まさかね
あっという間に時は過ぎ去り、今日はイルミネーションデート当日。
「三名様ですね。今テーブル席を片付けるのでもう少々お待ちください」
スープだけになったどんぶりを持ちながら、来店されたお客さんに営業スマイルを向ける。前職が営業職だったので、営業スマイルだけには自信があった。
夜にはイルミネーションデートの予定が入っているが、今日はお昼の部だけバイトをすることになっている。
そして今日も今日とて、お昼前からお客さんがひっきりなしに来店している。カウンター席もテーブル席も満席。だけども今日は、お店の外に列ができるまでのお客さんの姿はなかった。その理由と言うのも明白で――
シンクに入れたどんぶりをスポンジで洗いながら、ふとドアの窓越しに外を見てみる。お店の前を通る人々は皆が傘を差していて、歩道には水溜まりが出来ている。しかも雨の勢いはとても強く、ここからでも雨音が聞こえるくらいだ。
「イルミネーションは中止かな」
誰にも聞こえないくらいの声量で、ポツリと独りごちる。
朝起きた時からこの調子で雨が降っていたので、雨天でもイルミネーションは見れるのかとホームページを見てみたのだ。そこにはしっかりと『雨天中止』の文字が書かれていたので、きっとこの調子で雨が降り続けたら、イルミネーションデートはできないだろう。
しかし救いなのは、バイトに来る前に天気予報を確認したところ、午後からは降水確率がぐんと下がる予報なのだ。だからもしかすると、この雨も止むかもしれない。
「デート出来るといいな」
また、誰にも聞こえないくらいの声量で独りごちる。
俺は今までの人生で一度もデートなんてしたことがなかったから、たとえ相手がぐんと年下の女の子でも今日が少しだけ楽しみだったのに。
☆
昼の部が終わり、店長が作ってくれたエビ塩ラーメンを食べる。麺には弾力があり、スープを飲むと全身にエビのエキスが染み渡る錯覚を覚えるくらいに美味しい。こんな美味しいラーメンが無料で食べれるなんて最高だ。でもその喜びも、ドアの窓に映る外の景色を見ると半減した。
「まだ降ってるか」
麺をすする箸を止めて、窓に打ち付ける大粒の雨を見る。
雨は止むどころか、朝よりも強くなっている気がするのは気のせいだろうか。
雲も真っ黒で雨が止む気配は微塵もないが、一応スマホで天気予報を調べてみる。夕方までには止んで欲しいな。なんて思っていたが、画面に表示された予報はずっと雨。しかも朝見た時には午後から降水確率が下がる予報だったが、今見てみると朝から晩まで降水確率が九十パーセントだ。
「こりゃあ今日は無理そうだな」
デートを楽しみにしていただけ残念な気持ちになり、俺はスマホを閉じた。一応、蓮香に今日はやめにしようとメッセージを送るとするか。そう思って無料コミュニケーションアプリのラインを開いてみる。だが。
「あれ、連絡先交換してなかったっけ」
ラインの友達の欄を確認してみても、蓮香の名前は見当たらなかった。そう言えば蓮香とはラインを交換した覚えが全くない。それに電話番号もメールアドレスも知らないもんだから、彼女と全く連絡が取れない状況だ。
「困ったな」
待ち合わせ場所も時間もしっかりと決めていて安心していたが、こういうイレギュラーがあるから怖い。これじゃあ蓮香と連絡が取れないじゃないか。さて、どうしたもんか。
「さっきからなにをぶつぶつ言ってるんだ?」
何か解決策は無いかと考えていると、隣の席に店長が腰掛けた。その勢いで彼女のおっぱいが揺れるが、なんとか視線を逸らすことが出来た。店長は今から休憩に入るようで、彼女の前には湯気が昇る辛みそラーメンが置かれている。
「あ、いえ、なんでもないです」
女子高生とデートをする予定だったんですけど……とは言えないので、俺は独り言をしていたのを隠すように麺をすする。店長は「そうか」とだけ言って、レンゲでスープを口にした。
「なあ、犬飼くんにひとつ相談なんだが」
「なんですか?」
お互いにラーメンを食べ進めながら会話を交わす。すると店長はこちらを向くなり、顔の前で手を合わせた。
「今日は雨のせいでお客さんの入りも少なくて売り上げが伸ばせていないから夜の部まで営業しようと思うんだが、どうだろうか」
店長は申し訳なさそうな口調で、そんなことを口にした。
店長の言葉の「どうだろうか」の中には、「夜の部も働けるか?」という意味合いも含まれていることはさすがの俺でも察せる。でも今日は十八時から蓮香との約束がある。しかし夜の部は十七時から二十時までなので、確実にデートには行けなくなる。でも、と窓の外に目をやると、今日は一日雨が降っているだろうことが伺える。雨が降っていてはイルミネーションもやらないようなので、きっと蓮香もこの天気を見て今日は諦めて家に帰るんじゃなかろうか。いや、この雨では待ち合わせ場所にも来ないに決まっている。
「あー、いいですよ。夜の部も働けます」
そう思ったので、今日は少しでも稼ごうと考えた。どうせ待ち合わせ場所に行ってもすぐに帰るだけなら、働いて金を稼いだ方が有意義だ。
「ほんとうか。それは頼もしいな」
店長はそう言って微笑むと、「夜もよろしく頼む」と付け加えてから食事に戻った。だから俺も「よろしくお願いします」とだけ言って、まだ手をつけていない煮卵を頬張った。
こうして今日はイルミネーションデートではなく、みっちりとバイトをする一日になることが決定した。
☆
「お疲れさまでしたー」
夜の部も無事に終わり、私服に着替えてからホールに出る。
「お疲れさま。また明日も頼むね」
キッチンで後片付けをしている店長が顔を出し、俺に笑顔を向けた。バイトが終わったあとはいつもこうして挨拶を交わすので、店長の笑顔を見ると一日が終わったんだという実感が湧いて来る。
「こちらこそよろしくお願いします。お疲れさまでした」と返事をして外に出る。
空は暗く、真冬の気温が体温を奪っていく。今日は一段と寒いが、それもこれも雨のせいだろう。この時間になってもまだ雨は上がっていないが、午前中よりは勢いがなくなった気がする。今のうちに帰ってしまおうと足を早めようとした時、俺の頭には蓮香の顔が思い浮かんだ。
スマホで時刻を確認すると、二十時十五分だった。
「まさかな」
待ち合わせ時間から二時間は経過しているが、何となく彼女のことが気になった。
雨も降っているし十中八九は待ち合わせ場所に来ていないだろうが、『もしかしたら』が頭をよぎった。そのもしかしたらを考えてしまうと、どうにも公園の様子を見ずにはいられなかった。
「いや、まさかね」
自分に言い聞かせるように、もう一度同じ言葉を吐いた。
それから自然と、俺の足は自宅ではなく小峰公園へと向いていた。
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