ずっと一緒に

 午後最後の授業である六時間目は体育だった。今日は体育館でバレーボールをしていたが、みんなでボールを弾き合う楽しさが分からないので私は見学していた。と言っても授業の様子なんかそっちのけで、スマホをいじっていたのだが。

 そんな体育の授業が終わり、教室に戻って来た。あとは担任の先生が教室に戻って来て帰りのホームルームが始まるのを待つだけ。

 机の上に頬杖をつきながら無言でスマホをいじって待っていると、近くで何人かで集まって話す声が聞こえて来た。


「そういやあのブス、まだ戻って来ないな」


「それはそうだろ。だって神崎が体育倉庫に閉じ込めて来ちゃったんだってよ。しかも出られないように外からカギ閉めたんだってさ」


「うわ、まじ? それはさすがにかわいそうじゃないか?」


「いや別にいいだろ。いつも遅刻してくる罰だよ」


「たしかに。笑えるな」


「このままじゃバスケ部かバレー部の人たちが開けてくれるのを待つしかないな」


「うわ、それおもしろ。体育倉庫開けたら知らない女が居るんだもんな」


「こえー」


 ぎゃはははと笑いながら物騒な話をする連中に、私はたまらず眉をひそめた。

 また誰かをいじめてるのだろうか――と思考した直後、私の頭の中には一人の女の子の顔が思い浮かんだ。


「まさか」


 思わず声に出して、遅刻して来た女の子の机に目を向ける。しかし机には女の子の姿はなく、まだ戻って来ていないようだった。

 それを目が捉えた瞬間に、私は背筋がヒヤッとするのを感じた。まさかこいつら……本当にそんなことを……。

 アイツらがしていた会話とまだ体育から帰って来ない女の子。その二つが頭の中でパズルのピースのようにはまった。


「くっそ、こいつら……」


 我慢できずに声を漏らしながら、私は何かを考えるよりも先に席から立ち上がっていた。未だに笑っている男女を睨みつけてから、駆け足で体育館へと戻った。

 肩で息をしながら体育倉庫の前に立つ。体育館には誰の姿もなかった。


「おい! そこに居るのか!」


 体育倉庫の鉄でできているドアに向かって大声を出す。すると――


「誰か居るの……?」


 か細い声が体育倉庫から聞こえて来た。間違いない。この声は昼休みに登校して来た女の子の声だ。

 その声を聞いた途端に、胃の底で落ち着いていた熱が膨大に膨れ上がった。


「今助けるから!」


 私はそう言うと同時に、体育倉庫のつまみになっている鍵を開けてドアを開いた。するとそこには、昼休みに遅刻して来た女の子がドアの前にぺたりと座り込んでいた。女の子の目元は赤くなっていて、さっきまで泣いていたことが容易に伺えた。

 そんな女の子の姿を見た途端に、私は彼女を思いきり抱き締めていた。


「こんな狭くて暗い所に閉じ込められて辛かったね。寂しかったね」


「うん、寂しかった」


「でももう大丈夫だから。私がついてる」


「助けに来てくれたの?」


「うん。助けに来た」


 私がぎゅっと腕に力を込めると、女の子は「よかった」とだけ口にした。

 こんなに素直でいい子を体育倉庫に閉じ込めるなんて、本当にアイツらは信じられない。胃の底で膨れ上がった熱が、殺意にも似た気持ちに姿を変える。


「どうしていじめられてるのさ」


 女の子を抱きしめたまま尋ねる。


「気に入らないからって言ってた」


「気に入らない? 何が気に入らないの?」


「遅刻してくるし、話すときに目を合わせられないから」


「それだけで?」


「うん。それだけで」


 たったそれだけの理由で、彼女の机に暴言に近い言葉を落書きしたり、体育倉庫に閉じ込めたりしているのか。そんな奴らがクラスにうじゃうじゃ居ると思っただけでも鳥肌が立つ。

 私は抱き着く腕を離して、彼女の顔を両方の手で優しく包み込む。透き通るような瞳を真っ直ぐに見つめると、彼女も私と目を合わせてくれる。


「目、合わせられるじゃん」


 私がそう言って微笑むと、彼女は驚いたように目を大きくさせた。


「ほんとだ。どうしてだろう」


「敵じゃないって分かったから?」


「うーん、そうかもしれない」


 煮え切らない答えを返す彼女に、思わず笑ってしまった。でもまだ彼女の顔からは手を離さない。


「学校ってクソだよね。あんなキモイやつらと一緒のクラスにさせられてさ、朝から夕方まで同じ部屋に入れられるの」


「うん。学校嫌い」


「私も大嫌い。こんなところ、本当だったら来たくないよ」


「わたしも来たくない。ずっと家に居たい」


「分かる―。なんだかんだ言っても家が一番だよね」


「家が一番」


 なんだ、普通に会話も出来るじゃないか。ちょっと言葉足らずな部分はあるけれど、それはそれで個性があっていいと思う。


「だから私さ、不登校気味なんだよね」


「知ってる」


「あはは。知ってるか」


「うん、でもちょっとだけ羨ましい」


 彼女の大きな瞳がゆっくりと瞬きをする。私はその言葉を聞いた瞬間に、ニヤリと口端を吊り上げていた。


「今の言葉、本心だよね」


「羨ましいってこと?」


「そうそう。羨ましいってこと」


「うん。本心」


 ちょこんと頷いた彼女の頭を、ガシガシと撫でてやる。乱暴に撫でても気持ちよさそうに目を細める彼女を前に、私はある提案を投げかける。


「じゃあさ、私と一緒に不登校しようよ。あ、でも安心して。不登校だからって言っても、卒業に必要な出席日数はちゃんと稼ぐから。だから私と同じ日に休んで、同じ日に学校に来よう。そして学校では私と一緒に居ればいいよ。そうすればいじめられることはないと思うから」


 ね、と私がウィンクをすると、彼女はキラキラと目を輝かせた。


「わたしも不登校になれるの?」


「うん。なれるよ。不登校には誰だってなれる。だけどまあ、学校がつまらないって人限定でだけどね」


「わたし、学校つまらない。不登校になりたい」


 穢れのない純粋な瞳で、彼女は私のことを見る。その瞳があまりにも濁りなかったから、汚したくなくて目を逸らしてしまった。だけどもすぐに、目と目を合わせて笑顔を作る。


「じゃあ今日から私たちは不登校仲間だね。私の名前は津田蓮香。気軽に蓮香って呼んで」


「蓮香」


「そう、蓮香だよ。君の名前は?」


「天月乃々」


「天月乃々ちゃんか。すごくいい名前だと思う。なんて呼べばいい?」


「わたしも呼び捨てでいい」


「乃々だね。じゃあ改めて今日からよろしく。二人でいっぱい学校さっぼっちゃおうね」


「うん。さぼる。それと、わたしも蓮香と同じような髪にしたい」


 乃々が興味津々な目で、私の髪を見る。

 乃々が派手髪か……何色が似合うだろうかと彼女の顔を見ながら考えていると、とある色がばっちり似合いそうなことに気が付いた。


「お、じゃあ銀髪にしてよ。乃々の顔にすごく似合いそうだし、私が金色で乃々が銀色になったらかっこいいじゃん」


「分かった。銀髪にする」


 嫌な顔ひとつせずに頷いてくれた乃々が可愛すぎて、両手で頬を挟んでむにーっと潰してみる。乃々は強制的に唇を突き出す形になったので、その不格好さに思わず笑うと、彼女も釣られるようにして笑った。


「よーし、それじゃあさっそく明日は学校をさぼって美容室に行こう。私の行きつけのお店に連れて行ってあげるよ」


「嬉しい。行きたい」


 これで暇だった明日の予定が埋まった。久しぶりに楽しくなりそうな明日を想像しながら、私は乃々の手を取って立ち上がる。


「じゃあ明日は学校をサボって美容室で決まり! でもその前に――」


 乃々との会話で忘れていたが、今の私ははらわたが煮えくり返っていたのだ。こんな純粋で可愛い私の友達をいじめやがって。その一心で、私は近くに置いてあった木製の野球バットを二本手に取る。その一本を乃々に渡すと、彼女はポカンとした顔で首を傾げた。


「今から乃々をいじめたやつらに復讐しに行くから、乃々も私のあと着いて来てね」


「え、」


 そんじゃ行くよー、と軽い口調で言って、私はバットを肩に担いで歩き出す。乃々はやや心配そうな顔で私の後ろを着いて来たが、やることをやってからはスッキリした顔をしていた。

 この日から私は乃々と知り合い、お互いに『不登校仲間』というかけがえのない存在になった。しかし乃々と仲良くなったその日から、私たちは二週間の謹慎処分を受けることになったのだった。


 ***


「蓮香?」


 乃々に名前を呼ばれて、ようやく私の意識は現実へと戻って来た。

 いかんいかん。つい乃々の体に安心して、意識が過去へと飛んでしまっていたようだ。たしかあれは柊一さんと出会う前だったっけ。乃々との出会いは衝撃的なものだったが、今ではいい思い出だ。


「うー、乃々大好きぃ」


 あの時からずっと愛おしくてたまらない乃々に、ぎゅーっと苦しいくらいに抱き着く。でも乃々は嫌がったりしない。出会った時から私の全てを受け入れてくれる、ただ一人の親友だ。

 でも顔には出てしまうようで、少々戸惑ったような顔をしている。


「蓮香、柊一からのプレゼントが嬉しくておかしくなっちゃった」


「柊一さんからのプレゼントも嬉しいけど、乃々が隣に居てくれることも同じくらい嬉しいんだよ」


「それは嘘。蓮香、柊一さんの前だと女の子の顔になる」


「え、嘘。私そんな顔してた?」


「うん。いつもしてる」


 まじか。柊一さんの前では出来るだけ自然な感じで居ようと思っていたのに、どうやら顔に出ていたらしい。ずっと一緒だった乃々がそう言うのだから、本当なのだろう。しまったなあと思いながら乃々に体重を掛けると、「重い」と言われてしまった。しかし乃々は私を振りほどくどころか、嫌そうな顔ひとつ見せない。そんな彼女の綺麗な銀髪が、私の頬をくすぐった。

 そう言えば乃々が自前の黒髪を捨てて銀髪になったのも、全て私を真似てのことだった。しかし私が柊一さんと出会ったのをきっかけに落ち着いた髪色に戻すと言った時には、乃々に寂しそうな顔をさせてしまった。高校を卒業したら、あの時みたいに金髪にするのもありかもしれないなと思いながら、私は乃々に頬ずりをする。


「こんな恋する女になってしまったけど、これからも私とずっと一緒に居てねー、乃々ー」


 後ろから強く抱きしめながら、しつこいくらいの頬ずりをする。それが気持ちよかったのか目を細めた乃々は、控えめながらも芯のある声でこう呟いた。


「うん。ずっと一緒」


 そのセリフがとても愛おしいものに感じ、私はたまらず乃々の頬にキスをしていた。

 ♥

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