温かなラーメン

「犬飼くん。そういうことはちゃんとアタシに教えてくれ。友達との予定があるんだって知ってたら、犬飼くんを夜の部まで働かせたりしないんだから」


「はい。おっしゃる通りでございます」


 アルバイト先である『麵屋 蘭』に到着して店長に事情を話すと、俺と蓮香を店内に入れてくれた。あと片付けの途中だったらしいが、俺と蓮香がびしょ濡れなのを見て、店長が仕方なくラーメンを作ってくれることになったのだ。

 厨房でラーメンを作ってくれている店長は呆れ顔でこちらを見下ろし、俺はカウンター席で頭を下げ続ける。その様子を、蓮香は俺の隣の席に座りながら苦笑いで眺めている。


「今度からバイトの日に大事な予定がある時には、ちゃんとアタシに報告するように。いいね?」


「はい。心に留めておきます」


 テーブルに額をつけるようにして頭を下げる俺を見て、店長は呆れたようにため息を吐いた。普段は店長に怒られたりしないので、彼女に頭を下げるのなんて初めての経験だ。しかも隣で蓮香も見ているのだから、情けないったらありゃしない。

 俺が頭を上げると同時に、キッチンタイマーがピピピと音を鳴らした。これは麺が茹で上がった時の音だ。バイトの癖で音に反射して体が動きそうになったが、今はお客さんとして来ているのだ。店長が麺の湯切りから、盛り付けまで全てをこなしてくれる。


「えっと。そっちの子は蓮香ちゃんだっけ?」


 ラーメンのどんぶりに海苔を飾り付けながら、店長が蓮香に視線を寄せる。すると蓮香はしゃんと背筋を伸ばし、こくりと頷いた。その表情はどこか緊張しているようにも見える。


「あ、はい、そうです。津田蓮香です」


 店内に入って来て、挨拶以外で蓮香が初めて口を開いた。


「蓮香ちゃん、悪かったね。犬飼くんを夜の部まで働かせちゃって。犬飼くんが来なくて寂しかったでしょ」


「あはは。そうですね。たしかに寂しかったです」


 蓮香は笑いながら、こちらに視線を寄せる。その視線にギクリとして、俺は蓮香にも頭を下げた。


「しかも寒いし雨も降ってるし。よく二時間も誰も居ない暗い公園で待てたね」


「そりゃあ柊一さんのことが好きですから。愛の力です」


「愛の力か。本当に犬飼くんのことが好きなんだね」


「はい。大好きです。中学生の頃から」


 蓮香が堂々とそんなことを言うので、俺は照れくさい気持ちになる。しかも店長が「ほう」とニヤニヤしながらこちらを見るもんだから、余計に顔が熱い。


「だってよ犬飼くん。今時、こうやって想いを素直に伝えてくれる女の子はそうそう居ないから大事にした方がいいよ」


「はい。善処します」


 店長に向かってまたまた頭を下げた俺を見て、隣に座っている蓮香はケタケタと笑い声を上げた。

 笑い声がこだまする穏やかな雰囲気の中、店長は出来上がったラーメンを俺と蓮香の前に置いた。メンマとネギと海苔が乗った、店長が得意とする醤油ラーメンだ。

 いつもはメンマやネギなどのトッピングは俺が行っているので、店長が一から十まで作ったラーメンは新鮮だ。


「すごく美味しそう。これ、食べる前に写真撮ってもいいですか?」


「あ、ああ。構わないぞ」


「やったー」と喜ぶ蓮香を見て、店長はどこかソワソワとしている。店長は以前に、自分の作ったラーメンの写真を撮られると少しだけ緊張すると言っていた。

 写真を撮り終わった蓮香を確認して、俺は手を合わせる。それを見た蓮香も慌てて手を合わせる。それから俺と蓮香は「いただきます」と声を揃えた。

 俺は麺から、蓮香はスープから口にする。二人して「美味しい」と言いながらラーメンを食べるので、店長は笑顔を浮かべて応えた。

 それから俺と蓮香はずるずると無言でラーメンを食べて、店長は鍋などをシンクで洗い始める。


「そう言えば、二人とも連絡先は交換できたのか?」


 店長が思い出したように口にすると、俺と蓮香は「あ」と声を合わせた。店長に事情を話して説教されたことと、ラーメンを食べることに夢中になっていて忘れていた。

 すっかり連絡先を交換し忘れていた俺と蓮香を見て、店長はまた呆れ顔を浮かべた。

 俺と蓮香は目を合わせて、お互いに苦笑いを浮かべる。


「忘れない内にラインでも交換しておくか?」


「うーん、こんなに美味しいラーメンを冷ますのはもったいないので、食べ終わってからがいいです」


「たしかにそうだな。それじゃあラーメンを食べ終えたら交換しようか」


「そうですね。それがいいです」


 短い言葉のラリーを交わし、ラーメンを食べ終えたあとに連絡先を交換することが決まった。

 無事に連絡先が交換できそうなのを見て、店長は安心したように洗い物に戻った。

 話にひと段落がついたからと、俺はメンマを箸で摘まんで口に入れようとしたところで、蓮香が肩をちょんちょんとつついてきた。何事かと思って彼女の方を見ると、蓮香は笑顔を浮かべながら囁き声でこう言った。


「今日はイルミネーションデートは出来ませんでしたけど、私は柊一さんと連絡先を交換できただけですごく幸せですから。今日のことはあんまり気負わないでくださいね」


 俺にしか聞こえないくらいの声量でそう言われて、不覚にもドキリとしてしまった。

 なんていい子なんだと痛感させられ、また胸が痛くなる。

 蓮香と再開してまだ日は浅いが、彼女のおかげで俺の暗いフリーター生活が明るくなりそうな予感がした。

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