訣別

 ブレージア―の森は霏々たる空気に晒されて、萎れてきているようである。冬が近い。雨季には泥濘になる道も、乾いた固い土になっている。その地面を馬蹄が叩き、車輪が転がる。揺れる馬車の荷台で、エーデルガルトは祖父の遺灰を大事に抱えていた。

「お母様、お父様にはいつ会えるの?」と彼女はそればかりだった。平服を着て、馬にまたがっているエラはずいぶん様になっている。

 エラはいつにも増して、厳しくなった。娘が寒いと言っても「我慢しなさい」と突っぱねる。

「どこへいくの? お母様」

「わたしの郷里よ。あなたも何度か行ったことあるでしょ」

「どうして」

「これからはそこで暮らすの」

「そんなのいやよ。いや。お父様は?」

 エラは黙った。蕭々、冷たい風が吹いている。侍従は五、六人と、使用人の婆や、下男と小さな旅団であった。城下を出て、三日は過ぎた。

「奥様、もう今日は十分、進みました。明日には、御父上の領内に入れるでしょう。今日はここで、野営をしましょう」と侍従がいった。

「……そうね」

 エラは自分が急いているのに気づいた。五日はかかると言われた旅程を三日でもう郷里の手前まで来てしまった。夜の帳が降りた。焚火が燃えている。虫の音が聴こえる。獣声が森の宵闇から聞こえるたびにエーデルガルトはエラの袖に泣きついた。近くに滝つぼがあるのか、打ち付ける水音が夜闇に溶け込んでいる。

「ほほほ、獣の声は城下ではしませんからな。新鮮でございましょう」と使用人の婆やが言った。

エラは周りを哨戒している侍従を見て「貴方たちも、見張りはもういいから、焚火の方へ来なさい」と言った。侍従の面に感激の色がうかんだ。

「もう城下の貴族じゃないわ。ただの頭領の娘よ」彼女はあぐらをかいた。貴族の慣習から解放された気分だった。

「みんな、お酒を飲みたい? いいわよ。今宵だけは許すわ。だけど、娘が寝るまで卑猥な話は無しよ」

 愉しい宴会だった。みんな、何か、吹っ切れたような騒ぎ方だった。エラは顔を真っ赤にして、大口を開けて笑っていた。そんな笑い方を何年ぶりにしたかわからない。郷里は半農半牧の貴族趣味が無い村だった。姉御と呼ばれて、刺激に溢れた生活だった。

「奥様、剣公殿に見初められた時の話をしてくださいよ」

 酔っていた。みんな、死ぬほど酔っている。後ろの荷馬車の中で、エーデルガルトは大人の話をうるさそうに耳をふさいでいる。

「一目ぼれですって。あの人、女慣れしてないもんだから、初めて会った時は傑作だったわ」

「ほほほ、若様は床の話をされると、いつも顔を真っ赤にされて聞いておりましたから」

「わっはっは」

 ――宴会もたけなわになると、なんとなくしんみりとした空気になる。皆、酔いで誤魔化した悲しみを覚めた頭で直視し始めた。

「もう、いやいや。悲しい話はうんざり。もう、あたしは寝る」彼女は不貞腐れたみたいに叫んだ。その拍子に地面に嘔吐した。

「奥様、飲み過ぎです」

「そうね、調子に乗りすぎたわ」

千鳥足で老婆に支えながらエラはやっと歩いた。

「あの子はどこ?」

「荷台で眠ってますよ」

「そう」

 エラは転びそうになった。

「奥様、お気を付けて、近くは崖ですから」と老婆が服を強くつかんだ。滝の音と夜風が幾分、酔いを覚ましてくれる。

 ――突然、「なんだ! お前!」と侍従が叫ぶ声がした。

ハッとして、エラと老婆は背後の焚火の方を振り返った。エーデルガルトも、目を覚まして虚ろな瞳を向けた。森の闇で輪郭がはっきりしないが、男が立っていた。焚火の光が当たって、不明瞭な見目形が確認できる。

 皆、恐怖でこわばった。その男は、めったに見ないほど長身だった。不気味な猫背で、侍従を睥睨している。

「貴様、夜盗か!」

 侍従が怒鳴った。男はまったく動かない。一瞬だけ、瞳がぎょろりと動いた。よく見ると、頭に獣人族に特有の長耳がある。けれど、宵闇で光る瞳の色は赤い。

「あれは……ハーフ」

「奥様、危ないですから下がって」

 エラは老婆に手を引かれた。酔いは一気に覚めた。男はエラのことを睨んだ。その赤い瞳の奥に、明瞭な殺意を感じて彼女は全身が総毛だった。

――ぶうん、と風を切る音がした。瞬間、侍従の一人が宙に飛んでいた。殴られて、そのまま崖に落ちていった。

「――こいつ、獣か」侍従が男を取り囲んだ。すでに、皆、剣を抜いている。 

 エラは瞬時に、彼我の差を感じた。(こいつは、人外だ)と思った。彼女は荷台で眠そうな瞳を擦っている娘を抱いた。

「お母様、いったいなんですの」とエーデルガルトは大人たちの喧騒に目を覚ました。

「隠れてなさい。ぜったい、声を出しちゃだめよ」エラは荷台の下に娘を匿った。――振り返ると、もうすでに、侍従は二人、地面にのされていた。ぱっくりと割れた頭蓋から果肉のような血漿が飛び散っている。死体の四肢はあり得ない方向に折れ曲がっていた。男は平然と、直立して、生き残った侍従を睨んでいる。尋常の者ではない、と彼女は身震いした。

「レオンの旦那にもらった命だ。惜しかねえ」侍従の一人が声を励ました。皆、長く邸に仕えた者たちだった。下男までも、剣を持って、立ち向かおうとしている。

 エラは、この状況で、あえて全員で一目散に逃げるという選択肢を考えてみた。それほど、この男の膂力は異常だった。

 すると、男はエラのことを睨みつけ、初めて、口をひらいた。

「女子供だろうが、お前らは一匹たりとも逃がさない」柔らかい声色だった。それゆえに、不気味に耳をなでる。

 彼女は、その時に、この男の瞳に映るのが復讐心であると察知した。なぜ、そう感じるのか、わからなかった。同時に、逃げることの愚を悟った。まちがいなく、どこまでも亡霊のように追いかけてくる羅刹の眼だった。

 男が直立した状態から動くたびに血煙が飛んだ。

 何度も、邸の廊下ですれ違った者が虫のように死んでいく。エラは頭を抱えて、叫びたかった。

 いつの間にか、エラと老婆だけが暗がりの地の上に立っていた。氷かけの冷たい小雨が降り始めた。冷や汗をなでる寒風が吹く。

「このケダモノ。私たちになんの怨みがあるのです!」

 エラは叫んだ。ほとんど金切り声だった。

「うるさい。静かにしろ」

 男は焦ったようすで言った。それから、なぜか、周りを気にする素振りを見せた。エーデルガルトは荷台の下で隠れながら、鮮血で赤くなった地面を見て、失禁していた。声だけは出さないように自分の口を押さえている。男は生殺しにするような緩慢な所作で近づいてくる。焚火の弱光を背にしているので、表情は見えない。枝のように節くれだった腕が、前後に揺れている。拳に付いた血が暗夜の中でどす黒い。

「奥様、お下がりください」と老婆がエラを押さえつけるように勇んで前へ飛び出た。小さい腰の曲がった老婆が巨漢に立ち向かう光景にエラは悶絶した。

「やめなさい」と思わず、口にした。彼女の手は老婆の肩を掴んで離さなかった。

 男が目の前まで、近づいてくると、エラは懐から護身用の短刀をとりだした。

「それ以上近づいたら、自害します」

 こうなったら、女が弄ばれるのは、目に見えている。自害は脅しではない。自害と聞いて、エーデルガルトは荷台の下から、母親の足に縋りつこうとした。

エラはかかとで蹴って、それを押し返した。あわよくば、娘のことは見過ごしてくれるかもしれない。愚かな考えか、とも思う。むしろ、娘に無上の恐怖を味合わせることになるかもしれない。

 なら、いっそ、全員で心中するのが最善か。悶々、考えるヒマなどない。死は刻一刻と迫っている。エラは強靭だった。みじんも、レオンがこの場に駆けつけて、助けてくれるという妄想をしなかった。

「自害する、だって? 勘違いするな。貴様らのようなのを犯すような趣味はねえ」

 眼にも止まらぬ速さだった。短刀を奪われた。

「自害なんて、この俺がゆるさねえ」男は短刀の刀身を見ながら、言うと、急に眼の色を変えて、老婆の襟首をつかんだ。

 そのまま、屑を放るみたいに崖に向かって投げた。老婆の呪詛のような叫び声が響いた。叫びは、鈍い音が二度三度すると、収まった。滝の打ちつける音に混ざっていくように、するすると、崖をずり落ちていく音が聴こえる。

 あまりの一瞬に、彼女は目を見開いて、両手で口を押さえた。(これは夢だ)と思った。

 この時になって、エラの胸奥のなかで、何度も「レオン」という言葉が唱えられた。

 男は崖の下を覗き込んでから、振り返った。その瞳は炎のように燃えている。

「すべて、お前らのせいだ! 違うか!」

 男は叫んだ。そして、エラの髪の毛を鷲掴みにして、荷台に押し倒した。そして、何度も短刀で突き刺した。荷台の上は朱に塗れた。鍬が土を掘り返してるみたいなザクっという音が何度も繰り返された。エラの瞳が光を失って、天を見上げている。死体となっても、短刀が突き刺さり臓物を傷つけている。

 けれど、その刃傷は、乳房や顔を意味深に避けていた。脇腹や腹ばかりに傷がついている。男は短刀を捨てた。荷台に腰を下ろして、自分の手が血まみれになっているのを見て、呆然としている。ちらりと、エラの死体を一瞥し、また目を背けるを繰り返した。

 エーデルガルトは荷台の下で、耳をふさいで、地面に顔を伏せていた。眼玉から大量の涙が噴き出している。大声で泣きたかったが、悪魔が真上の荷台に座っているのである。

(お父様、たすけて……)と頭でまじないのように言い続けている。臥して息を殺すエーデルガルトの目の前に悪鬼の足首がある。男は一向に動く気配を見せない。路銀や食べ物を漁る気もないらしい。すると、散乱した母親の血がゆっくりと、荷台の板を貫通して、彼女の腕にぽとりと落ちてきた。

「――ひゃう」

 エーデルガルトは驚いて、声を発したうえに、頭を荷台の板にぶつけた。

 男の反応は野性的な早さだった。すぐに、くわっと、真下を覗き込んできた。眼と眼が完全にかち合った。体がふるえて、動けなかった。無力の者が描く恐怖は誇大に増長していく。男の顔は暗闇でよく見えなかったが、エーデルガルトは、その真っ黒い表情に悪鬼の笑みを想像した。吸血鬼に比して、淡い赤色の瞳が光った。

「お前もデカくなったら、残虐になるんだろ」

 男はそういうと、腕を伸ばしてきた。エーデルガルトは逃げる気を失って、頭を抱えて、なすがままに任せた。途端に、腕は止まった。ふと、血だまりの殺人の起きた場所を歩いているとは思えない鷹揚とした足音が聞こえてきた。

「――あんま遠くに行くなよ。土地勘がねえんだから、迷っちまうぞ。ヘンな獣の声まで聞こえるし。また、幽鬼の類じゃねえだろうな」

 と愉快な声が聴こえて、エーデルガルトは伏せた眼をあげた。貴族暮らしの彼女には、どこか、粗野に聞こえる言葉の調べであった。焚火の向こうに巨木のような人影が見えた。目の前の男はすでにエーデルガルトへの興味を失ったように、新たな人影の方を向いている。

「ム、水の音がするな。ポロ、よく見つけたな。危なかった。水筒はもう空だったから……」と言いながら巨大な人影が近づいてくる。長い腕に、わりあい短い足の巨漢である。焚火の前に立つと、岩肌のようにでこぼこした体が陰影をもって浮かんできた。

「――こ、これはいったい、なんだ!」

 巨漢は怒鳴った。再び、エーデルガルトは顔を伏せた。

「慌てるなって。あにじゃ、なんのことはない吸血鬼だよ」男は言った。それを聞いて、彼女は荷台の下で身震いした。(それが、皆、殺されてしまった理由なの?)。彼女はまだ憎むことを知らなかった。恐れることだけをひたすら恐れた。

 ――焚火の炎に照らされる血は黒い。ホウロウはポロの変貌ぶりに寒気がした。その魚の眼みたいな瞳がホウロウを退屈なモノのように睨んでいる。ホウロウは早足で、ポロの前を通り過ぎて、荷台に横たわっている吸血鬼の女の死体を見た。脇腹が果肉のように何度も刺されて、裂かれていた。また、頭皮の一部が露わになっていた。荷台に髪の毛が散らばっている。

 ホウロウは、ポロが悪魔のような顔つきで、女の髪を引っ張りながら、脇を刃で刺しているのを想像した。

「ああ、なんてこった。お前、女まで、一方的に殺しやがったな」ホウロウは嘆いた。

「あにじゃ、カンタンな道理も分からないんだな」

「うるせえ。バカ!」

「女は子を産む。なら、殺す」

「それじゃあ、妊娠していたドマを殺した、吸血鬼どもと同じだろうが」ホウロウとポロが向かい合った。荷台の下のエーデルガルトの目の前である。獣毛が生えた足と足がつま先を突き合わせている。

「これぐらいやらないと、やり返したことにはならない」

「ふざけるな」

「ドマもこれぐらいやってほしいはずだ。ちがうか。あにじゃ」

 ホウロウは荷台の荷物を見た。生活感のある什器が並んでいる。彼らがこれから郷里へ赴こうとしていたことを、ホウロウは知らない。けれど、その旅団にハーフに対する攻撃性は見いだせない。

「見ろ。これは吸血鬼の家具だ。分かるか? 生活があるんだ。こいつらだって、紛れもねえ、ヒトなんだぜ」

 ポロはため息した。

「ああ、そうかい。もう、はっきりしたな。やっぱり、あんたじゃ、吸血鬼を滅ぼすことは出来ない」

「……滅ぼすだと? ポロ、お前、これを繰り返すのか? ……そんなことはゆるさねえ」

「ドマが聞いたら、なんて言うかな」ポロが薄笑いを浮かべた。

「二度とドマの話をするな」低い声色でホウロウは言った。本気で殴りかかる一歩手前だった。

「ふふ。もう谷底で腐ってる頃だろうな。腹んなかのガキと一緒にな」

「言ったな、こ、この外道めっ!」

 ホウロウはイノシシのように突進した。ポロの胴体はホウロウの肩越しの突進で浮き上がった。ポロは両手でホウロウの背中を掴んだ。鋭い爪が彼の背中にめり込んだ。そのまま、灌木にポロの背がぶつかった。ホウロウの膂力に木が折れた。

 ――とたんに、ふたりは足場がないことに気づいた。宙に浮いている。けれど、それは一瞬で、ホウロウは前向きに、ポロは後ろ向きに倒れるようにして、崖に落ちていった。宵闇の中、ふたりは訳が分からないまま、何回転もして、斜面を転がっていった。

 やがて、背中から砂利の山に着地した。水の打ちつける滝の音がしている。鈍痛が体のしんに残っている。ホウロウは体を起こした。

「――ほんきでやるなら、はやく、<王家の血>を開いて、かかって来いっ!」

 ポロはすでに立ち上がっていた。滝を背に、いきり立っている。

「お前なんて、素のままで十分だっ!」ホウロウは大声で言った。滝の音がうるさすぎて、どちらも半端な声量はゆるされない。

「……あんたぁ! 甘っちょろい奴だ! 俺は、もう開くぞ」

 演劇みたいな怒声が繰り返される。

「よせぇっ! まだ、間に合うぞっ!」

「なにを甘いこと言ってやがるっ!」

 ホウロウは問いかけて、背筋に閃光のような悪寒を感じた。 (ああ、こうなる天命だったのか……)。一瞬だった。

 ポロは、爆発したみたいに体を膨張させて、突進してきた。これ見よがしに、変身する姿を見せはしない。ポロは懐刀を抜くがごとく、ホウロウに襲い掛かった。

ポロの赤っぽい眼玉が、夜闇で光る虫みたいに四方八方、飛び回っている。恐ろしい速度で迫ってくるのが分かった。ホウロウは<本当の力>を出すこころの準備ができていなかった。本気でポロに対して怒っていたのは確かだった。が、他方で彼を殺そうと思うと踏みとどまってしまう自分がいるのである。

 受け身を取る暇もなかった。拳を一閃、殴られて、吹き飛ばされた。

 巨木が彼を受け止めた。ホウロウは気絶した。

「なぜ、使わなかった! あにじゃっ!」

 ポロは失神したホウロウに嘆いた。手を抜かれた、と彼は感じた。しばらく、拳を握り、肩を震わせて、立ち尽くしていた。もはや、外道に足を踏み入れているのはまちがいなく、だから、ここで兄貴分のホウロウを助けてしまうという半端は許されない気がした。

けれど、ポロは一向に手を出せなかった。たんなる憐憫というには、彼はさまざまな感情の渦に懊悩している。

 彼はすぐに直感的に、自分は、この男を生かしてしまうだろうと思った。が、ただ去るのでは腹の虫がおさまらない。彼はホウロウを抱くようにしている巨木を後ろ向きに折った。

「――俺は、一回、あんたを助けたぜ」とうそぶいて、彼は元のすがたに戻った。

 ポロにも、その力の安くない代償が襲いかかった。凄まじい倦怠と疼痛だった。死にかけの虫のように崖に這いつくばって、登った。

 斜面を上がりきると、人声がした。テムが数人のハーフを従えて、探しにやってきたようである。

「おい、どこ行ってたんだ?」テムはたいまつを頼りに歩み寄ってきた。ポロは体についた土をはらった。

「あそこを見てこい」ポロは弱くなった焚火の方へ顎をしゃくった。

「なんだ、野営の跡みたいだが」

 テムは焚火の残滓のような淡い光の方へ行くと「やっ!」と声をあげた。

「死体って、これは吸血鬼だな? だれがやった。ホウロウか?」

「俺だ」

「だろうと思ったよ。それで、たぶん、ホウロウは怒っただろう?」

「ああ、喧嘩になった」

「はっはっは。そうか。で、あいつはどこに行った」

「殺した」

「――え」

 テムは口をまごつかせて、二の句をつげなかった。

「テム。だれが頭か、決めかねていただろう。決まりだ。俺がハーフの王だ。いいな、それで」

 ポロは言った。尋常の目つきではない。テムは背後の死体の崩壊ぐあいもあわせて見て、寒気がした。

「そういえば、そこの馬車の荷台の下にガキが隠れてたんだが、どこへいった?」ポロが聞いた。

「さあ? だれもいないぞ」

「……ふん、そうかい。なら、いいさ」

「子供だって? そんなもん、見つけてどうする?」テムは不審そうに聞いた。

「殺す。吸血鬼なら、子供だろうが関係ない」ポロの声色が低くなった。

 テムは、彼の変貌ぶりに恐怖を感じた半面、同時に、面白くなって、腹の中で、ほくそ笑んだ。

(ホウロウはダメだったが、かわりに、こいつが覚めちまった)。テムは、何があったか、それ以上は触れないでおくことにした。

「はっはっは。いいとも、お前が王様さ。それでいこう」テムの調子のいい笑い声が響いた。

けれど、ポロはその威勢に似合わず、足元がふらふらしていた。彼の視界には宵闇ではない真っ黒な帳が降りている。さらに、針が突き刺さったような痛みが頭蓋を叩いている。

(乱用したら、まちがいなく、死ぬ。死ぬしかない)。

 その眼は濁って、焦点が合っていない。長命をあきらめた者の眼は、むしろ、血走って見える。彼は近くにあった木に寄りかかった。

「おい、ポロ。大丈夫か」テムが言いかけて、ポロは「俺に近づくんじゃねえ」と怒鳴った。

 その瞳は穴が開くほど地面を見ていた。

 やがて、頭痛のする頭を振ってから、無愛想に先を歩いた。テムは背後の荷台の荷物を勿体なさそうに見た。

「おい、あの荷物はちゃんとみたのか。何か、金目のモノを運んでるかもしれないだろ」

 ポロは興味なさげに振り返った。

「しらん。だれか、人を寄こして運ばせたらいいだろ」

 すると、テムが連れてきた侍従の一人が「たぶん誰も動かない。カルーがあんたたちがいない隙に荷物を盗んで逃げようとしているんだ」と告げた。

 血走った赤い瞳がきっと侍従を睨んだ。その侍従というのは、カルーの腹心のアルコンだった。アルコンは体格に似合わず、ポロの殺気にすくみ上った。

 テムは横合いから「だから、お前らを呼びに来たのさ。なのに、まさか、ホウロウを殺しちまうなんてよ」

「あのデブにまだ従う奴がいるのか」ポロが聞いた。

「カルーの奴、お前のことを相当、恨んでやがるな。お前に焚火に投げ落とされたせいで、顔は火傷でひどい有様だったしな。いや、俺はいい気味だと思ったよ。わっはっは」テムが面白半分に言った。

「――だが、ポロ。なぜ、こうもカルーに従うバカが多いのか、分かるか? それは、ホウロウが頭領として皆の前に立たなかったからだ。こういう場合、出不精は致命的なのさ」

 ポロは沈思すると、急にアルコンら、侍従たちの方を見た。

「貴様ら、どっちの側につくか、選べ」

 ポロの威圧にテムは大笑いした。

「ポロ、そんなことは聞く必要はない。お前が、この大所帯の誰よりも強いことを証明すればいいのさ」

 テムは煽った。ポロはそれを聞くと、颯爽と走っていった。獣が疾駆しているようだった。その背中が林の中に消えていくのを愉快な笑顔で見送るとテムはふと、独り言のように「あいつ、ほんとうにホウロウを殺したのか。怪しいなあ」と言うと、しばらく、周りの茂みや林の影を歩き回ってホウロウの死体を探していたが、結局、徒労に終わった。

 疎林に隠れた丘陵にて、宿営のたいまつが燃えている。夜闇に似合わない焦燥と喧騒でにぎにぎしい。

「おまえら、さっさと俺の陣営についた方が、身のためだぞ」カルーは脅すように、まだどっちつかずの者に言っている。顔の半分は火傷で青い傷に覆われている。火傷痕は醜い豚みたいな顔つきを隠し、さらに寅髯もあいまって、威圧感が増しているという観がある。

 すでに、彼には五十名近い同盟者がいる。そのほかは、いわゆる、テムと、その闘犬のホウロウを頼みとする穏健派である。いまは、穏健派がカルーの一派の三倍近くはいるが、カルーが食糧や武器を満載した荷車をひいて、逐電しようとしているのを見ると、不安に駆られて、彼の逃避行についていこうとする者がいま、この瞬間にも増えている最中であった。

 カルーのことを妨げようとする者はいない。まだ、カルーに対する畏怖の念が賊徒たちには強い上に、まだテムやホウロウから施しを受けていない彼らなのである。

 ある者は、呆然と、荷車が坂を下ろうとするのを見ているし、しれっとついていこうと行列に加わろうとする者もいる。すると、茂みをかき分けて、男があらわれた。男はカルーに近づいて「大将、ホウロウと、その弟分が大ゲンカをして、崖っぷちを落っこちていった」

カルーはそれを聞くと、喜色満面になった。

「そいつはいい。だが、かならず、両方とも、死んでいるとも限らんからな。急ぐに越したことはねえ。――おい、貴様らの頼りとしていたテムの番犬どもは大ゲンカして、どちらも崖に落ちていったそうだ。これが、最後のチャンスだぞ。俺に下れ」

 カルーはまだ迷っている大勢のかつての部下たちに向かって、声を励ました。

――刹那に、ぶるんという風を切る音がした。そして、茂みをかき分け、草の根を吹き飛ばし、暁闇の中にふらりと刺々しい影があらわれた。

「いったいなんだ。魔物か」

 とカルーはその攻撃的な影の形におびえた。からだの関節のすべてが棘みたいになって、節くれだっている。両足の大腿部が鱗のような甲羅に覆われて、その影が震えるたびに、そのかけらがぽろっと地面に落ちた。

 耳の毛並みは逆立って、その真下に紅い眼玉が光っている。しかし、カルーは気づいた。その顔貌は何度も夢に出てきて、カルーにイライラを募らせていた。忘れもしない憎きポロの顔である。

「き、きさまは……」

 カルーは震える指を向けて、口をまごつかせた。とたんに、カルーは直線的な軌道を描いて、吹き飛んで、地面を転がった。大の字に伸びたカルーを大勢の賊徒たちが恐る恐る見ていた。額がぱっくりと割れていた。死んでいるのは誰の眼にも明白である。

「俺がハーフの王だ。逆らう奴は八つ裂きにしてやる」

 ポロは叫んで、カルーの死体にまたがると、何度も殴りつけた。顔が変形し、血肉が飛び散った。賊徒たちは、震えて動けなかった。また、ポロの野獣のような所作は、逃げたら逆に追い回されるといった懸念を抱かせた。

 結局、ポロの凶行は、遅れてやってきたテムが「おい、そいつはもう死んでるぞ」というまで続いた。そして、素っ頓狂な顔をしている賊徒たちの方を向くと、「いいか。お前ら、生き残りたいなら、このポロに従え」と説教するように迫った。

 ポロはさらに威圧感を与えようと立ち上がった。その瞬間、心臓が破裂したように振動して、彼は片膝を地面についた。

「おい、いま死なれると困るんだよ。こっちは」テムの焦って、その背に言った。

「俺は死なねえ。吸血鬼の奴らを根絶やしにするまでは、ぜったいに」

 ポロの発した声が干からびたみたいにか細かった。けれど、その声には執念が宿っていた。賊徒たちにも、その日暮らしの、ここ数日の間にふつふつと吸血鬼に対する恨みを燃やす者は少なくなかった。賊徒たちはハッとした。集団の心裡は分かりやすい。テムは、靡く小人の機微を感じた。

「皆、聞いたか。こいつは吸血鬼に復讐する気だ。ここに旗を立てる。吸血鬼のクズどもを滅ぼし、新たなハーフの世界をつくるんだ」

 数舜の沈黙が流れた。あと、一歩とテムは踏んでいた。

「俺はあんたに従う」アルコンが言った。それがつっかえ棒を外したらしい。濁流のように、賊徒たちはポロとテムの前に傅いた。

 テムはポロの青白い顔を見ながら「王様になった気分はどうだ」と笑った。テムはホウロウの出不精なせいで滞っていた遠大な計画が動き出したのを感じた。


 ――血なまぐさい夜が明けて、朝日はごきげんに差し込んでくる。ほのかに吹いてくる風は冷たいが、陽光に照らされた地面の泥は温い。

 エーデルガルトはくしゃみをした。近くの木の枝に止まっていた猛禽が飛び立っていった。彼女は服の裾をじゃまそうにして歩いていた。かかとの底が厚い靴のせいで、柔い土に足を取られる。

 深窓の令嬢として育てられた彼女の足の裏は柔らかい。すぐに皮がめくれて、無残な有様になった。

 彼女はなぜか、短刀を持っていた。短い刀身が朝日にかがやいている。

 ――母親の体を何度も傷つけた刀である。荷台の下に転がったそれを、エーデルガルトは拾って逃げた。刃物など持ったことがない小さな手は、刀身の鋭さを恐れるように震えながら持ち手を握っている。

 彼女は外の世界を知らなかった。動植物の挙動の一個一個がすべてもの珍しく映る。

瑞々しい自然の景色にはたと(キレイ……)と目を奪われる。

が、彼女は賢く怖がりである。このままなら、この森林の中で野垂れ死にすることは理解している。

 エーデルガルトの目的地は明確だった。何度か行ったことがある母親のエラの郷里である。城下の喧騒に比べると、静かな農村だったと彼女は記憶している。

しかし、目的地は明確でも、土地勘はない。街道を行こうにも、<あの男>にまた出くわしそうで、怖い。

 母親の郷里の光景をいくら思い描いても、一向に近づいている気がしない。もたもたしていると夜が来る。そう思うと、とたんに涙が下瞼にたまって、溢れそうになった。けれど、だれも、慰めてはくれない。森の声が、ひどく孤独を煽り、悪鬼の笑い声のように聞こえ始めた。

 しかも、彼女は滝の音がすることに気づいた。あの夜も、滝の音が近くで聴こえていた。

 つまり、同じ場所に戻ってきてしまったのである。

「ああ、お父様……」

 ぐすんと涙ぐんで、鼻水が上唇まで垂れた。

 エーデルガルトは短刀の刀身をじっと見つめた。

(この刃を、喉に刺せば……)と想像する。けれど、まだ、十歳の少女には自死はあまりにむずかしい。彼女は喉元で震える切っ先を止めた。やはり、無理であった。

 歩こうとすれば、今度はいよいよ足の痛みに耐えられない。たまらず、しゃがみこんで、エーデルガルトは自分の足を抱えて丸まった。そこから、彼女はしばらく動かなかった。嗚咽が丸くなった背中から漏れていく。


 ――ふと、森に響いている鳥のさえずりにまざって、動物の鳴き声とは言えないようなヘンな音が聴こえてきた。

なんだろうと思って、顔をあげて、耳を澄ました。

 彼女は好奇心に動かされるように、その音がする方へ歩いていった。不思議と恐怖感はあまりない。その音はどうしてか、安穏として、鷹揚な響きがあり、この世の悲しみとは無縁なようだった。エーデルガルトはまるで、おとぎ話を探しに行くような足取りだった。

 その音に近づくと、同時に滝の音も大きくなった。草をかき分け、背の低い木の枝葉を避けていく。

悠遠の時を感じさせる滝が目の前にあらわれた。白い濁流が斜面をうねりながら下ってくる。その周りで、宙に浮いた水の粒が朝日にあたって虹色に光っている。

 ――時に、グゴォォという変な音がより大きくなった。

 エーデルガルトは近くで聞いてみて、その音がどうやら、人のいびきらしいことに気づいた。

「……」彼女は飛び上がるような驚きで口を押えた。見れば、浅い滝つぼの対岸に、岩のような巨漢が切株を背に寝ていた。微妙な均衡で切株に寄りかかって、首が頼りなく、こくりこくりと揺れている。

 いびきの調べが乱れるたびに、いまにも起き上がって来そうな気配がする。

 吸い寄せられるように、彼女は流れのある浅瀬に足を踏み入れた。

近づくごとに、彼女の記憶と整合していくように、その巨漢の見目形を認識していった。

 目の前まで来ると、彼女は眠っていた攻撃性を目覚めさせたように、鋭い眼光で巨漢を睨んだ。

(こいつだ! この男がお母様を……)とエーデルガルトは思ったらしい。右手に握った短刀を思い出したように一瞥した。しばし、考えた。

自分の膂力と、目の前の巨漢の肉体の強さとを勘案すると、彼女は己の細っこい二の腕を見て、自信がなくなった。

 胸を貫くのはムリそうである。

(なら、首……)とエーデルガルトは男の後ろに回り込んだ。

 首ですら、自分の腰ぐらいありそうな太さだった。首筋の隆起の仕方が腕の筋肉みたいな深さである。彼女はぐるぐる男の周りをまわりながら、自分の力を最大限発揮できそうな角度を探した。

 すると、男はもたれ掛かった切株からズレて、真横にたおれた。彼女は心臓が爆発しそうなぐらい驚いたが、男は横になったまま、眠り続けた。

こうなると、むしろ、首に短刀を刺し込みやすい。

 チャンスだ、と彼女は直感した。

男は両手を真横に投げ出して、気持ちよさげに寝ている。彼女は腹が立った。悪人というものを初めて、肌で理解した。

 いつも呆けて、昼下がりに庭に紛れ込んできた蝶を眺めていた幼い目つきは、この時、立派な殺意の光をおびた。

釘を刺すように、短刀を男の首筋に向けた。落ちるように、全体重をあずけて、短刀の切っ先を首筋に刺しにいった。


――息吹を感じた。男の眼がまぶしい光を見るように、細く開いた。そこから、向かってくる凶刃の輝きを見て取って、表情の筋がこわばった。口が半開きになって、鋭い八重歯が露わになる。ふっと、息を吸う音がする。

 エーデルガルトは目を瞑っていた。もう止まらない。短刀の切っ先は自由落下するように男を殺しに行っている。

 バゴン、と鈍い頭蓋に響く音が彼女の耳元でした。気づくと、蒼い空と雲を見ていた。後方に景色が切れていく。彼女の小さな体は、その身長の三倍は高く飛んでいた。

 滝つぼの浅瀬に落ちて、水しぶきが飛んだ。

 エーデルガルトは顔の骨を半分ちかく砕かれていた。窪んだ眼窩から塊のような血がとめどなく溢れ続けた。

 ――ホウロウが目を覚ました瞬間、逆光で黒く陰った人の形が見え、その影の中で金属の光沢がきらめいた。彼の全身は傷がたくさんある。その傷の一つ一つが人の殺意に反応する触覚をもっている。しかも、気を失う寸前にポロに殴り倒されたこともあいまって、彼は闘気の残滓をもって目を覚ましたのである。

 その拳は神意に動かされるように反射的に突き出された。ホウロウは拳に残った鈍い感覚に呆然としていた。日の光でよく見えなかったが、殴った時に返ってくる反発がありえないぐらい軽かった。

 追って飛んでいくからだの小さいのをみて、ホウロウは全身が総毛だった。

(こ、こどもだと)

 滝つぼの浅瀬に、浮かぶ彼女を覗きこんで、その顔の崩壊ぐあいに膝がふるえた。

「バ、バカな。ありえねえ」

 ホウロウは彼女を抱きかかえて、柔らかい土のうえに置いた。憎いぐらいの幼子だった。しかも、吸血鬼の子供である。

「どうして、俺を殺そうとした……」

 自分の勘違いとは、到底思えなかった。彼は地面に転がっている短刀を見つけた。逆光に見えた殺意のこもった光沢は見間違いではなかったらしい。

 この子供に、どういう意図があったかは知れない。華美な装束が泥だらけだった。この辺の田舎者にしては、少々着飾りすぎな観がある。たぶん、昨日の小さな旅団の連れていた子供に違いない。

 ホウロウはハッとした。

(……仇を討ちにきたんだ)。

「ああ、なんてこった。こいつめ。とんでもねえ、カン違いだぞ」

 吸血鬼の眼から見ると、ハーフは似て見えるらしい。しかも、あの惨劇は宵闇のなかで起こったのである。ポロの顔がはっきり見えなかったのかもしれない。

ホウロウは燃え盛るような慚愧の念に苛まれて、膝を付いて、頭をかかえた。

 まだ、彼女は死んでいない。即死ではなかった。が、むしろ、打撲で半端に生き残ることの地獄は彼自身が闘技場の経験からよく知っている。ここから、医者のいる人里まで、どれくらいか、と考えた。けれど、ハーフの町はすべて、無人の有様なのは言うまでもないし、吸血鬼の領邦にハーフの自分が入れるわけもない。完全な八方ふさがりである。

 最近は、気が滅入ることばかりだった。彼も、精神の閾値を超え始めていた。

  地面に力なく座って、彼女の崩壊した顔を見ていた。

「このガキ。勝手に死んでくれるな」

 ホウロウは少女の顔に向かって、口角泡を飛ばす勢いで、顔を近づけて、怒鳴った。

(殺すなら、しっかり、殺してくれればよかったんだ。死んでも、もう俺にはなにもねえ)

 ホウロウは急に幻影のように、ここ数日で閲してきた塗炭の苦しみを絵本のように想起した。

 あるハーフの若者たちは吸血鬼に殺され、老人や子供や妊婦、自身の妻までもが谷淵に投げ込まれ、弟分のポロは乱心して、無辜の吸血鬼を虐殺した。

 もう十分すぎるほど彼は死人を見た。命の生滅はこの世の理であるが、これは明らかに不条理というものである。

 誰が始めたか知れない虐殺の連鎖は、ついに彼の足元までやってきたらしい。

この少女も、この異様な時代の波動にみちびかれて、彼をポロと見誤って殺そうとしたのである。

(こんな世界はまちがっている)とホウロウは思った。

 ふと、積もり積もったいらいらが行き場を失ったように、彼の肩部の僧帽が膨張した。心臓の拍動が早まって、息が荒くなった。

 <例の力>は怒りに絆されて、勝手に出てくることがある。

  ホウロウが寡黙なのも、もとをたどれば、その力に起因するところがある。

 たいてい、深呼吸して、冷静になれば、その力は自然と弱まって、自分の体内へと戻っていく。が、完全に<変態>した状態の半分を開いてしまうと、その引力はもう止まらない。

彼はいま、その半分の境界線上に立っていた。体の表面が泡ぶくのように震えている。耳が鋭敏になって、滝の音色の中に虫の羽音さえ聴こえるようだった。酩酊したような躁的な感情の渦が心にあふれた。

 かりそめの多幸感であった。しぜんと、上気して熱血する自分と、この目の前の少女の境遇を憐れむ自分との相克に、喜びなのか、悲しみなのか、判別できない涙が彼の頬を濡らした。

 ――ホウロウは変身しそうだった。もう止まれない境界を越えてしまいそうだった。おでこの真ん中が萌芽したように隆起してきた。角が生えかけている。

「ポロっ! お前のせいだ。こんど、会ったら、絶対に殺してやるっ!」怒鳴り声が林冠を揺らし、天空まで貫通し、雲を吹き飛ばしそうだった。めりめりと蛆が体を這いまわっているような感覚がした。

 (もう、どうにでもなれ)とホウロウはやけくそになった。すると、彼のぼさぼさの髪のうえに、石ころが降ってきた。

「ダメっ! それはぜったいダメっ!」

 女の叫び声が、頭上からした。ホウロウは上を見た。枝に猛禽のように佇んでいる女のすがたがあった。

「なんだ、おまえっ!」

 ホウロウが詰問すると、するすると、器用に木の幹を伝うように女は降りてきた。ホウロウは目をほそめた。どこかで、見たような風体だった。

「――あっ! おまえはっ!」

 女はヴィーという例の女だった。

彼女は鬼のような形相で「その子を助けてあげるから、怒らないでよ。いい?」と言った。






































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