落伍者ルドルフ
そこは吸血鬼の重犯罪者が働かされている鉱山だった。ずた袋を肩に載せている人の列が鉱山の入り口から滔々と流れてくる。ハーフの姿は見えない。皆、見目形は吸血鬼のそれで、背中に龍紋のような入れ墨がある。軽犯罪者は背中に小さく入れ墨を彫られる。罪が重くなるほど、衆目に晒されるように彫られる。だから、どの程度のことをやらかして、ここに放り込まれたかは、入れ墨を見れば、大体わかる。
看守が鞭を持って、処刑台の上から目を光らせている。処刑台には黒くなった血が染み付いていた。逃げようにも、鉱山自体が高い壁に囲まれている上に、その壁は表面が研磨されて滑るので登って逃げるのは不可能である。壁の下を掘って進もうにも、壁は地面の下を相当深いところまで貫通している。出口は唯一、この鉱山に配置された守備兵兼看守の者たちが住む吸血鬼が使う連絡路しかない。囚人がこの出口の近くに来ることからして、まず、守備兵の住居内を通っていかなければならないので、現実的ではない。
けれど、あり得そうな線がまだある。それは、たまたま、ここに運ばれた犯罪者が、<王家の血>を無自覚に持っていた場合である。獄中生活で、あの太古の力を目覚めさせて、暴れたりすれば、壁の崩壊はあり得ない話ではない。が、ここも未然に防がれる。なぜなら、ここに運び込まれる前に検査があって、その検閲によって、<王家の血>を持つ者はあぶり出されるからである。
もし、<王家の血>を持っていた者が検査で判明した場合、どうなるかというと、当人はブレージアー城下まで、戻され、北門の貴族たちの住まいをあてがわれ、上流階級の仲間入りを果たすことになる。稀だが、そんな例も、この牢獄では三回ぐらいあったらしい。
この鉱山の囚人はすべて、筆舌に尽くし難い労働を課されるが、ただ一人だけ例外がいた。
鉱脈が枯渇して、さびしく残った縦穴の奥に、その男は鎖で雁字搦めにされていた。まともに動くのは首から上ぐらいである。頰はこけ、鎖に繋がれた手首は擦れて、黒くなっていた。爪はひび割れ、髪は浮浪者のように繁茂している。一見、死んだように見えるが、時折、運ばれてくる食事の時は鎖に繋がれた石塊を引きずって、動き出す。
看守の誰もが、彼に食事を運ぶのをいやがった。気味が悪いのである。
この男はいったい何者か。
名前はルドルフ・ブレージアーという。現ブレージアー国王コンラートの実兄にあたる人物である。なので、本来ならば、この男が、このブレージアーの国王だったというほどの大物である。それだけでなく、コンラートと違って、このルドルフは<王家の血>を祖からしっかりと受け継いでいる。その天運だけみても、君主の器としては申し分ない。が、残念ながら、彼は非常に素行が悪かった。
姦淫、汚職、殺人、平然とおこなった。こうなると、市井の眼もきびしくなる。ギルバートの危機が去っても次はこれか、といった厭世的な感傷がブレージアーを覆った。が、ルドルフはさすがにやり過ぎた。結果的に前王は、遺言として、彼の廃嫡とコンラートの王位継承を言い残して死んだ。根回ししたのが、フォルカーとレオンだった。このときまでは、コンラートとフォルカーとレオンの三頭政治的な体制はうまくいっていた。
ルドルフは王への道を阻まれた。すると、逆上して、あろうことか、彼は<王家の血>を開いて、ブレージアー城に襲いかかった。いわば、反乱である。が、結局、彼は敗れた。
とはいえ、反乱したルドルフを裁いたのが、コンラートだったのが、幸いした。コンラートは実の兄のルドルフを処刑できなかった。フォルカーとレオンは後の災いになると猛反対した。が、コンラートは実兄を殺したくないという消極的理由で、結局、ルドルフを生かしてしまった。
よって、正統王位継承者かつ<王家の血>を持った、ルドルフという爆弾は、この鉱山の最深部に眠りつづけることとなった。たしかに、フォルカーとレオンの危惧は当たっている。
ルドルフは、暗闇に命を繋ぎながら、機を待った。
(ギルバートよ。はやくこい)と彼は毎日、念じている。つまり、一波乱を待ち、その乱麻に乗じていこうという算段なのである。
彼を拘束する枷には特殊な加工が施され、魔法の類や<王家の血>を使うことができないようになっている。脱出するには、誰かに枷を破壊してもらうしかない。なので、いまも彼は外界の変調を待っている。とはいえ、もはや、幾年の星霜が過ぎたか分からない。だが、この永劫続く鬱々とした暇に耐えるだけの精神の糧をルドルフは持っていた。復讐心である。
ふと、螺旋状の石段を降りてくる足音が聞こえた。コツコツと悠遠な暗黒に靴音が溶けいっていく。何者か。ルドルフは気がひかれた。彼には、ここ十年、刺激されるのは聴覚ばかりだったので、すっかり、その耳は鋭敏に感応するようになっていた。そんなルドルフの耳はその靴音に奇妙な感じを覚えた。踏み出す一歩に、迷いがある。暗闇で、恐る恐る歩を進めるといった気配がある。
牢獄の扉の叩き金が鳴った。ルドルフは沈黙を続けた。すると、ずしんと扉が叩かれた。蝶番が外れたかと思うと、牢獄の重厚な扉が吹き飛んだ。
扉が破壊されて、現れた深い暗闇に淡い赤く光る目玉が浮いている。
「……我に何の用か」とルドルフはいった。何年も使っていなかった声帯が聞き苦しく鳴った。
「こいつが、ルドルフか」と暗闇の人影は、ルドルフの質問には答えなかった。目を凝らすと、背後にもう一人、背の低い子供のような体躯が見えた。闖入者は二人組らしい。ポロとテムである。
ふと、ルドルフは怪訝な顔をした。
「なぜ、ハーフがここにおる」ポロの眼の淡い赤色で、ルドルフは気づいた。
「ハーフが問題か」と、ポロは言った。ルドルフは笑った。久しぶりに、興というものを感じた。
「いいや。この枷を外してくれるのなら、誰だろうと歓迎さ」ルドルフは玩具のように手の枷を揺らした。凍結した時間が融解を始めていくような気がした。ルドルフの眼に生気が宿った。雁字搦めにされて満足に動かない体が自由を求めて、別個の生き物みたいに震える。
「どうやって、ここまで来た?」
ポロの質問にルドルフは訝しげに眉をひそめた。わざわざ、こんな穴蔵の奥までやってきたということは、それなりに自分のことを調べているものと思っていたので、ルドルフは意外な感にうたれた。
「ここまで、訪ねてきて、我を知らぬ申すのか」
「いいや。とうぜん、知っている。ただ、あんたが何をしでかしたのか、あんた自身の口から聞きたいのさ」
ルドルフは沈思した。ふいに、口を開いた。先ほどまでの、慇懃な調子はどこへ行ったのか、ルドルフは狂気的な微笑を浮かべた。
「――そんなに知りたいなら教えてやる。オレは……ブレージアー城を血に染めてやった。女官を嬲り殺して、死体を城外の井戸に放り投げ、下男の首を切って、謁見の間の望楼に吊るした。なかでも、コンラートの側室をぶち殺して、玉座に座らせたのは、よく憶えている」
嗄れた声がより不気味だった。聞いていた話より、真実は生々しい。しかも、その血生臭い悪行を嬉々として語っている。テムはすっかりルドルフを恐れて、いまにも逃げ出しそうだった。
ポロは「なぜ、そんなことをした」と聞いた。
「ふふ、おれの玉座を奪ったからだ。当然の報いだ」
「後悔しているか?」
「後悔? コンラートを殺せなかったことは我が人生、一生の後悔だな」
ポロは微笑した。傍らのテムは、その言葉を聞いて、噂に違わぬ悪党だ、と身震いした。まるで、世界が自分のためにあると考えているようである。
(いやいや。待てよ。そもそも、こいつ、何年もここに閉じ込められて、どうして、まともに口が聞けるんだ)とテムは不思議に思った。
ルドルフは今度はまた、慇懃な態度に戻って「我にもいくつか聞きたいことがある」といった。
「なんだ」
「君たちのようなハーフが、どうやってここまで来た。守備兵がかなりいたはずだが」
「無理やり押し通ってきた」
「ほう、剛毅だな。しかし、なぜ、吸血鬼に敵対するようなことをする」
「復讐だ」
ポロはいった。その声色の怒気を察して、ルドルフは「なるほど。で、我が種族はなにをやらかした?」と聞いた。ルドルフの直感はするどい。勘所がよい。
「ハーフはほとんど、皆殺しにされた」
ルドルフは伸び放題の長髪の間から、ぎょろりと真っ赤な瞳をのぞかせた。そして、なにか含みのある笑みをこぼした。
「ああ、ついに、やってしまったか。フォルカーだろ。フォルカーの仕業に違いない」
ポロは目を見張った。彼以上に驚いたのが、テムだった。すると、テムはルドルフに対して、恐怖より好奇心がまさって、若干、歩を進め、彼に近づいた。
「なぜ、わかる?」とテムが聞くと、ルドルフは口を開こうとして、せき込んだ。胸をたたき、再度、落ち着き払った調子でつづけた。
「フォルカーは、もともと、わたしの直臣だった。あいつのことは、よく知っている」
「そいつは、今どこにいる」
「さあな。知らんよ。なあ、そこの小さいヤツ。いまは、コンラートの在位何年かね」とルドルフはテムを指さして、問うた。
「九年」
「ははは。九年だ。つまり、九年、俺は、ここにいたんだ。わからんこともある」
まったく口調が定まらない。一人称も、俺とか我とか私とか発作的に変わっていく。
(こいつは、いままで会った誰よりも強烈な奴だ)とポロは思った。
「で、つまり、君たちは吸血鬼に復讐するために、我の力を借りたい、ということだな」
「ああ」
「そうかそうか。だれの立案だね。そこの小さいヤツかな?」
テムはうなづいた。
「すばらしい。もし吸血鬼に生まれていたら、我の麾下で軍師をさせていたのに、もったいない」
急に、テムはなにか、ルドルフに惹かれるものを感じた。九年間、廃坑の奥底に閉じ込められていた者が醸すとは思えない王威である。しかも、人を褒めるのがうまい。ポロも、このルドルフに常人とはちがう匂いを嗅いだ。ルドルフには、ハーフを蔑むような気配はない。彼はハーフとか吸血鬼とかあまり興味がないらしい。なので、吸血鬼の悪行を見てきたポロとテムの眼に、彼が若干、<吸血鬼にしては、イイ奴>に見えた。
「お前を助け出したら、この俺に従うか」
ポロがそう質問すると、ルドルフは彼の人となりをじろりと見つめた。そして、吸血鬼然とした慇懃な態度で「差し支えなければ、ご尊名を拝したい」といった。すると、ポロは目を細めて、テムの方を見た。意味が通じなかったらしいと、テムは察して「お前のなまえを聞きたいらしい」と教えた。
「ポロ。ハーフの王だ」
<ハーフの王>と聞いて、ルドルフは笑った。嘲笑と思われない程度のいささか意識的な微笑だった。
「我は、前ブレージアー国王ヘンドリックの息子にして、ブレージアー王国正統王位継承者。ルドルフ・ブレージアーである」
ルドルフは立ち上がった。やせ細っているが、背の高い男だった。長髪にかくれた顔のなかで目玉だけが赤く光って見えている。
ルドルフは両腕を縛している枷を差し出して「さあ、我と盟約を結ぶか、否か」といった。
ポロは迷わなかった。節くれだった腕を枷の方へ近づける。テムは怖がって、後ずさった。その前に、テムはふいに「ちょっと待て」と言いそうになったのをおさえた。おそらく、そのようなことを言って、ポロを制止すれば、このルドルフという曲者は、そのことを忘れない。助けるなら、手心を加えてはならない。と、間一髪、それに気づいてテムは口をつぐんだ。
――しかし、ポロの救いの手をルドルフは躱す様に、後ろに半歩下がった。
「なんだ」とポロが言うと、ルドルフはするどい目つきで「いかんなあ。ハーフの王よ。こんなあっさり吸血鬼を信用するものではない」と老人が若者に語るような口吻である。
「いったいどういう意味だ」
「我れが、<王家の血>をもっていると知らないのか」
「いや。聞いていた」
「なら、なおのこと。軽々に、我を助けるべきではない」
「……もしあんたが、俺に敵対すれば、ねじ伏せるつもりだった」
「ほう。どうやって」
「俺も<変身>する」
ルドルフは驚いた。のぞいている目の瞳孔が爬虫類のようにうごめいた。
「……ははは。噂では聞いたことがある。ハーフも吸血鬼の<王家の血>や、オーガの<憤怒>を覚醒させることがあると。君がそうなのか」
「ああ、そうだ」
「なるほど。王たる所以だな。すばらしい。それで、君の<変身>はどんなものだ。嫌でなければ、聞かせてほしい」
「……鎧だ。全身が鎧に囲われる」
ルドルフは、因果を感じたらしい。ルドルフの玉座を阻んだレオンの<王家の血>も<鎧>である。彼自身、身をもって、その強力を知っている。
「ますます、好い。――では、同盟成立だ」
「待て。その枷はどうする」
「これは、何年も取り替えられずに、そのままだ。少し力を入れれば……」
ばきんと音をたてて、枷はばらばらに砕けた。ルドルフは自由になった腕を振り回した。確認するようにこぶしを握りこむ。
「さあ、外へ行こう」とルドルフはポロとテムの間をへいぜんと通り過ぎて行った。
ルドルフは逃げようと思えば、いつでも逃げ出せた。どうやら、九年間、捕囚のまま、機会をうかがっていたらしいと気づいて、テムは身震いした。ブレージアーの城内で大暴れしたことより、はるかに、九年間、暗闇で耐え忍んで、狂わずにいられる、ルドルフの心が恐ろしい。
「あいつ、バケモンだぜ。仲間にするのはいいけど、いつ、裏切られるかわかったもんじゃない」とテムが言うと、ポロは「ああ、そうか。ああ」と曖昧な返事をして、ルドルフのあとを追うように、歩いて行った。その背中をテムは信じられないといった様子で見ていた。
一番、ルドルフを恐れるべきなのはポロのはずである。ルドルフと手を組むのは、苦肉の策だった。なにせ、ブレージアー城下の内情はテムにもわからなかったので、いざ、攻めるとなると、向こう見ずな攻撃を仕掛けるしかない。
が、都育ちのルドルフなら、城下のことから、その周りの地勢や弱点まで知っているはずである。
――(どうせ、九年、牢屋に入れられて、まともな精神状態ではないから、城下の地勢を聞き出すぐらい簡単だろ)とテムは考えていた。
しかし、ふたを開けてみれば、とんでもないくせ者を懐に導くことになった。
「――ハーフの戦力は五千だ」
「すくないな。それでは足りぬ」
と坑道を歩きながら、ポロとルドルフは肩を並べて話していた。
「この鉱山には、千人の吸血鬼の犯罪者がいるが、そいつらは殺したか」
「いいや」
「なら、そいつらを帷幕のなかに引き込む」
「いやだね」ポロはするりと滑り込むように言った。
「なぜだ」
「もともと、俺らが戦っているのは、吸血鬼に虐殺された同胞の復讐のためだ。あんたは特例だよ」
ルドルフは立ち止まった。目の前から光が差し込んでくる。出口は近い。ようやっと、ルドルフの顔貌の輪郭が見えてきた。ポロは顔には出さなかったが、一瞬、心臓をつかまれたような悪寒がした。ルドルフの顔は、入れ墨が刻まれていた。ほとんど顔の全面を覆っているので、泥をかぶったように見えた。
「我のことも、あとで殺す気だろ」とルドルフが言った。
「正直にいえば、いますぐにでも殺してやりたい」
ポロは平然と言った。ルドルフは大笑いした。
「なら、いまは我慢してもらおう。終わったら、いくらでも殺しに来るがいい」
「……」
「しかしながら、ハーフの王よ。今の戦力では、ブレージアーは落とせないぞ。ここの鉱山にぶち込まれているのは、相当の悪人だ。腕っぷしは強い。仲間に引き込んで、損はない」
「いやだね。二度と同じことを言わせるな」ポロはルドルフをにらんだ。が、ルドルフは鷹揚と、それを受け流す様に「なら、こうしよう。吸血鬼の囚人たちには、先鋒をやらせよう。いわば、捨て駒だ。彼らには、命を捨ててもらおう」
ルドルフはそう言って、光の差し込んでくる方へ歩き出した。
「同族だぞ。ほんとうにいいのか」
ポロの問いに、ルドルフは首を曲げて、にらみ返した。
「俺の顔を見ろ。誰にやられたと思う。この入れ墨のせいで、俺はここに九年、引き籠るしかなかった。なぜ、それが出来たかわかるか? 復讐心だよ。ブレージアーに安穏と過ごしている吸血鬼どもを許せない……許せないのだ。奴らは、一人残らず殺す。天地がひっくり返っても、殺す。……ポロ王、君も同じ気持ちじゃないのか」
その顔は地下を住処にする魔物のように人性を失っていた。ポロはルドルフの狂気を信じた。克明な怒りがポロの胸奥にまで乗り移ってくるかと思われた。不倶戴天の敵が同じであることが触媒だった。それは一瞬、油断すると種族を超えて、ルドルフとポロのこころを結んだ。
「わかった。いいだろう。囚人は生かしてやる」とポロはいった。
「よし。やつらの管理は我に任せろ」
ふたりは白日のもとに出ていくと、外は血なまぐさい戦場だった。暴力的な喧噪のなかをポロとルドルフは気にも留めていないようすで歩いた。鉱山の守備兵、囚人、ハーフの賊軍と三つ巴の争いであった。
坑道の出口はすこし、小高いところにあって、ポロとルドルフはそこから下の戦場を睥睨していた。すると、その異様な視線に吸血鬼の守備兵の一人が気づいた。ぎょっと目を見張って、彼は固まった。
「あれは……ルドルフ様」
「なんてことだ」
守備兵たちのおもてに絶望の色が広がっていく。それを面白そうに、ルドルフは眺めて「はっはっは」と笑っていた。遠くから一瞥しただけで、ルドルフかどうかは一目瞭然である。囚人の中で、顔一面に入れ墨を刻まれているのはルドルフだけだった。慄いている間に、数を頼みにして、次から次へとハーフの賊軍は壊された壁の一部をくぐって、乱入してくる。
「ほら、さっさと逃げよ逃げよ」とルドルフが言っていると、やはり、敗色濃厚とみた守備兵は逃げ始めた。一人が逃げると二人が逃げる。もはや、武器すら投げ捨てていく始末である。
「奴ら、ブレージアー城下に逃げるんじゃないのか」とポロが言うとルドルフはかぶりをふった。
「いいや。我れを逃がしたら、コンラートの逆鱗に触れる。たぶん、死刑は免れない。だから、ブレージアーには逃げられない」
「ならいいが」
ポロは指笛をふいた。この頃、ハーフの賊軍には若干、変化がみられる。ところどころに、青っぽい具足や篭手を付けた者が散見される。テムは四十人を一単位にして、壮健な者を選んで、隊長とした。その目印に、隊長には青く染色された装束を着せている。
その四十人隊長は指笛に反応して、全員、ポロの方を仰いだ。
「自由っ!」とポロは叫んだ。つまり、各々、略奪を許すという意味である。ハーフの賊軍は、その合図を聞くと、黙然と散っていった。賊軍は獣のようにどう猛であるが、同時にポロを王とあがめて、その命令には諾々従う。その日暮らしだった賊徒の集団は、いつのまにか狂気じみた連帯感をもって、イナゴの大群のように吸血鬼の領邦を飲み込んできた。
(ほう、烏合の衆というわけでもないらしい)とルドルフは感心した様子だった。
――あっけらかんとしているのは、残された囚人たちだった。
ルドルフは、その沈黙を切り裂くように「我れは、この国の正統王位継承者ルドルフ・ブレージアーである。その名のもとに、我に与する者には、その者の罪、または一族の罪に至るすべてを赦免する」と宣言した。囚人たちは、各々、顔を見合わせて、目顔で会話を始めた。ルドルフは言葉に修辞を挟まなかった。王は、その意思を人前で伝えるときは、言葉は短くするのが定石なのである。
「従うものは、頭を垂れよ」
威風に遊ばれる雑草のように囚人たちは折れていった。誰もが頭を地面にこすりつけている。あの入れ墨がある限り吸血鬼社会へ復帰するのは不可能である。それを許すというのだから、ルドルフに平伏するしかない。が、みんな、頭を垂れて、自分を直視していないのをいいことに「――ま、罪は許してやるが、先鋒として死んでもらうがな」とルドルフはポロに笑いかけた。
――かくして、ハーフの賊軍は吸血鬼の囚人との混成軍と化した。軍を駐屯させる際に、テムはポロに対する老婆心が働いて、ずっとルドルフに引っ付いていた。ふと、話がムルゥーンを陥落させたことに及んで、ルドルフは急に血相を変えた。
「王墓に入ったか?」
ルドルフの問いにテムは全身に震えがくるのを感じた。自分の祖の墓を荒らされたことを知ったら、くせ者ルドルフがどう反応するか、予想できなかった。喜ぶかもしれないし、怒髪天をつくほどに怒り狂うかもしれない。テムは何も言えなかった。
その沈黙に対して、「入ったな。王墓に」とルドルフに勘づかれて、テムはとっさに「いや、あんたの父親の骨壺はそのまま持ってきた。いわば……あんたとの交渉の材料として」といった。
「なに。どこだ。父上の骨壺は?」ルドルフは赤い目をぎらつかせた。テムはポロの帷幕にルドルフを招いた。
急にルドルフが現れて、ポロの機嫌はわるくなった。事情を話すと、ポロは「前王の骨壺は、ブレージアーを脅すために使う」といった。テムは背後のルドルフを恐れた。
(破綻だ。ルドルフは怒るに違いない。そりゃそうだ。最初から、吸血鬼とハーフが組むのは無理があったのかもしんねえ)と後悔に身もだえしていると、予想に反して、ルドルフは怒らなかった。不敵な笑みを浮かべて、帷幕の中を見回した。それだ、と思わせる壺を見つけると、ルドルフは獣のような機敏さで、それに近づいた。
ポロが止める暇もなかった。ばりんと音を立てて、壺が割れて、粉塵が飛び、床一面に灰色の粉が広がった。
ルドルフは父親の骨壺を蹴って、破壊した。ポロとテムがあっけにとられていると、今度は腰の帯をゆるめて、狂気的な叫びをあげながら、その骨粉に小便をかけはじめた。ポロとテムは、茫然自失して、それを見ていた。
ルドルフは「灰になったら、何もできまい。廃嫡された恨みだ。このクソジジイ」と狂喜乱舞した。
その時、ポロは(こいつは、ほんとうに吸血鬼を恨んでいる)と確信を得た。ルドルフのおもてには偽れない形相がある。その恨みは、自分に勝るとも劣らないとポロは思った。それほどの狂気がルドルフの顔から漏出している。真の味方ではないかもしれないが、不倶戴天の敵は同じである。いよいよ、ポロは、この反乱の勝ち目を見た。
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