猛虎の泪

 ――ぞろぞろと足音が幾重にも重なって、地を揺らしていた。混血種たちは鎖につながれて、列をなし、左右を吸血鬼の兵卒とゴーレムに挟まれて進んでいく。天を仰げば、林冠は青々と陽光に照らされている。時おり、野鳥の声が響く。軍靴と鎖の音に驚いて、動物は逃げ去っていく。自然は、混血種たちの苦悶に関せず、ただそこに在った。牧歌的な日差しは捕虜のせなかから体力を吸い取っていくようである。砂地の地面はごくたまにとがった小石で彼らの足を傷つけた。 

 勾配がきつくなって、地面は岩肌のようにかたくなってきた。

 列の先頭から捕虜を睥睨する吸血鬼がいた。男は馬上にあって、痩躯長身、眼光鋭く、他人を圧迫する気配があった。丁寧に撫でつけられた髪の毛と露出した額には、神経質そうな印象がある。男は名前をフォルカーといった。ブレージア―王国の宰相である。

 フォルカーは自分の部下であるラルフを呼び寄せて「まだか、谷口は?」と聞いた。

「もう少しだと思われます」ラルフは答えた。 

「行程は順調か? 滞りないか?」 

「ありません。けれど、徐々に歩みが鈍くなってきています。足が痛いと不平を訴える者が出てきています」

「では、少し休もう。兵士たちには手抜かりないように言っておけ。ゴーレムはもう用済みだから、わたしが処理する。どうせ、あの巨体は桟道を通れないからな」 

「フォルカー殿、杞憂かもしれませんが、この近くには、有名な混血種たちの賊の山塞があります」 

「山賊か。規模はどれくらいだ」

「千は越えないぐらいでしょう。けれど、首領のカルーというのが、稀に見る暴れん坊のようで、油断なりません」 

「そいつらは、何をして生活を維持している?」 

「よく商人の馬車を襲っているようです」 

「それだけで、ならず者たちを維持できるものかな」 

「ええ、その通りで。彼らは、混血種たちの町の組織に入り込んで、金を搾り取っているという噂です」 

フォルカーは馬上で顎髭を手でいじりながら「それはよい」と言った。 

「なにがいいんで?」 

 ラルフの問いには答えないで「君は、ここをよく守っていろ」と言って、馬首をかえして、列から抜け出した。フォルカーはゴーレムの一団を従えて、森の草むらの道なき道を進んでいった。ゴーレムは図体のわりに機敏である。フォルカーの疾駆にちぎられることなく、地盤を揺らしながらついていく。

 フォルカーの栗色の愛馬の方があぜ道を行くのを嫌がった。フォルカーは性急にも、たった一人で山塞を襲撃しようとしていた。まず、これから混血種たちを運んでいく道のりにはゴーレムは連れていけず、その場合、彼は非常に面倒な手順にしたがって、ゴーレムたちを土に還さなければならなかった。それは彼からすると、もったいない、労力の無駄遣いのような気がした。が、ラルフのおかげで、面倒を省く策を思いつくと、自ら指揮を執って山塞の前までやってきたのである。彼は無駄嫌いの行動家だった。けれど、その経験値は彼を行動能力だけの向こう見ずにはしなかった。

 彼は彼我の差を良く見分けた。また、敵を決して侮らない。それは混血種だろうと同じだった。ホウロウがまったく予見しなかった一連の捕囚計画を描いたのは、まさに、このフォルカーという男だった。彼は平素のころから、どのようにして混血種たちを狩るかということを考えていたので、彼は計画を企図するのに一日と要さなかった。密勅が中つ国の帝都からまわってくると、国王のコンラートからの命令を待たずに彼は方々の混血種たちの名もなき町に巡行した。

 ホウロウが宵闇の中に見たのは、彼が研鑽してきた魔術の印であった。それは数日にして、このブレージア―領域内の混血種の邑に広がっていたのである。彼は、今日に、すべての動かせる部下を使った。その指導能力は国王のコンラートを大きく超えていた。コンラートが暗君で無ければ、彼はすでに宮廷内の策謀によって暗殺されていたに違いなかった。これほどの権力を振りかざして、彼がなお失脚しないのは、宮廷内で彼がその働きに対して、非常に慎ましやかだったことが理由としてあげられる。

 行動家にしては不思議なほど、彼には出世欲がなかった。

 ――ほどなく、彼は山塞にたどり着くと、半古代人的な生活をしていた賊徒を虐殺した。賊徒と言っても、ある種の共同体を形成していたので、乳飲み子の泣き叫ぶ声や女の阿鼻叫喚が木霊して、山塞は地獄絵図と化した。 

 フォルカーは趨勢が決まったとみるや、涼しい顔で、来た道を帰った。ゴーレムはすべて廃墟と化した山塞に置き去りにしてきた。彼はいぶかし気に待っていたラルフの困惑顔を差し置いて「やっておいた。全員、消してきたぞ」といった。フォルカーは仔細は言わなかった。 

「少し休もう」 

 フォルカーは谷の関所につくと、壁内の小部屋で休んだ。 

「甥御殿はどうなされた?」とラルフが聞くと、フォルカーは笑みを含んで「あいつは町に隠れているハーフたちを殺し歩いている。あの阿呆にできるのはそれぐらいのものだ」と言った。

ラルフは難しい表情をした。笑っては、王家に連なる者への失礼に当たるし、笑わないのも、フォルカーの機嫌を損ねそうな気がした。 

「ラルフよ。宮中でバルナバスが世迷言を吹聴しているらしいが、本当か。聞くところによると、自分が戦争以前に成人していれば、ギルバートを殺していたと」 

「……まあ、はい」 

 フォルカーは机を叩いて、大笑いした。 

「バカもあそこまで行くと哀れなものだ」 

「酒が入っていたこともありまして」 

「むしろ、地金が出たというものであろう。呆れた奴だ。ギルバートを殺せる、か。やれるものなら、やってほしいものだ」 

 フォルカーは嘲るように笑うと、外に出て、望楼から捕虜の方を見下ろした。捕虜たちは不安と恐怖に靡いていた。けれど、皮肉なほど蒼天は煌々と輝いている。ラルフはフォルカーからめったに見られない鬱積としたものを感じた。それは恐らく、恐怖だった。ラルフはフォルカーの身を震わせるものを実際に閲したことがなかった。

――ギルバート。

 魔界人は皆、そのヒューマンの名まえを知っている。生きながらにして、すでに遠き過去の古事になった気配すらある。この怪人物のせいで、宮中の王家の血を受け継いでいた吸血鬼の数は半分以上、滅されたと言われている。 

 ラルフも多くは知らない。伝聞とは、多くの場合、時を経るにつれて、誇大に伝えられていくものだが、このギルバートという人間に対する風評は驚くほど少なかった。もはや宮中の公然のタブーと化していた。けれど、ある意味で、その静謐の中に、深い傷跡がある。

 ――怪物。今度の混血種撲滅計画には、まさしく、この怪人物による吸血鬼という種族の退廃と怨みとが二次的に作用していた。つまり、第一に、ヒューマンとの戦争に敗北したのは、吸血鬼の血族が弱体したことが理由としてある。しかも、さらに理由を探れば、これは混血による血の薄弱によるものではないか。ならば、混血種を根絶やしにしよう。

これが吸血鬼の論理であった。しかし、皮肉にも、幾重にも混ざり合った混血のるつぼは、ホウロウを生成した。まだ、彼らはそのことを知らず、崇高なる労働意欲をもって、種族史の汚点となる大虐殺を行おうとしていた。

 ――ホウロウには、どこか楽天的なところがある。彼は、妻のドマの危急を感じつつも(まあ、なんとかなるだろう)と考えていた。それも無理はなかった。助けに行く以上、どこか楽天的でいなければ、畏れに押しつぶされてしまうのである。 

「――なあ、仮に、ドマを助けられたとして、そのあとはどうすんだよ。俺たちに居場所はあんのかよ」 

 テムの一番背後から投げるような言葉である。ホウロウは「知らねえ」と言った。今朝には、いっさい予想できなかった今の状況である。それは、ほとんど刹那的に処理していくしかない。けれど、頑丈に出来ている彼に比べて、テムは恐怖に敏感だった。だから、「そのあとは」とか「仮に」といった言葉で、議論を促そうとしている。

「コンラートは常備軍をいくら抱えていると思う?」テムが聞いた。彼我との差はどれくらいか、考えない方がおかしかった。ホウロウは澄んだ瞳をして、歩いていたが頭の中は酩酊していた。自分の暴力によってすべて解決しようとしていた。が、他方、ホウロウの体はほとんど戦える状態ではなかった。どういう原理なのか、滅多な傷をもろともしない彼だが、<王家の血>を使ったあとだけは、体の核たる部分に鈍い疲労感が残った。

「二万はいるぞ。少なく見積もっても。しかも、職業軍人だけで」ホウロウはテムの恐怖を煽る言葉を聞き流しながら、傍らで肩をこわばらせて歩いているポロを一瞥した。その視線に気づいていながら、ポロの黒目はまっすぐ前を見ている。

「あにじゃ、疲れてるんだろう」ホウロウは顔に疲労は出さないように気を付けていたが、ポロは、その機微を感じたようだった。看破されると、張り詰めたものが切れたように、ホウロウは疲れた。本当なら、地面だろうが、眠りたかった。

 視界に青白い帳が降りてきた。彼は大木の根に抱かれるようにして座った。無言であった。ポロはホウロウが急に視界から消えたのに気づいて、慌てて振り返った。テムは、憐れむような困ったような顔つきで、つるつる頭を撫でて座っているホウロウを見下ろした。

「そんな弱ったあんたは見たことないぜ」とポロが言った。

「……」ホウロウはもどかしい思いだった。精神は連れ去られたドマを追って、腹を決めているが、体が鎖となって、その足を引っ張っている。

 すると、テムはため息交じりに「……なあ、やっぱり、もうあきらめた方がいいんじゃねえか。女も、子供もいつでも作れる。しかし、それも命あってこそだろ」と言った。

 ホウロウの光のない瞳は、ポロの眉が吊り上がるのを見た。ポロはテムの襟首をつかんで、持ち上げた。

「うわあ。なんだよ。ポロ」テムはなさけない声を上げた。彼は負けるのが早い。

「よせよ。テムの言うことも間違っちゃいない」ホウロウが軽く、その暴挙を止めた。

「じゃあ、どうするんだ。このまま、見捨てるのか。皆、殺されるんだろう。あのデーモンハンターの女はそんな感じのことを言ってたよな」ポロは恐ろしい口吻で言った。しかも、そう叫んでいる間も、テムの襟首を掴んで離さない。テムはその拳にとんとんと手を置きながら、「まあ、落ち着けって」と諭した。ポロがテムを離すと、ホウロウはふたりの顔色を見比べた。

「二人とも、よく聞け。俺らはもう長い付き合いだ。ここで、最後に仲たがいしたくない。だから、はっきりさせておこう。俺はいのちをくれてやる。もう一度、<王家の血>を使う」

「あにじゃ、それはやめてくれ。次は俺の番だろう」ポロの瞳に瑞々しい光が見えた。けれど、それは目尻で止まった。

 テムは、眉をひそめて、「いや。そうか。お前はドマだけを助けに行くわけじゃねえんだな。全員、助け出す気なんだろう。ホウロウ、お前は、豪傑の血を持っているよ。安くない命だ。安易に投げ捨てるべきじゃない」

 テムは薄いあごひげを引っ張りながら、ホウロウという男に感心した。病的とさえいえる義侠心だった。(やっぱり、こいつは壊れてる)とテムは舌を巻いて唸った。

「――ウウム。これはチャンスなのかもしれない」とテムはなにか思いついたようすで切り出した。

「何のだ」

「成りあがる絶好の機会だ。つまり……生き残ったハーフたちと集合し、このブレージア―の吸血鬼に戦いを挑み、世界をひっくり返す」

 テムは言いながら、自分の正気を疑い、また、一方で、自分は面白いことを思いついたと自賛した。ポロとホウロウは魂が抜けたみたいに、きょとんとした。ふたりの若い魂には、終末が見えていた。ドマを助けて、そのあとは死のうがどうでもよかった。彼らの野生の道徳が、見捨てるという決断を許さないのである。が、テムは終わりの美学には酔えなかった。この危急に、活路を見出すことに一心不乱であった。

「――そう、世直しだ!」テムはこう思った。いや、むしろ、いままで意味不明な制限を受けて、粛々と生活していたことが狂っていたのだ。なぜ、この状況を甘んじて、受け入れられていたのだろう。吸血鬼も盤石ではない。第一、ヒューマンとの戦争に敗けているではないか。

 彼の智嚢は、疾風のように走った。 

(行ける。ひっくり返せる)。 

 彼は知恵熱が出た。青白い頬を真っ赤にして、一人興奮していると、大木の根っこに抱かれたホウロウが鬱々と「いやな予感がする」と嘯いた。

「どうした。あにじゃ、幻聴でも聞こえているのか。しっかりしろ」

「いや、まぼろしならいいんだ、まぼろしなら」ホウロウはポロの袖をがっしり掴んで、うわごとのように繰り返した。

 ――混血種の捕囚は動き出した。勾配は徐々にきつくなってきた。列は渓谷の桟道へと達した。この谷を越えると、遮るものがない平野に出る。そこが中つ国であり、皇帝の領域である。

フォルカーは谷を覗いた。谷底は幽暗が広がっている。桟道の続く先を見やれば、霧が悠遠な神域のような空気感を生み出している。 

「あの道は大丈夫なのか」と誰も言わないが、吸血鬼の兵卒たちは心配そうに、先頭のフォルカーのせなかを見た。

 彼はためらわずに進んだ。恐怖がないではないが、彼は自分の行動が部下に変に作用することをより恐れた。馬蹄が木造の桟道に小刻みに良い音をたてる。

「――落ちたら死ぬな」彼は言った。全員が背筋に怖気を感じながらフォルカーの後を追った。大人数が通ると、桟道は当然、軋んだ。捕囚も兵卒もそろって恐怖した。けれど、いつまでも肝を冷やしていられない。なぜなら、桟道は霧がかかった渓谷を大蛇のようにうねりにうねって、どこまでも続いているからである。先頭の彼は悠々と進んでいくので、遅々とした捕囚と兵卒の列は引っ張られた。 

 はじめは、歩みは順調に思われた。しかし、徐々に真下の闇の恐怖も手伝ってか、捕囚の歩みが遅くなった。すると、急に捕囚が鎖を揺らし始めた。それは波のように遥か後方の列にまで伝わって、彼らから、闘気のようなものが漏出し始めた。

  フォルカーは振り返った。彼はじっと見回すと、縦に並んだ混血種たちの眼に種火があるような気がした。

(これはイカンなあ)。

「ラルフ、兵卒たちを縁側から反対へと寄せろ。そのまま、お前は最後列につけ」フォルカーは即座にラルフに命令した。ラルフはすぐに踵を返して、最後尾まで逆方向に進みながら、フォルカーの命令を伝達した。 

 桟道は狭い。捕囚たちが縁側によると、ラルフは命令の意図を理解した。兵卒の方から蹴りでも入れれば、混血種たちは奈落の底へ落ちていく。この脅しは効力を発揮して、混血種たちはいくぶんか、おとなしくなった。

 しかし、また、数刻過ぎると、今度は完全に疲労のせいで、捕囚たちの歩みがまた遅くなった。

「フォルカー殿、後方では女子供が足が痛むと不平を漏らしています」

「なに。さっき休んだばかりではないか」

「誤算でした。捕囚の中には妊婦がたくさんおります」

 それを聞くと、フォルカーはかかと笑い出した。彼はこう考えた。

(頭脳の欠如ゆえに、後先、考えぬバカばかりではないか。やはり、猿だな。劣っている)。フォルカーは居並んだ混血種たちの見目形を蔑んだ。雑多な形質を持つ混血種にも、一定の共通点は見出せる。主に、胴長、低身長である。くわえて、顔つきも美形の吸血鬼とはじゃっかん、ちがっている。とくに獣人族の形質があるものは、口先がへんに尖って、不気味な観がある。

 言葉もだいぶ変わっている。儀礼的な言い回しをする吸血鬼から見ると、混血種たちの早口で奔放な言葉使いは耳障りに聞こえてしょうがない。フォルカーは憤りを感じた。

 恐ろしいことに、それは私怨ではない。天下の公憤なのである。

やはりと、彼は思う。(魔界に、この者たちが在る限り、我らの繁栄はない。ヒューマンへの雪辱はもっとありえない)。

「フォルカー殿、どうしましょう。ここでは休めません」ラルフがフォルカーの指示を仰いだ。フォルカーは徒歩のラルフを見下ろして、ふんと笑いを漏らした。

「――落とせばいい」フォルカーは言った。ラルフはきょとんとした。

「足弱の妊婦や子供は谷底へ放り投げろ。どうせ、全員殺すんだ。ここで、幾分減っても問題にはならん」

「……」ラルフは黙った。そして、「ああ、なるほど」と言って、下がった。

 夢か現か。混血種たちの哀訴が鳴りやまない。ドマは金切声をあげて、谷底へ落ちた。谷底へ落とされる者、それを見る者、等しく与えられた地獄であった。蕭条とした谷はワニ口をあけて、無数の命を吸い込んでいった。

 ――時に、その外道の行為の匂いをホウロウは嗅いだのか、身を震わせていた。

「あにじゃ、どうした、気分でも悪いのか」

「いいや。疲れただけだ」

 ホウロウは呆然と宙を見ていた。何を感じたのか、自分でもよくわからなかった。

「もう歩けるか」

「ああ、歩けるとも」

 ホウロウはその巨躯をまるで自分のものではないようによたよたと持ち上げた。すると、背後の大木の裏から凶刃がホウロウを襲ってきた。刃は首を狙ってきたらしい。彼は掌で、その刀身を握っていた。刃は抜こうか、刺そうか迷っているが、ホウロウの握力は刃を決して離さなかった。

「あっ!」テムが声をあげた。ホウロウは刃物を握りしめたまま、振り返って、自分を後ろから刺し殺そうとした奸賊の顔を見下ろした。ハーフの同胞だった。まだ、若い。その赤ら顔が吸血鬼のように青白かったら、殴り倒していたが、ホウロウは、その哀れな顔色を見ると、憐憫を感じた。いかんともしがたいという数舜の沈黙があった。

「このガキ」若者の体は宙を飛び、一回転して、地面に叩きつけられた。ポロはそのまま、靴底で、と胸を踏みつけようとした。

「ばか、止せ」ホウロウはポロを止めた。ポロは血相を変えて、今度はホウロウを睨んだ。

「そんな怖い顔して、人を睨むんじゃない」

 ホウロウが高圧的に言うと、ポロは恥じ入ったように目を背け、転がった青年を見下ろして、その顔に唾を吐いた。すると、そそくさとテムが近づいて来て、「ヘンだな。俺はともかく、ホウロウとポロの体格を見て、ひとりで殺しに来るかね。しかも、こんな子供が」と言った。

 その時、ホウロウもポロもすぐに直感した。上である。繁茂している森の樹上に見なくても、人が隠れ潜んで、こちらを狙っているのが分かった。弓の弦の引き絞られた緊張さえ、音となって聴こえる気がした。

「あにじゃ、上だ。わかるな」

「ああ、わかるとも。しかし、俺は思ったほど動けねえ。お前が何とかしろ」

「……問題ない。あにじゃは寝てろ、寝てろ」

 ポロはホウロウに言われて、即座に石ころを拾い上げて、林冠の中へ投げた。

「あ痛っ!」と声をあげて、一人、落ちてきた。その後に、ポロは背後の木を思い切り蹴った。虫や枝葉や果実に混じって、また一人落ちてきた。

「まだ、ほかには居ないのか」ポロは落ちてきた一人の胸ぐらを掴んで振り回した。ポロの人を殺しそうな血相にホウロウがまた、止めに入ろうとすると、ぐさりと、脇腹の中に鋭い痛みが走った。一番最初に殺そうとしてきた若者が、油断した隙を狙って、短刀を刺してきた。しかし、肺腑を傷つけられる前に、ホウロウはその手を止めていた。

 彼は、必死な形相の若者の顔を覗くと、にわかに面白みを感じて、微笑んだ。

「いい根性してるじゃねえか。ガキめら」ホウロウはむしろ褒めるような調子だった。けれど、笑って済ますことができないのがポロだった。

「あにじゃ、一度までなら、まだしも二度目だぞ。もうゆるさん。殺すっ!」

 ポロが落ちてきた暗殺者を絞め殺そうと力を込めたが、それをすんでのところで止めたのはテムだった。

「――いいや。殺しちゃいかんなア」

「なぜだ。いつから道徳を説くようになった、テム」

「まあ、まあ。ここは俺の舌先に任せろって」

 テムは言うと周りを見回した。

「なあ、聞きたまえよ。そのナリはカルーの山塞の賊徒たちだろう。ちがうかね」 

 テムはポロに掴まれて、地面にのされた賊徒に向かって言った。 

「……ああ。そうだ」 

「どうやら、吸血鬼の毒牙はそこまで届いたようだな。しかし、まあ、この危急存亡に際して、同族どうし殺し合って、どうするんだね。しかもだ。もうお分かりかもしれないが、このホウロウとポロはお前らがいくら束になっても敵う相手じゃないぞ」 

 賊徒たちは、一応、耳を傾けた。ホウロウは短刀を取り上げて、投げ捨てた。ポロも、若い賊を掴む手をしぶしぶ離した。 

「カルーは死んだか?」

「いいや。まだ、生きてるが……」 

「会わせろ。カルーに、このテムから見せたいものがあると取り次いでくれ」 

「いや、俺らは下っ端で」 

「もう生き残りも少なかろう。仰々しい位階なんぞ、もう無いも同然である」 

 賊徒たちは互いに顔を見合わせて、目顔を使って、逡巡していた。 

「貴様が決めよ。いますぐ。それとも、ホウロウに絞め殺されたいのか」 

「……ちょっと待ってくれよ。いま、ホウロウって言ったか?」賊徒の一人が、ホウロウの顔を二度三度見ると、ハッとしたように眉をうごかした。賊徒たちはまだ茂みに隠れている仲間を呼び寄せると、頭を集めて、密談を始めた。 

「テム、あいつらいったい何者だ」ホウロウが聞くと、テムは横目に彼の顔つきを見た。 

「この近くの山を根城にしてる賊だよ」 

「賊? 賊に構ってる暇なんかあんのかよ」ポロが言った。 

「まあ、聞けよ。吸血鬼を追うなら、関所を通っていかなければならん。見ろよ、ホウロウのあおっちょろい顔色を。この有様で、<あれ>を使ったら、次こそ死んでしまうぞ。お前も兄貴が死ぬのは嫌だろ。なので、賊の力を借りて、関所を奪う」 

「ほんとうに力を貸してくれるものか。見返りを要求されることもあるかも」 

「いいや。むしろ、向こうはこちらの力を必要とするはずだよ。山塞は崩壊し、流浪の身になって、どうして、山賊が連帯を保てるのか。腹も減れば、もとは小悪党の集まりだ。仲間割れして、収拾がつかない。むしろ、カルーは部下たちの眼を別の方へと向けることを望むだろう」 

「いやに詳しいな」 

「なあに、昔、少しだけその山賊の帳簿を付けていたことがあったのさ」

「どおりで」ポロは嫌そうな顔をした。

「テムに従った方がいいような気がしてきた」ホウロウが青白い顔で力なく言った。

「あにじゃ、座ってくれ。傷は大丈夫か。ああ、あんたの傷はすぐにふさがるんだったな」

「ポロ、めったなことで怒るなよ。悪い癖だぜ」

「……」ポロは飲み下すのに窮した。けれど、弱ったホウロウに頼むように言われると、自分にどうしてもぬぐいがたい瑕瑾があるらしいと思った。 

 ホウロウは「いまの俺は役立たずだ。お前が頼りだからな」と念を押した。 

「……ああ、わかってるさ」 

 すると、密談が合議を見て、山賊たちは先ほどとは打って変わって、「カルーに会わせよう」といんぎんな態度だった。

 ―― カルーは森の中、筵の上であぐらをかきながら、薄雲を見ていた。さっきまで、山塞の王として君臨していたのは夢か幻だったようだった。彼はでっぷりとした腹を出して、横になって、自分の寅髯をいじっていた。手下はすでに死んだか、彼を見限って四散し、盛期には千を数えた頭数も、いまは百足らずだった。しかも、その地べたに居並ぶ手下たちは、もうすぐ飢えを感じるはずで、そうなると、彼のもとに残る者はさらに少なくなる。いや、何も言わずに去るのはまだ良い方で、折を見て、寝首をかこうとするものもあらわれてくるかもしれない。

 天罰だろうか、と思いもする。はじめこそ、彼の山塞には気鋭の美学があった。まずもって、奪うのは吸血鬼の物資だけで、同胞のハーフを傷つけることを禁じた。最初は、自ら打ち立てた掟を高尚なものだと思ったが、時が経つと、これはほとんど実践不可能なことに気づいた。

 吸血鬼はめったに怨嗟を忘れてくれない。いちど、私的な馬車など襲おうものなら、腕利きの傭兵や間者を雇って復讐しにきた。カルーは特に、公営の馬車は絶対襲わないことにした。在野の金持ち吸血鬼で、これほど武力を持っているのだから、自分の足を付けている国の王を敵に回せないと気づいたからである。

 日々、噂を聞きつけて、ハーフの町からあぶれた浮浪者が獣のような目つきでやってくる。頭数が増えると、生活は困窮した。

「このままでは、飢えた奴らに殺される」と彼は思った。

 毎日、山野に隠れていると、食糧を満載した馬車がハーフの町へと向かっていく。飢えには勝てなかった。

「是非もないな」ついに、カルーの山塞は正真正銘、山賊の巣になった。

 すると、ある折に、吸血鬼の政庁から特使がやってきた。その男は、書簡をもってやってきたのだが、山塞の中にだれも文字に明るいものが居ないと気づくと、明朗な声色で、カルーに内容を聞かせた。

「要約すると、私的、公的を問わず、吸血鬼の往来を襲うことを続けるならば、死罪と処す、とある。しかし、ハーフに対する君たちの全犯罪を黙認する、とあり、もし、この取引に応じるなら、貴様に警察長の官位をやろう、とある」

 吸血鬼の特使は余計な部分は端折った。彼は懐から、印綬を出すと、カルーに目顔で問うた。

「どうする?」赤い眼玉が光った。凶悪な目つきである。カルーは、ハーフが能力的に純血に劣るという通説を信じなかったが、この時ばかりは、(こいつには勝てない)と弱気になった。口が動かなかった。けれど、手はしぜんと印綬を受け取っていた。

「結構」と特使は満足そうに頷いた。

 吸血鬼は帰り際、山塞の大門を前にしてカルーを見て「わたしはずっと監視しているぞ」と言った。まさに、この時、特使としてやってきたのが若い日のフォルカーであった。彼は何度か、やってきて、カルーを威圧してきたが、完全に反目する意志がないと見て取ると、めっきり現れなくなった。

 カルーはふと、気づいたときには、ハーフを襲う悪鬼羅刹と化していた。高尚な美学はどこへ行ったのか。結局のところ、ハーフは吸血鬼には勝てないように出来ていると彼は観念した。

しかも、今日の破滅を持ってきたのが、フォルカーだったのは、何か運命的な符節を感じさせないではおかなかった。

 カルーはあたたかな陽光に照らされながら、背筋に寒気を覚えた。望楼から覗いたフォルカーの顔は、初めて会った時と比べても、ほとんど齢を取っていなかった。むしろ、その骨相は幾分痩せて、より攻撃的になっているように見えた。

「今日は書簡はない。破滅を届けにきたのだ」フォルカーは城壁の欄干に手をかけて、彼を見下ろしているカルーに向かって、前と変わらない明朗な声で宣戦した。大門は堅牢に造っていたが、フォルカーのゴーレムの大軍はそれらを無理やり押しとおってきた。そのあとは、よく覚えていない。たしかなのは、いま生きて、逃げおおせた者たちは、家族や妾を見捨てて、命を拾ったということであった。恐ろしいのは、恨みなどの当然の感情が誰のおもてにも見られないことである。ただ、自分の五体が無事なことを、ほとんど呆けたような頭でかろうじて呑み込んでいた。カルーの手下は、うなだれて、フォルカーのことや、彼が連れてきた岩で出来た怪物のようなものについては一切話題にしなかった。

「進退窮まった」

 カルーは死を感じた。

「大将、街には人っ子一人いねえ」と手下の一人が報告してきた。

「……ああ、そうか」彼はわかったようなわかってないような返事をした。若いころの義侠心はどこにも残っていなかった。本来ならば、いまこそ起つべき時であったが、彼は精神が壊死したように呆然自失して、そばにあった酒樽を大事そうにしている。もうすでに、手下たちの統御はおぼつかない。皆、好き勝手に、吸血鬼の魔手を逃れた流民を襲っているらしい。

 見かねて、カルーの一番の右腕のアルコンが「大将、いまが、その時ではないか」といっても、彼の反応は鈍い。

「その時ってのはどういう意味だ」

「吸血鬼と戦う時であろう。若いころに、打ち立てた目標がまさにそれだった。天が遅れて時期をくれたのだ」

 カルーは沈思した。アルコンの言の是非を迷っているわけではない。それがいかに軽挙妄動であるかを考えているのである。たしかに、その辺を彷徨っている難民を集めて、守備が手薄のブレージア―城を電撃的に襲撃することはできるかもしれない。しかし、吸血鬼には、常に奥の手が隠されている。平常では決して使うことを許されていないが、危急に際しては躊躇いなく、それを使ってくる。<王家の血>である。いまでこそ、その血脈を持っている者は少なくなったが、ブレージア―城の壁内には、ぽつぽつと、その決戦兵器が厳として生活している。衣服に泥を付けるぐらいの屈辱を吸血鬼に与えられるかもしれないが、はじめから勝つことができない戦いであった。

「みんな、荷物をまとめろ」

「大将、どこへ行く気だ?」

「ヒューマンの領域へ行く。もともと、魔族が人間界へ紛れ込むのは聞かない話ではないし、俺らの居場所も見つかるかもしれない」

 皆、その言葉に沈黙した。賛成か、反対か、口に出して言う者もない。

「イヤなら、どこへでも消え失せろ」ほとんど投げやりにカルーは言った。

「人間の世界に行くには、山をいくつも越えなけりゃあならんし、第一、俺たちは道を知らん」アルコンが言うと、堰を切ったみたいに「しかも、もうすぐ冬だぜ」とか、「食糧もない」とか追従するものが現れた。

 カルーの寅髯が逆立った。もともと、オーガと獣人の混血で、肩幅が異様に広い巨漢だった。しかも、懐に大鉈を持っているので、その威圧感は悪辣に場を制した。

 皆、また、黙った。すると、疎林のざわめきとともに、「大将、大将」と呼ぶ声がしたと思うと、数人の手下が現れた。

「なにごとだ」

 急に現れた手下たちはお互いに顔を見合わせ、だれが報告を述べるのか迷っている様子だった。

「……お前、早く話せ」アルコンが一人を指さして、強制的に口を開かせた。

 その言を聞くと、カルーは目を見開いた。「テム」という男の名を聞いたのはいつぶりだったか、遠い過去のことのような気がする。しかし、なぜ、いま、この状況で会いに来たのか。

「気を付けろ。なにか、罠を張っているかもしれん。あいつはそういう奴だ」アルコンに言われるまでもなく、カルーは嫌な気配を感じていた。

「テムの奴は、俺にいまさら何の用だ」

「それは……見せたいものがある、と」

「見せたいもの? ……まあ、いい。ここに連れてこい」

 カルーは好奇心に駆られた。普段なら、危ない橋はわたる彼ではないが、この絶望的な状況で、何か幸運でも拾ってみたいという気持ちがあったのかもしれない。草木の青臭さも少し鳴りを潜めて、もうすぐ、あたりに暮色が満ちてくる頃合いであった。

――夕雲の下、床几を置いて、テムとカルーは向かい合った。老けたな、とカルーを見た第一印象でテムは思った。自分も老けたのは確かだが、若い時の血気も直感も鈍っていない自負がある。カルーの老け方は、弱体化する一方の凡下の老化だった。

 テムは腹の底でわらった。(その程度の人物だと思っていたよ)。

「老けたね。君も」とテムが口に出すと、カルーは「ハゲには言われたくない」と言い返した。老けた、などとカルーに正面切っていう者が珍しいのか、彼らを取り囲んでいる山賊たちは瞠目した。カルーはじっと、窪んだ眼をテムではなく、後ろに控えている二人の偉丈夫に向けていた。

「だれだ、そいつらは。手下か」カルーが顎をしゃくった。

「ちがう」とテムが答える前に偉丈夫の一人が鋭い声色で言ったので、会合を取り囲む空気がよけい緊張した。

「そっちの大きいのがホウロウで、すこしだけ背丈が小さいのがポロだ。俺の商売道具だよ。いや、商売仲間か。はっはっは」

 テムが大笑いした。彼の笑い声が、寂寥とした沈黙の中に響いた。

「一体なんの用だ。何が起きてるのか知ってるんだろ。いまあ、俺の手下は皆、気が立ってるんだ。あまり、実のない話を持ってきたなら、殺して身ぐるみ剥いでやるからな」

 カルーはテムとポロとホウロウとを舐めるように見回した。三人とも、金目の物を持っている風体ではない。ほとんど歩く死人のような姿である。しかし、カルーはその姿は今の自分の生き写しに見えて、笑ってやることも出来なかった。

 すると、カルーの背後で佇立していたアルコンが、ホウロウの顔を見て「あっ! 貴様は昨日のっ!」と指をさし、声をあげた。

「ム、会った覚えはないが」とホウロウが言うと、テムはじっとアルコンの顔を見てハッと気づいて笑った。

「おい。ホウロウ、こいつ、昨日、お前が場外にたたき出した挑戦者だぜ」

「あ、ほんとうだ。これは偶然」

 いつかのイノシシ顔の拳闘者と気づいて、ホウロウは無邪気に驚いているが、テムはこれで場がより難しくなるかもしれないと思った。

「アルコン、知り合いか」カルーが首を後ろに向けて、アルコンに聞いた。

「いいや。町の遊びに行った折に、闘技場でやり合った男だ」

「強いか。こいつは」

「強い。恐ろしいほどだった」

 カルーは向き直って、テムを睨んだ。

「そんなの引き連れて、いったい何しに来やがった」

 テムは温和な表情を崩さない。怒れば怒るほど、怒っている方がバカみたいに見える。

「まあ、そう殺伐としないでくれよ。この異常事態に、ハーフどうし、協力して生き延びる道を模索しようというんだから」

「協力? ふん、そんなことだろうと思った」カルーはもう聞く気がないといったように目をそらした。

「竜のアギトの前に吸血鬼の関所があるのは知っているよな」

「ああ、もちろん」

「そこには穀物倉があるな」

「ああ、だろうな」

 カルーは呆けたような顔つきで生返事をした。

「お前の手下は腹を減らしているよな」

 テムが言うと、カルーの眉がぴくりと動いた。

「いずれ、飢えが襲ってくる。そうしたら、お互いの肉を喰らい合うことになるぜ。いつまで、山塞の長を名乗っていられるかな」

「……」

 お互いが沈黙に沈思する。すると、背後に持していたアルコンが「なあ、大将。テムの言うことにも一理あるぜ。我らは賊徒だ。腹が減れば、お互い殺し合う。まだ、殺気があるならば、それは外に向けるべきだろう」

 カルーは寅髯を引っ張りながら、まだ緘黙を貫いている。床几の前で組んでいる足をのばす。

「しかし、どう戦う。相手は吸血鬼だ。しかも、王家の血を持っているフォルカーだぞ」

 テムはカルーの言葉を打ち消すように笑った。

「王家の血のことなら、こっちがなんとかしよう」

 そういって、テムは、床几の上を滑らせて、何か骨董のようなアミュレットを差し出した。それは値打ちのあるようなものにはあまり見えない。青銅の年季の入った装飾物だった。

 アルコンにはテムの行動の意味が分からなかった。困惑顔で、カルーとテムとを交互に見ている。

 すると、がばっとカルーが膝で立ち、床几の上のそれを恐れ多いと言ったようすで覗き込んだ。

「こ、こいつあ……。王家の印綬か。いったいだれのだ」

「大将、王家の印綬とはなんだ」とアルコンがカルーに聞いた。

「王家の血を開眼した者だけが持っている印綬だ。テム、教えろ。こいつは……フォルカーのか」カルーはさっきまでの安穏とした顔つきから、オーガ特有の彫りの深い皺を顔に刻んで、前のめりになった。

「いいや。若い吸血鬼の王族だった」

「どうやって、王家の血に勝った」

 テムは待ってましたばかりに、ホウロウを指さした。

「こいつが殺した。正々堂々」

 テムが言うと、ひそひそと小声で話す声がざわざわと叢が風に靡いたみたいに広がった。

周りを取り囲んでいる賊徒の声は「うそだな。拾ったに違いない」とか「しかし、あの男の傷は、闘いの後に見えなくもない」とか、凡下の声はじょじょに大きくなって、だんだんと忌憚なくなった。その声には一様に陽性の明るさがあった。沈んでいく運命が浮上する機を掴んだような気配で、野生の者たちの漲り方は尋常ではない。

「いや、信じられん」とカルーがぴしゃりと、その声を握りつぶすように言った。

「……ホウロウ、あれをここでやれ」

 テムはホウロウにいわば、格好つけて言った。ここが会合の頂点だとテムは踏んでいるらしかった。

 けれど、目算は外れてホウロウは首を振って「むりだ。そんな気力はない」と言った。

「おら、ホウロウ、根性出せよ。ほんの少しでいい。ドマを助けるんだろ」

「そういわれても、どうしようもない」とホウロウもお手上げといった調子で言った。その様を薄笑いを浮かべながら、「みろよ。やっぱり、嘘に違いない。あいつの口車に載せられて、危うくバカを見るところだった」とカルーは背後のアルコンに向かって嬉々として言った。何がうれしいのか、カルーは自分でもよくわからなかった。実際、テムの話が嘘だと見抜いても、何も状況は好転していないのである。

 アルコンは歯噛みしていた。先ほどのホウロウとテムの会話が、彼の眼には嘘や糊塗にしては込み入っているように見えた。希望がそうさせているのかもしれないが、このままいけば、沈む船に乗っていて、テムの話に希望を見ないほうがおかしかった。アルコンは周りの仲間たちの顔色を見まわした。みんな、どこか、歯噛みして、前のめりになっている。

 アルコンはホウロウの巨躯を見た。やはり、なんという凄まじい偉丈夫だろうか。アルコンは自分やカルーの体躯を見て、よりその浮かび上がった対比を感じた。

 自分のように、ただ太って大きいのではない。俊敏に動ける限界にまで、膨張し、膂力を蓄え、錬磨された肉体である。(こいつなら、吸血鬼も殺せそうなものだ)とアルコンは素朴に思う。

「なあ、大将。ここはテムの話を信じてみるのも、悪かないと思うぜ」とアルコンは言った。カルーはわかりやすくムッとした。けれど、訝し気な表情で背後を見た時に、手下の微妙な機微の顔つきをいくつも瞥見して、すこし冷静になった。明らかに、統御が緩んできている。いま、手を打たなければ、崩壊の気配である。カルーはふつふつと胸の内に怒りがこみあげてくるのを感じた。

「しょうがねえなあ。お前もそう思うのか。それが皆の意見なら、俺も無視できん」とカルーはしぶしぶ頷いた。

――テムは天を仰いで、そろそろ森の中に帳が降りてくるのを感じた。テムとカルーは夜陰に紛れて、襲撃をすることで合意した。

「関所の守りは固いのか」

「いいや、そもそも、他国に対する要害は、あの谷だ。谷の内側の関所になんで守備兵を割く意味があろう。あれは密売人を防ぐ検問所に近い性質のものだよ」

「ならば、問題は門をどう破るかだな」

 テムは地べたに寝ているホウロウを一瞥して「ほんとうはホウロウに門を破ってもらう予定だったが」と聞こえるように文句を言った。ホウロウは閉じた瞼をあげた。体が鉛のように重い。けれど、夜の酩酊が疲労を幾分、マシにしてくれている。頭はよく働いていない。浮ついて、何も怖くない心地がする。

「俺とポロが扉をこじ開ける」とホウロウは薄暗い空を仰向けに見ながら呟いた。彼は自分の体力の勘定など考えていない。ただ死に物狂いなのである。夜の瘴気には不思議な力がある。

「もし、関所にフォルカーとあの岩の怪物が残っていたら?」

「俺とポロがなんとかする」

 筋肉の鳴動のような激烈なる我意だった。周りの者たちは寒気を覚え、また、この人形の盾がいることを心強く思った。テムは大いに安心して

「皆、こいつは頼りになるぜ。勝利はほぼ手中だよ。我らハーフの歴史に反乱などという者は今日まで無かった。今宵に、新たな種族の歴史を開くんだ」

 ホウロウは彼を頼みとするいくつもの眼に気づかずに横になったまま、目を瞑った。賊徒たちの頭には、嫌でも、カルーとホウロウとを比較する考えが浮かんできた。その二心をカルーの自尊心に裏打ちされた猜疑心が見逃すわけはない。カルーはひそかにホウロウを恐れた。

 ――夜の帳が完全に疎林の中を覆う。星が見えない。曇り空らしい。

雨が降りそうな気配だった。ホウロウはつかの間の眠りから目覚めた。起こされたわけではないが、戦意のようなものが各人の中に湧いてくるのを感じたのである。

「もうよい時だな」テムは言った。ホウロウを起こそうと、彼の方を見ると、彼の鉱物のような眼玉が宙を見て、星を探すように右往左往していた。

「ドマはどうしているんだろう。あいつは、そんな長いこと歩ける体じゃないんだ」

「……」テムは何と言ったものかわからないようすで、自分の頭を撫でた。

「あにじゃ、逸る気持ちも分かるが、アレを使っちゃだめだ」ポロがいった。

「使わず、済めばいいがなあ」ホウロウは安穏と夜の空漠を見続けた。

「……さあ、行こうか。道はどっちだ」彼が何に機を掴んだか分からないが、おもむろに持ち上げた体は軽くなっていた。

 ――虫の声が林から聞こえている。夜陰に叢を走る獣の足音がする。関所の望楼にいくつもの真っ白い灯篭が光っている。夜番の二名の駐屯兵が望楼の渡りを歩いていた。

「何やら、壁伝いに奇妙な音がする」

「獣か」

 下を覗くと、宵闇の中に不審な二個の目玉が見上げていた。

「あ! これは魔物の類の相違ない」

「ム、どれどれ。わあ、こいつは屍鬼だな。名前は知らんが、これはめずらしい」

「どうしたもんか」

「無視だ。朝にはどこかに去ってる」

「屍鬼は、死肉を喰らうとは本当なのかな」

「ほんとうだ。戦場のあとには、こいつらが大量に発生するものだ」

「さては、どこかで人が死んだのかな」

「さあ、今宵は静かなものだが」

「では、なにに引き寄せられたんだろう」

 すると、魔物は急に引き返して、林の奥に逃げ去った。

「ああ、矢を射てやろうかと思ったが、残念」

 とふざけていると、湿った草の下の黒土をどさどさと踏む音が宵闇から聞こえてきた。

「ああ、また屍鬼か」と闇の中の影を早合点して、ふたりの守備兵は目を背けた。

 すると、百雷が落ちたような地響きがして、ただ一つの門の閂が物凄い音をたてて折れた。両開きの扉が勢いよく開け放たれて、蝶番が壊れた。

 そして、夜陰の方へと、鋭く天を割くほどの大声で「開けた。開けたぞ。はやく、来い!」と呼ばわる声がした。

「ああ! これは!」守備兵は望楼から闇の中に躍り出て、一斉に蠢いている人形の影をいくつも見た。真っ直ぐ、真下の門の方へと走ってくる。

「敵襲っ! 敵襲っ!」と守備兵が、叫ぶやいなや、影を切り裂いて、手斧が飛んできて、額に突き立った。もう一人の守備兵も、遅れて、飛んできた矢によって射倒された。

 ――吸血鬼たちは、急な襲撃に浮き足だった。暗闇で相手が何者かもよくわからない。剣と剣のぶつかり合う音が入り乱れる。吸血鬼の守備兵の中には敵方の数が多いと知れてくると、乱軍の最中、降伏するという選択肢を考える者も現れた。が、襲撃してきたのが、ハーフたちであると宵闇の中でやっと気づくと、白旗をあげることは絶対できないと悟った。ハーフの賊徒の相貌には決死の覚悟が見て取れた。飢えているのである。降伏しても、許してくれるような形相ではない。しかも、また、入り乱れる乱軍の中に頭ひとつ抜けた偉丈夫が二人、暴れまわっている。それは二頭のトラを思わせた。

 吸血鬼たちは日頃の修練をわすれて、畏れた。

「フォルカー殿に知らせねば」といよいよ逃げようとする者もあらわれる頃には、すでに勝敗の趨勢は明らかだった。狭い砦の中で、吸血鬼たちは退路をふさがれて、追い回された。勝利して、ハーフたちは、復讐心を思い出したのか、享楽的な虐殺がずっと続いていた。

 ――ホウロウは死屍累々の有様を呆然と突っ立っていた。勝った理由は明白だった。この砦には、弱兵と老兵しかいなかったのである。彼は浮かれて、人殺しを愉しんでいる者たちを見て、眉根を寄せた。ポロのようすも門をくぐっての乱戦の最中から尋常ではなかった。

 いまも、死んだ吸血鬼の頭蓋を何度も殴って、拳を傷つけている。

「おい、バカっ! もう死んでるじゃないか」と肩を引っ張られて、ポロはハッとしてホウロウの顔を見た。ポロは焦点の合わない目つきで、死体の胸ぐらを掴んでいる手を離した。壊れた門の方から、遅れてテムがやってきて、「よくやった。よくやった」と労いの言葉をかけてきたが、ホウロウの顔色は優れなかった。

「ここには老兵や怪我人の弱兵しか居ない」ホウロウは言った。

「それがどうした。だとしても、勝ちは勝ちだ」テムはホウロウの宵闇の中、灯篭の光で深く皺の刻まれた不機嫌顔を見た。テムの胸算用では、まだまだホウロウの力は必要だった。ここで、機嫌を損ねられては困る。どうしたものか、と腕を組んで考え込んでいると、穀物倉の方から、女の悲鳴が聴こえてきた。どうやら、逃げられもせず、倉庫に隠れていたらしい。

戦いとは、たいてい、こんなものだった。勝った方が凌辱を欲しいままにする。乾いた悲鳴と悪逆をする声が嫌な調べとなって、夜陰の中を貫いていく。

「……」テムはホウロウの義憤に燃える面を見た。凡人が、その顔をするなら、テムは鼻で笑ったであろう。ただ、ホウロウには、その理想をもってする力が備わっていた。青臭いが、その青臭いままに強いということをテムは無上のものとして考える。

 ホウロウは穀物倉に向かって歩いた。テムはその背についていった。彼がどうするか、興味があったのである。

 倉には内側からカギがかけれていた。扉の前にたむろするハーフの賊徒たちの様子をみるに、順番を待っていると見える。賊徒の一人が「はやくしろよ」と悪態をついた。けれど、居並ぶ賊徒たちも、ホウロウが怖い顔をして睥睨していると気づくと、ハッとして立ち上がった。阿るような態度で「あ、あんたも女が欲しいなら、先にどうぞ」と言われても、ホウロウは眉一つ動かさなかった。

ホウロウが「失せろ」というと、賊徒たちはバツが悪そうに扉の前から散っていった。

「こいつらはケダモノだ」ホウロウが言った。

「いいや。――たいていの男はこんなものだ」テムがいうと、ホウロウは貼り紙を引き剥がすように、倉庫の扉を引っ張って開けた。閂が音をたてて、折れた。

 中では、男が裸の女の上で、もみくちゃになっていた。そんな醜いつがいのすがたが二つあった。ホウロウは二人の男の首をひっつかんで宙に放り投げた。

 テムはため息して、ホウロウの大きな背中を見ていた。

「ああ、すまない。俺のせいだ」――正直者だった。この地上の苦しみに、彼が何を謝罪しているのか知らない。犯された女たちも、なにを謝られているのかわからない。

 すると、テムが横合いから「女子を暴行するのは我々の意図するところではない。済まないことをした。路銀を渡すから、ここから出してやろう」と代弁した。

 思えば、純血の吸血鬼の女の顔はめったに見たことがない。吸血鬼の女たちの顔は恐ろしいほどに整って、人形のようだった。また、悲壮の表情には、蠱惑的な美がある。

(これは山賊どもが我慢できるわけないな)とテムは思った。

「行く当てはあるか」ホウロウが聞いても女たちはすぐには答えなかった。はだけた服を見るに、特別、位の高い者でもないようだった。おそらく、給仕か、娼婦だろうとテムは思った。

 ホウロウは彼女たちが、自分の魁偉な巨躯におびえていると気づいて、身を低くした。

「済まなかった」ホウロウの鉱物のように輝いている眼には、吸血鬼の美貌が映っていないらしかった。

「お金はいりません。親戚の家が近いので、何とかなりましょう」

 吸血鬼の女が言った。凛とした鋭い声色であった。彼女たちは、ホウロウの罪悪感が分かりやすい衒いであると思ったようである。吸血鬼の慣習は糊塗によってできている。本音は言わない。交わす言葉は婉曲的である。

 彼女たちは逃げるように去った。

 その去り際、ホウロウははったと思い出して、門の方へ走った。彼女たちの方へ駈けていく。

「きゃっ」とおびえる彼女たちの前で、膝を付いた。

「あのようなことがあったあとで頼みごとをするのは申し訳ない。が、妻を探しているんだ。吸血鬼たちは、捕虜たちをどこへ連れて行ったか教えてほしい」

 吸血鬼の女の二人は、この時、ホウロウの慚愧に衒いがないことを悟った。

「捕虜を連れた軍隊は、少し休んでから桟道の方へ向かいました。そこから先、どこへ行くかは私たちにも……」

「それだけ分かれば結構。では、どうか、気を付けて」

 ホウロウは言った。

 話す言葉以上に、情が種族と性差を越えていった。彼女たちは今度こそ本当に去ったが、今度は背後から追われる心配をしなかった。むしろ、ホウロウの見守る視線に安堵さえ感じた。

 ホウロウも、その背と去り際に、「なんて凛とした人たちだろう」と嘯いた。ホウロウは天を仰いだ。空の暗黒は深い。深夜ぐらいの気配だった。まだ、この大冒険が始まってから、一日の時も過ぎていない。

 ――ここで、テムは不審な行動をとり始めた。彼は勝利の湧く賊徒たちの輪から外れて、苦々しく酒を飲んでいるカルーに近づいた。

「なんだ」とカルーは不貞腐れている。やはり、今宵の勝利は彼にとっては面白くない。焚きを囲んでいる手下たちの話はホウロウとポロの話でもちきりである。賊徒の原理は力だった。強い奴には靡くように出来ている。彼が危機を感じるのも当然だと言える。

「ウウム。少し困ったことになっている。俺の考えとしては、まだ、この関所を落としたことをすぐには吸血鬼方に知られたくないんだが」テムは独り言のように言った。

「安心しろ。関所は塞いだ。馬鹿どもが敗残兵を残らず殺してしまったわ」

「いや、そうじゃない。ホウロウの奴、隠れてた女を逃がしちまったんだ」

「あ? 倉庫の女か」

「ああ、あんたの手下どもが、犯していた女だ」

「なぜ、逃がした」カルーは詰問する。彼も、その肌を愉しむつもりだったので、鋭い剣幕で怒った。

「俺も呆れるが、ホウロウは、そういう性格だ」

「青臭いやつだ。それでは大所帯を統御できねえ」カルーは、このならず者たちを統制してきた者として、自負心に溢れた物言いだった。

テムは大笑いして「ホウロウに、お前たちを引っ張る気なんて全くない」と言った。

「ふん。で、どうするんだ。コンラートに知れたら、真っ先に潰しに来るぞ」

「あんたの手下を貸せ。女を追っかけて、殺してしまおう」

「だれが、そんな損な役回りしたがるってんだ」

「殺すのは好きに犯してからでいいとでも含んでおけばいいのさ」

「……」

「ただ、絶対にホウロウに知られないようにしたい。秘密を守れる奴に行かせろ。もし、あいつにバレたら、俺が殺されちまうからな」

 カルーは少し考えてから、テムの顔を見直した。カルーはテムの温厚な表情の下に潜んでいる悪鬼のこころを思い出した。

(そうだ。こいつは、ずっと、そういうやつだった)。

 カルーは寒気を感じた。恐れるべきは、この小人に違いないと思った。この後の暁闇の中で、吸血鬼の女二人は犯されて、殺された。死体は沼沢に捨てられて、だれにも知られず腐乱した。

 ――そんなこととはつゆ知らず、ホウロウは満足して夜空を見ていた。彼にはもっと、他人を邪推する目が必要だったかもしれない。もはや、テムの頭では、吸血鬼はすべてを賭して、抹殺するべき敵となっていた。いや、彼だけでなく、すでに多くのハーフの眼には復讐心が燎原の火のように燃えあがっていたのである。

 ――関所からほど近くに竜のアギトという谷がある。谷底には不気味な淵があり、上には天を衝くほどの山脈が伸びている。谷には、桟道が渡してあって、その先に、中つ国がある。ブレージア―王国から他国へ続く唯一といっていい道である。いまも、フォルカーは足弱のハーフを谷底に捨てながら、馬蹄の音を桟道の気に響かせて進んでいく。

 谷底の淵に沈んでいく骸の中に、一人の生存者が見受けられる。水面に死体の背が敷石のように浮かんでいる。それをかき分けながら、陸に上がった。男は足を怪我していた。

「ああ、た、たすかった」

夜闇の谷底の視界は暗黒に塗りつぶされて定かではない。が、谷の淵に溢れんばかりの死屍累々が、真っ黒い背景の中で確かな実態をもって見えた。老幼の別はない。子供の死体も平然とある。

 この惨憺たる現実の中で、命を拾ったという安堵が男の胸に込み上げてきた。その興奮を打ち消すように、獣の雄たけびのようなものが谷を反響してきた。男は足を引きずって、半狂乱になって逃げだした。

 彼にとって幸運だったのは、桟道の入り口付近で落とされたことである。道なき道とは言え、関所は目と鼻の先であった。

 ――彼は大声をあげて、関所の扉を叩こうとしたが、吸血鬼にふたたび縛されることを恐れて思いとどまった。けれど、足が痛いことはこの上ないし、腹も減った。しばらく、門の前で考えていると、「貴様、いま、谷口からやってきたな。さては、捕虜の列から逃げてきたんだろう」と首を掴まれた。この場で、殺されると思った。

 見れば、精悍な若い偉丈夫が、鋭い瞳を向けていた。

「あんた、吸血鬼じゃないのか?」

「ちがう。そのびしょぬれ恰好はどうした。雨なんか降っていないぞ」若い偉丈夫は、濡れた服を見て言った。

「お、落とされた」

 口から出る言葉が震えていた。自分はいま、地獄から這い上がってきたのだ。彼は滔々と語った。あのような地獄をひとりの胸の内にしまっておくにはあまりに巨大な記憶であった。

「あいつら、吸血鬼は……けだものだ。老人や子供や妊婦を、行軍の邪魔だからといって、桟道から谷底に落としちまった。俺も足を怪我していたから落とされた」

 彼が仔細を語ると、偉丈夫は肩を震わせて、関所の壁の中に向かって「あにじゃああ! やつら、やりやがった。とうとう、みんな、殺されちまったぞ!」と叫んだ。その声は赫怒に震えて、彼の肺腑を揺らした。

「――このあとはどうすんだ。考えはあんのか」ホウロウは関所の中で焚火を囲みながら、傍にあった木の枝で土をほじくり返して遊んでいた。

「ドマを助けるなら、お前は少し休んだ方がいい。どうせ、老人や子供を連れて、桟道はすぐには抜けられない」テムは焚火の炎の揺らめきをじっと見ていた。彼にも少しの疲れが見える。

周りの者たちも、炎の揺らめきに催眠されて、首をこくりこくりさせている者が散見される。

「狭い場所でどう吸血鬼と戦うんだ」

「竜のアギトはうねった後に、谷合に出る。谷合には、小さい宿場町がある。フォルカーは確実にそこで休憩するから、叩くなら、その時だろうな。……しかし、戦力には圧倒的な差がある。要は、お前がフォルカーを倒すしかないわけだが」

「それは俺に任せろ。命に代えても、そいつは殺す」

「そりゃあ、困る。いま、お前に死なれちゃあ、吸血鬼の反撃に耐えられない」

「できることをするだけだ。俺が死んだら、ドマとポロを頼んだぞ」

「イヤに饒舌になったな。死に酔ってる。生きてこその人生だ」

 二人とも、疲れて頭が回らなかった。互いに、相手の言葉が癇に障った。こうして、危急の事態に顔を突き合わせてみると、両者ともに思想がまったく異なっていることを知る。

「もう、こうなったら死に物狂いだ」

「いまになって、お前の力がうらやましくなってきたよ」

 ホウロウはムッとした。

「やってみなけりゃわからない。全身、痛いんだぞ」

「もう寝ろ。朝になれば、すこしは命が可愛く見える」

 口を突いて出る言葉に斟酌する余地がない。ただ、疲れた頭で思ったことをそのまま口に出している。

「とはいえ、今日、頑張ったのはお前だから、寝床はやるよ」

 彼は頷いた。張り詰めたものが弛緩していくように遅々とした足取りだった。あのまま会話していたら、最後には喧嘩していたに違いない。テムは口元の熱が冷めたように息を吐いた。長い一日が終わったとホウロウは思った。が、その刹那にポロが目を吊り上げて、門の方から走ってきた。

 ポロははじめ何も言わなかった。ホウロウの方へ来ると、含みのある沈黙だった。ホウロウはどうしたかと聞けなかった。

 おそらく、最悪なことが起こったに違いないという直感があった。

「……みんな、殺されちまったぞ。もう遅かった」

 ――仔細を聞くホウロウの態度は峻厳なものだった。何を聞いても微動だにしない。どこか、その動かせない悲劇を知っていたかのようである。

「やつら、子供まで谷底に投げ捨てちまった。いかれてるよ」ポロが半ば強引に引きずってきた谷底に落とされたという男は悲劇を語るところ、狂気じみた熱を帯びていた。賊徒たちも円を作って雁首揃えて聞いていた。彼らにも、捕虜の中に知り合いや肉親がいるに違いない。

 各々のもろもろの感情は、この場において一個の生き物のように集まって、復讐という情動へと収斂されていく。その居並んでいる相貌に涙を見せる者はない。打ち震える肩、見開かれる瞳、吊り上がる眉。焚火も相まって、火柱のように見える。テムの眼が左右を洞察している。その瞳だけが熱に浮くことなく、怜悧に周囲の挙動を見ている。

「……ならば、もう思い残したものはない。我らは、ここで降りる」とカルーが言った。水面に石を投げ込んだような無言の波紋が広がった。

「まあ、落ち着け、カルー。この状況、まだ、力を合わせれば、何かできるかも」テムが言った。

「いいや。これ以上、危険を冒したくない。我らはヒューマンの領域へと逃亡する」

「人間界? ふふ、あそこでは普通に魔族は即処刑だ。どっちにしろ居場所はない。第一、ここから、人間界に行くとしたら、ブレージア―城を迂回せにゃいかん」

「ここよりマシだ。人間の世界に同化する魔族も珍しくないと噂だ」

「それはあり得るかもしれないが、そんな大所帯で人間界に簡単に侵入できるわけがない」テムがさらに反論すると、アルコンが追従するように「なあ、しかも、もうすぐ冬だぜ、大将」と言った。

「ほかに何か意見がある者は言え」カルーは脅すような調子で言った。誰も何も言わない。テムは半笑いで、その傲慢を見ていた。

(自分で墓穴を掘るようなもんだ。まあ、勝手にしてくれ。組織に頭は一つでいい)とテムは思った。

 すると、ここまで、緘黙を貫いていたポロが「この豚。戦うのが、そんな嫌か」と猛り立った。<豚>と言われて、カルーは驚いた。すぐに「このガキ。やんのか」と応戦する。

 ポロはじっと、その不健康に太った体を睨むと、くわっと頭を掴んで、焚火の中にカルーを投げ落とした。

「うわあ!」と瞠目するテムを差し置いて、猪くらいある頭を焚き火の隅の中に押し付けている。カルーは悲鳴をあげて虫のように体を捻った。

 ポロは目玉は虚空のように黒く染まっていた。その顔は粘土で作られたような無機質な顔だった。あまりに恐ろしくて、止めに入るものもない。テムは助けを求めるように、ホウロウのようすを覗いた。彼は地面に胡坐をかいて、岩みたいに動かない。

 ポロはカルーの体を賊徒の方へと放り投げた。カルーは死んではいなかったが、顔面が炭のように焦げていた。ポロはテムの方に、目を向けると「おい、テム。奴らに一泡吹かせる策はないか?」と聞いた。獣の眼だ、とテムは戦慄した。

「いや、あるにはあるが……」ポロはそのしどろもどろの返答を待たずに、鋭い視線を居並んでいる賊徒たちに向けた。

「戦う気のない者は失せろ。俺は吸血鬼を、この地上から消してやる。貴様らも、生き残るにはそれしかないのだから、覚悟を決めろ」

 草は強風に靡く。迷いは広がっていく。が、すぐに処世術を心得ている者は、得心した顔で頷いている。

「あんたの言うとおりだ。俺も戦う。それしかない」一番最初に、平伏したのはアルコンだった。彼は気絶したカルーの前にもかかわらず、ポロの圧力に屈した。

「我らが山塞の掟を覚えている古参はいるか? はじめは、我らはハーフのための居場所を作るためにあつまったのだ。それが、いつからか、ただの盗みや人殺しをする賊に成り下がった。これは天が与えた機会というべきだろう」

 アルコンが説くと、賊徒たちの迷いも消えた。もともと、靡きやすい小悪党の集まりである。テムは、(これはしめた!)と思った。ポロは単なる怒りだけで、賊徒たちを抱き込んでしまった。

「しかし、ひとつ聞いておきたい。指揮を執るのはだれだ?」アルコンがホウロウとポロの方を交互に見た。

「……あにじゃ」とポロがいっても、ホウロウは動かなかった。眼すら合わせない。賊徒たちの眼から見ても、ホウロウの強さがポロに勝っているのは明らかだった。とうぜん、指揮を執るならホウロウだろうと推測して、弱まった焚火を囲む者たちは期待するような顔でホウロウを見ている。が、彼は死んだみたいに動かない。どこを見ているのか、その眼の焦点はわからない。

「……」誰も何も言わない。ポロもホウロウの言葉を催促しなかった。ポロは子供のようにむつけて、口をへの字に曲げている。見かねて、テムはホウロウの方に膝を進めた。

「なあ、ホウロウ。おそらく、フォルカーは行軍を急いでいる。あの男の話がほんとなら、ドマはもう死んでいる、と見るのが妥当だ」

「……。この獣声はいったいなんだ」

 ホウロウは聞いた。テムが耳を澄ますと、かすかに獣の声が聴こえた。テムは何の声が分かって、悪寒を感じた。

「たぶん、屍鬼だ。死体の匂いにひかれてきたんだ。だとするなら、フォルカーはほんとに足を引っ張る者を谷に落としたのかもしれない」

「なら、まだ、全力で追えば、フォルカーに追いつけるか」

 テムは呆然とした。(こいつはボロボロの体でなにを言っているんだ)。

「いいや。さっき言った通り、叩けるとしたら、谷合の宿場町で休んでいるところを狙うしかない。が、フォルカーの急ぎ足を見る限り、もうそこは越えてるだろう。なら、いまから追っても、出来ることは少ない。……それに、お前、最後に寝たのはいつだ。むりだ。もう追いつけない」テムは自分の身が持たないと思って、あえて大げさに言って見せた。

 ホウロウは胡座をかいたまま、両膝に手を置いて、石像のように動かなかった。やがて、首だけがかくんと動いて、頷いた。

「……もう救える命がないのなら、せめて、骸は谷の淵で腐らせたくない」

 ホウロウはそういうと、立ち上がって、門の方へ歩いていった。

「おい。どこ行くんだよ」テムが、その背に向かって言った。関所の中の全員が、彼のバケモノみたいに大きな背中に釘付けだった。

「あいつを探してくる」

 ホウロウは谷淵の闇の中へと消えていった。誰もついていかなかった。皆、疲れていた。身内の死体を探しに行かなければならない、と情義の上で分かっていても、この疲労は道徳心に重くのしかかってくる。彼のあとに続ける者はいなかった。

「バカな奴だ。死体はおそらくいまごろ、屍鬼に食い荒らされている。いま、疲労困憊の体で、死体を引き揚げにいっても、屍鬼に食われる骸を増やすだけだ。それに、もうひとつ、疫病の心配もある。心苦しいが、ここは休むのが得策だろう」

 テムは皆に語った。疲れていない者はいない。皆、どんな理屈でも頷いていただろう。要は、眠いのである。

「だれが、頭目になるかは、後日決める。それでいいか、アルコン」テムが確認するとアルコンは二つ返事だった。そして、山賊たちは焚火から引き下がっていった。

「ポロ、もしかして、あいつ、ドマを殺されたショックで死にやしねえよな」

「……見てくる」ポロはそういうと、テムに背を向けた。テムは何か煮え切らないといった顔で、その背が闇の中に消えゆくのを見ていた。

 ポロはすぐにホウロウの歩みに追いついた。暗闇で、表情が見えないが、邪推する目と目がぶつかり合っているのを互いに感じた。

「こんなことになっちまって、気の毒にな」

「できることはやった。怒る気持ちはわかるがな、その気性は抑えてくれよ」

「あにじゃ、気にすることはない。あんなのはただの山賊だ。いくら苛めても、人道に反しやしない」

「俺は怖いぜ。お前がよ」

 ポロは窘められて、すぐには反駁しなかった。が、心残りがあるように鬱々と口を開くと「だが、あんたはすこし頑固で古くて、まったく現代人じゃない」と言った。ホウロウは睡眠不足で鈍った頭脳で、ポロの殺気を感じた。むろん、自分に向けられたものではないが、芬々たる怒気が、その五体から醸されている。

「お前は来ないほうがいい」とホウロウは振り返った。

「ひとりで、ドマを探すのか、そりゃ無理ってもんだぜ」

「……ポロ。いまから、たぶん、俺たちは地上で最も醜いものを見るかもしれないんだぜ」

「それでも淵に潜ってドマの死体を探すんだろ。覚悟の上だ」そう気丈に言いつつ、彼の腕はまるで別の生き物のように震えていた。奥歯をカチカチと鳴らしながら「わりぃ。震えがとまらねえんだ」とポロは歪んだ笑みを見せた。

「……」ホウロウは迷った。ポロのこころは均衡を失い始めているような気がした。

「ここにいろ」

「あにじゃは平気なのか」

「いいや。こわいよ」

 ホウロウは淵の方へと足を踏み出した。犬のわななきに似た獣の声が暁闇の中に溶けていく。淵に近づくほど、獣の匂いと死の匂いとが濃くなっていくようだった。暗闇で小石を蹴って、転びそうになった。蹴られた小石は谷底に転がって、淵の水面に落ちてぽちゃんと音をたてた。

 底はもう近い。

 ホウロウは立ち止まった。目の前の闇の中に犬のような輪郭が見えた。テムの斡旋で魔物退治をした時に見た屍鬼の形と同じだった。野犬より臆病で賢い生き物だった。黒く窪んだモグラのような目元を動かしながら、相手の大きさを洞察している。すると、唸りをあげて、暗闇の中を逃げていった。ホウロウはふっと息を吐いた。

ふと、月明かりが差し込んできた。ホウロウは身を乗り出して、おそるおそる谷の淵を覗いた。

 濁流のように彼の胸に込み上げてくるものがあった。怒りや悲しみを押しのけて、彼が最も強く感じたのは、憐憫だった。フォルカーは足弱の者たちを老幼の区別なく、谷に落としたのである。淵の水面に浮かぶ力なき者たちの背中が、ホウロウに何かを語りかけてくる。

 ホウロウは気分が悪くなった。この淵に生きている者が自分ひとりとは到底思えなかった。無数の人間が深みからこちらを見て、その責を問うているような気がした。

彼は地面を見ていた。倒れそうになったのをすんでのところで両手で支えていた。

「……」

 彼は病的な虚妄に囚われていた。強力な肉体を持っているという自尊心と、その責任を感じた。か弱き霊魂が見える。

「お前は何かできることがなかったか?」

 そう霊は問うのである。

 彼の強さは神域に入っていた。ゆえに、恐ろしい現実に直面する。他人が死ぬのに、責任を思うのである。ホウロウも頭ではおかしいと考えても、情で思うことは止められない。また、淵に沈んでいる死体に子供が多かったのが、彼にとって悪く作用していた。壮年の者の死の方が幾分、マシな呑み込みができたはずだった。

 彼は立ち上がると、焦点の合わない瞳で、気絶したような顔色のまま、淵の中に飛び込もうとした。

 彼にとっては自殺的な行動だった。生き延びても、この先、いくつの吸血鬼の凶刃を退けなければならないか。また、その復讐戦にともなう褒賞はなにか。考えれば考えるほど、空虚な穴が胸に開いていくようであった。刹那の間、彼は死に誘引された。本来の彼からすると、珍しいほどに弱っていた。

「もういい! 帰ろう!」

 ――その一瞬のホウロウの妄執を止めたのはポロだった。

「もういい。十分だろう。あにじゃ、あんたはできることをやったよ」

「ああ、そうだ。やったとも!」

 ホウロウは骨を折っても、全身に傷を負っても、流したことのない涙を流した。ポロも泣いた。谷底の暗闇に男二人、「うおおおん」と獣のような雄たけびをあげて、大粒の涙を流した。































































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