『そうです』

「死因って……聞いてもいいですか?」


 青桜刀の持ち主はセレナの尊敬する人と言っていた。その死因を聞くのはいささか憚られるものの、議題に挙がる人物なのだ。茜はそこへ切り込む事にした。

 しばらくの沈黙の後、セレナは答える。


『弱っていたところを……胸をナイフで一突きにされたようです』

「その場所は何処ですか?」

『秘密です』

「へ?」


 ハードルの高い死因は話す事が出来たのだから場所を言えないわけがない。

 そう茜は思ってすぐさま聞いたのだが何とも肩透かしだ。

 日和の国と場所が近ければそこに共通する何かが見えてくるはずだ。茜と容姿が似た人物を近くで探しているのか、余罪があるのかなど。

 だがそれは秘密という。


『実は老会の方々に止められてまして』

「え? 老会に?」


 これまた意外な名前が出てきた、と茜は眉根に皺を寄せてしまう。

 なぜ老会がセレナと関係がある人が死んだ場所を秘密にするのか。


『しかし、そこからかなり遠く離れた場所です。恐らく小野畑は青い刀と何かを勘違いしたのではないでしょうか?』

「そ……うですか。まあセレナさんがそういうのであれば信じます」


 あの美しい刀と見間違うなんてあるわけがない。ましてや刀という、バドルに言わせれば古臭い武器なんてそうそうお目に掛かれるものではないのだが。

 茜はそんな馬鹿なと言いかけて止め、場所を知っているというセレナに同調するしかなかった。


「後、疑問なのが、あいつ六人……いや、七人……小野畑セブンになってたんですよ。斬った手応えもあったのに」


 六本の柱から出てきた小野畑と屋根から振って来た小野畑で七人という事なのだろう。


『その事なのですが……映像を解析したところ』

「何のトリックか分かりました?」


 少しだけ言い淀むように、おぼつかない口調でセレナは話す。茜は疑問を覚えながらもどうせ何かのトリックだろうとセレナの答えを待つ。


『何もありませんでした』


 その返答がこれだ。

 何もない、というのはトリックがなかったのかは分からない。いつもはきはき、明確に物を言うセレナにしては良く分からない解答だ。


「……何もないとは、どういう?」

『小野畑は上から降って来た一人だけでした。何もない所に向かってあなたは剣先を向けている所しか映っていません』


 ここで茜は無言になる。それではまるで心霊現象、幽霊ではないか、と。

 茜が見たときは脚もちゃんと生えていた。地に足をついてコツコツと石畳を踏み歩いていたのだ。音も聞いている。


「そ、そんなわけ――」

『目を瞑って下さい。その画像を映します』


 セレナはイヤーセットを通じて視神経に信号を送る。目を瞑って茜がその映像を見ると、セレナの言った通り何もない虚空を斬る青桜刀の閃光があるだけ。


『幻……またはあなたの感覚を支配する明鏡共鳴の保有者かもしれません』


 これしかないだろう。小野畑は明鏡共鳴で特性を開花させている。この明鏡共鳴については未だ研究段階ではっきりとした事は分かっていないがこれ以外に説明がつかない。

 

「感覚を支配する特性……そんなのどうすればいいのやら」

『少なくとも単独での行動は避けるべきです。そして怪しい人物には近づかない』

「怪しいって言ったって十五歳の青年だしなぁ」

『でもあなたは感じ取ったはずです。思ったように動けず蛇に睨まれた蛙、になるのでしょう?』


 少なくとも予兆はあった。

 危険なにおいが少しでもあれば逃げればいい。距離を取れば支配された感覚も元に戻るはずだ。


「それって睨まれたら終わりなんですけど」

『とにかく、君子危うきに近寄らずです。興味本位で行動しないようになさって下さい』

「はーい」

『……』


 軽く返事をする茜。

 しかし負けた悔しさをいつか晴らそうと茜は画策していた。

 今度会った時は必ず勝つと。

 セレナも茜が素直に言うことを聞くとは思っていないのだろう。溜息をついて不満げだった。


『それと……あなた自身は大丈夫ですか?』

「ちょっと頭を打って、後頭部が少し膨れているくらいで、特に異常は――」

『検査して下さい。病院は予約しておきます』

「大袈裟な」

『絶対に検査してください!』

「は、はいっ……分かりました。あ、ありがとうございます」


 茜の事が心配なのだろう。セレナは珍しく語気を荒げて茜にイヤーセットを通して詰め寄った。

 セレナは茜に甘い所がある。だから余計に声を荒げるのだろう。


『分かればいいのです。そう言えば私からも一つ、茜さんは共鳴強化を使えたはずです。しかし飛空艇からこれまで使用した形跡がないのですが何か事情が?』


 茜は少女の姿になる前は共鳴強化を使用できていた。

 バドルと戦った時も共鳴強化を使用していたのだ。


「ああ、それなんですけどね」


 共鳴強化が必要な場面はあった。

 バドルの触手に襲われた時、共鳴強化で身体能力を上げていれば捕まる事もなかった筈なのだ。

 だが茜が言うには共鳴力を集めても体から出て行ってしまうという事だった。だが茜色の奇跡は放出型の技なので多少の問題はあったが、なんとか使用出来たとの事だった。


「でもこの刀のおかげで腕力以上の力が出せるのであんな悪魔とさえ戦わなければ問題ないです」

『それは、少女化した影響でしょうか?』


 少女の姿になってから使用できなくなったのだからそうなのだろう。原因は不明だが共鳴強化が使用できないとなると、かなりの弱体化となる。青桜刀と万力グローブがあるにはあるが男の時のようにはいかないだろう。


「良く分からないですね」

『……ともかく、小野畑を見つけてもリベンジマッチなどしないようにお願いします。では』


 無線が切られて茜は体をベッドに預ける。そして深いため息。


「……バレてた」


 少し埃っぽいのは剣も久々に帰って来たからだろう。舞い上がった埃が月光の軌跡を描いて茜を照らしている。茜の桃色の瞳が月光と合わさって薄い紫の色に染められていく。

 茜が目を閉じると体は柔らかいベッドに沈み込み、どこまでも落ちていくような感覚に陥る。

 少女の姿になってまだ三日もたっていない。なのに多くの事が起こり過ぎた。

 古代の遺物、終末の悪魔、自分を強襲する青年の存在。さすがの茜も疲れが出る頃だろう。

 茜色の奇跡を放った後、眠っていたのだがずっと悪夢にうなされていた為ろくに寝れていない。頭も打ち、実はまだふらふらするのだ。


「はぁ。疲れたなぁ……」


 心地よいフカフカのベッドと疲労から眠気が襲ってくる。

 そこへ剣が足音を忍ばせて戻って来た。裁縫道具であろう木箱を携えて。


「すまん。裁縫道具の場所が分からなくて遅くなった」


 普段裁縫などやらないだろう剣には暗い中、家族にバレずに見つけるのは困難を極めただろう。

 だが茜の返事はない。

 目をやれば茜はベッドで仰向けになって倒れている。


「おい、お前寝てるんじゃ」


 人に取りに行かせて何寝てるんだと、怒りたくなる剣だが目の前にはそんな考えがどうでもよくなる光景が描かれていた。

 剣のベッドの上で、両の手を広げ、はだけたワイシャツのまま胸の谷間を露わにして。黒色の下着がチラリと見えてしまっているにもかかわらず。

 ベッドから垂れる脚は短いスカートと黒いニーハイソックスで形成されており、その間からは白く柔らかそうな肌が露出している。

 あまつさえ茜の桃色の可愛らしい唇からは小さな寝息が聞こえてくる。


「ほ、本当は起きてるんだろ?」

 

 ドッキリに命を懸けている茜の事だ。そんな煽情的な恰好でまた自分を赤面させようとでも思っているのだろうと、剣は警戒する。しかし、それでも茜の返事はない。

 窓から差し込む月の光が茜の柔らかそうな頬に青白いハイライトを描く。目を瞑った際のまつ毛は長く、下瞼にささやかながらに月光の影を落としている。

 線を引く月光がそれらを更に神秘的に演出していく。

 剣はこんなにまじまじと茜を眺めるのは初めてだった。

 いつも顔を突合せると恥ずかしくて顔を背けてしまう。目をまじまじと合わせても意地悪な笑顔と共に魅惑的な言葉で遊ばれてしまうから。


「本当に……寝てるんだな?」


 だが今、茜は完全に眠っており無防備な状態。

 剣は生唾を飲み込んで喉を鳴らす。そして剣は手を茜に向かって伸ばした。

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