ギルバート伝説の再来

 呪詛が頭に鳴りひびいていた。無数の霊魂が四方を浮遊して、呪い殺そうとしている。あの殺戮した旅団やトルンで焼き殺したものたちの吸血鬼特有の人形っぽい顔が時折、現れて、ふしんなオーラを送ってきている。が――。

「霊魂に出来ることはない。出てくるなら、いくらでも、出てこい」とポロはうそぶいた。じじつ、彼の体に不調はおこらなかった。幽霊を人生で初めて、見た。が、その実体はほとんど空気と変わらない。

(なにもできない傍観者)とポロは鼻でわらった。

「いま、なんか、言ったか」と隣を歩いていたテムが言った。

「いいや。俺じゃない」

「は?」

 テムは困惑したが、追及しなかった。ここ最近のポロの威容は鋭くなってきていて、下手なことは言えない雰囲気がある。どこか世界から超然としていて、かと思えば、ささいなことで腹を立てて、悪辣な影が眉に漏出していることもある。ポロを王として祭り上げておいて、テムは自分の行く末を考えると、恐ろしいと思うことがある。使い出がなくなれば、確実にポロに殺されると、この小男は直感していた。ゆえに、生き残るために、先へ先へと、その頭脳は疾駆していく。それは、フォルカーや、ブルーノの洞察を幾分か先んじて、ポロをさらなる高みへと導いている。

とはいえ、軍団は大きくなったが、それでも、二千、三千の烏合の衆にすぎない。取柄といえば、全員、吸血鬼に恨みを抱いていることぐらいである。

 けれど、幸運にも、数が少ないせいで、まだ、ブレージアー王国の吸血鬼には、悟られていないらしい。ここまでは、テムの算段どおりに進んでいる。――それで、いま、喫緊の問題というのは……。

「ムルゥーンには、王家の血を持つ、吸血鬼が領主として配されている。……やりようはいくらでもあるが、どうする、ポロ」

 ムルゥーンの近くの疎林で、ハーフの賊軍は陣を張っていた。だれの面にも、疲れと、飢えが露骨にあらわれている。ソベニの谷から率先して、軍に志願するものをくわえて、頭数は膨らんだが、戦闘能力の実態は薄弱なものだった。ポロは人数を頼みにしなかった。かわりに、ソベニの谷で手に入れた武器を、文字通り、肌身離さなかった。

 このごろ、ポロの身辺には「ポロ様、ポロ様」とタンが嬉々として、引っ付いて回っているのが散見される。ふたりは、陣幕に夜の秘奥を過ごしている。それが、ポロの望みかというと、そうではない。いまでさえ、彼女に愛想よくしていなければならないことが、たまらなく堪えた。

 そもそも、タンは美しいが、少女は少女である。ポロは自己の逸脱を歯噛みして我慢した。なぜなら。

「お前、戦えるか」とポロは陣幕のなかで、彼女に問うた。

「……い、いや」タンの口からあいまいな否定とも言えない言葉がもれた。

「いや、か」

「だ、だって。たまらなく、苦しくて痛いんですもの」

 ポロはじろりと、そのあどけない顔を睥睨した。目玉の奥に空洞があるようなうつろな瞳ににらまれて、彼女は顔をふせた。沈黙が場を凍りつかせていく。ポロは口を開かない。永劫に続くかのような苦しい沈黙だった。

 テムは、身の震えがこみあげてくるような気がした。ポロがタンを愛しているわけではない、というのは見ていればわかる。が、少女に対して、ここまで酷薄になれるかは別の問題である。ふいに、タンはいぶりだされるように重たい口をひらいた。

「わ、わたしが戦わなかったら、ポロ様が戦うの」

 タンは上目遣いで、そう聞いた。

(誘導されている……)とテムは思った。ポロは自分の右腕を掴んだ。<あの力>の代償か、ポロは四肢の節々が麻痺していた。とくに酷いのが、右腕だった。腕の血管がミミズ腫れのように浮き出て、黒くなっている。力を入れると、指がべつの意思を持っているように勝手に動く。

 ポロは、それをだれかに吐露したわけではないが、傍から見て、かれの異変はあきらかだった。ポロは分かりやすくイライラし始めた。自分の弱っているのを見られるのを嫌っているのだと、テムは気づいていたので、彼はいますぐ、この陣幕の中から出ていきたかった。

「……お前が戦わないなら、とうぜん、俺が先頭に立って戦う」とポロはいった。

「――だめっ!」彼女は弾き出されたように叫んだ。テムは、ポロを恐れ、及び腰になっていたのもあって、飛び上がるほど驚いた。

「貴方が戦うぐらいなら……わたしが、戦う」千切れそうな声色が漏れるように吐き出された。しぜんと、タンは全身が震えた。<変身>の苦しみが鮮明によみがえった。が、彼女のポロに対する恋慕は本物だった。フラーガという種族の形質である万華鏡のような瞳が乱反射して、紅涙を流した。

「できるか。ほんとうに」

「できます」

「……よし」

 ポロはタンに背を向けた。その振り向きざま、表情の一瞬の変化をテムは目撃した。自分の決意に感涙しているとでも、タンは想像しているのだろうが、テムが見たのは、ポロの化け物じみた笑みだった。

(もう、こいつは完全に壊れちまってる)とテムは思った。


 ――ムルゥーンは王陵を管理する機能をもった特殊な都市である。円状に壁がめぐり、中心の王陵に付随した街区に吸血鬼が住んでいる。その外縁部にハーフだけの区画があった。ここのハーフには過酷な労役が課されている。労役の苛烈さで、死ぬ者も少なくないが、その重要度ゆえに、ムルゥーンのハーフは今回の虐殺を免れていたのである。

 ムルゥーンの周りの森林には、飢えたハーフの群れが囲んでいる。数千のイラつきが空気を歪ませていた。これほどの軍勢が近づいても、街の壁は静謐を保ち、なんの動きもない。ムルゥーンの吸血鬼は、この殺気の渦にまだ気づいていないのである。

 いまだ、吸血鬼の大衆の認識は、「最近は、ハーフの夜盗が多い」程度にとどまり、フォルカーに国政のほとんどを預けていたせいで、政庁のなかで指針をもって動けるものもいなかった。もはや、手遅れである。ハーフの復讐の火の手は吸血鬼という種族の足元を燃やしている。


 ――ポロは陣頭に立った。飢えて青くなった同胞の顔が居並んでいるのを一瞥して「もう一度、繰り返すぞっ。同胞は殺さない。吸血鬼は全員、殺す」と呼びかけた。電撃のように意思が横から横へとハーフの賊徒に共有された。賊徒の目にはポロのすがたは神威を放って見えた。

(この男についていけば、生き残れる)と誰もが思った。


 ムルゥーンの内部で地響きが鳴った。ハーフと吸血鬼の区域を隔てる黒塗りの門が破壊された。吸血鬼は浮足立った。まったく、予期せぬ襲撃に軍人から老幼までもみくしゃになって、外を走り惑っていた。どうやら、ハーフが反乱を起こしたらしいと分かってくると、<王家の血>を持つ、貴族の私邸にみんな、しぜんと集まってきた。

 が、その貴族の私邸は、すでに生者の住処ではなかった。タンが暴れて、<王家の血>を持つと思しき、貴族を虐殺しきったあとだった。タンは憔悴しきった顔色で、<変身>したまま、吸血鬼の街区で暴れていた。自分の意思が介在する余地は薄い。太古の自然の意思に動かされているような、自我の薄まった殺意に操られていた。それでも、自我がないわけではなかった。なにしろ、彼女はポロの言いつけは守っていた。まず、課されたのは、王家の血を持つ吸血鬼を殺すことである。彼女はやり通した。簡単な仕事だった。その吸血鬼の貴族は、浮足立って、委縮し、<王家の血>を使うことをためらっていた。生身の人体はタンの一撃で、邸の壁のしみになった。タンは<変身>しているとき、倫理観が麻痺していた。生物として、必要なことだけを考え、感じるように頭が適応していた。虫のような顎がぎりぎりと鳴った。

 タンは、走った。彼女には、もう一つ、やるべきことがあった。それは、ハーフの街区と外界をつないでいる門を破壊することだった。

 空気を切って、逃げ惑う吸血鬼の群衆の頭の上を宙を蹴るように飛んだ。そのとき、すれ違った吸血鬼の女をかみ殺した。彼女は無意識だった。<変身>が解けかけている。吸血鬼の領域を抜けて、ハーフの街区を走った。同胞が、全員、怪物を見るような目で、疾風のように通り過ぎていく彼女のことを眺めている。

 タンは痛みを感じた。胸が焼け付いたような激痛がした。が、どこにそんな精神力があるのか、耐えに耐えた。頭は目的を明確に認識していたが、明晰に働いてはいなかった。結局、彼女は一度、門を見逃して、丸いハーフの街区を一周した。<変身>が解けるという感覚がした。寸前で、彼女は門を殴った。

瓦礫が木の葉のように飛び散って、陣頭に立つポロを先頭に数千の餓虎とムルゥーンの境界が消えた。タンは気絶する前に、ポロの微笑みを見た。が、倒れた彼女を平然と無視して、ポロは通り過ぎた。すれ違いざま、落ちているごみを見るように、

「ん? こいつ、まだ、生きてるな。……なら、使い出が残っているかもしれねえな」と陣頭からテムを呼び寄せて、タンを安全な場所まで運ばせた。

 手筈が整ったとばかり、彼は高らかに、「いいか。もう一度だ。吸血鬼は殺す。ハーフは殺さない。いいな」と声を励まして獅子吼した。ふいに堰を切ったように、ポロを追い越し、押し合いへし合い、ハーフの匪賊はムルゥーンになだれ込んだ。呆けたような顔つきで、ムルゥーンの住民は、急に現れた虫の大群のようなポロの軍勢を見ていた。

  飢えた匪賊の群れは、ふいに、横道にそれて、泥棒でも始めそうな気色を見せた。

「はらからの物は盗むな。盗んだ者は、八つ裂きだぞ」とポロが叫ぶと、匪賊の群れは正気を取り戻して、あっと言う間に、吸血鬼の街区へとつながる破壊された黒門のまえに蝟集した。

  吸血鬼たちには、寝耳の水のできごとだった。逃げようにも、このムルゥーンの円状にハーフの街区に囲まれている構造状、出口は限られているうえ、ハーフの街区を通らなければならない。

(もう逃がさん。ねずみども)。ポロは破壊された門を悠々、くぐって、吸血鬼の街区へと入場した。なんの騒ぎかと、まだ、事態を把握しきっていない困惑顔の吸血鬼がぞろぞろと、ポロの前に一定の距離をおいて、集まってきた。

 じろりと、ポロは吸血鬼たちを見まわした。老若男女、貴賤を問わず、吸血鬼の人形のような顔の群が恐れと興味の入り混じった表情で、彼を見ていた。

(なぜ逃げない。殺されないとでも、思っているのか)とポロは鼻でわらった。

 彼がなにかする前に、すでにそれは始まった。ハーフの匪賊が、襲い掛かった。もみくしゃになった人ごみに、真っ赤な血が咲いた。吸血鬼の好む幾何学模様を描く石畳がまたたく間に、血で埋め尽くされた。燃え盛るようなハーフの匪賊たちの激情が空を覆うかと思われた。だれの面も真っ赤だった。

 血で狂った人間心理が燎原の火のようにひろがって、だれもが、倫理を失っていた。ムルゥーンは、死体を跨がないと歩けないほどの地獄絵図と化した。躯に引っかかり、転ぶと、服が血だらけになる。けれど、その血を穢れたものとして、忌避する感覚が皆、麻痺していった。横丁に女子供の哀訴がひびき、わずかに残った守備兵は、局所的に囲まれ、無力化された。楼台の上から、弓兵は引きずりおろされ、八つ裂きにされた。

 逃げ場がない。路地の陰に逃げても、飢えたハーフに見つかる。大通りが骸で埋め尽くされても、虐殺の声は横丁の陰に移って、滔々と終わることをしらない。やがて、ハーフの匪賊たちは殺しに疲れて、今度は邸に押し入って、窃盗を始めた。早い者勝ちだと、理をあらそって、吸血鬼の邸の戸口で同士討ちになる者もいる。

 ポロはそんなものに目もくれず、真っ先に、吸血鬼の王族の霊廟へと、踏み込んだ。きらびやかな金色の床がどこまでも続いて、左右の壇上に骨壺が並んでいる。何代目の誰それとか、ポロには文字からして読めないのでわからない。

 ポロは無数に並んで、忌々しい霊威を放つ骨壺を割って歩いた。絢爛な廊下に灰塵が広がった。祖霊崇拝の思想の強い吸血鬼の墓を荒らすのは、吸血鬼の現代人を誅殺するより、はるかに冒涜的行為といえる。

 が、一向に、胸奥の炎が消えない。気が晴れない。

「すこしは気が晴れたか」とテムは遅れて、吸血鬼の祖廟に入ってきた。彼は副葬された金銀財宝に目を奪われた。が、ポロの目を気にして、すぐには動けなかった。

「……つぎは」とポロはいった。

「あ?」

「つぎはどうする」

「もう次か?」

「ああ」

「すこし、休まないのか」

 テムがいった。ポロはかぶりをふった。テムはため息して「次は、吸血鬼の犯罪者を野に放つ。それから、この国、ブレージアーを陥落させる」といった。

テムは自分で言っておきながら、(口で言うのは簡単だな)と思った。この間まで、薄汚い路地で寝ていた自分が幻想なのか、いまが夢なのか、よくわからなかった。が、冷静になって考えれば、ブレージアーを崩壊させるまで、あと一歩というところまで来てしまっている。歴史の上に、乗っているという感慨を想って、また、この反乱の帰着を危うく感じて、とにかく、テムは興奮した。対して、ポロは落ち着いていた。冷静だったが、同時に鬱屈していた。

 ――足りない。どれだけ枝葉の平民を殺戮しても、幹であるブレージアーの政府が機能し続け、王国が存続し続ける限り、恨みは永劫燃え続ける。死者を穢しても、吸血鬼の平民をいくら殺戮しても、まったく、気が済まない。テムは、なぜ、ここまで、ポロの怒りが持続するのかわからなかった。

  テムは生き残りをかけて、この博奕にのっている。吸血鬼にたいする恨みは多少あっても、この期に及んで、それは薄まってきた感がある。それ以上に、自分がどこまで高みに昇るのか期待する気色の方がつよい。――しかし。

(いや。いやいや。喜ぶあまり、いちばんの障害があることをわすれていた)とテムはきづいて、ポロがなぜ、こうも先を急ぐのか遅まきながら気づいた。

「ホウロウは、逃げたか。死んだか。どう思うね」とテムが聞くと、ポロは退廃した微笑みをふくんで、「いいや。かならず、現れる」というと、テムを睥睨して「もちろん、俺たちを殺しに」と脅すような声色でいった。

「で、でもな。あいつ、嫁殺されといて、吸血鬼の味方するようなまねするかな」

「……俺が初めて、吸血鬼を殺してやったとき、あにじゃはこういったぞ。吸血鬼にも生活がある。まぎれもない人なんだと。――テム、腹を決めろよ。あにじゃは傍観しねえぞ。かならず、俺たちとブレージアーの吸血鬼の間に割って入ってくるぜ」とポロは言って、壇の上に並んだ骨壺を持ち上げた。

「なんだ、それは」

「これが、いちばん、新しいヤツだと思う。ここ、読めるか」とポロは骨壺に張り付けられた紙をテムに向けた。テムは目を凝らして、その言葉の意味を解すると、目をむいた。

「これは……前王の遺灰だ。つまり、コンラート王の父親」

「そうか……。そりゃあいい。これは俺が預かっておこう」ポロは初めて、勝利の余韻を感じた。このブレージアーの王だった男の遺灰が無力にハーフの掌のうえにある。彼が感じたのは、吸血鬼に屈辱を与えているという優越感だった。


 ――ムルゥーンに青い旗幟が立った。ソベニの谷のハーフはテムによって、青い旗を作るように命令されていた。青は、死者と、その死者の蘇生を含意するため、魔界では忌み嫌われる色だった。その色を旗印にしようというのがテムの提案である。

 ここまで、冒涜的な行為が渦を巻いていながら、ブレージアーの吸血鬼は、まだ、この事態に気づいていなかった。その風圧は、なんとなく、ブレージアーの京師まで届いているが、事態の全貌を把握して、この破壊的状況に対処しようという者はいなかった。第一、まだ、コンラートはフォルカーの帰国を待っているというありえない体たらくなのである。フォルカーは多くの仕事をひとりで担い過ぎていた。その死は、ブレージアーの政に巨大な穴を穿った。レオンは公には、誅殺されたことになって、いまや、彼の邸だった跡地は、焦土となって放置されている。ふたつの支柱を失って、すべての魔界の吸血鬼の故郷であるブレージアーに暗澹たる瘴気が立ち込めている。

 ――その政庁から、偶然、とことこと、馬車に乗って、ムルゥーンを視察をしに来た官僚がいた。レオンの弟のイグナーツだった。彼は、数人の近侍をともなって、視察にやってきた。この官僚が地方を見てまわり、その政のゆるみに目を光らせるという伝統は、ここ最近は、官僚が私腹を肥やす賄賂の温床と化している。イグナーツも、今回、ムルゥーンの統治を任されている領主の邸で歓待を受け、暗黙のうちに賄賂をそこそこ貰って帰る予定だった。

 ――が、どうにも、ようすがおかしいと、近侍が馬車を止めた。不審に思って、イグナーツは馬車の窓から顔を出した。

「いったい、なんだ。あの薄気味の悪い旗は?」イグナーツはけしからんといった口吻で言った。

「わかりません。なにか、変ですな。イグナーツ殿」

「青い旗を望楼に並べるなど、王墓であるムルゥーンにあるまじきことだ。これは、コンラート王に、報告せねばなるまい」イグナーツは舌打ちした。

「さっさと、門番を引っ張り出せ」とイグナーツが馬車の中から、怒った。

「いや。イグナーツ殿。……門が」と近侍は口ごもった。

「門がどうしたのだ」

「破られています」

「な、なにっ!」馬車の席から立って、外に出ると、近侍のいった通り、ムルゥーンの堅牢な門が破壊されて、ハーフの街の内部が露出していた。しかも、門が破られたあとに、囲いをつくって、急ごしらえの防御の構えをなしていた。

(これは攻撃だ。何者かが、ブレージアーに攻撃を仕掛けてきたのだ)とイグナーツは直感した。が、いったい、何者かがわからない。建前上の休戦を維持しているオーガか、はたまた、ヒューマンか。

 予測できる勢力は、イグナーツの世間観では、この二つしかなかった。

脳裏に、ギルバート伝説がよぎった。

(やつの再来か)と膝から震えがきた。青い旗を掲げる悪趣味をするのも、ギルバートのやり方と言われれば、納得できる。

「いかにしますか。イグナーツ殿」と近侍に指示を仰がれて、彼は沈思した。(このまま、ただ逃げ帰って、王墓が荒らされていると報告しただけでは、なにかと体裁がわるい)と思い至って、どうしようかと悩んでいた。

(せめて、何者の仕業かぐらいは、調べたうえで帰らなければ)と彼は望楼を歩いている哨兵らしき者の顔を見た。ぐうぜん、涼みに望楼まで歩いてきていたポロの顔をイグナーツは目撃した。灰色の獣毛に覆われた長い耳を見て、イグナーツは、獣人かと見誤った。しかし、ポロは霊的な鋭さで、その視線に気づいて、イグナーツのほうをじろりと睨んだ。

赤い瞳が蒼空を背景に、赫々と輝いた。ポロはおびえるイグナーツを睥睨して、微笑した。

 ――と思うと、ポロは急に「失せろっ! ネズミども。殺すぞっ!」と叫んだ。近侍も、イグナーツも気圧された。馬が地団太を踏み、イグナーツは真っ先に近侍に逃げるように命令した。

ポロは望楼のうえから、その小さな旅団が疎林の陰に消え行くのを見ていた。

 彼は、望楼から市外へと降りて行った。市街は、閑散としていた。ここは、まだ、ハーフの街区だったが、あまりに急な支配者交代におびえて、土着の民はみんな、表に出てこないのである。ポロは吸血鬼の街区へと入った。ここは、この世の地獄だった。吸血鬼の死体が幾重にも折り重なって、地面の石畳が血に染まっている。その死体の上で、平然と、ハーフの匪賊は座り込んで、昼餉を囲んでいる。血も死体も、見過ぎて、もうみんな、慣れていた。

 門に、タンが始末した吸血鬼の貴族の首が吊るされた。その貴族の邸は、そのまま、ポロの仮住まいとなった。タンもここに療養していた。枯葉のうえで寝ていたはずが、寝具がある。机がある。椅子がある。ポロはめまいがした。

(これだ。これが、吸血鬼を弱く、愚かにしている。俺はその手には乗らねえ)と装飾品を全部、窓から放り投げた。窓の外に、金品を求めて、匪賊は群がった。ポロは贅沢を嫌がって、寝具はタンに使わせた。

 彼女の容体は、そこまで、重くないようだった。ポロはタンの口に食べ物を運んで看病した。哀れみからか、というとまったくもって違う。まだ、彼女には利用する余地があると踏んでいるのである。

(どうやら、あと二回ぐらいは、使えそうだ)と彼はタンのようすを見て、思った。

 ふと、邸でつかの間の休息を得ていると、テムがハーフの街区の長を引き連れてやってきた。街区の長は初老の吸血鬼と獣人のハーフだった。ムルゥーンの住民は、どこか、ようすがおかしいが、この老人は、目元の光がはっきりしている。老人は、ポロの前に慇懃に平伏した。

「ご老人、俺が何者か、わかるか」とポロはその瞳をのぞいた。

「はい」

「同胞だろ。ちがうか」

「さようです」

「なら、なぜ、ここの同胞は、救世主たる俺たちに臆している」

「……その、吸血鬼にたいする仕打ちがあまりに苛烈で、みんな、おびえているのです」

 ポロは瞬発的に、怒りそうになったのを、おさえた。テムは内心、ひやひやして、その危うい怒色を見ていた。

「苛烈か……。おい、テム」

「なんだ」

「こいつらは、この国のハーフになにが起きたか知らないのか」

「たぶん」

 テムとポロのやりとりに老人は、困惑したようすだった。

「老人、いいこと教えてやる。貴様らと、俺たちを除くと、ブレージアーに、ハーフはほとんどいない。全員、虐殺された。それでも、この仕打ちが苛烈ではないといえるか。ムルゥーンの民に伝えろ。戦うなら、生かしてやるが、拒むなら、今日の吸血鬼と同じ憂き目をみるぞ、とな」

 老人は魂が抜けたような顔で、茫然としていた。ポロは言いたいことだけ言って、気が晴れたので、老人に背を向けてから、ふりかえらなかった。テムは横合いから、死人に鞭打つように「老人、それと、若くて、戦いに才覚あるやつは、取り立ててやる。俺たちに与すれば、富と名声、思いのままさ」と言って、老人のせなかを押した。老人は、そういった言伝をもって、ハーフの街区へと力なく、去っていった。テムは、老人が去ると、ふと懐に手を入れて「そういえば、吸血鬼の穀物倉庫に面白いモンがあったぜ」といって、小袋をとりだした。

「なんだ。それは」

「豆だよ。強力な麻薬効果がある。痛覚は鈍って、感情が高ぶり、ちょっとやそっとじゃ、心が折れなくなる。戦争の奴隷を作るための、吸血鬼の利器さ。こいつは、一口食ったら、人生が終わる」

「なるほど、いざとなったら、ムルゥーンのハーフに食わせる気だったのか」

「そういうこと」

 ポロは「よこせ」と言って、テムから小袋を奪いあげた。

「おい。食うなよ。半端じゃない麻薬だぜ」

「俺が……食うわけじゃない」

 テムは問いただそうとして、思いとどまった。というより、恐怖で凍った。テムは、そそくさと邸を去った。

ポロはタンの寝床までいくと、どすんと音を立てて、彼女の前に座った。

「ポロ様……」と彼女が目を覚ました。ポロはその弱った瞳を見ても、迷わなかった。

「これを食え」と差し出したのを、彼女は「さっき、ご飯は食べましたよ」と言って、拒んだ。

ポロは「いいから食え」と彼女の口に無理やりねじ込んだ。ごくんとタンの喉がうなった。ポロは、その瞬間、自分の魂が抜けていくような気がした。ついこの間までの自分がどのような人物だったか、まったく思い出せない。嘆くことが多すぎて、いちど、懊悩を始めれば、それは枝葉のように無限に広がり、その枝葉のすべては、導火線のように火薬につながっている。だから、彼は自分を殺した。顔に無が映っていた。それは、いくぶん、笑顔にも見えた。













 

 













 



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