友達から

 狭い部屋だけど。そう前置きしてから、自分の部屋に案内する。

 蓮香ちゃんをローテーブルの前に座らせて、俺は二人分のココアを作る。もちろんお湯を入れて粉末を混ぜるだけのインスタントだ。

 マグカップを二つ持ってリビングに戻ると、蓮香ちゃんは笑顔を作って「ありがとう」と口にした。俺の部屋に女の子が居るなんて、不思議な感じがする。ここのアパートに越して来てから、女の子を部屋に招いたことなんてなかったからな。しかも相手が高校生なのだから尚更だ。

 二人同時にココアを口にして、一息つく。そこで俺はある疑問が思い浮かんだ。


「でもどうして今になって俺に会いに来たんだ?」


 俺が首を傾げると、ローテーブルを挟んで向かい合わせになっている蓮香ちゃんの頬が赤く染まった。彼女はその赤い頬に手を当てながら、俺からふと視線を逸らす。


「さっきもちょろっと外で言いましたけど――五年前に柊一さんが、私が大人になったら結婚してくれるって言ってくれましたよね?」


「あ、ああ。確かに言ったな」


 あの時はすぐに忘れるだろうと思って、結婚するなんて変な約束を交わしてしまったのだ。まさか五年経った今でも覚えているなんて思ってもいなかった。


「だからですね、その、」


 なぜかもじもじとしながら、蓮香ちゃんは俺に上目遣いを向けた。そしてひと呼吸おいてから、彼女はとんでもないことを口にする。


「柊一さんに……結婚してもらいに来ました」


 上目遣いながらも、彼女の視線はたしかに俺の方へと向いていた。

 蓮香ちゃんとじっと目が合うと、俺の体は石になってしまったかのように動かなくなる。状況を理解しきれない脳みそを一旦再起動させる時間が、十秒と過ぎ去ろうとした時。自分の眉間に皺が寄ったのが分かった。


「えっと。蓮香ちゃんって何歳だっけ」


「高校三年生の十八歳です。あと、ちゃん付けはなしでお願いします。普通に名前呼びで」


「あ、了解。蓮香だな。それで蓮香。ひとつだけ言いたいことがある」


「はい。なんでしょう」


 背筋をピンと伸ばし、蓮香は緊張した面持ちで俺の言葉を待っている。

 こうやって面と向かうと、やはり蓮香は『超』が付くほどの美少女だ。清楚そうな外見からは、色々な男達に惚れられてきたのだろうことが想像つく。そんな女の子が俺と結婚したいだなんて言っているバグはさておき、俺と彼女の間には価値観に大きな差があるようだった。


「せっかくウチまで来てもらったのにこんなことを言うのは本当に申し訳ないんだけど……俺の感覚だと十八歳はまだ子供だ」


 そう俺が言ってみせると、蓮香は雷に打たれたかのような顔をした。しかし次の瞬間には、蓮香は必死の形相でローテーブルに手をついて前のめりになる。


「な、なんでですか⁉ 十八歳はもう成人してますよ⁉」


「まあそうなんだけどな。でもなんとなく、大人は二十歳からかなって」


「ニ十歳はお酒が飲めるってだけです! 十八歳は法律で大人になってるんですよ⁉」


 そう言われると十八歳は大人な気がしなくもないが……でもやっぱり子供だ。しかも高校生なんて、まだまだ子供な気がしてならない。しかし高校生を子供だと言うと、今度は「あと二ヵ月で卒業ですから」と反論されてしまいそうなのでやめておく。


「少し落ち着いてくれ。深呼吸、深呼吸」


 彼女の勢いが怖いのでなだめると、蓮香はその場に座り直して言われた通りに深呼吸を繰り返した。


「すいません。取り乱しました」


 素直に取り乱していたことを口にしたが、蓮香の表情からはまだ納得していないことが伺えた。

 俺だってこんな可愛い子と結婚できるのなら、是非ともお願いしたい。いきなり人にエッチをしようと誘ったり、結婚しようと言ってくるような変わった子だけれど、五年間も俺との約束を忘れないような一途な子だ。俺には恋人なんて居たことないし、こんな結婚のチャンスはこの先の人生で一度もないかもしれない。

 しかし俺には、どうしても彼女と結婚できない理由があった。


「あのな、蓮香。俺と結婚したって幸せにはなれないぞ。きっと蓮香が苦労することになる」


「そんなことないですよ。私、柊一さんと結婚するのが夢なんですから」


 至って真面目な表情をしながら、蓮香はそう言い切った。

 俺と結婚するのが夢。そんなことを言ってくれるような人は、これから先の人生で一人も居ないだろうな。


「そんなことあるんだよ。君が憧れている犬飼柊一が五年前の人物だったら、そんな人間はもう居なくなった」


「どういうことですか?」


 難しそうな顔をしながら、蓮香は首を捻った。

 まだ二回しか会っていない高校生にする話ではないかもしれないが、彼女にはきちんと話さなければいけないと思った。


「俺はもうあの時の活き活きとしていた営業マンじゃない。バイト先と漫画喫茶を行き来するだけの、生きる意味が分からなくなってしまったフリーターだ」


 それを聞いた彼女は、驚いたように目を大きくさせた。彼女はココアを飲もうとしていたが、諦めたようにマグカップをテーブルの上に置いた。


「前のお仕事は辞めちゃったんですね」


「ああ、二年前にな。だから今はバイトでの稼ぎしかないんだ。しかも自分が生活するだけの必要最低限の給料しかもらっていない」


 だから君を幸せにすることができない。そう言った俺を前にして、蓮香はふと目を伏せた。


「お金じゃないんです。私は人生を変えて貰ったから、柊一さんのことが大好きになったんです。だから柊一さんと結婚したくて」


「人生を変えた? 俺がか?」


 自分ではそんなつもりは一切なかったので、全く思い当たる節がない。

 だけども蓮香は、「はい」と頷いてから語り始める。


「五年前のあの時、もっと自分を大切にしろって柊一さんが言ってくれたんです。あんなにどうしようもなかった私を心配してくれたのは柊一さんしか居なかったので、あの言葉が心に響きました。それと、あの一言で好きになりました。柊一さんのことを」


 蓮香は頬を赤く染めると、照れを隠すためなのか笑顔を作った。


「それに柊一さん言ってくれたじゃないですか。「自分なりの生き方を見つけるために生きてみるのも、一つの手なのかもしれないな」って。私は柊一さんに恋をしたあの時から、柊一さんと結婚出来るような大人に育つことが、私なりの生き方になったんです。だからフラフラするのをやめて、きちんと学校に通い始めました。だから柊一さんの存在が、私の人生を変えたんです」


 あの時は中学生の女の子相手に大人ぶろうとしていたんじゃないだろうか。俺の口からそんな大そうな台詞が出てくるなんて、カッコつけただけとしか言いようがない。

 五年前に自分が放った無責任な言葉を思い出したのと、蓮香から向けられる純粋な憧れと好意のせいで、俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


「でもやっぱり、君とは結婚できない。五年前に無責任に人の人生を変えておいて、ほんとごめん」


 今、人生で唯一の結婚できる可能性を自分で潰した。その自覚があったから、俺は力なく彼女に向かって頭を下げる。


「……理由とかってあったりします?」


 怒るワケでも悲しむワケでもない蓮香の声が耳に届いた。俺はおそるおそると顔を上げるが、申し訳なさから彼女と視線が合わせられない。


「君を幸せに出来る自信がない。フリーターの稼ぎでは君を食べさせていくことが出来ないからだ。だからといって、俺はフリーター生活をやめる気もない。もう社会人には戻りたくないんだよ」


 社会人をしていた時の様々なトラウマを思い出し、胸の奥がキリリと痛む。逃げ続けてきた自分の人生を思うと、息が苦しくなる。

 二十代後半の大人が社会人に戻りたくないなんて、情けないことを口にしている実感はある。それでも俺は、もう二度と社会人を経験したくない。

 こんな不甲斐ない俺だけれど、蓮香は無言で何かを考えたあと、微笑んでこんなことを口にする。


「じゃあ友達から始めるってことにしましょうよ。友達同士なら、社会人だとかじゃないとか関係ないと思うので」


 ね、とウインクをする蓮香。

 美少女からのウインクにドキリとさせられながらも、俺は「高校生と友達か……」と少しだけ考えもしたが、ほどなくして首を縦に振っていた。


「まあ、友達からなら」


 そう俺が言うと、蓮香は「やった」と無邪気にガッツポーズをして喜んだ。

 この歳になって高校生と友達になるなんて、思ってもいなかった。しかし何年ぶりかに出来た友達でもあるので、なんだか照れくさい気持ちになる。

 その照れを隠すようにココアを口にすると、蓮香もマグカップに口を付けた。蓮香はそのままココアを飲み干してマグカップをテーブルの上に置くと、「それと」と口を開いた。


「私はお金で柊一さんを好きになったんじゃないです。もちろん営業マンの柊一さんを好きになったワケでもない。柊一さんっていう人が好きなので、どんな柊一さんになっても好きの気持ちは変わらないですから」


 念を押すような勝ち気な台詞に、俺は「おう」とだけ返してからマグカップの中身を飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る