第54話 ~運命の相手~


 茜はいきなり、剣の背中でそんな事を言い出した。猫なで声の甘い声音で。

 突然何を言い出すのかと、剣の背筋が若干伸びたのを感じる茜。


「あ、茜? それはつまり……どういう事だ?」


 少しの期待と、大きな困惑が混ざっているような声で聞き返す剣。

 剣は怖い思いをした少女を間一髪のところで助けたヒーローだ。飛空艇アシェットでも茜を窮地から救っている。

 だから茜は自分に惚れており、質問には野暮な事を言うな、と赤面して答える茜でも想像しているのだろう。

 だが現実はそんなに甘くない。

 当の茜は効果有りと、剣の背中でほくそ笑んでいるのだから。

 作戦はあくまで剣が茜の事を好きになって告白させなければならない。その為には茜が剣に気があると匂わせ、出来るだけ長く傍にいる事が望ましいのだ。

 だがそんな事を言えば茜が剣を好きであるかのような誤解を受けてしまう。だから茜はその理由も用意してあった。


「ボタンがとれてるから」

「……え? あ? ボタン?」


 しばらく沈黙した後、分かりやすく剣の声がトーンダウンする。

 剣のいかがわしい妄想は頭の中で割れて脆くも崩れ去っている事だろう。


「こんな格好、雪花の母親に見られたら心配かけるだろ?」


 それが茜の用意した理由だった。

 こんなボタンが外れて、はだけたワイシャツで雪花の家に帰れば二人共心配するだろう。襲われたとなれば警察を呼んで被害届を出して、と大事になる。

 剣もそれを察したようだ。


「ああ……そう、そうだよなっ。俺もそう考えてた。本当に……そうだよな」


 そのああ、は茜の心中を理解した事と、砕け散った妄想を名残惜しく見送った事にだろう。

 そして口数多く茜の意見に同調したのは自分のいかがわしい勘違いを打ち消す為。


「ん? 何か他の事考えてた?」

「そんな、全然っ、えろ……もとい、いかがわしい事なんか考えていないが?」


 茜の一言は予想以上に剣に効いている。

 と、茜にとって喜ばしい所なのだが、何分言い訳が下手過ぎる。ずっとコンビを組んできた相棒がこの体たらくでは先が思いやられると、茜は残念そうに溜息をついてしまう。


「騒がれて警察とか呼ばれたら面倒だしな」

「確かに面倒だな」


 雪花の母親は茜を気に入っていた。娘にしたいと冗談めかして言っていたくらいに。光と重ねせてハグもしていたのだ。心配しないわけがない。一般人であれば間違いなく警察に通報するだろう。

 だが剣と茜は一般人ではない。裏組織のエージェントだけに身分も所属する組織も話せない。だから警察に介入されることを心理的に嫌う。

 だから剣は通報しない事に違和感を覚えない。茜が一般人であるにもかかわらず。

 二人の意見は一致している。だから剣と茜は一路、剣の家へ向かうのであった。

 

 

 ごたごたしていたが剣とゆっくり、まともに話したのは飛空艇以来だと茜は思い出す。

 悪魔で釣りをしようと断られて以来だろう。

 そう言えばと、茜はまだ剣に聞いていない事があった。ルイスと一緒に自分を連れて飛空艇を脱出していた事を。その詳細をまだ剣からは聞いてない。

 

「そういえばさぁ、飛空艇から私を運び出してくれたんだっけ?」

「そうだな」

「剣ってルイスと会ったんだよな?」

「ああ、お前を保護してくれって」

「どんな流れでそうなったか覚えてる?」

「ああ、あれは確か、時間になっても光が来なかったから発信機の位置を見て探しに行ったんだ」


◇飛空艇アシェット爆発時


 十二時半を回った頃、飛空艇アシェット内部は光が仕掛けた爆弾により次々と爆破を起こしていた。

 爆破は起こるが光から何の応答もない。痺れを切らした剣が発信機の信号を頼りに光の居場所に辿り着いた時。丁度部屋からルイスが出てくるところだった。


「ん?」

「おや、君は剣君だね」

「え? 何で俺の名前を」

「ああ、光君から聞いたんだ。それより」


 ルイスの腕には長い青髪の少女が抱かれていた。


「この子の保護を頼みたい」

「え?」


 そう言ってルイスはその少女を剣に差し出して来るので、お人好しな剣はそれを一旦受け取ったのだ。


「では脱出する! ついてきたまえ!」

「え? ちょっと待て! ここに光が……俺と同じような恰好をした男が来なかったか?」


 剣は体だけ乗船員と同じ格好に変装していた。それを変装を解いて黒いスーツにワイシャツの姿になる。


「ああ、来たよ。この子に服を着せてやった後、どこかに行ってしまった」


 ルイスは嘘をつく。光が少女化した事を誰にも知られたくないと言っていたので気を利かせてくれたのだろう。

 発信機はワイシャツの襟の裏に装着されている。光がこれを脱いでしまったらもうどこいいるか分からない。

 

「どこかってどこに?」


 そんな事を話していると爆発の音と衝撃がどこかで響く。更に船体がゆらゆらと傾いては戻るを繰り返している。


「分からない。そんな事より早く脱出した方がいい」

「ああ」


 光の事だ、上手く脱出するだろうと、剣は走り出す。


「脱出ポッドを使おう。緊急着陸地点まで自動で移動してくれる」

「分かった」


 脱出ポッドがある所には乗船員が殺到している筈だ。剣は乗船員の服に全身のホログラムを変更し直して脱出ポッドに向かう。

 飛空艇の三階に脱出ポッドが大量に格納された脱出口があった。そこにはやはり大勢の乗船員が殺到している。

 

「あ、ルイス博士! 早く乗って下さい!」

「ああ、ありがとうラノック船長」

「いえいえ、あなたを失えば我々は今以上に甚大な損害を被りますから。そちらの少女は?」

「私の連れです。運ぶために乗船員の一人をお借りしたい」

「遠慮なくどうぞ」


 上手く詮索無しに載せてもらうルイス。世界遺産のルイスの研究に一般人が介入しにくい事を逆手にとって。

 剣達は順番を譲ってもらい三階の出口から脱出ポッドで脱出した。

 これは四つのプロペラで動く小型の輸送機で自動で運転し空中を飛んでいく仕組みになっている。

 やがて陸の上に来た時、剣は脱出ポッドの扉を開けて飛び出す準備にかかった。茜はルイスにあてがって。


「おや、もう行くのかい?」

「ああ、俺は乗船員じゃないしなな」


 このままいくと恐らく近くの広場か、空港、公的機関のいずれかに場所に着陸するはずだ。

 剣は招かれざる客。そこへは行く事は出来ないのだ。


「そうだね。じゃあ彼女も君に任せる」

「は? どういうことだ?」


 ルイスはおもむろに茜を剣の膝の上に載せた。


「彼女には君が必要だ」


 そしてそんな事を言うルイス。剣はただただ呆然と茜を見下ろした。


「いやいや、何言ってんだ? 訳が分からない……」

「彼女はこの先……様々な困難が待ち構えている運命にある」

「困難? 運命?」

「私ではそれらから彼女を守る事が出来ない。だから君に託したい。いや、君でなければ彼女は守る事が出来ないだろう」


 剣はルイスの目を見るが真剣そのもので嘘をついているようには見えない。


「そんな事、急に言われてもな……」


 もう陸の上を飛行している。さっさと脱出しなければいけないのにルイスは剣に茜を押し付けてくるのだ。

 剣は訳が分からず、説明をして欲しいが時間もない。ルイスもそれは分かっている。だから抽象的な事しか言えないのだろう。


「今、この世界は大きな変革を迎えている。彼女はその真っただ中にいるんだ……君もね」

「は? 何を……何のことを言っている?」


 地面と茜を交互に見ていた剣はそんなルイスの言葉にしかめっ面でルイスを見返してしまう。

 変革とは何だ、困難とは何だと質問は溢れ出して留まる事をしらないがそんな時間は無いのだ。

 だがルイスの説得は続く。


「これから世界は大きく移り変わる。彼女はその先頭に立つ存在だといっていい」

「言っていることが支離滅裂で……俺は一人で降りる」


 剣は茜をルイスに返そうと持ち上げるがルイスがそれを手で制す。


「まあ聞きたまえよ剣青年。君とこの少女が今ここで出会ったのは偶然ではない」

「……じゃあ何なんだ」

「運命さ」


 よくある小説や映画でもてはやされる言葉だ。

 生まれた瞬間に定められた道を決められる呪いの言葉でもある。


「運命?」

「そう。物語なんかでよくあるだろ? 運命を背負って波乱万丈の人生を生きるような」


 そんな呪いの言葉に登場人物はときめき、困難を乗り越えながらも突き進み、苦難の末に栄光を手に入れるのだ。


「だがこれは嘘偽りのない現実だがね」

「そうか、じゃあな運命」


 だが剣は再度、茜をルイスに返そうと持ち上げる。だがルイスがまたそれを手で制す。


「まてまてまて、運命だよ!? 君も男なら運命という言葉にときめきを禁じ得ない筈だ!」


 そう言われれば男である剣はときめかないわけではない。

 だがそれを利用して面倒ごとを押し付けられる程、剣は馬鹿ではないのだ。


「他を当たってくれないか……」

「君にとって運命の少女なんだよ!? いや、彼女は君の運命の相手! かもしれないんだよ!?」


 かもしれないと言ったのは茜が元男だと知っているからだろう。ルイスのなりふり構わない必死さがひしひしと伝わってくるというものだ。

 だが剣は年頃の青年だ。そんな運命の相手という言葉に、女性に、耐性がなかった。


「運命の……相手」

「頼む。彼女を助けてくれないか?」


◇現在


「って感じだったな」

「で、剣はそれで私を受け取ったと?」

「ああ……別に運命の相手だって言われてお前を受け取ったわけじゃないからな? 助けてくれって言われたから、仕方なく……」


 剣がそういうのであればそうなのだろう。

 剣は困っている人や助けを求める人の頼みは断れないし助けてあげたいと思う前に行動する男だ。

 だが茜はそんな剣の説明に色々と突っ込みたい所がある。

 自分を誰が引き取るか押し付け合いになった事や何故ジャケットじゃなくワイシャツを着させた事に何の疑問も持たないのか。

 そんな事を考えていると頭が痛くなるが一番の頭痛の種はそんな事ではない。


「それ……初耳なんだけど」

「ああ、セレナさんにはルイスが保護して欲しいとだけ伝えた。なんだかんだ屁理屈こねて、お前を押し付けたいと思っただけだろうし」

「そういうとこだぞ!?」

「え?」


 もっと詳細にセレナに伝えろと茜は切望する。茜を運命の相手だなんだと言った事、ルイスは剣が来るのを何故か知っていた事等。

 ここで茜は不思議に思う。

 茜は剣の名前をルイスに教えたことはなかった筈だ。なのに何故剣の名前を知っていたのか。

 更に名前について言えば茜もそうだ。少女にされた時、ルイスは鏡越しにだが「葵光ちゃん」と呼んでいた。

 茜は口をついて出てしまった「同姓同名?」という言葉。そこで名前が意図せずばれてしまった、と思っていた。よくよく考えればそれはおかしい。ルイスは最初から葵光という名前を知っていた事になる。

 つまりルイスは、

 

「初めから来ることが分かっていた……?」


 これしかないだろう。

 だとすれば何らかの方法で光や剣の名前、行動、計画を事前に知っておく必要がある。

 しかし光が追い込まれて入った部屋は完全に偶然で事前に計画できるものではない。であればその部屋に入るように傭兵に依頼して追い込んだか。

 

「まさかな」


 茜はそれは飛躍しすぎか、とそんな考えを首を振って消し去った。


「ん? 何か言ったか?」

「あ、いや……剣は運命って言葉に弱いなってね。男は好きだもんなそういうの」

「いやいやそうじゃないって言っただろ。助けてくれって言われて――」


 口ではそういうものの、運命といわれて悪い気はしないだろう。

 茜も元男だから剣の気持ちもわかる。

 運命という言葉ほど、男心をくすぐる魔法の言葉はない。そしてそこに好奇心や冒険心が生まれない訳がないのだ。茜だって青桜刀をセレナにもらう時、運命と言われて舞い上がっていたのだから。

 運命で出会った茜。運命の少女に剣は少なからず特別な感情を抱いている事だろう。これは茜の作戦には追い風となるに違いない。


「それにしても……困難か。そういえば最近人質になったり、化け物に会ったり、ストーカーに襲撃されたり。災難だなぁ」


 それがルイスの言う困難かは分からないが、確かに少女の姿になって三日もたたずに色々と災難が降りかかってくる。その多くは茜の不用意な行動が原因なのだが。


「やっぱり……ルイスといたほうが良かったか?」


 ルイスの元を離れ、自分と一緒にいたから困難によく会うのではないかと、剣は考えたのだろう。あの時、無理やりルイスに押し返していれば足を震わせるくらいに怖い目に合わずに済んだのに、と。


「そうでもない」

「え?」

「だってあんな化け物なかなか見れないし」

「そうだな」

「人質になるなんて人生初だし」

「何度もある事じゃないだろ」

「海底六千メートルも見れたし。真っ暗だったけど」

「あはは、確かにな」


 そんな茜の前向きな言葉と、何処か現実離れした経験に剣は笑わざるを得なかった。

 一般の少女が体験するにはあまりにも刺激が強すぎる。

 そして剣が笑った事に茜は少し驚いた。剣は自他ともに認める寡黙な男だ。長年一緒にいる茜も剣が笑った所をあまり見たことがない。


「剣が笑うなんて珍しいな」

「何言ってんだ。最近出会ったばかりだろ」

「運命的に?」

「そ、そうだな」


 ここで口ごもる、という事はやはり運命という言葉に多少意識はしているという事だろう。それに茜はニヤリと笑う。


「と、とにかく俺の家に行くぞ」

「レッツゴー!」


 茜は剣の背中の上で腕を振り上げてはしゃぐのであった。

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