リルとツムギと旅の始まり
第2話 惨劇ハ森ニテ #1
ティウス歴944年。4月。
◇◇◇
王都レイアス。ナグの森。
◇◇◇
王国カルズを形作る3つの都市。そのうちの1つである王都レイアスにて、ある儀式が行われていた。
レイアスでは、その年で18歳を迎える、即ち成人となる者を集め、成人の儀を行う。その儀式を終えた時点で、初めてその者は大人として扱われるようになる。
その儀式の舞台となるのが、ナグという名の森。茂る草は足を絡め、木々は視界と空を阻害し、身を潜める大小様々な獣の視線を感じ、ジットリとした
夜、完全に日が落ちた時点で、儀式は始まる。その年の成人予定者全員で森に入り、最深部にて咲く特定の花弁を1人1枚持ち帰る。もしも途中で花弁を落としたり、或いは不慮の事故で森の外に出られなかった者は失格となり、1人の成人として扱われることはなくなる。
尚、森に入る際には、代表者1人にランタンと、全員に1本ずつナイフが支給される。獣に襲われた場合の防具のつもりであるが、これまでの儀式の中で、そのナイフが赤く塗られたことは無い。
故に、毎年誰かは油断する。無論、今年も。
「やっぱり余裕だよ、こんな儀式」
茶髪の青年、グメルが言った。グメルは、今年の成人予定者計11人の中ではリーダー的存在らしく、旗の代わりにナイフを誇らしげに掲げながら他の10人を牽引している。
グメルの後ろを着いて歩く、6人の男と、4人の女。グメルだけではなく、殆どの者がこの試練を余裕だと考えているようで、特に男性サイドは欠伸をしながら歩いている。
女性サイドは、4人中2人が少し怯えた様子で、1人は特に怯えることなくグメルのことを見つめる。そして4人目の少女に関しては、怯えて周囲を見回す訳でも、余裕に欠伸をすることもなく、最低限の警戒をしつつも冷静さを欠かない様子で歩く。
「そんなに怯えんなって! 何か出てきても俺がぶっ殺してやるからよ!」
「ふうん、頼もしいじゃんグメル」
グメルのことを見つめていた少女、サーシャが、若干棒読みでグメルを持ち上げた。しかしながら、同い年の女子に持ち上げられることが余程嬉しかったのか、棒読みであったものの、グメルの機嫌は極めて良くなった。
そんな2人の様子を見て、後ろをついて歩く男女は、少し呆れつつも、足元さえ安定しない暗闇の中で僅かな安心感を得られた。
ただ1人、4人目の少女を除いて。
「アングレカムさん、怖くないの?」
長い紫色の髪で目元を隠した、細身の地味な青年ダンが問う。その問いの先は4人目の少女である。
少女の名はリル・アングレカム。長い髪を用いた髪型がトレンドとなるレイアスの中では希少な、ボブヘア少女。またその髪色も特徴的で、全体的に銀髪なのだが、左側頭部の一部だけが黒い。髪染めは一切施していない、銀と黒のツートンカラーなのだ。
人形のように整った顔立ちに、日焼けしても人並み以上に白い肌。そして、大抵崩れることのない冷静で淡白な表情。
人の域を外れたような美しい容姿。それ故か、リルは友人があまり多くない。初対面の相手からも、大抵距離を空けられる。
そんなリルに呆れたのか、或いはこの11人の男女の中に馴染みきれていないことを今になって察したのか、ダンは若干緊張しながらも尋ねてきた。
「怖くない、って言ったら嘘になるかな。けど心の底から怖いって訳でもない」
「そ、そう……なら良かった」
冷静沈着な表情に伴った態度に戸惑いつつも、ダンはちゃんと会話ができたことに内心ホッとしていた。
「お……あ、あれ、じゃね?」
戦闘を歩いていたグメルは足を止め、ナイフの刃先を前に向け、戸惑うように言った。
ナイフが指す先は、これまでの視界の中で最も明るい。その場所だけ木々の葉が至っていないようで、白い月光が細く射し込んでいるのだ。
そんな月光に照らされながら、試練合格の条件となる件の花が幾本も咲いていた。
薔薇のような棘のある茎の先には、菫の花に似た花弁。しかしながらその花弁は菫とは明らかに異なる。何故ならその花弁は、茎よりも鮮やかな緑色なのだ。
緑色の花を咲かせる植物自体は一応実在するが、どうやらリルやグメル達には馴染みがないようで、この不思議な花を見つけた途端に小走りで駆け寄った。
「凄い……見たことない、こんな花」
「この場所にしか自生してないのかもね。或いはどっかの誰かが魔法で作ったとか?」
「どっちでもいいさ。さっさと花弁ちぎって帰ろうぜ」
1人、グメルの近くで欠伸をしていた青年トンゼスだけは、この緑の花に興味が無いようで、早く帰ろうと皆を促す。
「いいや、まだ帰らせねぇぞ」
その時、"別の男"が早期帰投を拒んだ。
聞き慣れない声が、一同の背後から聞こえる。特に、1番後ろに居るはずのトンゼスは、聞こえるはずのないその声に寒気を感じ、振り返るよりも先に、反射的に体が逃避に走っていた。
しかし逃避は遅かったようで、トンゼス以外の面々が後ろへ振り返る頃には、既に、トンゼスの腹に空いた穴から赤黒い血液が溢れていた。
「魔族!?」
裏返りかけた声でサーシャが叫ぶ。
目の前に魔族が居る。そう理解した途端に、一同の顔色は青ざめた。
そこに居たのは、頭に羊のような角を生やし、尾骶骨あたりから細い鞭のような尻尾を生やした、筋肉質な男。灰色の髪は長めで、チリチリとして、不潔な印象を抱かせる。
身長は180センチ程度であろうか。少なくともこの世界に於ける男性の平均身長は170センチ未満である為、180センチはあるその男の体格は驚異的である。
頭の角と尻尾。それは装飾ではなく、体の一部。それは即ち、人外という証。人間という枠を超えた、
訳あって、人間達は魔人族のことを「魔族」と呼ぶ。魔人族の中には、その呼び方を酷く嫌う者も居るが、この男の場合は、決して嫌悪感を抱いていないらしい。
「おいおい、男ばっかじゃなえか。それに女も随分と貧相……いや……」
魔族の男は、右手を赤く染めている。一同は既に理解している。この男がトンゼスの腹に風穴を空けたのだと。しかも武器を用いず、素手で。
事実、トンゼスの腹に穿たれた穴は、丁度魔族の男の拳と同じ大きさである。
腹を貫かれたトンゼスは立つ力と意識を失い、べちゃ、という不快な音を漏らしながら倒れた。
「お前だけは上物だな、銀髪」
魔族の男は、垂れ下がった不気味な目で、冷や汗を流すリルのことを見つめた。
「おい、お前等に提案がある。その銀髪の女を俺に
その提案に対して、真っ先に回答に至ったのは、グメルだった。
「あ、ああいいぞ! な? みんなもいいよな!?」
悪魔族は、契約と共に生きる者達。契約さえ交わせば、その内容を覆すことは無い。もしも悪魔族が、結んだ契約を一方的に棄却した場合には、その契約内容次第で「棄却に対する罰則」が発生する。
罰則は、第三者によるものではなく、悪魔族の体内に流れる血と、体を形作る遺伝子によるもの。意思に関係なく血と遺伝子が働き、最低でも身体の損傷、最悪の場合は即座に苦痛を伴う悽惨な死を迎える。つまりは、自業自得である。
グメル達が魔族の男と、「リルを提供する代わりにこの場から生きて去ることができる」という契約を交わせば、魔族の男はそれを守るしかない。
ここでリルさえ差し出せば、犠牲者はトンゼス1人で済む。11人中の9人は生き延びることができる。ともなれば、グメルの脳は「リルの提供を拒否する」という思考には至らない。
「いい、と思う」
「いいに決まってる!」
「ほら早く行けよ!」
「死にたくないもの……」
リルは瞬時に理解した。リルが何を言おうと、もうグメル達はリルを擁護しない。確実に見捨てられる、と。
「俺の提案に賛同するのか?」
「勿論だ! こんな女の1人や2人失ったって痛くも痒くも無い!」
グメルは、少し前へ身を乗り出し、リルの肩を思い切り蹴った。防御の姿勢など取る暇が無かったリルは、蹴りの威力に押し負け、魔族の男の眼前まで飛ばされた。
「ほら! 渡したぞ! 契約だ、そうだろ!」
リルを蹴飛ばし、少し満足気な表情のグメルが言った。
すると、魔族の男はニヤリと微笑み、垂れ下がっていたはずの目が少しだけつり上がった。
「やっぱり、人間はクズの集まりらしい」
「……は?」
「馬鹿が! 俺は"提案"と言っただけで"契約"だなんて一度も言ってないぜ! つまりぃ……お前等全員殺しても問題無いんだよ! 特に、自分が生きるために女を蹴飛ばすようなクズ野郎は、極限まで絶望させて殺す!」
悪魔族は、契約というものを重んじる。しかしながら、限りなく契約に近い簡素な口約束程度であれば、息のように容易く吐く。
魔族の男は、「リルを渡す代わりに他の面々を生かす」という提案をしただけで、それは未だ契約には至っていない。しかし生き延びたいと焦った末に、グメル達はその点に気付けず、結果、魔族の男の怒りに触れた。
もしもグメル達がリルを擁護し、男達が総出で魔族の男に抗おうとしたならば、その行動に敬意を表し、男は極限まで苦しみを与えないように一同を殺していた。
回答を誤ったグメル達は、これから魔族の男に殺される。それも、極限まで苦しみを与えるように。
「待ってな、銀髪の嬢ちゃん。お前を捨てた連中に、俺が罰を与えてやる」
発言の直後、魔族の男は自らの両脚に魔法を付与し、発言の実行に移った。
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