寝る前の

 蓮香も泣き止み、日付が変わったのでそろそろ寝ることにした。昨日は俺だけが寝たので、旅行先で初めて蓮香と一緒に寝る。

 昨日に引き続き女将さんが気を遣ってなのか、二つの布団をピタリとくっつけて用意してくれた。「そういうことならしょうがないですね!」と蓮香が嬉しそうにしていたので、俺と彼女は布団をくっつけたまま寝ることにした。

 明かりを消したことで真っ暗な部屋の中、フワフワで温かい布団に意識がとろけそうになる。昨日は疲れすぎていて布団の感触を感じている暇がなかったが、こんなに温かくて気持ちのいい布団だったんだな。そりゃあすぐに眠ってしまうワケだ。


「ねえ、柊一さん」


 そんなことを考えながら目を閉じていると、隣で寝ていた蓮香が話し掛けて来た。


「なんだ、まだ寝てなかったのか」


 蓮香は昨日から一睡もしていないので、すぐに眠りに落ちたもんだと思っていた。

 体を彼女の方に向けると、すぐそこには蓮香の顔があった。布団がピタリとくっついているだけあって、お互いの距離が近い。それに暗闇に目が慣れているから、蓮香とばっちり目が合っている。


「なんだか落ち着かなくて起きてました」


「昨日からずっと寝てないんだし、眠くないのか」


「眠たさはちょっとありますけど、ソワソワしちゃって」


「あー、なんとなくその気持ちも分かる。どうしてだろうな」


「きっと隣に好きな人が居るからですよ」


「ははは、それはそうかもな」


 好きな人が隣に居るからソワソワとしてしまうのか。たしかに前に蓮香と同じベッドで寝た時には、俺はべろべろに酔っ払っていたからな。お酒を飲んでいない状態で蓮香と一緒に寝るとなると、心のどこかで緊張してしまうのだろう。


「眠たくなるまで話し相手になってくださいよ」


 蓮香はそう言うと、にこっと愛嬌のある笑みを浮かべた。

 そんな可愛い顔でお願いされたなら仕方がない。少しだけ眠たいが、話し相手になってあげよう。


「ああ、いいぞ」


 俺が頷くと、蓮香は「やった」と嬉しそうな声を紡いだ。その声や笑顔から俺への好意が伝わって来て、少しだけ照れくさい気持ちになる。


「今日は楽しかったですね」


「そうだな。蓮香にも初めて奢って貰ったし、最高だった」


「あはは。二百円の肉まんですけどね」


「それでもだよ。蓮香から奢って貰ったってだけで価値がある」


「そんなに褒められたら、また奢ってあげたくなっちゃいます」


「あんまり無理するなよ。せっかく親から貰ったお金なんだから」


 以前に小遣いの話をした時に、蓮香はバイトをしていないので親からお小遣いを貰っていると言っていた。たしか一ヵ月に一万円貰えるらしい。それでも俺の方がお金を稼いでいるのは確かなので、蓮香とのデートの時は出来るだけ俺が奢ってあげたい。


「はいはい。でも私がバイトを始めたら、初給料で柊一さんに何か買ってあげたいです」


「お、何を買ってくれるんだ?」


「うーん。それがまだ決めきれてないんですよね。ほら、柊一さんってあんまり物欲ないじゃないですか」


 物欲くらいあるわ。反射的にそう反論しそうになったけれど、俺に物欲なんて皆無だった。家には漫画本が数冊置いてあるだけで、他は生活必需品しか置いていない。なんか俺って趣味のない人間なんだな。そう改めて気付かされた。


「そうだな。全くもってない」


「柊一さんのお部屋、何も置いてないですもんね」


「やっぱり部屋に何かなくちゃつまらないかな?」


「うーん。もっと生活感が溢れてる方が私は好きですけど……男の子の部屋によく置いてあるものってなんですか?」


「あー、ゲーム機とかかな。友達は大体、家にゲーム機が置いてあるイメージ」


「それです! 何か足りないと思っていましたが、柊一さんの部屋にはゲーム機が置いてないんですね」


 考えてみれば俺の部屋にはゲーム機が置いていなかった。でもゲームなんてここ数年はやってないし、あまり興味もない。今の時代、スマホでもゲームが出来るからな。とは考えてみたものの、高校生の時以来スマホゲームをやった覚えがない。やっぱり俺は、ゲームに興味がないのかもしれない。


「蓮香はゲームとかするのか?」


「たまにしますよ。家にもゲーム機があるんで、モリオカートとか、モリオパーティーとか」


「スーパーモリオか。懐かしいな。じゃあ次に給料が出たら、ゲーム機とモリオのソフト買ってくるよ」


 俺は一人でゲームをやらないだろうから、蓮香と乃々ちゃんが家に来た時限定で遊ぶためのものになりそうだ。でも俺の部屋が段々と蓮香と乃々ちゃんの色に染まって行くのは好きなので、喜んでゲーム機を買うことにしよう。

 蓮香のためを思ってのことだったが、彼女はぷくっと頬を膨らませた。


「柊一さんがゲーム機買っちゃったら、私からプレゼント出来ないじゃないですか」


「あー、そう言われてみればそうだな」


 自分がとぼけたことを言っていることに気が付き、俺は思わず笑ってしまった。それを見てか、蓮香もコロコロと喉を鳴らして笑う。静かな場所でも蓮香の笑い声は輝いて聞こえる。


「まあその時はご飯でも奢ってくれよ。何かプレゼントされるよりかは、美味しい飯を食った方が嬉しいからさ」


「ふふふ。そうですね。じゃあ一緒に美味しいもの食べに行きましょう。いつになるかは分かりませんが、何を食べたいか考えておいて下さい」


「ああ、楽しみにしてるわ」


 今日は肉まんを奢って貰ったが、次は何をご馳走してくれるのだろう。二人の記憶にも残るようなものを食べに行きたいから、奢って貰う飯は慎重に考えなきゃだな。

 俺が頷いたのを見て、蓮香は幸せそうに目を細めた。かと思えば、「ふああ」と可愛らしいあくびを漏らした。


「もうそろそろ眠たいか」


「うーん、眠いことは眠いんですけど、やっぱり隣に柊一さんが居ると緊張しちゃって。あ、だからって布団えを別々にして寝るのはイヤですよ。そんなことされたら泣いちゃいます」


「ははは。ワガママだな」


 俺が隣に居ると緊張して眠れないけど、離れるのはもっとイヤなのだと言う。これじゃあワガママ娘だなと思い笑うと、蓮香も釣られるようにして笑った。二人で静かにクスクスと笑い、目を合わせる。それだけで、本当に幸せな気持ちになれる。

 そこで会話に一区切りがつくと、蓮香がこちらに上目遣いを向けた。その瞳にドキリと心臓が跳ねる。


「でも柊一さんがキスしてくれたら、落ち着いて眠れるかもしれないです」


 蓮香は俺の目を見つめながら、大きな瞳を何度か瞬きさせた。暗くて見えないが、きっと彼女の頬は赤く染まっていることだろう。

 彼女からの提案を受けて、俺の心臓はドキドキと鼓動を速める。彼女とキスをすると考えただけでも緊張してしまう。俺は蓮香のことを一人の女性だと認識しているのだろう。今まで蓮香のことを、まだ高校生の子供だと思っていたのに。

 俺は生唾を飲み込んで、やっとのことで声を出す。


「キスか」


「いやですか?」


「全くいやじゃない。ただ、めちゃくちゃ緊張する」


「あはは。柊一さんでも緊張することあるんですね」


「緊張くらい俺でもするわ」


「初めてじゃないのに?」


 そう言って、蓮香はいたずらっ子のように片方の口角を吊り上げた。その表情が色っぽくて、ドキリとさせられる。やはり俺は蓮香を子供ではなく、一人の女性として意識しているのだろう。前にキスをされた時に蓮香が言っていた、「私はもう子供じゃありません」という言葉が頭の中を埋め尽くす。たしかにもう、蓮香は子供ではない。彼女の言っていた通り、蓮香は大人になって俺の前に現れたのだ。


「あの時はお酒が入ってたからなあ……」


「お酒を飲まないと私とキス出来ないんですか」


 納得いかないといった顔で、蓮香はまたも頬を膨らませた。

 そういう言い方をされたら弱い。これじゃあまるで、俺がキスを嫌がっているみたいじゃないか。ほんと、蓮香はずるいなあと心の中でため息を吐いて、俺は覚悟を決めた。


「それじゃあ、キスしようか」


「なんですかその「仕方がないな、このお子ちゃまは」感は。もう大人なんですからね。だいたい私は――」


「それくらい知ってるよ」そう言って、ぷんぷんと怒る彼女に顔を近づけてキスをする。不意打ち気味のキスだったが、これは前回のキスのお返しだ。

 唇と唇が優しく触れ合う。この柔らかな感触はよく覚えていた。まだ一度しかしていないキスの味は、酔っぱらっていても覚えてしまうくらい衝撃だったのだろう。このまま二人で溶けてしまうような錯覚に陥る。俺にとって彼女の唇は、特別なものだ。

 永遠の時間にも感じたが、そっと唇を離す。蓮香は驚いたように目を大きくさせたまま固まっていると、ふと我に帰ったかのようにあわあわとし始めた。


「な、ななな、なんですかそのフェイント! そんなのずるいに決まってるじゃないですか! まだ心の準備も出来てなかったのに! そんなの大好きになるに決まってる! もう! 柊一さんのバカバカバカ! もう知らない!」


 蓮香は一方的に捲くし立てると、こちらに背を向けて布団を頭まで被ってしまった。少々やりすぎたかと反省して俺が声を掛けても、布団の中からは「知らない!」という声しか返って来なかった。

 やっぱりこういうところはまだまだ子供なんだと内心ほっとしながら、俺も熱くなった頬を隠すようにして布団を被った。

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