知らない
♥
柊一さんに別れを告げて、すっかり藍色になった空の下を歩く。
柊一さんの家から駅までは歩いてニ十分程度。その駅までの道を、乃々と一緒に歩く。
「ふふーん。ペンダント買って貰っちゃった~」
柊一さんからペンダントを貰えて、私は学校の疲れを忘れるくらいご機嫌だった。好きな人からの初めてのサプライズプレゼントは、可愛らしいハートのペンダントだった。しかも乃々と色違いの物を買って来てくれるなんて、柊一さんは意外と私たちのことを考えてくれているのかもしれない。
「蓮香すごく嬉しそう」
隣を歩く乃々が私の顔を覗き込む。眠たそうな瞳は透き通っていて、見てるだけで吸い込まれてしまいそうだ。
そんな彼女の鎖骨辺りには、黒色のハートが光っていた。私が赤で乃々が黒。その色選びのセンスが柊一さんらしくて、やっぱり面白い人だなと思う。
「そりゃあそうよ。だって好きな人からのプレゼントなんだよ? 喜ばない方がおかしいってもんよ」
「そっか。蓮香、柊一のこと好きだもんね」
その乃々の柊一さんの呼び方に、ピクリと反応してしまう。だって私でも柊一さんには『さん』を付けて呼んでいるのに、乃々だけ呼び捨てで呼んでいるなんてずるい。だからといって私は柊一さんを呼び捨てで呼ぶことは出来ない。だってなんか、恥ずかしいし。
「好きだよ。大好き。愛してる」
「そんなに」
「もう心の底から好き。それに今日の出来事で、もっと柊一さんのこと好きになったし」
私は恥ずかしげもなく、『好き』を連呼する。本人の前で好きだと言うのは勇気がいるから、修一さんが居ないこういう時に『好き』を発散するのだ。
惚気話しにも似た私の話を聞いて、乃々は少し考えた素振りを見せると、次第に頬を桃色にさせて目を逸らした。
「じゃあわたしも蓮香にプレゼント買おうかな」
頬を赤らめながら乃々が突然そんなことを言うもんだから、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「えー、どうしたの急に」
乃々がそんなことを言うなんて珍しいもんだから、私はつい彼女の肩を小突いてしまった。だって乃々に化粧品やアクセサリーをあげていたのはいつも私の方で、彼女から何かを貰ったことなんてなかった。乃々はすごく可愛いから、ついつい色々な可愛いものをあげたくなってしまうのだ。
乃々は照れたように笑うと、その顔をこちらに向けた。破壊力のある美少女の笑顔に、思わず息を吞みそうになる。
「わたしも蓮香を喜ばせたいから」
なんてことを、乃々はさらっと口にした。
私は途端に嬉しくなって、口元が緩んでしまった。
「あっはは。たしかにプレゼントくれたら喜ぶけど、私は乃々が隣に居てくれるだけですごく嬉しいからそれだけで十分なんだよね」
照れ笑い混じりの私のセリフを聞いて、乃々は目を大きくさせてみせた。
「そうなの?」
「そうだよー。だって私、乃々のこと大好きだもん」
柊一さんには恥ずかしくて言うのに勇気が必要だけれど、もう長い付き合いになる乃々には『好き』と簡単に言える。どちらの『好き』も同じくらいの濃度なのに不思議だ。
さっきまで頬を桃色にさせていた乃々だが、好きだと言われてさらに真っ赤に染め上がる。そして忙しなく前髪を指で梳かしながら、乃々は視線を逸らして「私も好き」と小さな声で呟いた。それが可愛くて可愛くて、私は他の歩行者のことなんか気にせずに乃々に抱き着いていた。後ろから覆いかぶさるように抱き着いて、乃々の首元に顔を埋める。すると甘い柑橘系の香りが、私の鼻をくすぐった。
乃々の柔らかな体、それに体温と匂いを堪能しながら、私は不意に乃々と出会った時のことを思い出す。
***
あれはたしか私が不登校真っ只中の中学一年生の時。自分は周りの人間とは違うんだぞというせめてもの反抗から、髪を金色にして年不相応の濃い化粧をしていたあの頃。
中学に入学してからすぐに不登校気味になった私だったが、親からは「高い学費を払っているのだから卒業はしろ」とだけ言われていた。なので特に学校に行く意味は分からなかったが、たまに出席日数を稼ぎに登校していた。
そして今日もまた、久しぶりに早起きをして気が向いたので、出席日数を稼ぎに十何日かぶりの中学校に訪れた。
まだほとんど汚れのない上履きのかかとを履き潰しながら、自分のクラスである『一年一組』の教室のドアを開く。するとまだ顔も名前も覚えていないクラスメイトたちの視線が、一斉に私に集まる。その全ての瞳が歓迎しているものではないことくらい、私でも気が付く。
しかし私はクラスメイトたちの視線を無視して、自分の席に着く。あーあ。今日も退屈な授業を聞かなければいけないのか。そう憂鬱な気分になりながら、机から脚を放り投げるようにして座り、スマホをいじって暇を潰し始めた。
☆
退屈な授業を寝て過ごして、あっという間に昼休みになった。他のクラスメイトたちは仲のいい友達同士で机をくっつけているが、仲のいい友達が居なければ知り合いも居ない私はコンビニで買って来たおにぎりを一人で食べる。でも寂しくなんかない。きっと私はこのクラスメイトたちとは、話が合わないだろうから。
だから一人でスマホをいじりながらおにぎりを食べて居ると、不意に教室のドアがガラガラと音を立てて開いた。普段なら気にならないドアの開閉音だったが、教室の中が一瞬で静まり返ったことにさすがの私でも異変を感じた。
クラスメイトたちと同じように、私も今入って来た人物に目を向ける。するとそこには今起きましたといわんばかりの眠たい顔でスクールバッグを背負っている、黒髪ロングの女の子が居た。彼女は静まり返った教室を気まずそうに進むと、自分の席に座ってスクールバッグを下ろした。彼女が席に座った途端にクラスメイト達がクスクスと笑い声を上げていたが、今の私の耳には何も届かなかった。
もしかしなくてもあの子、今登校して来たのだろうか。もしもそうだとしたら、私と同じで不登校をしている生徒なのかもしれない。そう思うと彼女に興味が湧いて来て、私は迷わず話し掛けることを選んだ。
「ねえ、アンタも不登校なの?」
黒髪の女の子の机の前に立ち話し掛けると、彼女は一瞬だけこちらに視線を向けたが、すぐに下を向いてしまった。かと思えば今度は、ウェットティッシュをスクールバッグから取り出して、机を熱心に拭き始めた。
どうして机を拭き始めたのだろう。そう思って彼女の机に目をやると、そこには油性ペンであらゆる落書きがされていた。『死ね』『ずっと休んでろ』『学校に来るな』『根暗』などなど、あまり目にするのもよろしくないであろう文字が机を埋め尽くしていた。
それを見て私は、胃の辺りに熱のようなもを感じた。
「ねえ、これ誰に書かれたの?」
無意識にムキになった口調になった。
私は机の前でしゃがみ込み、黒髪の彼女と目を合わせようとする。彼女の顔はどこか眠たそうだが、目も鼻も口も整っていて『美少女』という言葉がよく似合う子だった。
しかし目を合わせようとすると、彼女はすぐに視線を逸らした。しかし、その口が小さく開く。
「知らない」
とても小さな声だったが、透明感のある可愛らしい声だった。
でも知らないってことは、この子が自分で書いた落書きではないことは事実。ということは――私が勢いよく教室の中を見回すと、一斉にクラスメイトたちは顔を伏せた。
なるほど、そういうことか。どうやらクラスの全員が、この子のことをいじめているらしい。
胃の底にあった熱いものが、段々と膨らんで行くのを感じた。こんな胸糞の悪いことをしている連中を、今すぐに片っ端からぶっ飛ばしていきたい。その衝動に駆られていると、黒髪の彼女がポツリと呟く。
「もうすぐで昼休み終わるから、席に戻った方がいいよ」
その声主に視線を戻すが、彼女とは一向に目が合わなかった。
時計を見ると、本当にあと五分程で昼休みが終わる時間だった。今から私が問題を起こせば、きっと次の授業の先生が困ってしまうだろう。出席日数だけでもギリギリなのに、問題なんか起こしたら進学が出来なくなる。そう思って、私は胃の底にあった熱をそのままに、渋々自分の席に戻った。
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