落日のブレージアー

 急報がブレージアー城を揺らした。コンラート王が自室で美術教師に手ほどきを受けているときのことである。ポロの怒声に驚いて、逃げ帰ったイグナーツが這う這うの体で「主君っ! 一大事です。ムルゥーンに急変がありましたっ!」と戸をたたくことも忘れ、王の自室に乱入した。

「いったい何事か」

「王墓ムルゥーンが……」

  ――イグナーツの報告を聞いて、コンラートの顔色は青くなった。バルナバスが王家の血を使って戦死したことや、昨今の街道の治安のわるさを併せ考えると、冗談だと笑い飛ばせない真実味がある。なにより、まだ、政務の中枢を担っていたフォルカーがブレージアーに帰ってこないのである。コンラートは膝から震えが来るのを感じた。

「それはまことか?」

「私が閲したのが幻覚でなければまことです。城楼には青い旌旗がはためいておりました。これは我ら吸血鬼にたいする叛乱を意味しているのでは」

「なんたることだ」その震えはイグナーツにも伝導していくかと思われるほど露骨だった。コンラートは感情を秘することを知らない。機嫌が顔に出る。なので、機嫌をみて、彼におもねる佞臣には、そのしるしは格好の的だったりする。善人だが、虚実を見破るには見識が浅い。また、このとき、彼は頼る相手を失っていた。宰相フォルカーはじじつ、死んでいるし、レオンも業火に焼き殺したと思っている。今にして思えば、ありとあらゆる政務をこの二人に丸投げしていた。コンラートは寒風にさらされたような孤独を感じた。

 

 ――ふたりのやり取りを見ていて、寝耳に水といった顔をしているのが、コンラートの美術教師である。ただ、突っ立っているのに、コンラートはひどくイライラしたのか、平素の交わりをわすれて、「なにをしておる。さっさと失せろ」と怒号をあびせた。こういったとき、レオンならば、その小人の怒りを「王がささいなことで怒るべきではない」と直言をもって諫めたものだったが、その弟イグナーツにその気概はなく、彼はただ主君を怒らせないように身を縮ませているだけだった。

 かくして、コンラートは文武の重臣をあつめた。

 政庁の長机に一挙に参集したのは、このブレージアーの国防の要である<王家の血>を継ぐ者たちである。皆、今日まで、レオンとフォルカーの陰に隠れて、官位において彼らの後塵を拝していた。しかも、レオンやフォルカーより年上が多い。平常から、その若造の出世を妬んでいる節がないわけではない。

「――という次第なのだが、皆の意見はどうか」とコンラートは満座の席に向かって広く意見をもとめた。

「ならば、常備軍一万を私にお与えください。未熟児の賊軍を征伐してきます」という武力にかたよった意見から始まり、かと思えば「いいや。もし、ムルゥーンが敵の手に落ちたうえで、その城塞を囲めば、王族の遺灰が穢される危険がある。ここは、いちど、和睦を乞い、祖先の遺灰の安全を担保したうえで攻めるべき」といった意見も出てくる。

 会合の場は、二分された。おもに、直截に攻めるという過激派とまずは話し合いの場をもつという穏健派に分かれた。

  すると、その意見をまとめるべきコンラートが何も言わないので、重臣たちは我意の張り合いになって、意見の利害を説きあい、会議の場は紛糾した。こうなるといちいち「そもそも」とか「もし」みたいな言葉から始まる長ったらしい説ばかりになって、まったく話し合いは進展しない。しまいには、老齢な重臣たちが若い重臣に「そもそも、国を誤らせたのは、若輩が政務を司ったせいだ。血気に任せて、ハーフを虐殺するにしても、あまりに無計画だった」と世代間論争をはじめた。

 「なに。あんたたちもハーフの虐殺には賛成だったではないか。フォルカー殿が軍をうごかし、諸方に気を配って計画を遂行している間、あんたらは安閑と邸で過ごしておいて、我々のせいにするのはお門違いだ」と若い重臣が反撃した。厄介なのは、宮中の若い者は決まって、フォルカーに心服しているというところにある。

「ふん。その宰相殿はいまどこにおる。陛下、彼奴は、この叛乱の責任を問われることを恐れて、逃げたのではあるまいか」

「いや。わたしにはなんとも」コンラートは曖昧にいった。彼は国の重鎮には強気に相対できなかった。彼は暢気に若者と老人らが喧嘩するのを見ていた。イグナーツは、罵詈雑言が行き交う会議の場でひとりぽつねんと、その喧噪に国家の崩壊を感じた。

 ふいに骨相がしっかりした若者が「みなさん、国家の一大事に、みっともない喧嘩はおやめなさい。陛下、ここは、隠密を配し、まずは敵を知ることが肝要かと。そのあいだに、叔父上が帰ってくるかもしれないですから」といった。フォルカーの甥のラルフだった。

 その言葉の穏やかなところやよどみのないところに、この会合の場の中で、唯一、まともな感性を持っているように見えた。

「おお、ラルフよ。叔父上がいない今は、軍務は其方に任せたぞ」

「陛下、思いますに、我が軍は、長途から戻ったばかりで疲労の色が隠せません。ここは、軽挙妄動は慎み、ハーフ方の戦力を推し量るべきでしょう」ラルフはそういったあとに、満座の方を見回して「皆様、バルナバス殿が戦死、我が叔父上も行方知れずであります。おそらく、ハーフには<王家の血>に類する力を開眼した者がいるのでしょう。ですので、皆さん方には、あらかじめ、かの力を使う御覚悟を決めていただきますようお願いいたします。王よ、禁忌令の一時的解除を」と念を押すように言った。会議の場は凍り付いた。<王家の血>を使わざる得ない状況が目の前に迫っている。安穏と過ごしてきた重臣たちに震えが走った。たしかに、国家に殉じる教育を受けてきた。大義に死す、は吸血鬼の常識である。が、彼らは、城壁や近侍に守られ、贅沢に生きてきた。頭ではわかっていても、自分の意識していない場所で未曽有の恐怖が暴れている。

 けれど、満座のごうまんな顔つきをした者たちは、真実、自分の胸奥に潜む怪物に気づいていない。誰もが「我れは国家に殉じる」と覚悟を決めたような顔をしている。ただひとり、イグナーツは自分の弱さに気づいていた。(わたしは、死にたくない)と思って、震える体を認識している。

 そして、長机に雁首揃えて、胸を張っている重臣たちが、自分の弱さを知らないことを絶望的な目で見ていた。

(こいつらは、わたしと同じ生活をしてきた。敵を前にして、いのちを投げ出せるわけがない。最後の最後で、気づくのだ)。いまになって、兄レオンの巨大さを意識せずにはいられない。また、殉死した父親のラインハルトがどうして、贅沢を忌避していたか、いまになって、ありありと感じるものがある。


 ――イグナーツは城下を歩いて、そのすれ違う庶民の無垢なおもてを恨めしく思った。なにしろ、城下の民はハーフの虐殺を荒唐無稽な噂と断じているような穏やかな様子である。むろん、治安の悪化は諸方の流民の不平不満となって、聴こえてきている。外聞が大きくなるほど、むしろ反対に「ただのうわさ」といった予断が強くなっていく。ハーフの軍が反乱の狼煙をあげ、ブレージアーの城壁に迫っているとはつゆほども思っていないらしい。ふいに露店のなかに、飲んだくれた兵卒らのすがたがあった。長途から帰って、気がゆるんでいるものと見える。自分が虐殺を担ったハーフの復讐の炎がすぐ近くまで迫っていると知らないようだった。歓楽街には、昼間から痴情の匂いが薫っている。

 イグナーツは、動悸が止まらなかった。

(まるで、砂の城ではないか。こんな体たらくで、どうして、恨み骨髄のハーフの賊軍を止めることが出来る?)。

 そして、イグナーツはふらふらと浮ついたような気持ちで、ふいに何度も通った道を間違えた。碁盤の目状の貴族の邸の連なりはどこを見ても、似通っていて、通り慣れた者でも、ごくたまに迷う。が、このとき、イグナーツはあろうことか、迷ったうえに、自分が焼き殺した兄の邸の灰塵が見える横丁まで来てしまった。

 (兄上の霊魂のしわざか)と彼は身震いした。たいてい、貴族の邸街は閑散としている。それは、イグナーツにとって、幽遠な静謐に聞こえた。しかも、灰色の野原のまえに、人影がある。イグナーツはぎょっとして、塀の陰にかくれた。昼間に幽霊など想像できないので、最初は兄のレオンが現れたと錯覚した。が、その人影はちいさい。まだ、子供のようだった。

 それは次期ブレージアー王位継承者レオン王子に他ならなかった。なんの因果か、イグナーツは顔を半分出して、そのようすを窺った。

 王子レオンは母親のヒルデガルトに殴りかかった咎でコンラートに謹慎を言い渡されて、友人の家を渡り歩いていると宮中のうわさだった。聡明かつ礼儀正しいと評判の王子であった。

思えば、最近のブレージアーの王の血統には厄介なのが多かった。現王コンラートは暗愚だったし、廃嫡されたルドルフは才知はあるが冷酷非道だった。そういう意味では、王統に、久しぶりに民を安んじることができる大器が現れたといってよい。また、剣公レオンと王子レオンの同名どうしが、師弟の契りを結んでいることも、世間は羨望の眼差しをもって愛でていた。

 そのような王子がどうして母親に殴りかかるような愚を犯したか、世間はよくわからなかった。が、イグナーツは勘づいていた。

 レオンを決定的に失脚させたのは、ヒルデガルトの讒言だった。その讒言の真偽は甚だあやしい。ゆえに、王子は母親の虚言が師を殺したと考えたのである。じっさい、多分、それは当たっている。

 イグナーツは、レオン王子が焼け野原のまえで手を合わせいるのを見て、茫然とした。その思慕の深さはとうてい、自分のような小人には理解できないと彼は思った。

 その讒言はイグナーツが口火であった。国家の大幸を奪った、という意識が彼を襲った。逃げるように、彼はその場から去った。






 









 

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