第5話 惨劇ハ森ニテ #4
◇◇◇
王都レイアス。ナグの森、入口付近。
◇◇◇
ナグの森の周辺には、子供が勝手に立ち入らぬように柵が設けてある。その柵の一部は開閉可能となっているが、レイアス内にある各町の長を務める者達の所有する鍵が無ければ開けられない。
そんな柵の前で、6人の大人達が森を見つめている。大人達は照明代わりのランタンを足下に置き、ある者は手をポケットに入れ、ある者は胸の前で腕を組む。
この大人達は皆、成人の儀を運営、企画している者達である。毎年、成人の儀を行う日程を定め、成人予定者を集めて儀式を進める。儀式の間はひたすら森の外で待ち、森の中から生還する成人予定者達を出迎える。
成人の儀は毎年のことである為、儀式に費やす時間の平均は勿論把握しており、今日もまた、儀式の平均時間である20分をゆったりと過ごしていた。
しかしながら、大人達は珍しく、少しソワソワと胸騒ぎを覚えていた。
今年の成人の儀を行う面々が森の中に入り、既に25分が経過している。森の中から声が聞こえてくることも無く、また、草や枯葉を踏み潰す音も中々聞こえてこない。
「遅い……まさか異常事態か?」
大人達のうち1人、白髪頭の中年髭面男が言った。
皆が薄々感じつつあった胸騒ぎだが、白髪頭が「異常事態」と発言した途端に、各々の不安感は膨張。緊張感に汗を滲ませ始めた。
「分からないが、単に手こずっているだけかもしれない。あと5分……いや、あと3分だけ待とう」
髪の毛が抜け落ちた最年長の男が、落ち着いた様子で言った。すると間も無く、僅かな木々と闇しか見えなかった森の奥から、ほんの僅かな光が見えた。
森の中から見えるオレンジ色の光は、儀式を受ける者達に貸し出したランタンの色である。
「よかった、帰ってきた……」
「だが、ちゃんと全員生還したかが問題だ。気を抜くなよ」
ランタンの光が近付く。しかし光だけで、ランタンを持つ者の姿も、他の者の姿も見えない。あともう少し、あともう少し近付けば確認できる。そう考える大人達は、汗を流し、唾を飲み、帰還を待つ。
「……何があった」
「問題だ。全く予期していないものだろう」
ランタンを持つ者の姿が漸く確認できたその時、大人達は、決して焦りを出すことなく、極力冷静に、状況の把握を急いだ。
ランタンを持たせたのは、今年の成人予定者の中に於けるリーダー的存在のグメル。しかし、ランタンを持って向かってくるのはグメルではなく、リーダー的存在とは決して例えられない少女、リルであった。
リルがランタン持ちの役目を交代したのだろうか。そんなことも考えようとしたが、リルの後方が視界に入った途端に、交代したという思考は消えてしまった。
リルの後ろには、誰も居ない。隣にも居ない。無論、ランタンの前を歩く者も居ない。11人居たはずの成人予定者が、森を出る頃にはたった1人になっている。
大人達が最も驚愕したのは、リルの姿。ランタンに灯されたリルの体は、酷く汚れていた。泥水でも浴びたかのような汚れ具合ながら、衣類に目立つ乱れは無い。
衣類に染み込む黒みがかった汚れ。その正体を示したのは、より外に近付き、より鮮明になったリルの柔肌だった。
「人が要る。グランツさんは戦える人間を3人……いや、5人ほど集めてくれ」
「7人は集めます。その間、あのお嬢さんから事情を聞いておいてください」
リルの顔や手。露出した白い肌を、茶色くなりつつある血液が汚していた。泥の色とは明らかに違う血液独特の赤褐色を、儀式を運営する大人達は「あれは泥だ」と認めなかった。
泥水と、乾いた血。この場に要る大人達は、ランタンと僅かな月光しか無いこの場に於いても見間違えたりしない。
「開けよう」
大人達のうち1人が、森の出入口となる開閉可能の柵の前に立ち、南京錠の鍵穴に銀色の鍵を刺し解錠。リルが柵の前に到達するよりも前に、柵が開かれた。
これは儀式。儀式には幾つかのルールがある。そのうちの一つに、儀式終了までの間、儀式を受ける者以外の侵入を禁止するというものがある。
儀式の終了は、成人予定者の1人以上が柵を通過し、柵の外に出た瞬間に達成される。つまり現状、大人達は血塗れのリルに対して、柵の外で待つしか行動が取れない。森に飛び込み保護、ということはできないのだ。
柵が開かれ、リルはこれまでよりも少し足が早くなった。一刻も早くこの森から出たいという気持ちの表れなのだろうか。
「儀式は終わりだ!」
リルが柵を通過し、森の外に出た。その瞬間、大人達はリルの前に駆け寄る。囲む初老達に嫌悪を示すかのようにリルは少し後退したが、予期せぬ疲労に体はあまり機能せず、それ以上の後退は足が拒んだ。
「お嬢さん、何があった?」
大人の1人が尋ねると、リルは怯えたような顔で唇を震わせる。肌はいつもよりも白く、体全体が震えてしまう。細い腹を少し突けば、即座に嘔吐してしまうような、極めて病的且つ悲愴な表情をしていた。
「ま、魔族……が……」
「っ! お嬢さんは生き延びたようだが……他のみんなは、魔族に?」
肯定の言葉は無く、リルは代わりに、コクコクと小刻みに頭を動かした。
「魔族はまだ中に?」
否定の言葉は無く、リルは代わりに、プルプルと頭を横に震わせた。
「逃げたのか?」
肯定も、否定もしない。ただリルは、自らの背に手を持っていき、鞘に収めていたナイフを抜いた。
前に差し出し、ランタンの光に当てられたナイフには、薄く、乾きつつある血液が付着していた。さらには刃毀れも見られる。
大人達は、否定も肯定もせずにナイフを取り出したリルの行動で、全てを理解した。
魔族は逃げたのではない。死んだのだ。そしてその死因は、リルであると。
大人達は、リルが魔族を殺したという事実の追求を終えた。既に刻まれたトラウマを抉るような言動を避け、大人達は額に滲みつつあった汗を拭った。
「今日はもう帰りなさい。今夜は眠れないかもしれないが、ゆっくりと休むといい。そして明日になれば教会へ行きなさい。気休め程度かもしれないだろうが、お清めを受けてもらうといい」
「1人で帰られるかい?」
リルは小さく頷いた。大人達同士も静かに頷き合い、付き添いを付けることなく1人で帰らせるようにした。
「我々は森に残った者達を連れ戻し、魔族の遺体を処理する。気をつけて帰るんだよ」
大人達はリルからナイフを回収し、帰路につくリルを見送った。
この後、大人達は増援が到着した時点で、残された10人の成人予定者、及び魔族の男の遺体を回収した。
その際に発見された魔族の男の遺体を前に、大人達は息を飲んだ。
魔族の男は首を9割ほど切断されていた。筋肉と内臓は完全に切断されていたが、首の骨は切断に居たらなかったらしい。
この遺体を作ったのが、あの大人しそうな少女であるとは、正直、考えられなかった。
帰路につき、森から離れたリルは、家とは違う方向に少しだけ歩き、小川の前にやって来た。普段、この小川に来る用事などは無いが、今日だけは別である。
「ぉえぇ……」
既に血で汚れた体と服を、さらに土で汚しながら、リルは流れる小川に向け口を開く。開かれた口と鼻から吐瀉物が溢れ、閉じられた瞼からは涙が零れる。
森を出て、大人達と対面している時から抱いていた吐き気。小川に着いて早々に吐き気の栓が引き抜かれたらしい。
目の前で同い年の面々が惨殺されたことによるストレス……というのも吐き気の原因であるが、リルに嘔吐を促したのは、成人予定者達の死ではない。
「ぅ、ゲホッ! んっ……ん! ぅげ……ゲホッ!」
胃液と唾液が混ざった咳はとても苦しく、咳が出る度に背中に痛みが走る。
―――吐き終えたら呼吸を整えろ。ゆっくりだが体が楽になる。
リルの脳内、体内に響く、自分じゃない誰かの声。自らがイメージしたものではない、全く知らない男の声。
「誰、の……せ、いだと! ぅ、ゲホ!」
―――俺のせい、だろうな。俺が君の体を使い、あの魔族の首を切り落としたから、だろう?
嘔吐の原因は、ナイフで魔族の首を斬った行動そのもの。
ナイフから伝わる肉を切る感覚と、噴出する鮮血。断末魔を上げながら死んでいく魔族の壮絶な顔。それらの全てがリルに吐き気を促し、今に至る。
しかしながら、それはリルの自発的行動による吐き気ではない。そもそも魔族の首にナイフを入れたのは、リルではあるが、リルではないのだから。
体は確かにリルだったが、体を動かしていたのはリルの意思ではない。先程から体内に声を響かせている男の意思である。
体の主導権がリルからこの男に変わったのは、リルが死亡した直後。死後に蘇生し、魔族の男と対峙した際に、口調と一人称、声のトーンが変わっていたのは、主導権がリルではなく男に移っていたからである。
「教えて……あなたは誰なの!? 何で私は生きてるの!?」
リルは覚えている。魔族の男に首を絞められ、自らの意識が、命が途絶えたということを。しかし今、リルは生きている。しかも何故か自分の中に、知らない男の声が響くようになってしまっている。
生きている理由も。男の正体も。リルには全く分からない。知らないまま生き続けられるほど、リルの心は丈夫ではない。故にリルは問うしかない。
―――理由が知りたいなら一先ず帰宅するといい。会話をするよりも、心を落ち着かせる方が先だ。
「……信じるべき、なの?」
―――それは君が判断するべきことだ。しかし俺のこと、そして君の蘇生の真相を心から知りたいと望むなら、早く帰れ。
信じるべきか。その問いに対する答えは、否定でも肯定でもない、自己判断。しかし真相を知りたいリルは、迷わなかった。本当は迷い、疑うべきなのだろうが、信じることでしか答えを得られないのであれば。
「試しに、信じてみる」
咳が治まり、リルの呼吸と鼓動は徐々に落ち着いていった。
異世界憑依 智依四羽 @ZO-KALAR
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