第52話 ~茜、襲われる~
青年は不敵に笑って柱から背を放し、茜を真っ直ぐ見据えた。
茜の犯罪者を見抜く嗅覚を麻痺させる程にむせかえるような悪意が青年を覆っていく。
「成程。つまりお前は馬鹿女をひっかけるクソ野郎って事でいいんだな」
茜も対抗して不敵な笑みを浮かべると、青年は声を上げて笑う。
「おまけに口も悪いと来た。こりゃあいい」
男が少女をこんな人気のない所へ連れてくる理由は限られている。
クソ野郎という言葉を暗示的に肯定する青年に茜は手に青桜刀を出現させた。青年は少し驚いたものの怖気づくことなく、目を見開いて口の笑みの形を拡張させる。
「強気な女ほど、屈服させた表情に輝きが生まれる」
今はありとあらゆるジャンルの映像がネット上に転がっている時代。だがそれを見て自分もしてみたくなった、というにはあまりにも堂々とした立ち振る舞い。
少女を襲うのは、これが一度目ではないだろう。
「その歳で、その性癖は歪み過ぎていないか?」
青年はまだ茜と同じくらいの年齢。
その年齢で犯罪を犯す振る舞いはどこか常人離れして見える。だからこの青年は場当たり的に茜を襲おうとしているのではない。茜はそう判断し探りを入れている。
「ん? ああ……見た目と中身が一致する人間なんてこの世に存在しねぇよ。お前もそうだろう?」
青年が言うように、こんな状況下で対等に話す事が出来る美少女など滅多にいるものではない。
まさか美少女の中身は男だとはこの青年も思いもよらないだろうが。
「そんな事より、俺はお前と遊びたくてうずうずしてんだよ」
顔は笑ってはいるが青年の声は低くなり、重圧感が増す。そこには少々の殺気も織り交ぜて。
いつのまにか手には月の光で鋭く光るバタフライナイフが握られている。
茜も青桜刀の剣先を青年に向け臨戦態勢だ。
「ノコノコついてきたって事は腕に自信があるのか? それとも究極のツンデレ尻軽女か?」
男はバタフライナイフをくるくると出し入れして弄びながら茜の様子を伺っている。青桜刀を持っているからか、青年は飛び込んでこない。ナイフと刀ではリーチが違い過ぎるだろう。
有利なのは茜だ。
なかなか襲ってこない青年にしびれを切らした茜は口を開く。
「今更怖気づいたのか? 逃げたいなら逃げてもいいんだぞ?」
「怖気づく? ふふっ」
「何が、可笑しい?」
「逆じゃないか?」
青年が少し視線を落とす。そこには青桜刀を握る茜の右手が。
そこで茜ははっとする。青桜刀を握る手には少し汗が滲んでいる事に。そして何より、万力グローブを装着するのを忘れてしまっていた。口では強気の茜だが青年の言葉通り、恐怖を感じているのかもしれない。
恐怖は思考力を低下させ、体の動きも鈍らせるのだ。
更に茜の台詞からも青年から遠ざかりたいという無意識の恐怖が見て取れる。
「お前、俺に恐怖してるだろ?」
そう言って青年は笑い、柱の後ろに姿を隠す。
「おい! 何してる!」
姿を晒した敵が物陰に隠れる時は決まって何か小細工を施すのだ。
だが一秒も経たない間に青年は柱から現れゆっくりと歩き出す。コツリコツリと石畳を小気味よく響かせて。
「恐怖とは残酷なもんだな」
そして青年は次の柱に隠れ、また出てくる。
「弱者が強者を前に抱く絶対の感情」
更に次の柱へ隠れ顔を出す。
「瞳孔は開き、脈は速く、足は思うように動かない」
そしてまたそれを繰り返す。
「体は震え、息も荒くなる」
茜は剣先をずっと青年に向けているがそこで違和感に気づく。それは青年のではなく、自身の異変にだ。
茜を見てか、それとも茜のような少女を多く見てきたからだろうか。茜の状態は全く青年の言う通りになってしまっている。
茜が視線を落とせば手元の青桜刀が震えている。
もちろん青桜刀自身が自然に震えなどしない。青桜刀を持つ茜の手が腕が、果ては体が震えているのだ。
「こ、これはただの武者震い――」
「虚勢を張って犬のようにキャンキャン吠える」
行動を先読みしてそこに駒を置くように盤面に青年の言葉が茜を包囲していく。
「そして恐怖による――」
青年が最後の柱から出て口を開く。そこで茜は真横に気配を感じた。茜に接するほどに近くに。
それは人の気配。その気配は既に茜の耳元で囁いたのだ。
「幻聴」
「っ!?」
茜は思わず体を仰け反らせて避けようとするが足が思うように動かず、よろけてこけそうになるが何とか踏みとどまった。
茜は直ぐに青桜刀を構え直しその気配に視線を送るが既に何もいない。
青年はそれを見て笑い、不意に話しかけてくる。
「悪戯するとガジルが来るぞ」
「なに?」
「そんな歌を聞いたことがあるだろ?」
茜は今までそんな歌聞いたことが無かった。
内容から察するに悪戯する子供に言い聞かせる為の歌だろうか。しかしガジルという言葉に茜は心当たりがなかった。
「……知らない」
「あ? 嘘つくんじゃねぇよ」
今まで薄ら笑いを浮かべていた青年の表情に少しだけ怒りが見えた。
「俺はお前を知っている。お前も俺の事を知ってるはずだぜ?」
茜は眉をひそめる。
もともとこの姿はレイスが作った薬が原因だ。であればモデルとなる人物がいるのかもしれない。その人物と勘違いしているのだろう。
「人違いだ。私は茜。誰かと勘違いしてるんじゃないのか?」
「……そういう事を言ってるわけじゃないんだが、まあいいか」
青年はへらへら笑いながら最初の柱に姿を隠してしまった。
茜は青桜刀の剣先をその柱に向けたまま。
そしてまた茜が違和感を覚える。それは青年の気配だ。
最初の柱からは間違いなく青年の気配を感じる。しかし茜が察知した気配はあと五体いる。
「なっ!?」
正面の柱から青年がやはり薄ら笑いを浮かべて出てきた。
だが驚くことに、その柱の両脇にある柱からも青年が出てきたのだ。コツリコツリと二重三重に石畳を踏み鳴らして。
更に茜が振り向くと後ろの三本の柱からも青年が顔を覗かせている。茜を取り囲むすべての柱から青年が現れたのだ。
「う、嘘だろ……」
普通の少女なら悲鳴を上げて倒れてしまう程の戦慄が茜を襲う。
それでも気絶もせず悲鳴も上げないのは裏組織の屈指のエージェントだからだ。
ホログラムか、とも茜は思う。
飛空艇アシェットに侵入した時に使用した人型のホログラムで敵をかく乱するガラス玉だ。
だがそれらは全て同じ角度から月の光を受けて別々の影が落ちている。ホログラムに影を落とす事は出来ない。
茜が今までに経験した事のない現象。そして先程と変わらず、青年の異常なまでの邪悪な笑顔に全身の鳥肌が沸き立っている。
茜は自分でも聞こえるくらいに心臓の鼓動が大きくなる。無意識に胸を抑え、鼓動を抑えようとするが胸の高鳴りは抑える事が出来ない。それどころか更に大きく音をかき鳴らす始末。一刻も早くそこから逃げ出せと警鐘を鳴らすように。
「なんだ……これは」
剣先をそれぞれの柱へと向けるがどれも同じような邪悪な青年の表情。
静かな夜。虫の音もしないし風も吹かない。
そんな中で茜の鼓動が音を奏で、青年の唇だけが吊り上がって三日月を作り出している。
「お前の本能が俺を警戒している」
正面の青年は言って肩を揺らして笑う。そして茜を足から頭まで観察するように視線でなでた。
青年は一歩柱から半身抜け出して茜に語り掛けてくる。
「何故ならお前と俺の関係は――」
「く、来るな!」
この場から離れたほうがいい。
茜にはそれは分かっている。現在茜は冷静な対応が出来ていない。身体のパフォーマンスも極度に低下している。
だが茜は元の経歴が邪魔をしてその場から逃げ出せずにいた。この程度で逃げだしていては裏組織のトップエージェント失格だ。
「ふふ……あはは! そうだ、いいぞ! もっと喚き散らせ! もっと泣いて叫べよ! それが弱者の本分ってもんだ!」
「泣いてないだろ!」
強がりを見せる茜だが全身がこわばって足も思うように動かない。
どんな凄腕の暗殺者に囲まれようと、自動小銃を持った屈強な兵士に囲まれようと茜は臆することはない。
しかし今、茜の本能がその場から一刻も去った方がいいと訴えかけてくる。高まる鼓動と震えと、言い知れない恐怖で。
「いいぞ、まだだ、まだ戦意を失うな? それでこそお前の表情は輝く」
「来るなら……殺す」
柱から全身を現した青年達はナイフを前に突き出す。青年は強襲する体制に入った。
そして一歩踏み出した直後、石畳を蹴って茜に向かって走り出す。目を剥いて、眉と口を殺意で歪めながらナイフを振りかざして。
「くっ」
茜は身を低くし震える足で石畳の地面を踏みしめる。続いて上半身を回転させ全体を一瞬で見まわし、標的を確認する。加えて青桜刀を逆手に持った。
「警告はしたっ」
茜はねじった上半身と地面を踏みしめた足を一気に開放し回転する。
「ぐ」
青桜刀の青い閃光が青年達の胴体を直線状に捉えている。
青年は体をくの字に曲げてその場で倒れた。
刀とナイフではいくら手を伸ばそうとリーチが違うのだ。
茜に向かってくる六体の青年の体は真っ二つに切れ、真っ赤な血の雨が降り注ぐ。
だがまだ茜はしゃがみ込み、息を殺している。胴体が真っ二つに切れた青年の一挙手一投足を見逃さない為に。
真っ二つに千切れた体が動くなんて正気の沙汰ではない。だが体が六つに分裂している時点で異常なのだ。動き出してもおかしくはない。
五秒程立っただろうか。茜はやっと息を開放する。息も絶え絶えに立ち上がり、青桜刀を順手に握りなおす。
「はあはあ……何だったんだ、こいつは?」
真っ二つになった十二の肉塊からは不自然な程に多くの赤い血が流れ出ていき茜の足元は血溜まりが出きていた。
それぞれから飛びった血飛沫は暖かく、やはりホログラムではない。
「どういうことだ……全部斬った感触があった……」
青桜刀を握った手の甲にかかった血を見て呟く茜。
増えた青年の体は何かのトリックでどれかに本体が混じっていると思ったのだが、不思議な事に全て感触があったのだ。
「何かの幻術か、ホログラムじゃないとしたらまさか明鏡共鳴?」
人には一つ特性があると言われている。明鏡共鳴はそれを認知し開花させる必要がある。
この青年も何らかの特性を開花させているのかもしれない。
青年の台詞から察するに茜が初犯ではない。この力で多くの少女を襲ったのかもしれないのだ。
茜が青桜刀をしまい、しゃがんで青年の死体を観察する。
うつ伏せになった上半身を仰向けにしようと触た瞬間だった。
「やるじゃねぇか」
真っ二つにした上半身だけの青年が急に喋り出したのだ。
「うわっ」
あまりの事に茜は飛びのこうとしたが足元の血だまりで滑り尻もちをついてしまった。そして信じられない事に、その光景を笑うように他の上半身もけたけたと笑い始めたのだ。
「な、何なんだ! こいつら!」
逃げるしかない。
ついに鼓動の高鳴りに従い、茜はその場から逃げる事にした。
斬っても死なず、悪魔のように笑う青年。悪夢でもここまでひどくないだろう。と、立ち上がった時だった。上から何か落ちて茜の背後に着地する。茜は振り向こうとするが強い力で両肩を掴んで離さない。
「いっ」
掴む強さがあまりにも強いため思わず呻いてしまう茜。その茜に何者かが耳打ちする。
「いい声で鳴いてくれよ?」
茜は背筋が縮みあがり、またしても全身に鳥肌が立つ。
「くっ」
振り払おうともがく茜。
だが遅かった。青年は背後から茜の胸倉を掴み、自分の体の上にのせて一回転させる。
あまりに強引な青年の投げ方に、ぶちぶちと茜のワイシャツのボタンが飛び散っていく。
然るべく茜の体は背中から石畳の地面に叩きつけられた。続いて押し寄せる衝撃は後頭部と足に広がっていく。
「うぁっ」
あまりの衝撃に声が漏れる。しかし背中を打ち付けた事で喋るどころか息もできない。
その茜に青年が馬乗りになる。
「へぇ、よく見りゃぁ今回のはめちゃめちゃ美人じゃねぇか」
青年の声は何とか聞こえるが後頭部を打ったせいで意識が朦朧とする茜。
飛びそうな意識をぐっと堪えて、何とか気を失わないでいる。
青年はナイフの腹でそんな茜の頬を叩いて話しかけてきた。
「まずは耳がいいか? それとも鼻から削ぐか? ああ、前は目から潰したなぁ」
「なっ……に」
茜は必死に絞り出した言葉がそれだけだった。
何を話そうにも咳が先行し上手く話せないのだ。更に頭を打った事で意識が朦朧としてしまっている。目の焦点が合わず、青年が複数人に見えてしまっている程に。
「何って、耳をそいで鼻をそいで目をぶっ刺すんだよ。それを見ながらお前を犯す。そして――」
だがそこに青年はいるのだ茜の腹あたりに座っているのは分かる。
茜は手に青桜刀を出現させる。そして自分の腹に座っている青年めがけて斬りつけようとするが読まれていたようだ。青年はその手を掴んで地面に叩きつけ青桜刀を弾き飛ばす。
「その刀を見ると前の女を思い出すぜ。憎たらしい」
言って青年は茜の両の手を足で踏みつけて動けないように固定する。茜は苦悶の表情だ。
青年は青桜刀に見覚えがあるようだ。前の持ち主だろうか。セレナの青桜刀は誰かの形見と言っていた。もしかしたらこの青年が殺したのかもしれない。
「ていうかよく見たらお前……」
そこで青年の動きが止まる。
青年は乱暴に茜の顎をぐっと掴んで顔をよく見える位置に動かした。観察するように顔を近づけて月の光に茜の顔を照らし出す。
「そうか。成程。もうそんなに経ったか……」
そして青年は自嘲気味に笑う。意味深な言葉を並べ立てて。
「じゃあいい、まだ殺さないでおいてやる」
意味ありげに青年は言って茜のワイシャツを掴む。ボタンが千切れた事でワイシャツから覗く茜の下着にナイフを向けた。
茜の透き通るような白く柔らかな肌。みぞおちの下から指を差し込んで下着の紐を引き上げる。
「お前は一体……何者だっ」
茜の黒い下着の紐にナイフを通したところだった。
そのままナイフで切ろうとしたのだろうが茜のそんな言葉に青年は手を止める。
「お前……まさか本当に記憶を無くしたのか?」
青年は一瞬寂しそうな顔をした後、作業を止めて無表情になる。
そんな茜に青年は怒りを少しだけ滲ませ、ナイフを逆手に持って振り上げる。
「じゃあ刻んでやるよ、お前の体に俺の名前をな!」
茜に向かってナイフが振り降ろされる。
振り降ろす速さがどう見ても文字を刻む速さではない。茜は痛みに耐えれるよう、目を強く引き絞るように瞑る。
次の瞬間、肉がつぶれ、骨が砕ける音と激しい衝撃が茜の体に響く。
しかしどういうわけか茜の上に馬乗りになっていた青年は面白いくらいに宙を舞い、伸び放題の草むらに吹き飛んでいったのだった。
「茜! 大丈夫か!?」
聞こえてきた声は耳に親しい。
茜の背中に差し出された手はごつごつとして、これもまた見知っている手。
青年が吹き飛んで手が解放される。拘束の無くなった手をごつごつとした手が優しく包み込んでくる。
「剣……?」
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