ポロ王の進撃

 ポロは谷合の入り口に立っていた。入り組んだ道に霧がかかっていて、入っていくのをためらわせる雰囲気がある。

「ここか」ポロが傍らのテムに聞いた。

「そうだ。ここがソベニ谷だ」

「人気がないように見える」

「ハーフの闇市に活気があったらダメだろ」

「闇市?」

「そうだよ。ソベニには非合法の品物を扱うハーフの商人が集まっている

「ここは、吸血鬼の襲撃は受けなかったのか」

「ブレージア―城の無能な吸血鬼はこの場所を知らない。たぶん、この場所を知っているのはフォルカーぐらいなものだ。つまり、ここは俺たちの足場となる。そのために、ソベニの連中をこの戦争に巻き込まなければならない」

「巻き込むったって、どうするんだよ」

「ここには、一応、統領がいる。まずは、話し合いだろ。ハーフの虐殺は、ここにも知られているはずだから、生き残ろうと思ったらあちら側も協力するしかない」

「もし、ダメだったら?」

「その時は、お前の<力>が話をつけるしかねえな。いいか、ソベニには高い俸給を貰っている用心棒どもがいる。そいつらを、めっためたに殺してしまえばいいんだ。カルーの時と同じようにな」テムはそういったが、ポロは、顔をしかめた。<あの力>の痛みを知らない者に顎で使われるのは我慢ならない。思えば、テムはポロの影に隠れて、大軍師などと名乗り始めている。ポロの懐疑は顔に出ていた。テムはそれに気づいて、身震いした。

 ――谷口の前の丘陵に、千を超えるハーフの匪賊たちが、野営の準備を始めている。すると、遠くの夜陰にまぎれ、ハーフの仲間が現れて「アルコンが死んだ」と叫び始めた。すぐに、テムが真偽を確認するために逃亡兵を引きたてた。

 テムが仔細を聞き出すと、大男と若い女が二人が大暴れして、トルンが陥落したというので、テムはまったく想定外の事態に狼狽えた。その二人の男と女と言うのも、テムはすぐに見目形から、ホウロウとヴィーだと見当がついた。

「……ホウロウは死んでいない」テムはポロに問い詰めてやりたかったが、これ以上怒らせてもおもしろくないので、多くは言わなかった。

 ポロは一言も発しないで、黙然と聞いていたが、急に立ちあがると、「お前、逃げたのか」と逃げてきたハーフを問いただした。

「い、いや……おれは」

 言葉が淀んだ瞬間、天幕の外にたたき出された。騒ぎを聞きつけて、ハーフたちは急ごしらえのテントから起き出てきた。ポロは逃亡してきた者を容赦なく殴り殺した。夜闇に真っ黒い血が地面にひろがった。血まみれのまま、彼は集まってきたハーフの群れに向かって、「約束したはずだ。吸血鬼の首を取れば、褒美をやるが、闘いから逃げたら殺す。忘れるなよ」といった。淡い赤色の瞳が夜陰のなかで光った。テムは、ポロの行動を咎めなかった。むしろ、これは、この緩みやすい賊徒の軍団にはいい薬になると思われた。ただでさえ、無防備な村ひとつ陥落させただけで、有頂天になっている者が散見されていたのを危うい眼でテムは見ていた。が、そうは言っても、やはり恐ろしいのはポロの変貌ぶりである。もともとの地金が出たのか、無理しているのか分からないが、もはや、恐怖の上に、この軍団をまとめ上げているのは確かである。奇しくも、彼には暴君の才能があったらしい。


  ――翌日、ポロとテムはまた、谷口の前に立った。護衛は連れていなかった。また、ポロは忍び込む気は微塵もなかった。なにしろ、小さな谷口の岩肌から細作が時おり顔を出している。谷の入り口に野営を張っているので、当然の反応である。彼は鷹揚と谷の霧のなかに足を踏み入れた。テムは、その背に隠れるようについていった。

 湿った泥に足を取られた。谷に抱かれた湿地のようである。左右の岩肌に苔が繁茂している。

「襲ってこないとは思うが、油断するなよ」とテムが言った。ポロは目線をあげて、隠れている細作をにらんだ。ふいに視線を向けられて、こちらを岩の影に隠れて見下ろしていた顔は消えた。ふんと鼻を鳴らして、ポロは再度、歩き始めた。奥へ奥へ進んでいくほどに、静かになっていくようである。

「ほんとうにこんなところに人里なんてあんのかよ」とポロは嘯いた。けれど、雲間に陽が差したように、異様な雰囲気の集落が目の前に現れた。ポロは谷底を覗いた。漆黒の谷淵は沼だった。沼の上に橋が渡してあって、沼の泥濘に浮かんだ島嶼状の盛り上がりにぼろい家屋がぽつりぽつりと立っている。上を見れば、桟道が高く伸びていって、入り組んだ家屋が無理やり建てられてあった。

  彼はしばらく目を奪われていた。

「おい。ポロ……」とテムは不安げに呼びかけた。家屋の窓、扉の隙間、柱の影、ありとあらゆる場所からポロとテムは、睨まれていた。老人から子供までいる。全員、ハーフだった。

「……どうやら、同胞が虐殺されたことは知っているらしいな」とポロは無数の眼玉を見返した。ふたりを見ているハーフの眼には、畏れが映っていた。もはや、同胞すら信じられないほど、ソベニの村人たちの警戒心は強くなっているらしい。

 すると、その村人たちの中から、長身の男が歩み寄ってきて「ここに何の用だ。避難民なら、受け付けない。こっちもギリギリなんだ」といった。(こいつが、用心棒……)と一目でポロは見抜いた。その長身の男一人だけではない。ほかにも衆目のなかに点々と、鋭利なまなざしが散見された。けれど、ポロは何とも思わなかった。多少、強い者は腐るほど見てきた。それに、自分より強い者に会ったことは一度だけである。兄のホウロウだけだった。

「ここの長に会わせろ」ポロは言った。顎が上がって、他を睥睨していた。ポロはこの場にいる誰よりも背が高かった。その背丈から放たれる言葉にはわかりやすい威圧があった。

「……いや、デン様は、どこの馬の骨とも知れない者とはお会いにならない」

「なら、自分で探すからいい。そこをどけ」ポロは断られるのも想定していたような口ぶりだった。少なくとも、闘えそうな者が十数人はいるかと思われる群衆に向かって、人を喰ったような物言いに背後のテムは肝を冷やした。

 テムはたまらず、「おい。殺し合いに来たんじゃないぞ」とポロを諭した。

「いいや。多少、ぶっ殺しても構いやしねえよ」

「甘く見るなよ。たぶん、ソベニの統領は、お前やホウロウと同じ力を持っている。めったなことで怒らすんじゃない」

それを聞いて、ポロは「なに、俺と同じやつが、あにじゃ以外にもいるのか」と眼の色をかえた。

「だから、むしろ、それを脅しに協力を仰ぐのがいいと思ったんだよ。お互い、<その力>を使いたくないのは同じだろ」

 ポロは黙った。テムの言い分はもっともだった。

「だが、こいつら、取りつく島もねえぞ」ポロは蝟集して、頑として動かない群衆の有象無象に向かって、吐き捨てるようにいった。

「……」テムは黙って、どうしようかと考えた。八方ふさがりな気配である。が、トルンはホウロウのせいで崩壊しているから、戻るわけにもいかないし、ここで、安閑としていると、萎えやすい賊徒の集団は、いつ造反しだすか分からない。

 すると、訥々と桟道を歩いてくる人影に気づいて、テムは桟道を見上げた。優美な恰好をした背の高い女が、氷のような無表情のまま、不気味な足取りで桟道を下りてきている。

「ふ、来た、来た」とテムはそれを見て元気を取り戻した。集まった群衆は、クモの子散らすように、左右に広がって、女の歩く道をあけた。

 ポロは、そのすがたを見て、驚愕した。オーガのハーフなのか背は高いが、顔つきを見るに、まだ、子供だった。

「おい、子供だぜ。しかも、女だ」ポロはテムに言った。

「いや、あれはデンの娼婦だ」ポロは苦虫を噛み潰したような顔をした。女は頭をさげて、「案内いたします」とだけ言った。白い肌に浮かんだ薄幸そうな無表情だった。ポロとテムは顔を見合わせた。

「どうする?」とポロが聞くと、「そりゃ、付いていく」と言うので、諾々と彼は言う通りにした。

 女の案内するままに、ポロとテムは、ソベニの上方に桟道を上がっていく。上がれば上がるほど、ソベニの街並みは幾分、マシになっていくようだった。住民は警戒心が強いのか、ポロとテムを見る目は敵意に満ちている。女は桟道から谷の洞穴状になったくぼ地のような場所に入っていった。すると、吸血鬼の村でよく見るような門があって、両開き扉の左右に番兵っぽいのが二人いた。番兵は女のすがたを見ると、言葉少なに頷いて、門を開いた。暗がりに、絢爛な邸が現れた。

「では、私はこれで」と女はそそくさと去っていった。ポロはその後ろ姿を見ながら「女に案内させて、自分は家でふんぞり返っているのか」と言った。

 ポロは、テムも当然、同じようなイラつきを覚えているものと思ったが、テムは静かだった。その口角は不気味な微笑みを浮かべている。

(いったい、何なんだ)とポロは訝し気な顔をした。

 ふと、人の気配がしたと同時に「谷口に駐屯している奴らの長か?」と言う声がした。

  ポロとテムの目の前に、痩せた男がいた。ポロは奇妙な感にうたれた。目のまえに、突然、現れた男にはハーフらしい特徴は無かった。

「あんた、吸血鬼だな」と思わず、ポロは眉間にしわを寄せた。

「そうだ。よくわかったな」

  男の言ったのは皮肉だった。吸血鬼の人相は分かりやすい。

「私が、デンだ」と男は手を差し出した。

「偽名だろ。吸血鬼っぽくない名だ」ポロの面に赫々とした敵意が宿り始めた。

「べつに問題なかろう。偽名でも」

 そういって、デンは踵をかえして「来たまえ。わたしに話があるんだろう」と、邸の中に、ふたりを招いた。

 ――ポロは注意深く、招かれた一室の周りを見回していた。ヘンな絵や珍奇な陶器が置いてあるところをみるに、居住まいがハーフっぽくない。机ではなく、床几を好むらしい。ポロはあぐらをかいて、床几の上に頬杖をついた。

「俺はテム、こいつはポロだ。堅苦しいのは抜きにして、単刀直入に言おう。ここに我が軍隊を逗留させてほしい」とテムは言った。

 デンはせせら笑って「軍隊だと。ただの賊の集まりではないか」といった。たしかに、事実であるが、テムは怯まない。

「勝てば、軍隊だ。少なくとも歴史はそう扱う」と詭弁を弄した。

「勝つとはいったい誰に?」

「吸血鬼の畜生どもに、だ」ポロがいった。

「私は商人だ。理があるなら、協力するが、ようは、勝てるのか。相手はブレージア―の吸血鬼だぜ」

「勝てる。いまは、俺たちを虐殺した精兵二万が留守だ。残った弱兵なら、なんとかなる」とテムが言うとデンは大笑いした。

「大雑把な推測だな。弱兵だけでも城門は固く守られている。破城槌もないくせにどうやって城門を破る。しかも、貴様らが城壁の前で陣を張ってみろ。魔術師たちが火球を放ってくるぜ。その時、防衛の策はあるのかな。魔法など微塵も使えないのに」

 テムは(まあ、そういわれるだろうと思ってたよ)と半ば、諦めた。ポロは怪訝な目つきでデンを見ていた。彼は、吸血鬼を鼠のごとく見ている。いますぐにでも、殺してやろうと全身がこわばっていた。テムは隣で、ポロの緊張を感じた。

「なんだ、その眼は? わたしを殺す気か」デンはポロの異様な殺気に気づいたか、そういった。

「いいや。ただ、こんなせまっこい部屋の左右を大人数で固められたら、強張るのは当然だろう」

  ポロは邸に入ってすぐに、隙を窺う人間の闘気を感じていた。事実、デンの邸は番兵で固められて、逃げ場がなかった。それに気づかなかったテムは仰天して、膝を崩した。ポロは立ちあがって、いまにも、殺し合いをはじめそうな気配だった。

「気づかれたなら、しょうがない。悪いが、ここで死んでもらう。どうせ、賊徒の集まりだ。忠誠心などありはしない。お前らが死ねば、散り散りになるだろう」デンがそういったと同時に、物々しい足音が響いて、あっという間にテムとポロは囲まれた。

「もう、ぶち殺してやった方が早い」とポロがいったのを、テムは「よせ。まだ、まだだ」と制して、早々と引き下がろうとするデンをにらんだ。

テムが睨んでも「よい。はや、死ね」とデンはにべもなかった。

「……あんたが純血の吸血鬼なら、これが何だか、分かるな?」

 テムはバルナバスから奪った王家のアミュレットを出して見せた。デンの余裕の顔色がみるみるうちに変わった。

「そ、それは」

「王家のアミュレットだ。意味が分かるか。俺たちには、<王家の血>を持つ吸血鬼を殺せる戦力があるということだ」

「……いったい、どうなっている」

「はやく、近侍を下げねえと、このポロが<変身>するぜ。そうなったら、あんたも、<王家の血>を開くしかない。どちらも大けがを負うし、得るものもない」テムは四方の近侍を見回しながら、言った。近侍はうごけず、主のデンを見て、判断を仰いでいる態である

 デンはじっとポロを見返した。

「いや。お前のハッタリだ。そうに違いない」確信めいた口調でデンは言ってのけた。

「……いいのか。俺はまだ、我慢できるが、ポロは血気盛んな若者だ。そんな博打をするのか。あんた、死ぬぜ」テムは再度、脅しをかけた。彼としても、ポロに<あの力>を乱発させられないことは理解していた。

 テムは目顔で、ポロを制し続けた。その様子をデンは見て、(あの感じは、もしかすると、ハッタリではなく、ほんとうなのか)と揺れた。

「吸血鬼はなぶり殺しにすると、決めている。まどろっこしいのは、無しだ。<変身>は俺からする」

 ポロの眼の色が変わって、闘気が全身からあふれた。瞳の色が桃色から、真っ赤に染まりかけた時、デンは大声で「待ていっ! 分かった。信じよう。近侍は下げる」と言った。ポロは、変身を半分する前だった。

ポロは「なんだよ」とつまらなそうに、嘯いて、床几の前に腰を下ろした。近侍がぼーっと突っ立っていると、デンは「阿呆ども。いま、言った通りだ。下がれ下がれ」と怒鳴った。

 ぞろぞろと近侍が下がっていくと、テムは額の汗を拭って、胸をなでおろした。

「先ほどの無礼は詫びよう」とデンはいって、床几の前に座った。もう人を小馬鹿にしたような笑みは消えていた。

「お前らの軍隊の人数は?」

「いまは二千を超えないぐらいだが、もっと、増える」

「二千人。このソベニには、余った土地は、結構あるが、問題は君らが、この谷の治安を乱すことだ。もとは賊徒の軍団だろ」

「さっき言った通り、ここに軍を駐留させてほしい。糧食も、当然、必要になるが、蓄えてんだろ」テムの要求はほとんど山賊のやり口だったが、デンは、もう恐怖におびえて、鷹揚とした態度を維持する余裕もないらしい。あたふたと、テムの要求に狼狽えるだけである。

「いったい、いつまで居る気だ」

「つぎの目的地は決まっている。長居はしないが、ここはハーフの街だ。この軍団がデカくなったら、俺たちに与するしかないぜ。あんたも、ブレージア―の吸血鬼が怖いだろ」

「……」デンは黙った。彼にも若い時があったはずだが、いまや、その血気は立身出世のために費やして、残ったのは既得権益を守ろうとする保守的な姿勢だけだった。ポロは、(こいつは、カルーと同じ手合いだな。そばに置いておくと、いつ造反するか分からない)と思って、テムに目配せした。その眼は殺意で染まっている。(――もう、こんなゴミ殺しちまっていいか?)と彼は眼で語った。テムは小さくかぶりを振った。すると、デンは気を持ち直して、いんぎんな態度で「――いいだろう。貴様らの軍を逗留させてやる」といった。

 

 ――腑に落ちないといった顔つきで、ポロはソベニの谷を下っていた。テムは上機嫌に「はっはっは。お前の<変身>は最高の脅しになるな」と言って足取りも軽やかだった。

「あんな、腰抜けを仲間にしていいのか。さっさと殺しちまえばいいだろ」

「違うな。腐っても、このソベニではあいつは崇拝されている。殺したら、村人の心は離れちまう」

「この時世に、吸血鬼を崇拝するハーフがあってたまるか」

 憤然と歩く足音が石畳を叩いている。ポロは宙に渡されている物干しの縄を見ていた。ぼろい洗濯物が暗がりに浮かぶ幽霊のように微風に揺れている。左右に無理やり建てられた家屋が積み木のような幾何学的な線を描いている。

「貧乏だ。前の俺たちの生活より、貧乏だ」とポロはぽつりと呟いた。

「それがどうした。貧乏かどうかは気の持ちようだ。俺らの生活も、吸血鬼の普通から見れば、貧相なものだぜ」

「あのデンとかいう吸血鬼の居住まいは金がかかっていた」

「ふふ、崇拝には金がかかるってことさな。だが、それで安心を得られるなら安い買い物だぜ。俺らは、そんなに御しやすくはねえが」

 二人は岩肌を削った石畳をさらに下った。桟道の手前で、ふと、ハーフの村人たちが列を作っているので、「いったい、あれは、なんだ」とポロが立ち止まった。テムはふっと笑って「今となっては懐かしい気がするな。献血じゃねえかよ」といった。

  行列は道のわきの机に向かって、順番を待っていて、机の前には吸血鬼が座っていた。あの謎の魔術で吸い上げられた血が、銀色の壺の中に消えている。吸血されているのは、初老のハーフの男だったが、いまにも死にそうな顔いろだった。ポロは眼に赫々と怒気を湛えた。吸血鬼に腹を立てたというより、漫然と、吸血鬼に血を提供している同族に腹をたてた。

「あ、おい。何する気だ。ポロ」とテムが止めるのも聞かずに、彼は歩いていった。ハーフたちは、ポロに気づくと、おびえた目つきで縮こまった。彼はそれを無視して、最前列で諾々と血を吸われている男を押しのけて、机の前に立った。血を吸っていた吸血鬼は、突然、現れた巨魁に「い、いったい、なんだ、お前は?」と言った。

「……」ポロは黙然と立ったまま、吸血鬼をにらんだ。彼は、銀色の壺を蹴って壊した。石の地面に、真っ赤な血が這うように広がっていく。

「あっ」と吸血鬼は漏らして、唖然として、ポロを見上げた。

「なんか、文句あるか」

「い、いや」吸血鬼は怒る機を逸したように、口をつぐんだ。ポロは、臆した吸血鬼を睥睨して、気分がよかった。ふんと、鼻を鳴らして、踵をかえすと、目のまえに少女が立っていた。

「……」

 見れば、邸まで案内してくれた薄幸そうな少女だった。無垢な丸顔に軽蔑するようなまなざしで、ポロを見つめている。無視して通り過ぎようにも、ポロの行く手を阻むように立っているので、彼は一時、その眼を攻撃的に見返した。けれど、少女は頑として動かない。

「なんだ。おまえ」

「……その血は、お父さんの」

 彼女はそういった。ポロは背後を見て、青ざめた顔で自分を恨めしそうに見ている初老のハーフの男に気づいた。彼女が何に怒っているのか、ポロは分かったが、そのうえで「だから、どうした」と少女の真っ黒い髪の毛のつむじを見下ろして言い放った。

「……ふん」と彼女は小さな拳でポロの腹筋を殴った。金槌で叩いて鍛えたポロの腹筋の硬さに、むしろ、彼女の拳の方が痛みを覚えた。

「ふふ、いい根性してるな」彼は鼻でわらった。ふと、彼女の二の腕に不審な傷跡があるのに気づいて、じっと、それを見ていると、ポロは眼の色を変えて、「この傷はなんだ」と彼女の細い腕をつかんだ。

「おい、止せよ。ただのガキだぜ」とテムが止めるのを聞かずに、ポロは腕をつかんだまま、彼女を引っ張り上げて、「この傷は噛まれた痕だが、デンとかいう吸血鬼は女の腕を噛む癖があるのか。――おい」と耳元で叫んだ。

「ポロ、そいつはデンの妾だ。そんぐらいあり得る話だ。落ち着けよ」

 ポロはもう我慢ならなかった。少女に憐憫を感じているのではない。ハーフをぞんざいに扱う吸血鬼に我慢がならないのである。ほろほろと少女の頬に涙が流れた。

「泣くぐらいなら、やめてしまえ」とポロはいった。彼女はポロに掴まれて、宙ぶらりんのまま泣いている。その哀れな様を、ハーフの行列は雁首揃えて、見ていたが、だんだんと、軽蔑するような気配を帯びてきて、ふと、誰かが、石をポロに投げた。ポロは少女を離すと、ふりかえって、ハーフたちをにらんだ。今すぐ、飛び掛かって暴れまわりそうな上目遣いの視線である。テムは総毛だって、彼の服を引っ張って「ポロ、こいつらは、もう洗脳されてんのさ。構うことはない」と諭した。

 居並んで、責めるようなまなざしがいくつもポロに突き刺さっていたが、だれも、挑みかかって来ない。

(アリどもめ……)と彼は唾を吐いて、ため息した。

「吸血鬼はケダモノだ。それが分からないなら、同じクズだ」そう言い残して、ポロはやっと闘気をしまって、踵をかえした。そのようすにテムはむしろ、戦慄した。怒りの頂点まで、一瞬でのぼって、そこから冷めるまでが、早すぎるのである。(やっぱり、こいつは変異したな)とあらためて、テムは思った。少女と父親は抱き合って、この世の苦しみに涙を呑んでいる。その湿った悲しみを背後に感じて、ポロは大笑いした。

――ポロは二千の賊徒の軍を引き連れて、ソベニに入場した。悪鬼羅刹を従え、その最前列で、馬に乗るでもなく、徒歩で歩いてくる様は王と言うにはあまりに王威に欠けて、暴力的だった。ソベニの谷の道には閑古鳥が鳴いている。ソベニの住民は戸を閉めて、跳梁跋扈する賊徒の足音を聞いて、身震いしていた。テムは掟をつくった。第一に、村人に暴力を振るわないこと。第二に盗まないこと。第三に姦淫しないこと。この三つを破った者は即死刑と定めた。

 テムはある程度の効果があると見込んでいた。ソベニの谷を下る賊徒の目の前には、ポロの筋張った背中があった。それだけで、十分な抑止力があった。

また、ポロは贅沢を一切しなかったし、統領の利権を乱用しなかった。当然、その膝下の賊徒たちに贅沢は許されなかった。

皆、似たようなボロを纏って、歩いていた。桟道を下って、淵の浅瀬に浮かぶ島に匪賊の軍団は参集した。居心地はお世辞にもいいとは言えない。

 貧相な母屋に板を無理やりつなげて作った床几のうえに、テムとポロはブレージア―の地図を広げた。ポロは字が読めないので、テムは子供だましのような絵文字を地図上に描いていた。

「まず、ここから、選択肢は二つ。このガイコツのマークか、このツルハシのマークか」

「なんだ、このフザケタ絵は」

「お前、字を読めないだろ」

「じゃあ、このガイコツはなんだ」

「ブレージア―の王陵の管理をする吸血鬼の村だよ」

「なぜ、そこが重要なんだ」

「ここの町民は地獄の労働に苦しんでいる。しかも、移動の自由はないし、外部との婚姻は許されない。ほとんど、監獄と言っていい状態だ。ここの管理をしている吸血鬼の貴族を殺し、この邑の吸血鬼を帷幕に加える。おそらく、ここの長は<王家の血>を保持しているから、一筋縄ではいかないが」

「いや、俺は吸血鬼など、仲間にしたくない」とポロがいった。

「吸血鬼とは言ったが、この村の吸血鬼は近親者どうしの結婚をし過ぎているため、畸形が増えた。だから、ブレージア―の吸血鬼は新しい血を入れる必要に迫られたのだ。それが、ハーフの血だった。いまや、村民の半数にハーフの形質が見られる。つまり、俺たちの仲間さ」

 ポロはテムの言い分に、沈思した。

「わかった。で、このツルハシの印はなんだ」

「こいつは、すこし厄介なんだ。吸血鬼の重犯罪者の鉱山労働施設だ」

「また、吸血鬼か」

「こいつらに関しては、仲間にする必要はない。ただ、牢獄の門を開け放ってやればいいのさ。あとは勝手に暴れてくれる」

「つまり、ブレージア―の吸血鬼の注意を逸らすわけだな」

「わかってきたじゃないか」

「場所的に近いのはどっちだ」

「近いのは、ガイコツの方だな」

「では近い方から」

「よし」

「ここの奴らはどうする?」

「それは迷っている。まあ、さっき見た通り、この期に及んでデンに献血してしまう奴らだからな」

「デンはどうやって、ソベニの村人の心をつかんでいる」

「ほんとうかは知らんが、聞いた話によると、ここの湿地に住み着いていた幽鬼を<王家の血>を使って、退治したらしい。それ以来、幽鬼に悩まされていたソベニの村人はデンを神のごとく敬っているとか」

「……」ポロは黙った。(結局、この世はちからだ。暴力だ)と彼は思った。ポロはソベニに来る前から危険な賭け事を始めた。希望者を軍の中から募って、拳闘の試合をするだけなのだが、ポロは自分の地位、つまり、いまの大所帯の王位を賭けていた。負かした挑戦者は、かならず、殴り殺した。とうぜん、挑戦する者はめったに現れなくなった。ポロは図らずも、あえて、賊軍に造反する余地を残して、その芽を摘み取っていた。むしろ、彼はもうすでに賊軍のなかで尊敬を集め、神威をまとい始めていた。強いからこそできる帝王学である。

 テムは母屋の窓から、その拳闘を見ていた。ポロは強かった。が、テムの眼から見ても、ホウロウには及ばない。テムは不安げに、その血気に絆されて、人を馬乗りになって殴っているポロを見ていた。もしも、あの<変身>の能力が、もとの肉体の強さに比例して増大するなら、ポロはホウロウに勝てないということになる。テムの一番の不安は、そこにあった。

 (あいつは、かならず、やってくる。どうしたものか)。筵のうえで腕組して悩んでいると、ふと、母屋の壁にふしんな光を認めて、テムはまばたきした。近づくと、どうやら、外側が仄かな光を発しているらしく、不気味に思って、テムは外に出た。壁に紫色の光が見えた。光の中心に、文字が確認できたが、発光の度合いが強すぎて、文字が太く膨れて、読めない。近づいて、ようやく、その文字が現代語ではないということにテムは気づいた。

  文字の意味を解する直前、「――あっ!」とテムの直感は早かった。彼は言葉で考えるより先に、肌で危険を感じた。恥を忘れて、ふりかえって、逃げ走った。とにかく、この印から離れなければならなかった。

 彼はポロを中心にたむろしている人混みに向かって「おいっ! い、いわ! 岩のばけもんだ」と叫んだ。ポロは二人目を屠ろうと構えているところだったが、まだ合図は鳴っていなかった。

「なんだ。なにを騒いでいる」とポロは構えを解いて、テムにいった。瞬間、聞いたことがない金切声のような轟音が響いて、大地が鳴動した。

 ポロは音がした方を見た。母屋が崩れて、その瓦礫がめりめりとつぶれる音がした。瓦礫の上に、既視感のある人形を認めて、「……」とポロは沈黙しながら、身構えた。

テムは早々に、ポロと匪賊たちの後ろへ走っていった。彼は、この時、心底、フォルカーを恐れた。

(わざとだ。ぜったい、わざとだ。ここにハーフの生き残りが集まってくると、予期していたんだ。フォルカー……バケモノめ)。

 テムの推測は正しかった。けれど、<ゴーレム>の起動はフォルカーが死の間際に発動したので、完全に彼の計画通りに進んだわけではない。しかし、結果として、偶然、ゴーレムは完璧なタイミングで起動した。

 賊の群れは「いったい、なんだ、ありゃあ」と浮足立った。けれど、二千の人数がいる中で、さすがに逃げ出す者はなかった。石くれのような足を一歩、踏み出すごとに、瓦礫が押しのけられた。ぬかるみに、足が沈んで、遅々とした歩みだったが、ゴーレムの生み出す大地の震動は、匪賊の臆病者の心臓を揺らした。

 数舜のうちに、大志のない有象無象のわるい所が出てきた。周りを見て、逃げるかどうか算段を始めている眼がいくつも頼りなく右往左往する。

 ポロはあえて、下がった。下がって、下がって、最後方まで行くと、「貴様ら、逃げたら、どうなるか。わかっているな。――死ぬまで戦え」といった。ポロはおおよそ、ならず者の扱いを心得始めたようである。

「そいつを倒したら、俺の側近にしてやる」と彼が付け加えると、賊軍も、目の色をかえて、数を頼みとして、ゴーレムに向かって行った。

「ポロ、まだ、<変身>はするな」

「あたりまえさ。まずは、雑魚になんとかしてもらう。もしかすると、運がよければ、ほんとうに誰かが目を覚ますかも」

「どういう意味だ」

「恐怖に引っ張られて、<変身>するやつがいるかもってことだ」

 骨が折れ、肉がちぎれる音がした。ゴーレムは見た目より、俊敏だった。その図体だけで、鈍足だとなめてかかった者から死んだ。肉塊がぬかるみにめり込んでいる。ポロは匪賊たちの恐怖が高まっていくのを後方から見てて感じた。不意に、ゴーレムの背にとびかかった者は即座に投げ飛ばされて、ポロの目の前でもんどりをうった。

「うわっ!」とテムが情けない声をあげた。 

 テムは、あの坑道で初めて、この怪物に出会ったときのことを反芻した。ヴィーが叫んだのを思いだした。

「そういえば、ヴィーのヤツ、ゴーレムの胸元の石ころを取ればいいって」とテムが言うと、ポロはふんと鼻を鳴らした。

「あにじゃは首をへし折った」とポロは呟くと、ゴーレムが暴れまわって、生み出された血の河を踏み越えていった。ポロはホウロウの幻影を見ていた。たしかに、テムの言う通り、水晶のような乱反射する光がゴーレムの胸元に見えたが、ポロは、その方法は考えなかった。ほとんど、虚妄に取りつかれたような瞳でじろと、ゴーレムをながめた。

「――役立たずどもめ、盾にもなりゃせん」血走った目で、ゴーレムを囲い込んで、何もすることが出来ない賊徒をにらんだ。彼は、賊徒たちが臆病風に吹かれているのを怒っているのではない。賊徒のなかに、誰一人として、<変身>する気配を見せる者がいないことに腹を立てていた。

 彼はゴーレムに向かい合った。前見たより、小さく見えた。それは彼自身が自我を膨らませたがゆえの錯覚だった。

 テムは、ポロの背に、尋常ならざる闘気を感じて、彼が<変身>するものと思って、危うく見ていた。なにしろ、テムの算段では、ポロにここで無為に消耗されたら困る。単純な恐怖と前途への不安が一緒くたになって、テムを襲った。

「おい、ポロ。あれを使うなよ」と、思わず、その闘気芬々たる背中に向かって言った。ゴーレムはまた一人、賊徒を踏みつぶした。

 ポロは鷹揚と歩いて、近づいた。至近距離で向かい合うと、巨漢のポロでさえ、比較にならない量的な差があった。ゴーレムは長い両腕を地面について、ポロを覗きこんだ。顔らしき部分をポロは睨み返した。胸元が光ったと思うと、振りかぶった岩の塊みたいな拳がポロの頭に降ってきた。人体より、ゴーレムの動きがぎこちなく、読みにくい。ポロは間一髪避けた。地面に拳がめり込んだ。その腕に乗って、ポロはゴーレムの肩まで登った。

 彼はホウロウの影を追うように、ゴーレムの首を両腕で抱き着くようにして引き抜こうとした。ポロはゴーレムという怪物と闘いながら、ホウロウの幻影と闘った。

(あんたにできるなら、俺にも……)。

 が、頑としてゴーレムの首はうごかない。ポロは、集中力を欠いていた。急に暴れ馬のように、賊徒をふき飛ばしながら、ゴーレムは縦横無尽に駆け巡った。そのひょうしに、ポロはゴーレムの肩から落っこちた。受け身をとる寸前、目のまえに岩のような拳が迫っていた。

 ふいに反射で、避けようとしたが、ほんの少し肩がかすった。破裂したような衝撃で、ポロはふき飛んだ。地面を、二回三回と転がって、地面にうつ伏せで倒れこんだ。

 痛い、と思うより先に、ポロはホウロウに対する劣等感を感じた。噛んだ唇から血が滲んだ。

「おい、ポロ、大丈夫か」とテムが寄ってきたのを「うるせえ。俺に触るな」と振りほどいて、ポロは即座に立ちあがった。こちらを見ている賊徒の眼を鬱陶しそうに見返した。

「なにを見てやがる。……ころすぞ」とポロは言った。賊徒たちは慄いて、後ずさっていく。(虫どもめ……)と蔑んだ瞳に爆発のような炎が映る。

 瞬間、ポロの怒りはまったく統御不能になった。彼は、無意識に<変身>してしまった。漆黒の鎧に覆われ、体が泡ぶくみたいに振動し出した。みずからの不手際である。感情の高ぶりを抑えられなかった。ゆえに、彼はなおのこと、自分自身に腹を立てた。が、<変身>してしまったものは仕方がない。

 ポロの体は羽が生えたように飛び上がって、ゴーレムに向かって行った。自分でも、そこまで飛ぼうとした自覚がない。ただ、腰に力を入れて、跳ねるだけで、自分の伸張の何倍も高く飛び上がった。あとは浮き上がって、無防備なまま、時間が止まったような錯覚のなか、流れていく一瞬間を掴んで、ゴーレムの頭を殴り飛ばした。これは、才能だった。つまり、瞬間、瞬間に体が勝手に動くという才覚である。

 だから、彼は事後的に、転がったゴーレムの頭部と停止した胴体に気づいた。

(あ、やった……)と意外な感に打たれていた。なにしろ、怒りを解消しようと、痛めつけるつもりだったから、彼は空気を殴ったような虚無を感じた。

「ポロ……」とテムが呼びかけて、じろと面皰に覆われた顔から眼だけが光った。テムは身震いして、後ずさった。

  つまらなさそうに、ポロはため息をして、地団駄を踏み散らかした。――ホウロウの幻影に絆されて、自分の寿命をいたずらに縮めてしまった。

 すると、ポロの目の前に瓦礫が落下してきた。それを口火に、賊徒の上にも、瓦礫が同じように降ってきた。

「いったいなんだ」と皆、天を見上げた。テムは目を見張った。先ほど、見たような紫色の発光がいくつも見えた。

「ああ、なんてこったゴーレムは一匹じゃねえ」テムは魂が抜けたようにひとりごちた。ソベニの谷のすべてから、ゴーレムの足音が響いて、谷底までこもって聴こえる。家屋が破壊される音、逃げまどう声が谷淵のポロの耳まで沈み込んできた。彼は黒い被膜から覗く目をあげた。

「あっはっは。天の声がきこえた。いま、行くぜ。俺はハーフの王さまだ」ポロは恐ろしい跳躍力で谷底からソベニの切り立った壁を駆けあがっていった。テムはポロの気が狂ったと思って、あ然とその背を見送るしかできなかった。

 

 ――この時、デンの邸の門のまえでは助けを求めるソベニの民で溢れかえっていた。対応は同じ吸血鬼の番兵に任せて、デンは邸の奥の書斎に引きこもっていた。ソベニの民の望みは明白である。デンに<王家の血>を使って、突如としてあらわれた岩の怪物を倒してほしいのである。が、彼は長い年月を安閑と過ごして、急に、あの代償の大きな力を使うことは、考えるだけで、おそろしかった。ゆえに、この騒ぎに、病に臥せたフリをして、村民の羨望を躱そうというのである。が、ソベニの民も、恐怖で頭がどうかし始めているらしく、門をやぶって入って来そうな剣幕で門前に集合して、「デン様、デン様」と叫んでいる。

「お館様、もう、追い返そうにも、限界です」と番兵が切羽詰まった顔で言いに来た。

「ただの愚民だ。武具をちらつかせて、追い返せ」とデンは言った。

「はあ、しかし、ゴーレムが、ここを襲ってこないとも限りませんが」

「まあ、待っていろ。さいわい、烏合の衆とは言え、二千の賊軍が谷淵に控えているのだ。あちらは、居候の身だ。主の我より、先に戦うのが道理だ」

「なるほど」

「もうよい潮かもしれぬ」

「よい潮とは」

「ブレージア―の同族に見つかった。いや、正しくは、フォルカーに見つかったんだが。あいつは狼だ。こうなったら、逃げるが賢明だろう」

 番兵が下がると、デンは、ひとりで震えていた。彼の<王家の血>の系統は奇しくも、フォルカーと同じ<炎>だったのだが、岩をいくら燃やしても意味はないように、ゴーレムは<炎>の系統にめっぽう強いのである。

(間違いない。フォルカーは、この弱点を加味して、ぶつけてきやがった……)。ふと、思い悩んでいると、書斎に人気がして、ふりかえると、ハーフの少女が邸の丸窓を乗り越えようとしているところだった。少女は大胆にも、丸窓を乗り越え、デンの書斎に侵入すると、「デン様、家族が瓦礫の下敷きに……なんとかしてください」と言った。彼女はタンという名まえで、このデンの邸に出入りしている娼婦の一人だった。先ほど、ポロとひと悶着していた少女である。艶のいい白い髪の毛がデンのお気に入りだった。が、戦意のないデンにとっては、彼女の哀訴はうっとうしい。

「ああ、お前か。家族が瓦礫の下敷き? ……そいつは可哀そうに」無垢なこどもと思って、デンは興味なさげなのを隠そうとしない。

「それだけじゃ、ありません。どこもかしこも、岩のようなバケモノだらけです。お願いです。皆、あなたを待っているのですよ」タンはさらに膝を進めて、頼んだ。

「……」

  うっとうしいが、すがりついてくる彼女を見ていると、デンは情欲を掻き立てられた。腕を伸ばして、その肩を掴もうとすると、彼女はその手を「きゃっ」と言って払いのけた。呆然自失した目で、デンを見上げた。フラーガの美しい眼の光沢が、さらにデンを誘引する。

「ああ、嘘ですよね、デン様。いま、私に<お仕事>をさせようとしました? 皆、死にそうなのに」タンは失望したように俯いて、同時に、先ほど、聞いた言葉を反芻する。

「――吸血鬼はケダモノだ」とポロが確信めいた語気をもって放った言葉が彼女の頭に反響した。

 伸びてくる白い手、自分を睥睨する赤い瞳、口元に見え隠れする長い歯。タンを幻惑していた煙に一瞬、陰りが見えた。

「おまえ、逃げるな逃げるな」と再度、伸びてくる手に、タンは恐怖して、逃げ出してしまった。裸足で、谷の固い地面を駆けていった。ソベニの谷は阿鼻叫喚の渦だった。道端で、潰された肉片が転がっているのを、彼女は身震いして、通りすぎた。デンに<お仕事>する対価として、あてがわれた邸は、無残な瓦礫の山と化していた。彼女は呆然と、その瓦礫を見つめていた。彼女は自分の無力を感じた。この瓦礫の下に、母親と父親がいた。

 彼女を呼ぶ声がその瓦礫の暗闇から聞こえた。その声は「デン様、デン様は?」といって、まだ、デンの力を頼みとしていた。父親の声だった。息切れして、いまにも死にそうな声色だった。

「お父さん、もうすこしの辛抱ですから。お母さんは大丈夫ですか」とタンが瓦礫の奥へ呼びかけたが、母親からの返事はなかった。

「母さんは、死んだよ。もう手が冷たいんだ」

「……ああ、そんな」

 どんどんと大地の鳴動が近づいてきた。ふりかえると、ゴーレムが大通りの向こうからこちらを向いて、立っていた。足や手の岩肌に血がべっとりと付着していた。恐怖で背筋が凍った。ゴーレムの顔はのっぺらぼうだったが、そこには、機械的な機微のたしかな殺意のようなものがあった。タンは逃げようとしたが、すんでのところで、瓦礫の下の父親を思って、踏みとどまった。が、どうしようもない。迷っていると、ゴーレムの巨体に似つかわしくない機敏な動きで、走って向かってきた。

「きゃああっ!」彼女は悲鳴をあげ、腰を抜かした。ゴーレムは手心を加えない。そこには、ただインプットされた命令に従うだけの寂寥たる殺戮衝動がある。彼女は脇目もふらずに、逃げ出した。本能で一歩目を踏み出していた。父親を置いて逃げるか、判断するまえに、恐怖で走り出していた。周りの生き残った人々も、路傍に転がった死体を踏んづけて、逃げまどっている。彼女も、その集団の恐怖のるつぼに引っ張られて、奔流にさらわれるように走った。

 すると、その逃亡の流れのなかに、引っ掛かった流木のように、流れに逆らって、立ち止まっている人影があった。真っ黒い鎧に覆われた顔面から二個の淡い赤色の眼玉が覗いている。

「――逃げるなよ。クズどもめ」と嘯く声をタンは、横を通り過ぎる間際に聞いた。

「え……」と彼女はふりかえって、その黒い甲虫の外殻のような背中を見つめた。その闘気は、ゴーレムに向かって、一直線に注がれている。その背中が、目のまえに迫ってくるゴーレムを隔てる壁になっているような奇妙な安堵を感じた。ゆえに、しぜんと、足が止まった。

 けれど、彼女がふりかえった時、その黒い背中越しに、ゴーレムが自分の邸の瓦礫を踏みつぶしているのが見えた。ゴーレムには一種の生命体の波動を感知する機能がある。ただ、それは戦略的な思考を度外視して、単純な行動原理を生み出している。つまり、近くの生きてる者を殺す、といった具合である。ゴーレムは瓦礫の下敷きになっているタンの父親の気配を感じて、その生命の息吹が止まるまで、瓦礫の上で暴れていた。すると、ふいにゴーレムは瓦礫の上で、合点がいったようにぴくりと佇立してから、タンの方を見た。

 彼女の背筋に悪寒が走った。ゴーレムの一瞥は、父親の死を告げているような静謐があった。ゴーレムはまっすぐ、タンの方へ向かってくる。

 すると、黒い鎧の男はふりかえって、「なにを驚くことがある。お前は、逃げた。逃げれば、こうなるのが当然だ」といった。タンはいったい何を言われているのか、気が動転して、理解できなかった。震えと吐き気におそわれて、体がよろめいた。反射的に、(戦うなんて、むり。お父さんとお母さんが死んだのは、わたしのせいじゃない)と思って彼女は首を振った。黒い鎧の男は目の前から、消えた。その瞬間、どすんという地鳴りが聴こえた。ゴーレムの頭部が宙を飛んで、タンの目の前に落ちてきた。

「もうすこし、お前に勇気があれば、助かった命もあった。いや、突っ立って、あとちょっと粘るだけでも、間に合った」と男はいって、転がったゴーレムの頭を蹴った。タンは崩れるように地面に座り込んだ。頭を失った胴体は、数歩、走ったあとに前のめりにたおれた。

――ポロはタンに大人げなく、皮肉を言ったあとに、逃げまどうハーフたちを見回して鼻でわらった。

「貴様らの主はどこへいった」

「……」

「自分の体まで、差し出して、この有り様。吸血鬼など信用するから、こうなるんだ」ポロはさらに、タンをなじった。彼も、さっき、ゴーレムが暴れていた瓦礫の下に彼女の家族に類する者がいたのを察していた。だから、その死の劇薬が、彼女の表情にどんな変化をもたらすか、ポロは興味深く見守っていた。タンは薄いピンクの唇をぎゅっと結んで、その万華鏡のような瞳でポロを見上げた。

(あにじゃと同じ眼だ)とポロは思った。その瞳の光は、めずらしい形質だった。

「う、うるさい。うるさい」と彼女は叫んだ。金切り声がポロの耳をつんざいた。ポロは笑って、「それでいい。怒れ、怒れ」といって、踵をかえして、まだ、暴れているゴーレムの足音の方へ、走って行った。タンはひとり残された。寒々とした谷の瘴気に血の匂いが混じっている。彼女は座ったまま、腕を組んで自分を抱いた。

「――わたしのせいじゃない」

 彼女は自分の非を否定した。

(じゃあ、だれのせいか)を考えたが、思い浮かばない。その思考を遮るように、ポロがゴーレム相手に暴れまわって、谷に尋常ではない打撃音が響きわたっている。タンは、おそろしいと思ったが、同時に、憧憬のまなざしで暴れるポロの背中を見ていた。彼女はごくたまに、デンの<お仕事>を終えた後に、男に生まれたらよかった、と思うことがあった。力の無謬性を、無辜の弱者ゆえによく知っていた。なまじ、半端な強者より、その真価を身をもって知っていた。彼女は力への奉仕者だからである。

「おい、タン。ハーフの王はどこへいった?」とデンが吸血鬼の近侍を従えて、あらわれた。

「え……」タンは呆けたように聞き返した。

「だから、化け物のように強いハーフはどこへいった。そのゴーレムを破壊したのは、そいつだろう。見てないのか?」

  彼女は迷った。第一、この酸鼻な状況になってから、デンはどうしてあらわれたのか。そして、近侍の物々しいようすはなんだろうか。それに、ゴーレムの居場所を聞かないのはなぜか。

「おい。聞いているのか」

「さ、さあ」と思わず、彼女ははぐらかした。デンは舌打ちして、去り際に「役立たずが」と言った。その声が彼女の耳もとに、反響した。

(は? 役立たず?)。ぶちんと、彼女の中で何かが音をたてて、切れた。

「いったい、だれが役立たずですか? 力を持ちながら、この期に及んで、のこのこ出てきて、死体の上を歩いて、だれが役立たずですか?」

 デンは驚き見張って、「い、いったい、きさま。誰に口を聞いている?」とタンに詰め寄った。恐ろしい剣幕で胸ぐらを掴まれても、タンは覚悟したように無表情で睨み返した。

「家族は、皆、死んでしまいました」

「そうか。無礼者にはいい薬だ。少し甘やかしたら、これだ。ハーフの未熟児どもは」デンは呵々と笑って、タンを突き放した。

「お館、彼奴の<王家の血>はもう少しで、解けるだろう」と近侍がデンにいった。

「ふふ、もうすこし、ゴーレムの数を減らしてもらおう」デンはそう言いながら、タンの前から去っていった。彼女は座り込んだまま、地面の砂をさらって、握りしめて、歯軋りして、泣いた。


――ポロの孤独の戦いは佳境に入っていた。徐々に、体の節々がさび付いたように動かなくなってきた。眼から涙ではない、水っぽい液体が頬を伝って落ちていく。

(なぜか、眼から血が出ている)とポロは鏡を見なくても分かった。体の深部が熱い。喉から吐しゃ物が噴き出した。口の端に血が泡をふいて溜まった。

 彼は単身で、ゴーレムを十数体はなぎ倒した。目のまえで殺されかけていたハーフの同胞の感謝の声が朦朧とした意識に届いた。気づけば、賊徒の者たちも、谷淵から上がってきて、彼の傍らで、戦っていた。恐怖と敵が触媒となって、同胞を再び、結び付けていく。ポロは膝を地についた。最後の一体のゴーレムが賊徒の軍を弄んでいる。ソベニの民も、無為に熱に浮かされて、戦うでもなく集まっている。皆、ポロの背に惹かれているのである。けれど、ポロの意識は遠のいていった。地面についた膝がくっついたように離れない。体が石になったみたいだった。

「ポロ、あと一体だぞ。がんばれ」とテムが肩をさすった。

「……もう、動けねえ」ポロは首を曲げて、テムを見た。テムはポロの眼から血が滴っているのを見て、ぞっとした。

「そうはいかねえ。皆、お前の生み出した虚妄に動かされている。お前が責任をもって、最後までやるしかない」

 ポロは首をかくんと曲げた。閉じた瞼が血を目尻に引き伸ばした。瞬間、目元の鋭い光がもどって、ポロはゴーレムに殴りかかった。その拳は打撃の寸前で、開かれて、ゴーレムの胸もとで紫色に光っている心臓部を引き抜いて、握りつぶした。

 ポロは再度、膝をついて、血を吐いた。真っ黒い鎧が煙のように消え失せた。耳に歓喜のこえが、遠ざかって聴こえたが、たしかに、ソベニの民が自分を称揚しているのが分かった。

「ああ、お前は頑張った。が、畏れていたことが起きた。デンは、お前が<変身>して、倒れるのを待っていたらしい」とテムはポロのそばに寄ってきて、いった。

「なん……だって。このケダモノ……」ポロは呟いた。声が擦れて、いまにも消えそうだった。テムは谷の広場から大通りの坂道に、デンと近侍が立って、こちらを観察しているのが見えた。

(ああ、やられた。やつは、ポロを殺す気だ。いまなら、<変身>するっていう脅しは通じない。待っていたんだ。このクズども)とテムは思った。デンはテムの焦ったようすを見て、笑みをこぼして、坂を下り始めた。デンはほくそ笑んだ。<王家の血>を使うこともなく、ポロと言う厄介な異物を取り除くことができる。もしかすると、このポロの首を取引材料にブレージア―と秘密裏の和平を結ぶことも出来るかもしれない、とデンは狡猾な頭脳をうごかしていた。

 しかし、ふと、「何をする気ですか。デン様」とタンが走ってきて、坂道の途中に立ちふさがった。彼女の声に、ポロの周りに集まったソベニの民は、坂道の方を見るや、長であるデンがいることに気づいた。居並んだ群衆に、横へ横へと電撃のような緊張が走った。

 テムの対処は早かった。

「皆、聞け。俺たちは同じハーフだ。同胞だ。ポロは命がけでお前らのことを守った、だよな。だが、君らの主は、ポロを殺す気だ。自分は邸の奥で隠れて、お前らを見限っていたのに、この期に及んで、この谷を救った英雄を処刑する気だ。お前ら、それでいいのか。そもそも、あのゴーレムはデンと同じ吸血鬼が生み出したものだ。眼を覚ますんだ。ソベニの民よ。吸血鬼はハーフの敵……敵なんだ」テムは説いた。ソベニの民はお互いに顔を見合わせた。今度は、ポロに石を投げる者はいない。ポロは虚ろな目で座り込んでいる。鎧に守られたとはいえ、打ち身の傷跡が赤く腫れあがって、模様のようになっている。大きな代償を払って、戦った者の傷は、守られた側の者に無上の感謝を抱かせた。

 

 ――他方、坂の中途で、デンと近侍を相手取って、タンは毅然とした態度で反抗していた。

「どけ。娼婦の分際で、我に楯突くのか」と近侍に脅されても、タンは引き下がらない。彼女も天涯孤独の身になって、自暴自棄になってきて、死ぬぐらい怖くないと思っていた。それに、彼女は、両親の死の責任の一端がデンの臆病にあることに気が付き始めたらしい。その瞳は赫々と怒りを湛えている。

「なんだ、その眼は」

「……自分は戦わず、だれよりも戦ったあの人を殺すつもりですか」

「あいつは、ここに賊軍を持ち込んだ。つまり、この谷の敵だ。敵を殺して何がわるい?」

「デン様、皆、貴方の力を頼りにして、待っていたのですよ。なぜ、そんな平然としているのですか」

 タンの詰問にデンは薄笑いを浮かべて、「これだから、顔がいいだけの女は厄介なんだ。なあ?」と横の近侍に呟いた。近侍もじっとタンを見つめて、鼻でわらった。タンは額を火を噴くほど熱くした。見下されている、と彼女は思った。いや、むしろ、ずっと見下されていたのである。

「お館、あの男、谷の民を扇動しています。これは心変わりされる前に、処理した方がいい」近侍がデンに耳打ちした。デンはテムが群衆相手に語り掛けるのを見て、眼の色を変えた。

「どけ」とデンは、にべもなく、タンを突き飛ばして、近侍を従え、坂を下っていった。

彼女は癇癪を起して、その背中に石をなげた。デンはふりかえって、石が投げられたと気づくと、「家族の死体を掘り返していろ。――ネズミが」と唾を吐いた。タンは尻もちついたまま、歯軋りした。

「こ、この。ケダモノ」とタンは嘯いて、穴が開くほど、その遠ざかっていく背中を憎しみのこもったまなざしで睨み続けた。(殺してやりたい。殺してやりたい)と彼女の胸奥で殺意が燃え上がった。鉱物のような瞳にふしんな光が、乱反射した。どくんと心臓が脈打って、全身がふるえた。

「あ……あ……」喉が熱をもって、膨れて、胸元がしゃっくりのようにつっかえた。

 

――テムはデンが近づいてくるのを見て、いよいよ、ポロを置いて逃げるか考えた。その素振りは、見せないが、何か突破口を見出そうとする一方で、逃げる手も考えてしまう性分だった。

「おい、ポロ。最後に<変身>出来ないか」

「……むりだ」と言うより、彼はずっと、<変身>しようとしていたが、気力が足りない。動こうとすれば、体中、鈍痛がして、なぞの寒気に襲われた。

 テムは歯噛みして、まわりの賊徒たちと、デンと、その従えている近侍の彼我の差を見定めた。ひいき目なしに、微妙だった。デンの周りに控えている者たちは、武を売りにしている傭兵と見えて、匪賊とは練度に差があるのは明白だった。全体数はハーフの賊徒の方が上だった。けれど、大多数がまだ、ソベニの谷の方々に散っていて、いま、ポロのまわりに集まっているのはその十分の一にも満たないと思われる。しかも、この騒ぎで、逃げ出した者を勘定に入れると、もっと、その実態は少なくなる。乱麻の象徴たるポロが殺されれば、あっと言う間に瓦解する集団だった。

 そのことをデンも理解しているらしく、急いで息巻くこともなく、余裕の表情で、坂を下っている。破綻の気配が漂っている。口を開く者はない。ポロは朦朧とした意識の中で、確固たる思いがあった。

(天地が裂けても、吸血鬼にだけは、殺されたくない)。

 ポロはテムの服の裾を引っ張って、「……おれを殺せ」といった。テムはその意図を察した。が、口角泡を飛ばす勢いで「ばかな。まだだ。このまま、終わるものか」と言った。テムは周りを見回した。何もない。この絶望から逃れるきざはしらしきモノは見当たらない。

「……造反だ。革命だ。ソベニの民よ。あの吸血鬼を殺せ」テムはデンを指さした。額に冷たい汗が流れた。ソベニの民の反応は頼りない。結局、その辺の有象無象ばかりのハーフは、負け癖が付いているらしい。皆、周りがどう動くか、を観察するだけだった。

「……まだ、分からんのか。吸血鬼は、最後には、ハーフを見捨てる。もう俺たちは戦うしかない。このまま、あいつが、お前らを守ってくれると思うなよ。じじつ、この騒ぎを収めたのは、このポロじゃないか」

 テムはまだ、粘った。彼はまだ、死を認めることが出来なかった。這いつくばってでも、生き残るという意気が尋常ではなかった。が、焦って、その様子を面にあらわすほど、その言葉は空虚でみっともない。

「――はっはっは。愚か者ども」デンは笑った。じろりと、左右に目をやって、ソベニの民を威圧した。

「だれが、この谷の長か、忘れたわけではあるまい」と彼が言うと、ソベニの民は顔を伏せた。ポロとテムはデンと近侍に向かい合った。

 デンは、まだ、引き下がらずに、ポロのまわりに蝟集しているソベニの民たちをにらんで「さっさと失せろ。散れ」といった。ソベニの民たちは諾々と従ったが、その反応は鈍かった。心苦しいという思いが明らかに見て取れた。デンは腹が立った。

「一人二人、殺してしまえ」と近侍の一人に指示した。

「え、べつにそんなことする意味はないぜ。お館」近侍は二の足を踏んだ。とうぜん、デンはさらに腹を立てた。

「……さっさとやれ」

「ちょっとまて。あんた、明らかに我を忘れている。ほんとうにいいのか」

「一人二人、殺して、ハーフが何者であるか思いださせなければなるまい」

「……あんたに考えがあるなら、殺人が趣味の奴はいくらでも控えているが」

 近侍が再三、確認するので、デンは頷いて「さっさとしろ」といった。近侍は無作為に、近くにいたハーフの首を掴んだ。ポロは一瞬、それを見て、目の光を取り戻した。吸血鬼がハーフのことを家畜のごとく扱っているという光景が奮起させた。眼に炎が燃えた。が、体は動かない。弱くなった握力で、拳を握りしめた。

「――眼を覚ませ。誰でもいい。眼を覚ませ」ポロは呪うように呟いた。テムは立ち尽くして、「デンのヤツ、もう正気じゃない。ソベニの民を殺す意味なんか、無いはずだ。結局、はぐれでも吸血鬼と言うことか。ハーフのことを家畜と思っているんだ」とその愚行を見ていた。

 暗い谷に天を衝く勢いで血しぶきが飛んだ。ソベニの民は、掴まれた仲間の首が斬られた瞬間、堰を切ったように逃げまどった。

「逃げろ。逃げろ。――なんなら、もう一人、殺しても構わん」とデンは鼻でわらった。テムは冷や水を浴びせられたように半狂乱になって、ポロの手を引いて、逃げようとした。

 ポロはそれを弱い力でふり払って、「逃げるな。逃げれば、自分が作った掟に反する」といった。

「この期に及んで、掟なんてどうでもいいっ! 逃げて、態勢を立て直す」

「クズは独りで逃げてろ」ポロはテムを突き飛ばした。そして、炎のような瞳でデンを睨みつけた。殺そうものなら、後まで祟りとなってきそうな気迫だった。デンは鬱陶しそうに目を背けて、近侍に合図を送った。

 万事休すかと思われた。ポロは腹をくくって、むしろ、清々しい気分だった。

(言ったろ。あにじゃ。吸血鬼はケダモノ。俺がやったことは何一つ間違っちゃいない)と彼は思った。微笑すら含んでいた。デンの近侍が近づいてくる。末期の風景が、淀んでいく。


 ――その時、デンの背後に、天啓のような光を見た。淀みのなかに、どす黒い闘気が渦を巻いている。ポロの口から、かすれた笑い声が漏れた。

「は、は、は。来たか……」とポロの呟くのをテムは傍で聞いて、彼の気が狂ったものと思って「わるいな。俺はひとりで逃げるぜ。まだ、死にたくないんだ」といった。

「いや、テム。逃げる必要はない。天は俺たちを見捨てていない」

「……」テムは話にならないと思って、去ろうとした。その腕を今度は逆にポロに掴まれた。

「……三人目だ。ハーフの三人目」ポロはにやりと白い歯を見せた。眼から滴る血がいっそう狂気じみている。が、その眼には確信めいた正常な光がある。すると、ポロはデンと近侍の方へ顎をしゃくった。テムは、デンの背後に浮かんでいる人影を見て、ぎょっとした。口が裂けて、そこから触角のようなものが伸びている。体の筋に棘が、のこぎり状に生えそろって、蹄のような爪が固い地面を削っている。そして、その恐ろしげな外殻に抱かれている、タンの無垢な怒り顔だった。

「さあ、手加減はいらん。――殺ってしまえ」ポロは笑った。デンは背後の異形の怪物にまだ気づいていない。ポロの笑顔を、ただの狂気と見て「あいつ、頭がやられているな」とのんきに笑っている。

「――かえせええっ!」

 タンの金切声がひびいた。鈍い音がして、血煙が飛んだ。近侍の体が横に真っ二つに割れて、上半身が宙に舞った。デンの当惑顔をポロは「ばあか」と哄笑した。華奢な体のぎこちない動きから繰り出される殴打にデンのまわりを固めていた近侍たちはつぎつぎと、粉砕された。体は小さいはずなのに、不格好に殴るだけで、大人が雑草のようになぎ倒されていく。デンと近侍の一団は、一種の錯乱状態に陥った。姿かたちは、間違いなく子供なので、自尊心が邪魔をして、即座に逃げれず、かといって、すでに数人の近侍を殴り殺したことからも、簡単に手を出せない相手と悟って、尻込みしていた。

「タン、お前。それはフラーガの<ソウ>。いったい、どうなっている」デンは困惑して、後ずさった。ポロは、デンの恐怖を感じて、その一挙手一投足を注視した。ポロはふふ、と微笑んで、「やつは、もう死んだな。<変身>せずに死ぬ。臆病者め」と、膝を崩して、あぐらをかいた。

「返せよ。返せよ」タンは悪魔的な憎しみを顔に刻んで、デンに迫った。

「……い。いや。よせ」とデンは硬直して徐々に、うしろに引き下がっているところで、石につまずいた。

デンは迷った。迷って、<王家の血>を開こうとした瞬間、タンに首を噛まれた。鋭い八重歯が、首の肉をさらった。血が噴き出して、デンの服を汚した。近侍は、もう逃げだしている。デンは首筋を押えながら、地面に這いつくばった。タンは無意識に、口に含んだデンの肉を咀嚼して、飲み込んだ。

「うそだろ。あいつ、喰ったよ」とテムが慄いているのを、ポロは横で愉快そうに笑った。

「こ、この未熟児どもめ」とデンはいった。命乞いするには、気位が高すぎた。タンは獣のように怒って、地面にうつ伏せのデンの後頭部を踏み付けた。かかとに異様な棘が生えていて、そこがちょうど、デンの頭に突き刺さった。デンが死んだ瞬間、彼女の気が萎えた。ゆるゆると、タンは千鳥足でテムとポロの方へ歩いてきた。

「おい、あいつ、こっち来るぜ。……味方ってことでいいんだよな」とテムは不安そうに言った。

「たぶん」

「たぶん? 俺、喰われるのは嫌だぜ」そういってそわそわし出すテムに対して、ポロは彼女に敵意がないのを察して、闊達と構えていた。タンは呻くような声色で、「……い、いたい。くるしい」とみぞおちを押さえて、よたよたと歩いてきた。彼女の化け物じみた姿かたちは、ポロの方へ近づくほどに、もとに戻っていった。タンの苦悶の表情が、テムには、怒って殺しに来ているようにしか見えず、彼は、恐怖に顔をひきつらせて、後ずさった。ポロは動じることなく、疲労困憊した顔で、タンの顔を眺めていた。瞳と瞳がぶつかって、場が歪んだ。同じ天運をもって、大地に生まれ、乱麻がみちびいた邂逅だった。ポロは、汚泥の中で、宝物を見つけた気分だった。

彼はうなづいて「――ああ、分かるとも。いてえよなあ」といった。タンは、その言葉を聞いて、ハッとして、しなびていくように、ポロの膝にすがった。

ポロは、彼女の白い髪をなでた。テムは、一瞬、ポロがあろうことか、少女との恋を始めたと思った。が、その面に明滅する悪鬼羅刹の表情に、それが間違いだと悟った。テムは震えた。慈しみのある微笑みではない。幸運をつかんだ悪党の笑顔に相違なかった。

(あにじゃ。あんたを殺す武器を見つけたぜ……)とポロは笑みを浮かべて、ざらざらとした手のひらでタンの頭を撫でた。彼女はそのまま、気を失うように眠った。









 








 













 

 



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