第一部 7話 名もなき花

「リック、ここが会場だよ」

 ナタリーがリックに微笑みかける。

 そこは森の一部を切り抜いたような広場だった。背の低い白い花が一面に咲いている。

「いい場所だね」

 リックが嬉しそうな声を出した。

 ナタリーが広場を歩いてゆく。ちょうど真ん中あたりで腰掛けると、リックを隣に下ろした。

「良かった。あたしのお気に入りの場所なんだ」

「よく来るのかい?」

「うん。大事なときはここに来る」

「大事なときって言うと……」

「今日は特に大事な日だよ」

「?」

「お兄ちゃんを助けてあげてね。あたしは、まだ何も出来ないから」

 ――ああ、これを伝えたかったのか。

「はい。歓迎の品だよ」

 ナタリーは咲いている花を集めて、リックに差し出した。

 リックは思わず笑みをこぼして訊ねる。

「ありがとう。何て言う花なのかな?」

「あはは、知らない。でも好きなんだ」

「どんなところが好きなんだ?」

 ナタリーは、ぽかんと不思議そうな顔をして、やがてけらけらと笑う。

「ばっかみたい!」

 リックが理解できずにいると、ナタリーは両手を広げて後ろに倒れこんだ。

「だって、こんなに綺麗なのに?」

 その姿に思わず息を呑み、リックは小さく頷く。

「……そうだな」

 心地良い沈黙が続き、

「約束する。アッシュの力になろう。役に立てるかどうか、分からないが」

 リックが応えた。

「ああ、良かった」

 安心だ、と呟いた。

 不意に。ドン、と地面を揺らす音が響いた。

「? 何の音?」

 ナタリーの不思議そうな声。

 ドン、という音がもう一度響いて、そいつは姿を見せた。

 人間の倍はある大きな赤い体に、歪んだ顔。額からは二本の角が伸びていた。見るからに重そうな金棒を引きずっている。

 大鬼が、森の広場へと入ってきた。

「ひっ」

 ナタリーが反射的に悲鳴を上げる。

 リックはナタリーを庇える位置へと移動した。

 大鬼がナタリーを見つけて、威嚇するように唸る。

「ナタリー、できるだけ離れて」

 リックの囁きに応えようと、ナタリーは立ち上がって後退し始める。

 後退するナタリーに合わせて、大鬼が一歩だけ前に出る。

 ――村からの救援はすぐに来るだろうか? 倒すことは論外。逃げることも難しい。時間を稼ぐしかない。

 リックはあえて一歩前に出た。

 大鬼は訝しむようにリックを見ているが、じりじりと近づいてくる。

「きゃ」

 リックの後ろでナタリーが足を取られて転んでしまう。

 僅かに意識を割いた瞬間、大鬼が突撃してきた。

 さらに一歩前へ。ナタリーが巻き込まれない位置を取る。

 素早く距離を詰めた大鬼がリックに金棒を叩きつけた。ガン、という甲高い音が響く。

 手応えに違和感があったのか、大鬼は不思議そうな顔をしながら金棒を持ち上げる。

 無傷のリックを見るなり、大鬼は後ろへ跳んだ。リックは威嚇するようにもう一歩前へと出る。

 ――くそ。全てただのはったりだ。他の選択肢がない。

 不機嫌そうに唸っていた大鬼が再突撃をかける。

 もう一度リックに金棒を叩きつけ、すぐさまナタリーへと向かう。

「やめろ!」

 咄嗟に大鬼の足へと体当たりをするものの、効果は全くない。

 数秒とかからずに、大鬼はナタリーの目の前までやってきて、金棒を振り上げる。

 ナタリーは目を瞑って、肩を震わせている。

 大鬼が金棒を振り下ろした。

「きゃっ」

 軽い衝撃がナタリーを襲う。気づけば尻餅をついていた。

 おかしい。尻餅で済むはずはない。

「え?」

「が、は」

 遠くの樹に何かがぶつかる音がして、すぐに咳き込むような声が漏れ聞こえた。

 ナタリーを突き飛ばしたアッシュが、そこにはいた。

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