異世界憑依
智依四羽
黒銃の魔王と鎧の勇者
第1話 或ル日ノ終幕
◇◇◇
5年前。魔王城(仮)。
◇◇◇
この部屋は、氷のように冷い空気が流れ、月光さえ無ければ一色の闇に埋もれる。
闇を溶かす白い照明も、熱を匂わせる橙色の炎も無い。
家具は1つも置かれておらず、代わりに、剣やら盾やらといった幾つもの武器がある。大抵が壁に掛けられているが、一部の武器は、立て掛ける形で放置されている。
夜にこの室内を照らす光は、屋根に近い場所に作られた窓から抜ける、青白い月光だけである。
しかし、今日は違う。
寂寥感を演出する暗闇も、薄暗い月光も、呼吸の音さえ響く静寂も、今日は全く機能していない。
何故ならば、この部屋に、好ましくない来訪者が居るからである。
来訪者と居住者。2人の男はその手に武器を持ち、互いにその力と殺意をぶつけ合う。
魔法陣と魔法の放つ瞬光と、武器同士の交わりで走る火花。咆哮に等しい来訪者の声と、怒号に等しい居住者の声。互いに放つ魔法の音と、戦闘に伴う血肉の音。それらの全てが、寂寥感漂う暗い部屋を、途端に殺伐とした血腥い部屋に変えた。
とは言え、どんなに血腥く騒がしい部屋でも、やがて静かになるか、或いは埃臭くなる。その時が来るのは、案外唐突である。
「残念だったな。お前の力じゃ俺は殺せねえ」
男は、一切の震えを見せぬ両脚で立ち、乱れていた息をゆっくりと整えて言った。
男の服は、コートも、シャツも、デニム生地のパンツも、靴も、全てが黒く、オールバックにした髪も黒い。戦闘に伴う衣服の損傷は多々見られるが、修復魔法を用いた為、見る見るうちに汚れも傷も消えていく。
黒服の男の5メートルほど先には、白を基調とする鎧を着た男が居る。床に膝をつき、黒と赤の大剣を杖にしているが、男は未だ生きている。
「才能、だけ、、じゃ……世界、は、救えない、ってか……」
息を切らし、吐く息に血の混じった声で、鎧の男は言葉を紡ぐ。鎧の男は黒服の男とは違い、全身に傷があり、装備も酷く損傷している。
「ああ、その通りだ。才能と力があっても、それだけでは世界を変えられない」
黒服の男の言葉に、鎧の男は僅かに笑みを見せた。
「あん、たは……何、故、世界、を、変えられた?」
瞼が重くなる。血が絡んで息が苦しくなる。しかし鎧の男は発言を止めなかった。
「お前達人間に対する憎悪だ。それに言っておくが、俺が変えたのは世界じゃない。変えたのは、俺の仲間達の心だ」
「そ……か……」
鎧の男は理解した。否、正確には既に理解していたが、改めて、深く確実に理解した。
自分の力では、到底及ばないと。
魔王を討伐すべく家を出て、幾人もの友人と出会い、愛する者と幾度も夜を越え、数え切れない程の命を奪い、こうしてこの黒服の男、改め魔王と対峙した。
言葉を交わすよりも、命を奪い合う中での方が、相手のことを理解できる場合がある。そしてその理解した内容次第で、人は案外簡単に物事を諦めてしまう。
鎧の男は、諦めたのではない。そもそも、魔王も対峙する前から、自分が魔王になど勝てるはずがないと理解していたのだ。ただその理解は、単なる諦め以上に、鎧の男の心を潰した。
「最後に言い残すことはあるか?」
魔王が問う。しかし鎧の男は何も答えない。
それもそのはず。鎧の男は、問いの直前に死亡したのだ。膝をつき、大剣に体を預け、僅かに瞼と口を開いたまま、大した遺言を吐くこともなく。
魔王は、返らない言葉を待たない。そもそも殺すつもりだったのだ。返答があろうが否が、情に絆されることも無い。
「墓は立てないぞ、勇者」
魔王と勇者の戦いは、魔王の勝利に、勇者の死により幕を下ろした。その終幕に、魔王の従える魔族達は歓喜し、勇者を輩出した人間達は絶望した。
魔王は、歓喜するでも、絶望するでもなく、ただ静かに、勇者の遺体に自らの武器の先端を向けた。
向けたのは、剣の鋒ではない。
向けたのは、黒い銃口であった。
◇◇◇
現代。日本某所。
◇◇◇
いっそ、死んだ方がマシだ。
そんな馬鹿みたいな考えに時間を割くのは極めて無駄であると、この男、ツムギは考えていた。充実した人生でなくとも、最低限、生きる希望や理由さえ抱いていれば、自ら死を望むことなど無いだろうと、そう考えていた。
しかしツムギは、齢30にして初めて、そんな馬鹿げた考えに至ってしまった。
考えの種は、母親の死。幼少期に父親が死亡して以降、ツムギを1人で育ててきた偉大なる母が、つい先日、交通事故に巻き込まれて死亡した。ツムギは、唯一の家族を失った。
発芽は、会社の倒産。高校卒業後に入社して以降お世話になった会社が、経営不振と社長の発病を理由に倒産。ツムギは、職を失った。
開花は、自身の体。母親の死と会社の倒産、2つの大きなストレスがツムギの体に影響を及ぼし、血尿、挙句は吐血。さらには流行病に感染し、体力が著しく低下。ツムギは、健康な体を失った。
―――もう、疲れた。
満身創痍のツムギは、既に限界だった。生きる希望も見失い、死ぬ事こそがこの苦しみから逃げ出せる唯一の方法だと悟り、悟った頃には、ツムギの体は行動を殆ど終えていた。
眼前には、自室のドアに設けられた銀色のドアノブ。そのドアノブの根元には、固く、簡単には解けないように結ばれたシャツの袖。袖はドアノブの下に輪を作っており、丁度、人の頭が入る程度の大きさである。
袖を結んだのはツムギ本人。この場で、首を吊って自殺するための仕掛けである。
―――次に生まれ変わるなら……いや、そもそも転生なんか無理か。 俺は地獄に落ちる。
遺書は書いていない。書いたところで、誰かが遺書に気付き、その中を読むかどうかも分からない。或いはそもそも、ツムギの死に誰も気付かない可能性もある。そうなれば、書いても全く意味がない。
ヘルプセンターへの相談もしていない。相談をしたところで、ツムギの心は変わらない。カウンセリングのような会話をしたところで、壊れてしまった心は元通りにはならないと理解している。
死は恐れていない。生きることに価値を見出したことも、楽しみを見出したことも無いツムギにとって、唐突に訪れる死も、進んで受け入れる死も、恐れるに至らないただの事象である。
起こるのを待つか、自ら起こすか。ツムギの場合は、いつ来るかも分からない自由よりも、自身の好きなタイミングで得られる自由の方が望ましい。
故に、ツムギは至った。
―――走馬灯も後悔も無し、か。
ツムギは、袖の輪に頭を通し、自らの首に輪を当てる。
そして、体の力を抜き、首に当てた袖の輪に体を吊るした。
―――酷く、最低な人生が、漸く終わる。
気道を、血管を、命を締められる感覚が全身に走った。しかしその苦痛さえもツムギは受け入れ、涙の1滴さえ流すことなく体を吊るす。
鮮明だった視界は徐々に不鮮明になる。前方から僅かに下へ傾いた目は、苦しみに痙攣を起こす自らの両脚を捉え、死ぬ直前の脳と目に嫌な記憶を焼き付けた。
―――……終わ…………。
意識が途切れる。しかし体の震えは未だ止まらず、暫くはピクピクと動き続けた。
絞められた喉からは断末魔も漏れず、代わりに脱力した舌と、舌に絡んだ唾液が垂れた。
意識が途切れて少しして。静かに、ツムギの心臓は鼓動を止めた。
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