第53話 ~今日は帰りたくない~


「しっかりしろ! 怪我は!?」


 剣はまくしたてるように容態を訪ねるが茜の反応が薄い。

 茜はまだ意識朦朧としており、頭がぼーっとしていた。


「おい、茜っ?」


 必死に茜の名前を呼ぶ剣だが茜の返事がない。

 茜はただ剣を見上げ、状況を整理しようとしていた。ただ意識が朦朧としている為、頭が働かない。

 自分は先程まで見知らぬ青年に馬乗りされていて、いつの間にか目の前には剣がいると。


「あか――」


 剣はそこで呼びかけるのを止めた。

 何故なら剣は自分を見上げる茜と目が合ったからだ。

 茜はまだそんな意図はなかっただろう。剣の姿もまだぼんやりとしか見えていないのだ。茜は目を細めてぽかんと口を開け、ただ剣を見上げているだけ。

 だがそれは剣の目には異様に映る。

 胡乱な瞳で自分に助けを請う少女に見えたのだ。庇護欲を掻き立てる、か弱い少女に。

 しかも茜は美少女ときている。


「あっ……すまんっ」


 あまつさえ茜のワイシャツはボタンが外れてはだけ、煽情的な姿。

 剣は凝視しないほうがいいのか、しかし茜の容態が心配で落ち着くまでは見守っていた方がいいのか、悩んでいた。

 茜の華奢な体に似合わぬ、ふくよかな白い胸が剣の視線を掴んで放さない。更に月の光に照らされたそれは視線を放さない言い訳としては十分すぎる程の神々しさがある。

 剣はそんな光景に、結局目を放す事が出来なかった。


「お、おい?」

「つるぎぃ……」

 

 危機的状況に恐怖した少女は助けてくれた男に涙し、抱き着き、むせび泣く。

 そして震える唇をお礼とばかりに男へ贈りる。男はそんな少女を優しく抱きしめてやる。

 というのがよくある物語の相場だろう。

 ここまでが剣の思い描く物語。妄想だった。

 その第一歩、茜は剣の肩を掴む。腕に力を入れて剣に体を引き寄せ、そして離れて行った。


「あいつは、どこだっ……!?」

「ええ……」


 茜は単に剣の肩を台替わりにして立ち上がっただけだった。

 茜の中身は男。剣が描くロマンチックな情景は想い描けるだろうが役どころが違う。

 茜は立ち上がって周りを見渡し、吹き飛ばされて行ったであろう青年の姿を鬼の形相で探す。きっといいようにやられ、プライドがズタズタにされたから憤っているのだろう。

 だが一歩、二歩と歩いたところでよろめいてバランスを崩し、地面に倒れ込みそうになったところをまた剣に支えられる。

 

「おい、まだ歩くなっ、じっとしてろって!」

 

 剣は茜をベンチに座らせて肩を掴んで軽く拘束する。まだ意識朦朧としているのに動き回られたら困るのだ。


「落ち着け、何が……あった?」

「あいつがっ……私をっ」


 ベンチに座る茜の前に跪くとそこには丁度はだけたワイシャツが。

 茜の目の焦点が次第に合い、剣の表情を確認すると剣はそっぽを向いており、何だか気まずそうにしている。


「服が……その」


 剣の一言に、茜は忌々しそうに、はだけたワイシャツを手で整えて隠す。これもあの青年にやられた被害なのだ。

 剣は茜に深呼吸を促し、落ち着かせる。


「茜、お前震えているのか?」


 落ち着いた茜に先に剣が口を開く。その視線は茜の足に向かっている。

 それは恐怖からか、それとも全身を強打したからか、小刻みに震えていた。


「くそっ」


 茜は脚を掴んで震えを止めようとするが簡単に止まるものではない。

 茜は自分を情けなく思った。少女の姿になってしまったとはいえ同じ歳くらいの青年に負かされたのだ。それは怒りを超えて悔しさを駆り立てる。


「安心しろ。さっきの奴は殴り飛ばした」


 茜は気配を探ってみるが剣以外、近くにはいない。そして六人に分身下青年の遺体も血も無くなっていた。

 だが茜に気づかれず青年は近づいた。更に分身を生み出す仕掛けか、明鏡共鳴かは分からないが奇妙な技を使う。


「近くにまだいるかも……」


 そう言って立ち上がろうとする茜を剣は抑える。


「大丈夫だ。殴り飛ばした後、どこかに走って逃げて行った。もう気配はない」


 安心させるためか、剣はゆっくりと小さい子を諭すように優しく笑顔で茜に語り掛ける。

 剣がそういうのであればもうあの青年はいないのだろう。茜は青年が逃走する気配を察知する事も出来ていなかった。

 悔しさが悪態を誘発して茜はベンチを殴る。

 状況が悪くなれば尻尾を巻いてとっとと逃げる青年の行動はやはりこういった犯罪に慣れているという事だろう。

 しかし剣に殴られて気を失うでもなく、音もなく立ち去れるものなのかと茜は思う。もちろん剣も殺す気で殴ってはいないだろうが。

 剣も「タフな奴だ」と形容するくらいには頑丈なようだ。もしかしたらレゾナンスなのかもしれない。

 いずれにしろ青年は只者ではない。


「立てるか?」


 茜はベンチからゆっくり立ち上がってみるがまだ平衡感覚が戻らないらしい。ふらついてたたらを踏んでしまう。

 剣は茜の背後に手を回すが、異性にべたべた触るのもはばかられるのだろう。これ以上ふらついたら倒れる、という境界線に腕をとどめている。


「まだふらつくかな……おんぶしてくれ」


 と、茜。

 これはべたべた触るという次元ではない。体を密着させる行為だ。

 しかし本当に自分を背負ってくれと言っているわけではない。

 これはまだ男だった時の名残であり、冗談だ。歩くのが面倒な時、たまにこう言ったやり取りをすることがある。大体この後、剣が自分で歩けと軽くあしらって終わりなのだ。だが今、茜は少女の姿。


「ほら、乗れ」

「え」


 剣はしゃがんで背中を見せている。おんぶしてやるという事なのだろう。

 茜はまさか本当に剣が了承してくれるとは思わなかった為、少しの間無言で固まってしまう。

 そして心の中でこのドスケベ野郎と剣の事を蔑んでいる事だろう。

 

「どうした? 乗らないのか?」

「ああ、ごめん……やっぱいいや」


 茜は一人でふらふらと歩き出す。

 剣に告白させるのであれば絶好の機会となると思われるが、どうやら今はそんな気分になれないらしい。

 そんな意地を張る茜に剣はため息をついて立ち上がり、後を追う。ふらついた時に支えられるよう、すぐ後ろに陣取って

 

「それにしても何で私がいる場所分かったんだ?」

「セレナさんから連絡が入ってな。お前が出かけてふらふらと男について行ったから心配だって」


 茜はまだ耳にイヤーセットを装着している。

 それで盗み聞ぎでもしていたのだろう。悪趣味だが今回はそのおかげで助かった。

 しかし青年の後を追うように公園に入ったところで剣が家を出たとしたらかなりの速さで向かってくれた事が分かる。公園から剣の家までは歩いて三十分くらいはかかるのだ。歩いて向かっていたら茜はただでは済まなかっただろう。


「しかも飯の最中にな」

「それは悪い事したな。でも来てくれて助かった」


 そう言って茜はふと思い出す。色々あってまだお礼を言っていなかったという事を。

 茜はすぐ後ろに陣取る剣を振り返り、小さく笑って「ありがとう」とお礼を言うのだった。


「い、いや、それは良い。俺の役目だし……」


 剣はセレナから茜の護衛という任務を受けている。だからお礼を言われる事ではないと剣は思っているのだろう。


「むしろ助けが遅れてすまなかった。俺が傍にいなかったばかりに、怖い想いをさせてしまって」


 その言葉に茜が反応する。

 そもそも茜が一人で外出したのが悪かったのだ。剣もずっとそばに入れるわけではない。剣が謝る事ではないのだ。

 だが茜が反応したのは最後の言葉。


「別に、怖くなかったし」


 肉体がか弱い少女になったとしても中身は男。怖いという言葉は流石に男のプライドが許さなかったのだろう。

 それに柱から悪魔のような青年が六人も出てきたら剣でも恐怖を覚えるに違いない。


「でも震えてただろ?」

「なっ……震えてないっ」


 剣はまだ茜の事をか弱いだけの少女と思い込んでいる。

 飛空艇アシェットでの振る舞いで、多少気の強いところがあると思うくらいだろう。

 茜は怒りでだろうか、また少しふらついてきた。

 一歩一歩を正しい位置へ足を踏み出す事さえ辛くなってきている。だが先程断った手前、おんぶしろとは言いにくい。しかも震えている等と馬鹿にしてくる剣にそんな事言えやしない。


「いやいや、震えてただろ」


 これが剣が女の扱いに慣れていないと周りから言われる所以だろう。

 気丈に振舞う少女に対して攻め立てるのは悪手なのだ。こういう時はさっと引くに限る。剣がこのまま轢かなければ平行線を辿り最悪仲違い、という未来も有り得る。

 だが生憎、茜の中身は見た目通りの少女ではない。茜が震えていると剣が認識していると言い張るのであれば、それを正すのではなく乗っかればいい。

 茜は立ち止まって呟いた。


「……震える少女を歩かせるなよっ」

「結局かよ」


 ぶつくさ言いながらも剣は背中を差し出した。多少のスケベ心はあるだろうが半分は優しさだろう。


「やっぱいいや」

「は? なんだそりゃ」

「嘘だよ」

 

 そう言って茜は立ち上がろうとする剣の背中に飛び乗った。

 何か変化を付けなければ死ぬ病気にでも掛かっているかのように茜は無意味なやり取りをねじ込んでくる。シリアスな場面でのふざけたドッキリ然り、先程の夕食時もまた然りだ。


「うわっ」

「家までよろしく」

「全く……」


 剣は茜の巻き付いてきた太ももを手の平で触らないよう腕だけで支える。変なところを触っただのスケベだの言われないように。しかし今は夏。服装は半袖で茜はミニスカのまま。ニーハイソックスを履いているとはいえ隠しきれない肌はある。

 茜の柔らかな剥き出しの太ももが剣の剥き出しの腕に触れ、柔らかい感触と体温が伝わってきた。それに剣は流石に顔が赤くなる。

 

「……変態とかいうなよ?」

「え? なんで?」

「そりゃあ女子の太ももを男が触ったら……変態って思われるだろ?」

「……意識するとこっちが恥ずかしくなってくるから口に出すのやめてくれない?」


 だが意識するなという方が無理だろう。

 耐性のない剣の背中に美少女が大股開きでくっ付いているのだ。しかもその体温が胸や股を通してやってくる。


「これは仕方なくやってるだけで――」

「ああもう! 変態なんて呼ばないからさっさと進めよ変態!」

「変態!?」

「大丈夫、男は皆変態だから」

「変態からは逃れられないのかっ……」

「そうだよ、変態」


 茜の変態呼ばわりに、溜息をついて剣は進みだす。

 静かな公園を出て道に戻ると帰宅中のサラリーマンがちらほらと目立つ。

 スーパーのライトが消えて少し暗くなったが車の交通量は相変わらずだ。

 軒先の赤い提灯の灯った居酒屋が散見され、中からは客のはしゃぐ声が漏れ出してくる。つまみのいい匂いも一緒に漏れ出して辺りを陽気な雰囲気に包み込んでいく。先程の公園とは打って変わって楽しそうな喧騒の中、茜を背負う剣の姿は少し目立つ。周りからの視線が刺さりはするが声はかからない。

 当の二人はというと楽しそうな雰囲気に会話が弾む、という事はなかった。

 茜は剣の肩に頭を預けて沈黙している。

 

「随分と大人しいな」

「ん?」


 不意に茜に話しかけてくる剣。

 普段寡黙な剣が自分から話しかけてくるとは少し意外だと、茜は首をもたげる。

 

「飛空艇ではあんな危険な場所で良くはしゃげるなって思ってたんだが、そんなに怖かったのか?」

「なっ」


 茜は直ぐに「怖くない」と否定してやりたかったが、生憎今は震えて上手く歩けない、か弱い少女を演じている最中だ。

 だから茜は自分が何をされそうになったかを整理し、それを一般の少女に当て嵌めるとどうなるかを想像する。更にどうすれば剣がうろたえるかを考える。


「当たり前じゃん……レイプされかけたんだから」


 その結果がこれだった。


「れっ……そ、そうだよな」


 茜の狙い通り、剣はうろたえ何も言えなくなった。

 別にそれ程特別でもない言葉。だが身近な人物がその対象になったのであればまた感じ方が違うのだろう。しかもされかけた本人が言うのだから剣は何も言えない。更にショックを受けたか弱い少女のように演技を交えているのだからたちが悪い。あまつさえ茜の高い演技力で補強されている。

 茜はうまくいったと剣の背中で静かに笑う。

 だがそんな茜もうろたえる言葉を剣は投げかけてきた。


「お前は俺が守る」


 それは何とも頼もしい言葉。

 

「へ?」


 茜はつい聞き返してしまう。

 もちろんそれが特別な言葉だった事もある。だが茜にとってまた違う特別な意味を持つのだ。

 それは茜がまだ幼い頃、剣と初めて会った時に言われた言葉だったからだ。

 母の手一つで育てられた光は小さい頃に一人で買い出しをした事がある。

 その際、三人の同級生にいじめられ取り上げられそうになった時、そのいじめっ子を光が一人で撃退したのだ。そして次の買い出しの時、上級生を呼ばれてリンチされ買った物も全てぐちゃぐちゃにされてしまった。

 その時だった。光の前に立ちはだかり正義の味方を名乗りって同じ文句を言った子供がいた。それは戦隊もののヒーローのお面を被った剣だったのだ。


「だから、お前にはもう、怖い思いさせない。絶対に」


 剣は前を見て、茜を振り返りもせずに強めの口調でそう宣言する。

 それは普通の少女が言われればこの上なく頼もしい言葉だろう。しかも危険な目にあった直後にそんな事を言われでもしたら恋に落ちてしまうような特別な言葉だ。

 ただ本人にその自覚はないだろう。剣は純粋にそう信じているだけなのだから。

 茜は昔を思い出し懐かしくなっていたのだが、今は昔。守られるだけの可愛らしい存在ではない。


「それがお前の任務だろ」


 だから茜は不機嫌そうにそう吐き捨てる。

 自分は守られる程か弱くはないが、それが剣に課せられた任務なのだから全うしろと言わんばかりに。


「ああ、任せろ」


 守られるというのは男女問わず心が安らぐもの。

 だが口に出すには少し青すぎる言葉。

 青すぎてこっちが恥ずかしくなる、と茜は少し赤面してしまう。

 昔から剣はこうだった。他にいじめられたり困っている人がいたら無償で救済に入る。力も強く、武道も習っていた。まさに正義の味方だ。

 それはファウンドラ社が掲げる目標でもある。だから剣は光と共にファウンドラ社に所属しているのだ。


「全く……」


 茜はあきれたようにため息をついて剣に体を預ける。


「女だったら惚れてるぞ?」


 口をついて出た言葉。冗談を言い合う仲であれば簡単に流されるそんな言葉。

 反応するのであれば「美少女じゃなくて残念だよ」とでも返すだろう。


「は? お前は女だろ」


 言われて茜は自分の失言に気が付いた。現在自分は女であり、更に美少女でもある。

 

「あ、やば、今のなし!」

「それって……俺に惚れて――」

 

 冗談が冗談ではなくなってしまっている。それは茜が剣に惚れた事を意味してしまう。

 茜は剣に自分を惚れさせ、告白させた所で正体を明かすつもりなのだ。ただでさえ女のような名前なのに体まで女になってしまった事を笑われたくない、という陳腐な理由で。

 だがこれでは全くの正反対だ。このままでは心まで女になってしまったのか、と大笑いされてしまう。


「絶対違うから!」

「そうか……分かったよ」

「私は惚れてないからな!」


 言えばいう程、説得力を失っていく言葉も珍い。


「分かったって」


 そんなやり取りが歯がゆく、拳を握る茜。

 その悔しさを力に変えて剣の後頭部を殴りつけてやろうかと睨みつける。が、その力を鼻息に変換した。


「ふん、良かったな。守る対象が美少女で」

「自分で言うな」

「剣には私が美少女に見えないのか?」

「そ、それは……まあ、可愛い方なんじゃね」


 好きな容姿というのは人それぞれ違う。

 美少女というのはあくまで茜から見た主観だ。

 茜が今まであった人も皆一様に美少女、と口には出さないがそういう反応をしていた。だがそれは剣には当てはまらないのだろうか、と茜は少し不安になる。剣に告白させなければこのハニートラップ大作戦は終わらないのだから。


「ゆ、雪花の家でいいんだよな」


 これは由々しき事態だった。

 茜は甘く見過ぎていた。長く一緒にいるだけで剣が告白してくると高をくくっていたのだから。

 であれば茜は攻めるしかない。

 だから茜は男が言われて嬉しいであろう上位ランキングの言葉を使う事にした。

 

「今日は家に帰りたくないなぁ」

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