美少女になったトップエージェント

第1話 ~光、女になる~


 地歴六千年、夏。天空都市アマデウスが日和の国を襲撃して約四年が経った。

 場所はアリアナ海溝上空約一万メートル。

 夏の日差しに焼かれて浮き出た積乱雲を避けながら輸送型飛空艇アシェットは飛行する。

 飛空艇アシェットは大中小の大きな鉄の箱を土台に載せていっただけのような武骨な形。そんな見た目に反し、重力制御装置を搭載した飛空艇は山のように巨大で力強く、乗用車はもちろん、航空機も複数積載可能だ。

 

「機長、今回のフライトも順調ですね」


 操舵室。副機長である男が窓の外に浮かぶ積乱雲を横目にそんなセリフを吐く。


「そうだな」


 答えるのはこの飛空艇の機長であるラノック。

 二人ともハンドルからは手を離しシートは半分倒されている。

 いい陽気で眠ってしまわないようにコーヒーを飲みながら、足を組んでリラックスしている。


「全てが自動化されて、我々の存在意義が急速下降中だがね」

「確かに」


 そう言って二人は笑う。

 現在多くの機械がオートメーション化され運転手という職業が絶滅の危機にある。だが何かあった時の為に無人にするわけにはまだいかない。

 だから二人は何もすることが無い。むしろしない事が正常の証なのだ。

 そんな自虐的な会話の後だった。ラノックの表情が曇る。


「今回の積み荷だが……」

「ああ……高額の報酬と引き換えに違法なものらしいですね……心配ですか?」

「見つかれば我々は終わりだ。心配にもなるだろう」

「でも見つかっても知らぬ存ぜぬで通せば大丈夫だと言ってただじゃないですか」

「そうだな。何もない事を祈るばかりだが――」

 

 ラノックの祈りとは裏腹に鳴り響く警告音。


「な、なんだ!?」


 不安が現実となってしまったのかと、機長は跳ねるようにシートから飛び起きコーヒーが少しこぼれてしまう。

 だがそんな事にかまってはいられないと副機長が無線で確認を取る。


「こちら副機長、何かありましたか?」

『こちら警備、侵入者のようです!』

「なっ」


 飛び起きた機長の表情が驚きから徐々に絶望に変わっていく。そして崩れるように椅子に座って頭を抑える。

 

「やはりこんな事するべきじゃなかったんだ……」


 機長には既に抵抗する気力が失われたらしい。

 無理もない。懸念してきた事が現実になってしまったのだから。


「だ、大丈夫ですよ機長! ほら、例の積み荷と一緒に乗り込んできた兵士の人達が何とかしてくれますって!」

「ああ……そうだといいな……でもそうじゃなかったら」

「機長……」


 副機長は機長を励ますが機長は悲観的だ。

 機長の絶望とその後の展望。だがそれを超えた大惨事になるとは、二人はまだ知る由はなかった。

 


 けたたましい警告音と薄暗い廊下をチラチラと照らし出す赤いランプ。

 機長を絶望させた侵入者は黒い影となって廊下を疾走していた。

 カンカンカンと軽快なリズムを刻んで疾走する黒い影。そこへ響き渡る怒号。


「侵入者だ!」

「撃て撃て! 撃ち殺せ!」


 物騒な言葉を放つ軍服の兵士達。

 前に一人、斜め後ろの左右に一人ずつの陣形。

 銃から発せられる連続する破裂音が金属製の通路で反響する。

 更に無数の弾丸が疾走する黒い影を襲う。

 しかし黒い影には当たらない。前進しながら上下左右にひらひらと躱す。

 

「当たらないぞ!?」

「何だこいつ!?」


 黒い影は横殴りの銃弾の雨をいとも簡単にすり抜けていく。

 

「く、くそおおおお!」

「くるなあああ!」

 

 弾丸が全く当たらない黒い影。

 詰め寄られる兵士の表情は次第に恐怖の色が。

 黒い影はついに兵士の眼前へ。


「く、くそっ」


 先頭の兵士は発砲を止め、銃を縦にして身構える。体当たりか、何か武器で攻撃してくるのか。

 兵士は床に足を踏ん張って耐える姿勢。

 だが黒い影は兵士達の体をすり抜け背後へ。


「何ぃっ!?」

 

 三人が三人共、すり抜けていく黒い影を目で呆然と立ち尽くす。

 正体も分からない。実態があるかさえ疑わしい。

 そんな黒い影にただただ目を奪われる三人の兵士。

 

「どうなってんだ!?」

「幽霊なのか!?」


 兵士達は急いで背後に回った黒い影に銃口を向ける。

 だがその銃口から弾が放たれることはなかった。何故なら黒い影は蝋燭の火が消えるように頭の上から消えてしまったのだから。


「き、消えた?」

「やはり……幽霊!?」


 この飛空艇に死んだ誰かの霊が憑りついているのか。

 恐怖にも似た感情が襲い、呆然と立ち尽くす三人の兵士。

 開いた口が塞がらず、どうすればいいかも分からない。本当に幽霊であれば逃げ出したい。そんな心持だろう。


「えっ?」

 

 とは先頭に立っていた兵士の口をついて出てしまった声。

 その兵士の口を突いたのは言うまでもなく黒い影。

 黒い影は既に、がら空きになった兵士達の背後に迫っていた。その腕が先頭に立っていた兵士の首に掛けられたのだ。

 すぐ斜め後ろに立っていた二人の兵士がその声にすぐに振り向いたがもう遅かった。


「ん?」

「どうし――」


 振り向いた時にはもう眼前に黒い影の靴底が迫っていた。


「ぐっ」

「ぬぁ」


 二人の兵士のうめき声。

 それをかき消すように肉が引き裂かれる音と骨が砕ける音。

 黒い影は兵士の首に回した腕を支点に下半身を浮かせ、二人の兵士の顔面を蹴り砕いたのだ。

 その勢いで廊下の壁に打ち付けられ、崩れ落ちる二人の兵士。

 

「何!?」


 黒い影は先程の重い蹴りとは打って変わって身軽に動く。

 先頭の兵士の首を中心に一度くるりと回って背後を取った。兵士と言えば黒い影の両足に両腕ごとからめとられ身動きが取れない。

 そして無防備となった兵士の首を黒い影が締め上げたのだった。


「お前……はっ……」

 

 抵抗虚しく数秒後、兵士は気を失った。

 黒い影は力なく倒れる兵士を支え、そっと廊下に寝かしつけてやる。


「ふう」


 黒い影は一息ついて乱れた黒いジャケットを正す。

 それは顔にはまだあどけなさが残る少年だった。

 

「幽霊に蹴られましたよってね」


 少年は蹴られた兵士に向かってそう吐き捨て笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、幽霊に足はないか」

 

 などと自分に突っ込みながら兵士が持っていた銃を拾い上げる。そして点検するように様々な角度から確認する。

 

「製造番号ないな。全く……違法だぞ?」

 

 少年は拾い上げた銃を倒れた兵士の上にぞんざいに放り投げた。

 その兵士の口から空気が抜けたのか、つぶれたカエルのような声が聞こえたが少年は意に介さない。


「さて、急がないと」


 少年は赤く点滅する警告灯に照らされて、薄暗い廊下を走り出す。

 その少年の名は葵光。四年前の天空都市襲撃を失敗に終わらせた少年だ。

 当時十二歳だった少年は現在、十六歳になっていた。

 光は強大な力を持つ。

 その為ある組織にスカウトされ、教育を受けた。そして光は世界を股にかける秘密組織の中でも指折りのエージェントに成長していた。

 

「しかし流石だな」


 ポケットからガラス玉を取り出し、軽く握るとガラス玉の上に先程の黒い影が空中に映し出された。


「この立体映像よくできてる」


 先程の弾丸や兵士達の体をすり抜けたのはこの立体映像だった。光はガラス玉を転がし兵士達の注意を逸らしていたのだ。


「全然ブレないし、ジャイロもいい感じ。前は起き上がり風船みたいにグラグラしてたのに……ファウンドラ開発部は優秀だな」

 

 そう言って光は映像を消してガラス玉をポケットにしまい込むと、颯爽と薄暗い廊下に消えていった。鉄製の床を小気味よく鳴らしながら。

 光が所属している組織はファウンドラ社。

 表向きは様々な業種を担う世界でも有数の大企業。しかしその裏では正義の名の下に日々暗躍している組織だ。

 光は飛空艇アシェットに乗船員として忍び込み、密輸された古代の遺物を破壊、もしくは排除する任務を遂行していた。

 二度と引き上げることができないよう世界一深いとされるアリアナ海溝に飛空艇ごと沈める。そんな簡単な任務。

 そのはずだった。

 しかし光が次に目覚めた時、そこには信じがたい光景が広がっていた。

 

「ん……」

 

 光が目を覚ますと、目の前には真っ白な天井。

 

「ここは?」


 左右を確認すれば白い壁で囲まれた部屋。

 しかし閉塞感のある部屋ではない。風で揺れるカーテンの隙間からは窓越しに青い空が見える。

 白い布団が掛けられており、視界を邪魔する謎の隆起物とその向こうにスライド式のドアが見える。


「あれ? 何だ、胸のあたりに……」


 胸に手を置くと膨らみが二つ。

 それはとても柔らかく、中央部分には少し固めの突起物。以前はなかったものだ。

 だが光はその謎の胸のふくらみに心当たりがあった。年頃の男子であれば一度は見たことがあるもの。

 

「こ、これは一体……」


 すぐ傍に壁に掛けられた大きな鏡があった。

 光はぱっと体を起こし覗き込む。

 そこには幼げで儚げな少女が映し出されており、自分を見返してくる。

 その際、視界を何か青いカーテンのようなものが覆ってくる為手で掻き揚げる。

 それは自身の体を覆い隠す程の長く青い髪。自然には色づくことが無い、しかしとても綺麗な青色。その寒色が自分の色白の肌を少し不健康に演出している。

 白く、透き通るような白い肌の下には薄っすらと血管が浮かび上がっていた。


「ど、どうなってんだ……!?」

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