ダラダラと
金・土・日とバイトをして、ようやく休日。三日バイトをしただけでもこんなに疲れているのに、社会人だったころは平気で五連勤をこなしていたんだもんな。今考えると、五日も連続で働いていた自分にゾッとする。
しかし今日はバイトの疲れからどこに行く気にもなれず、ずっとベッドの上でゴロゴロとしていた。
気付けば午後四時。空も段々と赤みがかってきているし、今日はこのまま家に引きこもっているとするか。そう考えていた時のことだ。
ピンポーン。チャイムの音が鳴り響いた。
特に配達も頼んでいた覚えはないし、一体どちら様だろうか。玄関に行くのも面倒だしドアを開けたら寒そうなので、居留守でもしようか。
ピンポーン。しかし二度目のチャイムが鳴り、居留守をする罪悪感もあるからと重い腰を上げることにした。
寝間着の上からパーカーを羽織り、「どちらさまですか」と玄関のドアを開いてみる。びゅうと吹き抜ける冷たい風とともに現れたのは、最近会ったばかりの女の子だった。
「あ、数日ぶりです柊一さん。学校終わたんで遊びに来ちゃいました」
そこに立っていたのは、スクールバッグを肩に掛けた蓮香だった。彼女は数日前に会った時と同じコートを着用している。
「おお、蓮香ちゃ――蓮香か」
そう名前を呼んだだけで、蓮香は嬉しそうに頬を緩めた。
「うん。いきなり来ちゃってごめんなさい。今日はお仕事なかったんですか?」
「今日は一日フリーだったな」
「へえ、そうなんですね。その様子だと、今日はずっと家でダラダラしてた感じだ」
蓮香はふと視線を落とした。恐らく彼女の瞳には、俺の寝間着が映っているのだろう。なんだか、女の子に寝間着を見られるのは少しだけ恥ずかしいな。
「ああ、ずっとダラダラしてた」
俺が頷くと、蓮香も同調するようにしてコクコクと頷いた。
終始笑顔な彼女の顔。その鼻先や頬が赤く染まっていることに気が付いた。
「あ、外で話してたら寒いよな。蓮香がよかったらなんだけど、中に入って行くか?」
なんとなく高校生の女の子を家に招くのには抵抗があり、ぎこちない聞き方をしてしまった。しかし彼女は、これでもかと目を輝かせて前のめりになる。
「いいんですか! ぜひ!」
その勢いに圧倒されながらも、寒い玄関先で喋るのは俺だって嫌なので、彼女を部屋の中に案内することにした。
☆
ホットココアの入ったマグカップを片手に、俺と蓮香はローテーブルを挟んで向かい合う。こうやって高校生の女の子がウチに居ることにまだ慣れない。むしろウチにあげてはダメなような気もしてくる。俺がではなく、世間的に。
「初めて柊一さんの家に来た時も思ったんですけど、お部屋綺麗にしてるんですね」
蓮香は部屋の中をキョロキョロと見回しながら、そんなことを口にした。
「綺麗にしてるってよりは、物欲がないから何も部屋に置いてないだけだ。それにゴミを出しっぱなしにする性格でもないから、部屋が綺麗に見えるだけかもな」
「へえ。あんまり物欲ないんですね」
「そうだな。これといった趣味もないし」
女子高生と何気ない会話を交わす。なんだか不思議な時間だな。なんて思いながら、マグカップに口を付けてココアをすする。温かい甘さが、喉をするりと落ちていく。
「休みの日とかって何してるんですか?」
「うーん。家にいるか漫画喫茶に行くかだな」
「漫画喫茶ですか。私、漫画喫茶って行ったことないんですよね。漫画喫茶って楽しいんですか?」
「まあ、漫画が好きなら楽しいかな」
「漫画かー。あんまり学校行ってなかった時期に読んでましたね」
「どういうの読んでたんだ?」
「無糖ロリポップとか、近所の怪物くんとか好きでしたね」
無糖ロリポップと近所の怪物くんって言ったら、有名な少女漫画じゃないか。あんなに髪を金に染めて、世間に反抗しているような女の子でも少女漫画を読むんだな。
「あ、なんですかその顔。絶対に「あの不良少女が少女漫画とか」ってバカにしてる顔ですよね」
蓮香は俺の顔を見るなり唇を尖らせ、ムッとした表情を作った。そんな不機嫌そうな顔も様になってしまうのだから、美少女というものは恐ろしい。これではまるで、少女漫画から飛び出して来たヒロインみたいだ。
「そこまでは思ってないって」
「そこまでってことは少しは思ってるじゃないですか」
そう言われて俺が「あ、」と言葉を漏らすと、蓮香はムッとした表情から一転して「ぷはっ」と吹き出した。
「柊一さん、意外と抜けてるところあるんですね。可愛いです」
そう言ってケラケラと笑う蓮香を前に、俺の顔はカッと熱を帯びた。女子高生にからかわれる大人なんて、カッコ悪いじゃないか。しかも大の大人なのに、「可愛い」と言われてちょっとだけ嬉しいと思ってしまう自分が恥ずかしかった。
「ふふ、赤くなってる柊一さんも可愛いですよ。リンゴみたいです」
「それ以上からかったら追い出すからな」
「冗談です。冗談ですって」と言いながらも、蓮香はきゃははと笑うのを止めようとしない。なんてよく笑う女の子なんだと思うとともに、こんなに楽しそうにされては注意する気も失せるからと、俺は「はあ」とため息を吐くだけにした。
ようやく笑い終わった蓮香は、「はーあ」と口にしながら涙を拭った。そんなに俺をからかうのが面白いのだろうか。
「話しは戻るんですけど、柊一さんの休日って漫画喫茶に行くので忙しいですか?」
「いや、漫画喫茶は暇だから行ってるだけだ」
「ほー、そうなんですね」
なるほどなるほど、と何かを自分に言い聞かせるようにコクコクと頷くと、蓮香は恐る恐るといった表情でこちらを向いた。
「そんな柊一さんにお願いがあるんですけど、いいですか?」
「内容にもよるな」
俺はココアをずずっとすすりながら、彼女と目を合わせる。
まさかここに来て、金銭を要求されるのだろうか。「私と話したんだから、それだけのお金をくれ」と。もしもそんなことを言われても、警察に通報されたら俺の方が立場は弱いので、この場で三万円くらいで許して貰えたらいいな。なんて思っていると。
「漫画喫茶に行く休みを、一日だけ私にくれないかなと思いましてですね」
ダメですかね、と首を傾げる蓮香。しかし俺はその言葉の意味が分からずに、蓮香と同じように首を傾げる。
「だからですね、もっと簡単に言いますと……今度のお休みの日に私とデートして欲しいです」
どんどんと声量がしぼんでいったが、彼女の言葉は全部耳に届いた。だからその上で、俺は肩透かしを食らった気分になった。俺のなけなしの金を奪われると思っていたので、少しだけホッとしたのが一番だ。
「なんだ、そんなことでいいのか」
俺がそう口にすると、蓮香は「そ、そんなこと……」とショックを受けた顔をした。が、すぐに立ち直ったようで、その場で前のめりになった。
「え、いいんですか?」
「ああ、別にいいけど。どこに行くんだ?」
まだ高校生の女の子とデート。同じ年くらいの女性とデートするワケじゃないから特に緊張はないが、周りからどんな目で見られるのかが心配だ。でも女の子からデートに誘ってくれた以上は断るワケにもいかないもんな、と童貞なりに思った。
「あのですね、行きたい場所があるんです」
蓮香はそう前置きをすると、スクールバッグからスマホを取り出して何かを調べ始めた。
熱心にスマホを操作する姿を眺めていると、彼女は「あった」と口にしてからその画面を俺に見せた。そこにはキラキラと光るカラフルな電飾が、夜の町を鮮やかに照らしている写真が表示されていた。
「ああ、イルミネーションか」
「そうです。イルミネーションです」
イルミネーションなんて、最後に見たのはいつだっただろうか。それにわざわざイルミネーションを見に行ったことはなく、たまたま近くを通ったので見たことがあるだけだ。そういうのって、恋人がいる人だけのイベントだと思っていたからな。
でもイルミネーションなら夜に見に行くことになるだろうし、人目を気にする心配もなさそうだ。
「それじゃあ見に行くか」
それにお金もかからなそうだからと頷いてみせると、蓮香は途端に目を輝かせた。
「え、いいんですか!」
「いいよ。そのイルミネーション、どこでやってるんだ?」
「小峰公園です」
小峰公園と言うと、ここから歩いて十五分程の場所にあるやや大きめの公園だ。休日になると子供連れの親子や若いカップルのたまり場となるような、ゆったりまったり出来る公園として知られている。
「小峰公園か。それならここから近いしいいな。蓮香の家からも近いのか?」
「家からは近くないですね。ここから家の最寄り駅まで電車だけでも三十分かかるし」
「え、それだと悪いな。蓮香の家から近いところにしようよ」
「いえ、いいんです。私の学校がここから近いんですよ。越冬高校って知ってます?」
「あー、知ってる知ってる。ここから歩いて十分くらいのとこにある高校だよな。越冬高校に通ってるのか」
たしか越冬高校は、偏差値もそこそこある進学校だったはずだ。それに野球部とゴルフ部が強いらしく、全国大会の常連校だった覚えがある。
「そうそう。越冬高校に通ってるんです。だから学校が終わったら直でイルミネーション見に行く感じで」
「なるほどな。そういうことならそうしよう。いつイルミネーション見に行く?」
「えっとですね、そのイルミネーションが明日か明後日しかやってないんで、その二日のどっちか柊一さんが休みな日で」
「おっと。俺、明日も明後日もバイトだぞ」
今日は休みだけど、明日から三連勤でバイトがある。それを思い出して言うと、蓮香は「うそ!」と目に見えてショックそうな顔をして、テーブルの上に額を擦り付けるようにして沈んでしまった。
こんなに分かりやすく凹む女の子が居るんだと思いながらも、俺はあることを思い出した。
「あ、でも明後日の水曜日なら昼の部で帰れるな」
俺がぽつりと呟くと、蓮香は勢いよく顔を上げた。
「その昼の部っていうのは何時でバイト上がれるんですか?」
「一応は十五時までだな」
「それなら間に合います! 小峰公園のイルミネーションは十八時から二十一時までやってるので!」
「その時間なら余裕で間に合うな。そんじゃあ十八時に小峰公園の噴水前に集合するか」
小峰公園の真ん中には、大きな噴水があるのだ。その噴水が一番わかりやすい目印だからと思って待ち合わせ場所に提案すると、蓮香は食い気味に「はい! それで決まりで!」と頷いた。
そんなこんなで女子高生とイルミネーションデートをすることになったが、女性との交際経験が皆無の俺でも緊張は特になかった。やっぱり俺は蓮香のことをまだ子供だと思っているのだろうか。どちらにせよ、蓮香も楽しみにしてくれているようなので、俺も久しぶりの外出を楽しもうと心に決めた。
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