第3話 惨劇ハ森ニテ #2

 魔族の男の両脚、脹脛ふくらはぎの中心に魔法陣が出現した。

 魔法を発動する際には、魔法が作用する部位や箇所、或いは方角に対して、必要量となる魔法陣の出現が伴う。発動する魔法が高難易度且つ強力になれば魔法陣の枚数も増え、また、魔法陣の構造も複雑になる。

 魔族の男の脚に出現した魔法陣は1つ。構造自体はそこまで複雑ではなく、比較的簡素なもの。

 しかしながら、その様子を見ていたリルには魔法の知識は無く、男が発動した魔法の程度については全く分からなかった。


「ふんっ!」


 魔族の男が声を漏らすと、男は、リルの目では追えない程の速度で動き、リルを見捨てた9人に接触した。

 まず最初に接触したのは、モヒカン頭のボルス。目立つ外見が災いしたのか、真っ先に狙われたボルスは、トンゼス同様に固く大きな握り拳で腹を貫かれた。性格にははらというより、その中央付近にある水月である。

 ボルスを貫いた男は、次に、近くに居たスキンヘッドのカインを狙った。カインもまた腹を貫かれ、ボルスと共にその場に倒れた。


「加速魔法……」


 魔族の男が発動した魔法の正体を理解したミケルだったが、理解したところで対処などできるはずも無く、理解直後、これまで同様に腹を貫かれた。

 男が発動した加速魔法は、戦闘用の魔法の中では比較的初級とも言える難易度であるが、戦闘になれば極めて重宝する。

 加速魔法は、基礎となる魔法を全て理解把握した後に習得できる。元より魔法の扱いが得意ではない人間族の、それも魔法についての知識が浅い今のリル達から言わせれば、加速魔法は脅威という他無い。


「ひっ!!」


 魔族の男に容赦という思考は無いらしく、異性となるティファ、並びに、その隣で震えていたエリンに接触し、2人同時に攻撃を加えた。

 しかしながら、どうやら男は腹を貫くことに飽きたらしく、今度は、ティファとエリンの首を掴み、握った。すると、2人の首の皮膚と肉は容易く抉れ、2人の頭部は首の骨とその周辺に付いた筋肉達でのみ繋がる状態になった。

 まるでクリームパンでも握り潰したかのように皮膚と肉は潰され、カスタードクリームの代わりに鮮血が溢れた。またエリンに至っては、瞬間ながら確実かつ理解を超えた苦しみに遭遇した為か、眼孔から眼球が半分ほど飛び出してしまった。

 凄惨な寸劇のように繰り広げられる殺戮ショーの中で、ダンは3つのことを理解した。

 まず1つ。魔族の男は、加速魔法を発動するよりも先に、肉体強化系統の魔法を既に発動していた。魔族は皆、大抵の人間よりも身体能力が優れているものだが、ただの握り拳で人体を貫いたり、握力だけで人の首を握り潰すことなどできるはずがない。つまりは魔族の男は、トンゼスを殺した時点で、既に自らの両手に握力と高度と腕力を強化する魔法を付与していた。最初から殺すつもりで、一同に接触したのだ。

 次に1つ。魔族の男が、この場で殺戮を始めた理由。ナグの森は、中に入れば酷く静かな場所であるため、自らの足音でさえもよく聞こえてくる。しかしながら最深部まで来てしまえば、森の外には音が漏れない。仮にこの場で全力で叫んだとしても、森の外に居る者達には届かない。つまりは、助けを呼んでも意味が無い絶望的状況での殺戮を楽しんでいる。

 最後に1つ。この魔族の男の登場が、何者かによる作為的な事案という可能性がある。一同が今日この場に集まることを知り、且つ、この場であれば森の外に居る者達には気付かれないことを知っている。王都レイアスに住む者しか知らないはずの話をここまで理解し、殺戮を実行できるということは、何者かによりこの情報を譲受したという予想ができる。

 ここまで思考を巡らせたところで、ダンは魔族の男に頭を掴まれ、卵でも割るようにぐしゃりと潰された。男の手中には、先程まで活発に活動していた脳味噌の一部が握られ、指の隙間からは脳漿と血が溢れた。


「ダン!」


 七三分けのゲイルスは、ダンが殺されたことに酷く動揺し、目の前にまで迫ってくる魔族の男にさえ気が回らなくなり、逃げようとする気にも至らず攻撃を受けた。

 今度は腹を貫く訳でも、首を絞めるわけでも、頭を潰す訳でも無く、ただ思い切り、固く握った拳でゲイルスの顔面を殴った。

 人体を容易く貫通する拳で顔面を殴ればどうなるか。酷く簡単な話、頭部は破裂し、肉片として血飛沫と共に周囲へ飛散する。


「~~!!」


 リルを除き、最後に残された女性のサーシャは、今に至るまでの殺戮に恐怖し、声にならない悲鳴を漏らす。

 嘔吐するでもなく、失禁するでもなく、ただ震え、ただ奥歯を鳴らし、ただ涙を流す。

 ゲイルスの血と脳漿が飛び散り、サーシャの顔面、そして眼球に付着する。唐突な目潰しを喰らってしまったサーシャは、酷い嫌悪感を抱きつつ、咄嗟に服の袖で顔と目を拭く。

 すると、袖を隔て、突如サーシャの右腕が掴まれた。目を擦っていた為、腕を掴む手の指先が眉間に触れ、瞬間的にゾワゾワとした嫌悪感と鳥肌が全身を走った。

 サーシャは、自らの背中が重力に引かれていることに気付いた。同時に、足の裏が地面から離れたことにも気付いた。

 そして理解した。腕を掴まれ、さらには腕に接触していた頭部を腕ごと押され、その勢いでバランスを崩したのだと。


 嗚呼、死ぬ。


 死ぬ事が理解できた。しかし理解と同時に現実は訪れ、覚悟する暇も、嘆く暇も無かった。

 腕ごと押されたサーシャの頭は地面に叩きつけられた。魔法により強化された腕力と握力で、乾燥して硬くなった地表に頭をぶつければ、人の頭程度なら簡単に潰せる。

 その瞬間に散る血飛沫は凄まじく、攻撃を加えた張本人の魔族の男は勿論、まだ近くに居たグメルにも飛び散った。


「さてさて、漸くお前の番だな、小僧」


 魔族の男と目が合ったグメルは、酷く怯えていた。

 何か出てきても俺が殺してやる。剛毅果断な態度で試練に望んでいたグメルは既に死んだのか、リルの目に映るグメルは脆弱で、持たされていたナイフさえも抜けない程に震えている。


「小僧、腕を折られるか腹を殴られるか、まずはどっちがいい? 安心しろ、腕力と握力に対する強化魔法は解除する」

「ぁ、あ……」

「答えろ。でなければその喉に指を刺して肉を抉る」


 どちらが良いか。仮にどちらを答えても、自分は死ぬ。グメルは自らが置かれた状況を把握しつつも、肉を抉るという脅しに負け、質問に答えてしまった。


「ぅ、腕、で……」

「なるほど、お前は腕がいいのか」


 グメルの答えは、腕。どちらを答えても地獄だが、腹を殴られるよりは腕を折られる方が幾分か楽かもしれないという甘い考えに至ったのだ。

 しかし魔族の男は、グメルの考えなど容易く握り潰した。


「俺は脚がいいな!」


 腕か腹。腕というグメルの答えに対する魔族の男の行動は、蹴りだった。

 加速魔法のベースには、脚力強化の魔法がある。故に加速魔法さえ使ってしまえば、蹴り技を使った際の破壊力は上昇する。

 そして魔族の男は、加速魔法を付与したままの脚で、グメルの脚に対してローキックを喰らわせた。

 加速魔法を付与した蹴り技とは即ち、枯れ木に打ち込む金槌のようなもの。骨を折るだけでなく、皮膚と肉を裂く。グメルの左脚は完全に切断され、右脚も切断寸前の状態になってしまった。


「っ!」


 その直後、グメルは唐突な痛みに悶え、叫んだ。喉を枯らし、内側から破るような絶叫に、傍観していたリルは思わず耳を手で塞いだ。


「言った通り、腕から先には付与していた魔法は既に解除した。ただ、脚は解除してねぇんだよなぁ!」


 魔族の男は、脚を失い転倒したグメルの前に立ち、今度は左手を強く踏む。固い地表と重い足に挟まれたグメルの手は、骨ごと圧縮された末に、最早原型さえ留めぬ程に破壊されてしまった。

 脚に続き左手を失い、グメルはその痛みに尚叫ぶ。喉の酷使に伴う嗚咽が時折漏れ、その目からは尋常ではない程の涙が溢れている。

 グメルが徐々に壊れていく様を眺め、魔族の男は満足気に微笑む。


「人間ってのは低俗だよなぁ! 自分の利益のためなら平気で他人を蹴落とすくせに、自分の身が危うくなりゃ助けを求めるような目をする! 本当、終わってるよなぁ!」


 そう言うと魔族の男は、グメルの横腹を強く踏みつけた。胃とその周辺が潰され、グメルは嗚咽を越えて嘔吐した。しかしながら吐瀉物の半分以上は鮮血であるため、殆ど血反吐だった。


「どうだい! 嬢ちゃんもスッキリしたか!? そうだよなぁ! 自分のこと売った連中が苦しみながら死んでんだからよぉ!」


 残虐性を帯びた笑みを浮かべたまま、男はリルに同意を求める。しかしリルは耳を塞ぎ、瞼を閉じ、目の前で繰り広げられる悲劇から逃げようとしている。

 震え、怯えるリルを見て、男の性欲が膨張する。

 最早このクズに構うことは無い。そう考え、男はグメルの頭を踏み潰し、完全に殺した。

 そして膨張した性欲をぶら下げながら、返り血塗れの穢れた体でリルの方へゆらゆらと歩み寄る。

 耳を塞ぎ瞼も閉じていたが為に、リルは近付きつつある男に気付きもせず、遂には眼前にまで近付けてしまった。


「メインディッシュだ」


 男は両脚に付与していた魔法を解除し、体の何処にも魔法を付与していない通常状態へ戻った。そして早々に、男はリルの体に触れ、固い地面に対して勢いよく押し倒した。

 肩を掴まれ、背中から地面に激突するリル。後頭部も打ち、鈍い痛みが体に滲んでいく。


「俺はお前が気に入った。だから他の連中とは違う扱いだ」


 リルは、即座に理解した。

 夜。押し倒す男。押し倒されるリル。屋外。気に入ったというセリフ。

 リルはこれから、この男に犯される。助けを呼ぼうにも、ここは森の最深部。いくら叫ぼうと助けは来ないし、人を容易く殺してしまうこの男に反撃などできない。

 つまりは、もう詰んだ。

 逃げようとは思はない。逃げたところで追いつかれることが確定しているし、仮に生きて森の外に出られたとしても、外で待つ人々全員が殺される。

 他の人を死なせるのであれば、自分が穢れればいい。自分一人の純潔程度で幾人かの命が救えるならば、喜ばしくは無いが差し出そうと。逃れられない絶望的状況が、他人を想う自己犠牲の精神を芽生えさせた。


「17歳、今年で18歳。俺達悪魔族からすればまだまだ子供だが、未熟な果実にしか無い魅力もある……」


 男はリルの首に自らの両手を当てる。両方の親指でリルの喉を押さえ、残りの指全てで首の横を走る動脈と静脈を押さえる。


「んっ、……」


 最初は優しく掴んだ。名も知らぬ他種族の男に首を掴まれ、首を絞められる。決して強くはない。しかしその絶妙な締め具合が、不覚にもリルの体の中に隠されていた快楽を呼び起こした。


「生きた女も嫌いじゃないが、俺が本当に好きなのは……」


 グ、ギチギチ、と音が聞こえた。


「死んだばかりの女なんだよなぁ……」

「っ!!」


 リルの首を絞める手に力が加わる。優しかった力は徐々に強くなり、快楽として捉えられていた程度の苦しみも、ただの苦痛に変わりつつある。


「死んだばかりの肉はまだ柔らかく温かいんだが、全く動かないから悪戯し放題だ。それに死人独特のゆるゆるな脱力感が中々良いんだよ。1度限りの交わりではあるが、その特別感がまた良い……!」


 男は、軽度の死体愛好ネクロフィリアとしての傾向があった。それは魔族全体の話ではなく、この男に限定した話である。

 男はこれまでに、19人の女性と性交を行った。うち11人は同族であり、生者。残りの8人は全員が人間で、生者は1人だけ。最後に残った7人は、全員が死者である。

 既に死亡している人間を選ぶのではなく、男は気に入った人間の女性を自らの手で殺し、殺した後に性交に走る。

 さらにはその殺し方にもこだわりがある。それは、絞殺。極力外傷を与えず、且つ、確実に死んでいく様を間近で観察する。首を絞めれば、やがては頬が赤くなり、唾液が零れ、涙が溢れる。その表情は極めて艶めかしく、殺人現場でありながらも淫奔な空気を流してしまう。尤も、この男がそう感じているだけなのだが。

 男は、気に入った女性の遺体と性交に走る。勿論、女性は一切の反応をせず、ただの人形のようにグラグラと揺られる。

 リルも、これから死に、この魔族の男により物のように扱われることとなる。


「いい顔だ……死んだらキスしてやる。にも舌をれてなぁ」


 死ぬ。この下劣な男に首を絞められ、死ぬ。そして死んだ後には、この男に穢される。

 薄れゆく意識の中、大した走馬灯も見ることなく、リルは思う。

 充実した人生ではなかった、と。

 生きることに楽しみは見出せなかったが、それでも、充実していないと思える程に、自分の人生は浅かったのだと。


「………………」


 リルの意識と、命が途切れた。

 魔族の男はこれまでの経験から、リルの死を即座に理解した。

 リルの体から力が抜け、掴んでいた首が少し柔らかくなった。男は掴む必要の無くなった首から手を離し、今度は、リルの服に触れた。

 肩に掛けられた深緑のジャンパースカートの紐を外し、ゆっくりと脱がしていく。すると、ジャンパースカートの下に着ていたシャツが姿を現す。

 リルが着ているシャツは長袖ながらも、腋の部分に切れ込みがある。腋に汗を溜めがちなことを悩むリルが、思考の末に自ら腋の部分をハサミで切ったのだ。すると意外にも綺麗に切れた為、問題無く外出用として着る事にした。


「柔肌のお披露目だ!」


 リルのシャツのボタンに触れた。

 その時。


「断る」


 死んだはずのリルが、普段よりも少し低めの声で言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る