第2話 ~男女の体の違い~
光は顔をペタペタと触ってみる。すると鏡に映った少女も顔をペタペタと触る同じ動作。
「鏡……これが俺?」
つねって引っ張ってみるものの変装で使うような剥がれる皮膚ではない。
この事から変装を解き忘れたのではない事が分かる。
光の性別は男だったはず。先程まで確かに男だったのだ。
それが訳の分からないうちに気を失い、目を覚ませばベッドの上に寝かされて少女の姿になっている。
そんな自分の姿に目を見張る光。
何度も何度も覆いかぶさってくる長い髪。そんな煩わしい髪をうざったそうにかき上げると、刺さるような痛みが額を襲った。
「うっ」
口を突いて出るうめき声。その声も自分の耳でもはっきりと分かるほどに少女のように幼く高い声。
激痛により思わず押さえた額は少し膨らんでいる。意識するとズキズキとした鈍痛が襲う。
「いった……何だ? 何も思い出せない……頭痛いし」
光が周りを見渡すと自分が寝かされているベッドと白い布団に白いシーツ。
枕元にはナースコールのボタンが無造作に転がっていることから、ここはどうやら病院のようだ。
そして自分の体は見知った自分の体ではない。
光は両の手の平を見てみる。すると以前あったであろう、刀を握る時に出来たごつごつした手マメが整地でもされたように無くなっている。
その手の平からは頼りない細くなった白い指がひょろっと生えているだけ。
そして削り過ぎたようにか細くなった手首。
「あれ?」
そこで光はある事に気が付いた。
手を顔の前に掲げた程度の高さで、袖がするりと落ち、肘の関節で止まったのだ。更にその袖口が妙に広い。
「この服、大きいような」
手を伸ばしてみれば袖口が垂れ下がるほどに長く、胸元のボタンも一つしか開けていないのに白く透き通った肌が露わになり、胸の谷間が顔を出してしまっている。
小さすぎるハンガーに大きすぎる服を掛けてずり落ちてしまうように、肩の部分がずり落ちていく。色白な肌はどちらかといえば不健康で病弱な印象。華奢な肩が丸出しになり、光の姿をより煽情的に映し出す。
傍から見れば男を惑わすいかがわしい衣装に見えなくもない。
「これは俺が着てた服?」
しかし男を惑わすそれは見覚えのあるワイシャツ。
襟のタグを引き寄せてみるとサイズはM。これは光がいつも来ているサイズだ。しかし見ての通り体とサイズがあっていない。
服が大きくなったわけではなく自分の体が縮んでしまったらしい。
いくら変装といっても自分の体格を変える事は出来ない。
「何が何やら……」
光はベッドを降りて自分の体を見回してみる。
自分のワイシャツの裾が膝より下の位置まで届いている。
病院に運ばれたのであれば患者衣を着せられたりするはずだ。しかし脱がされておらず、そのまま運び込まれ寝かさている。別に病気で運び込まれたのではないという事だろう。
足は裸足、下着は一切身に着けておらず、ワイシャツ一枚だけ。これだけオーバーサイズだと纏っているだけと表現した方がいいかもしれない。
光は訳が分からなかった。何故自分がここにいるのか、なぜこんな艶めかしい姿になっているのか。
「外は……」
開け放たれている窓にかかる白いカーテン。
それを申し訳程度に揺らす心地よい風が部屋に侵入してくる。
白いカーテンを押しのけて窓から顔を出せば青々とした木々が眼下に広がっていた。その向こうに見えるのは鮮やかな青い海があって雲があって空がある。
「これは夢……なのか?」
圧倒的体積を誇る入道雲が沸き上がり、真下の海面を黒く染め上げる。
気温は高い。しかし海の匂いを運ぶ涼しい風が相殺してくれる。
眼下に広がる景色は夢の中とも思えるくらいに綺麗だ。
「これは……夢だな」
頭痛という痛みを無かった事にして光はこの状況を夢と結論付けたようだ。
更に光は考える。
もう一度寝て起きればすべて元に戻っているのではないか、と。何も考えずベッドに戻って眠り、現実に戻ろうと。
だが振り返った直後だった。頭が強い力で地面に引っ張られる。
「なにぃっ!?」
光は頭からバランスを崩し床に頭から倒れ込んでしまう。その拍子に側頭部を床に強打した。
鈍い音、それとは対照的に鋭い痛みが光を襲う。
「うおぉ……」
声にならない唸り声と激痛。
光は両の手で衝撃を受けた側頭部を抑えながら、床の上で華麗な回転を決めていく。
原因は髪だった。
長くなった自分の髪の長さを把握しきれていなかったのだ。髪の長さは直立した光の身長をゆうに超えており、それを自分で踏んずけて床と頭がご対面したという結末だった。幸い病院の床は患者が倒れても大けがをせぬよう、柔らかい素材で作られている。大事はないだろう。
変わったのは髪の長さだけではない。以前は真っ黒な髪だった。しかし現在は透き通るような快晴の空で染めたような綺麗な青色。
「夢じゃないな……これは」
意図せず夢である希望と側頭部が砕け散り、光は床を叩いて悪態をつく。
痛覚ありの夢もあるさ、と現実逃避するほど光は夢想家ではない。
現実を受け止め今自分に何ができるかしばし黙考する。
「ふむ、女の姿か……まずは」
光は現在十六歳。お年頃の男なら誰しもがそうするであろう愚行に光は走る事にしたようだ。
オーバーサイズのシャツを惜しみなく脱ぎ捨て、今度は部屋の奥に設置されている姿見の前に立った。
「うーむ、悪くない……」
光は鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめて唸ってしまう。
体は全体的に少し痩せ気味だろうか。皮膚の下から腰骨が浮き出ている事は確認出来るくらいに。しかし不健康という程は痩せてはいない。
腕も細くなってはいるが握ると柔らかい。全体的に女性特有のラインを描いている。
「しかし、妙にリアル……いやこれは現実だったか」
そしてお年頃の少年が真っ先に目が行くのはやはり胸だろう。
胸はさほど小さくもないし大きくもない。
持ち上げてみると現在の自分の手の平にちょうど収まるくらいだった。更ににぎにぎと軽く掴み上げてみる。
「や、柔らかいな……」
今まで触った事が無いような感触に多少の感動を覚える光。
「あれ?」
しかし何かが足りない。
「何だろ、こう……感動というか湧き上がるものというか立ち上がるものが……」
お年頃の少年が女性の裸を見て劣情にかられる事は正常な反応だ。
だが不思議な事にその感情が全く湧いてこないのだ。
その感情はどこからやって来るのか。男であれば誰でもわかる場所。
「まさか……」
分かっていつつも、光は怖くて腰から下が見れないでいた。
男だった時には湧き上がっていた興奮が一切ない。そして立ち上がるものもまた無いのだった。
光は視線を落とさず、目だけで股の間をまさぐった。
「ない……」
下着は履いていない為、手で触った感触が直に伝わってくる。
するとどうだろう、下着もなければ男の象徴もきれいさっぱり無くなっていた。
無いのであれば湧き上がる感情もなく、立ち上がるものもまたないのだ。
「うそ……だろ」
光は体の一部だけではなく、完全な女の体になってしまったようだ。
光はショックのあまり膝を折り、床に手を突く。今まで男として生きた人生が無くなってしまったかのような喪失感。
「もうお婿に行けない……」
そんな意味不明な言葉を吐き、一糸纏わぬ姿でうずくまる光。
小さな体を折り曲げると更に小さくなり、長い髪で全身が覆われる。床にうずくまるそれは、高所から落ちて丸まってしまった毛虫のよう。
その時、毛に何か触れた気がした。びくついて毛虫は顔を上げる。
だが髪のカーテンが邪魔で見えない。しかしすぐそこに確実に気配がある。
「お婿に行けないとは」
それはどこかで聞いたような声。
「一体どういうことでしょうか?」
透き通るように細く、柔らかな女性の声。
「へ?」
光の意味不明な言葉にに真摯に向き合ってくれるその女性は、窓から入る光を背後に受けて逆光となっている。
光は目を細めて日光の入場を制限する。すると次第にその女性の表情が鮮明になってきた。
「体の具合はいかがですか?」
それは光が着ていたようなワイシャツに黒いジャケット。そして黒いタイトスカートに黒いヒールを履いた女性だった。
彼女は膝を抱えて屈み、長い髪で覆われた光の顔を低姿勢で覗き込んでくる。
その際、綺麗な桃色の髪を床についてしまっているが気にしていないようだった。
加えて光が欲求を抑えられずに脱衣したワイシャツを背中に優しく被せてやっている。
後光を受け、天使のように微笑むその女性は光とって、とても身近な人物だった。
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